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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

6月15日・エリク・エリクソンの自己同一

2018-06-15 | 科学
6月15日は、服飾デザイナー、小篠綾子が生まれた日(1913年)だが、精神分析家エリク・エリクソンの誕生日でもある。「アイデンティティ」の問題を提議した人である。

エリク・エリクソンは、エリク・サロモンセンとして1902年にドイツのハンブルクで生まれた。彼の母親はもともとデンマークのコペンハーゲンに暮らす有名なユダヤ系一族の一員で、株式仲買人と結婚していたが、デンマーク人と浮気をした挙句、妊娠した。彼女はドイツのフランクフルトへ逃げてきて、そこでエリクを生んだ。母親は看護師の訓練を受け、カールスルーエに引っ越し、エリクが3歳のときに、母親はユダヤ人の小児科医テオドール・ホーンブルガーと結婚した。
エリクは6歳のとき、正式に養子になり、名前がエリク・ホーンブルガーに変わった。
エリクは背の高い、ブロンドの髪、ブルーの瞳をもった少年だった。彼は教会へ行くと「北欧人」といじめられ、学校へ行くと「ユダヤ人」と差別され、自分のアイデンティティ(自己同一性)について悩んだ。出生について両親は彼に何も教えなかった。
ギムナジウム卒業後は、養父の希望にしたがって、医学の学校に進んだが、画家志望だったエリクはすぐに中退して、友だちといっしょにドイツやイタリアを放浪した。
いっしょに旅をした友人の紹介で、エリクは25歳のとき、ウィーンの実験的な学校の教師をするようになった。そこは、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトの娘アンナ・フロイトのクライエントの子女が通う学校だった。アンナにすすめられ、エリクはウィーン精神分析研究所に入った。児童心理学や精神分析学、モンテッソリ教育法について学び、31歳で終了証書を取得。この卒業証書が、エリクが生涯で取得した資格のすべてだった。
研究所卒業の年は、ヒトラーがドイツ首相になった年で、フロイトの著作は焚書になった。カナダ人のダンサーと結婚し、キリスト教に改宗したエリクは、米国へ逃れた。
エリクは、マサチューセッツ州ボストンの最初の児童精神分析医師となり、病院やハーヴァード大学の医学学校に勤務した。クライエントを診、教鞭をとり、34歳でイェール大学に移り、米国に帰化した。その際、姓を「エリクソン」に変え「エリク・ホーンブルガー・エリクソン」になった。
エリクソンはカリフォルニア大学をへて、ふたたびハーヴァード大学にもどり、児童心理学、人間の発達について研究した後、68歳で同大学の教授職から引退した。
1994年5月、エリクソンはマサチューセッツ州のコッド岬で没した。91歳だった。

エリクソンの「エゴ・アイデンティティ(自我同一性)」は「セルフ・アイデンティティ(自己同一性)」と同じで、要するに「自分は一つ」という意識をもつことである。
自我の発達段階を、フロイトが性的にとらえたのに対し、エリクソンは社会的にとらえた。
まず「自分はほかの誰でもない独自の存在である」という主体的な意識。
つぎに「社会や時代が変わっても自分は自分である」という連続性の認識。
さらに「自分のいる社会を認め、それと折り合いをつけていこう」とする集団帰属意識や社会受容感。これらをまとめたのが「アイデンティティ」で、自分のなかでちゃんとまとめ、統合することが大切になる。統合できず、拡散してしまうと、
「自分がほんとうにやりたいことがわからない」
という状態になる。エリクソン自身も悩んだように、アイデンティティの統合は難題で、逆にいえば、この問題に悩まないような人生はたいしたものではないのだろう。
(2018年6月15日)


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