池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

穴倉時間

2020-12-07 07:41:32 | 日記
時は、どんどん過ぎていく。

私の頭髪は、次第に白くなってきた。
メガネを使う頻度も増えた。
仕事の馬力が衰え、物忘れが日常的になり、口のあちこちに入れ歯が入る。

それでも、会社では、それなりに一目置かれる存在にはなり得ていた。重役に直接進言できる立場にあった。ただし、肩書きとしては、ずっと課長のままであり、私より後に入社してきた新卒プロバーが部長クラスになっていたが、そのことは全く気にならなかった。現場の中で忙しく働くことが大好きだったから。

幸いなことに、大した病気もしなかった。ただし、あちこちの関節がときどきひどく痛む。これは、あの紳士と会った日からずっと抱えている持病のようなものだった。リューマチを疑い、いろいろと精密検査を受けたが、まったく問題は見当たらない。
「おそらく、精神的なものが関係しているのでしょう」と医者は口をそろえて私に言った。

私生活では、大きな変化があった。
再婚したのである。
相手は、私よりずっとまっとうにエンジニアの道を歩んできた女性だ。
マンションの自治会で知り合い、互いに独身で、似たような業界におり、働き場所が同じ臨海地帯(彼女のオフィスは豊洲にあった)ということもり、すぐに親密になった。

結婚に当たって、我々は二つの条件を取り決めた。
一つ目は、年齢的に子供を作るのはあきらめることだ。
二つ目は、独身時代と同様に別々に生活し、互いに独立した会計を持つことだ。
共働き家庭が崩壊しやすいのは、互いの仕事に対する配慮が難しいせいだと二人は考えていた。それなら、別居を貫いた方がずっとうまくいくはずだ。
別居とはいっても、同じマンション内にいるのだから、会いたければいつでも会える。
適当な時期に、二人のマンションを売り、田舎に家を作って同居し、仕事と結婚生活を両立させるというのが二人の夢だった。


このころになると、もはや私の頭の中から、あの嫌な過去は消えつつあった。前妻との家庭生活や、三日間ホームレスとしてさまよったことなどは、遙か遠くの出来事だった。
コメント
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