池袋犬儒派

自称「賢者の樽」から池袋・目白・練馬界隈をうろつくフーテン上がり昭和男の記録

人間は時間的存在。だから手続き的思考を好む。

2016-05-11 11:28:47 | 日記
しかし、このプラットフォーム作戦が可能になるのは、コンピュータが莫大な演算力を持ち、現在の局面を正しく評価できるから。
そうでなければ、序盤でこの碁は終わっておる。

たとえ愚形でもコリ形でも、全体的な評価に裏付けられて着実に足場を作り、そこを基点に中盤からの攻勢を図る。

しかし、その盤面全体の評価はどうやっておるのじゃろう?

それを考えながらビデオを観ると、アルファ碁の打ち方に一定のパターンがあることに気がつく。

アルファ碁は、どんな状況でも必ず一定の思考時間をとるということ。
これが奇妙に思えるのじゃ。

ノゾキとかハネツギとか、誰がどう考えても、1手しかありえない状況でも、このアルファ碁は考え込むのじゃ。

1秒間に莫大な量の計算ができるコンピュータなのに、どうして時間をかけるんじゃろうかい?

さらに奇妙なことに、「ここのツギしかない」という時に、アルファ碁はつがずに別のところにアタリをかける。
で、相手がつなぐと、おとなしく元の場所にツギを打つのである。

おそらく、これは、1手ごとに局面の評価をリフレッシュしているせいではないかのう。
わしは、そう推測する。

ツギを打たずに破られるより、アタリで石を取った方が、全局的には儲けが大きいと判断するから、継がずにアタリにするのじゃ。

一本道とか一直線とか言われる一連の手順であっても、コンピュータは必ず1手ごとに評価をリフレッシュするんではないか。

我々素人には考えも及ばないが、ある特定の位置に石が来ることで、別の可能性が高まるということだってないとは言えんじゃろう。

戦っている最中に、突然逃げの手を打ったり、別のところにかかっていくのも、それが理由なのじゃなかろうか。

こういう打ち回しは、人間を面食らわせることは間違いない。

プロ棋士なら、無数に石のパターンを覚えており、それにしたがって、だいたい打つ手の候補をいくつか念頭に置いて、さらに細かく読んでいくのが普通ではなかろうか?

もちろんコンピュータもそれに近いことをやっているだろうが、それをより徹底して、ほとんど毎回記憶をリフレッシュするような形で読んでいると思われる。

演算機能にとって、1手前に自分が打った手であろうと、単なるデータにすぎない。

これに対して、人間はどうしても打つ手の連続性を考える。
手続き的思考からなかなか抜け出せない。

まさに、わしが今回、アルファ碁の打ち方を見て感嘆したのは、この点じゃ。
そして、ここにこそ人生逆転の法則があると信じた。

なーんだ、と思われるかもしれん。

しかし、このことは、見かけ以上に重要なことに思える。少なくともわしには。
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