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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月7日・ビリー・ホリディの歌

2024-04-07 | 音楽

4月7日は、社会思想家シャルル・フーリエが生まれた日(1772年)だが、ジャズ・シンガー、ビリー・ホリディの誕生日でもある。

ビリー・ホリディこと、エリノラ・フェイガン・ゴフは1915年、米国ペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、メリーランド州ボルチモアで育った。父親はナイトクラブのジャズ・ギタリストで、エリノラが生まれても籍を入れず、実子の認知すらしなかった。そこで母親はエリノラを祖母など親戚に預け、売春をして生活費を稼いだ。
10歳のころ、エリノラが家にひとりでいると、隣人が侵入し、彼女は強姦された。
13歳のとき、エリノラは母親に連れられてニューヨークへ出た。母親は売春婦をして母子家庭の生活を支えたが、ニューヨーク市警には14歳のエリノラが売春容疑の母親とともに留置された記録が残っているという。
ハーレムのすさんだ生活のなか、十代でナイトクラブに出入りするようになったエリノラは、大恐慌時代だった15歳のとき、歌手の仕事につき、男の子のニックネームである「ビリー」に、血縁上の父親の姓である「ホリディ」を付けて芸名とした。
強烈な個性をもった歌声で、ビリー・ホリディはたちまち頭角をあらわし、以後、ステージやレコード・スタジオでデューク・エリントン、ベニー・グッドマン、カウント・ベイシー、マイルス・デイビスなどと共演した。
「月光のいたずら」「奇妙な果実」「暗い日曜日」「ゴッド・ブレス・ザ・チャイルド」などのヒット曲がある。
圧倒的な実力を認められ、カーネギー・ホールで喝采を浴びながらも、黒人差別のために白人バンドとツアーができなかったり、麻薬やアルコールへの依存症に苦しんだり、麻薬所持で投獄されたためにナイトクラブでの仕事の免許を取り上げられたりと、多くの苦難をなめた。
大麻からヘロイン、LSDまで手を出し、アルコール依存症でヘビー・スモーカーだった彼女は肝硬変、腎不全などを併発し、1959年7月、ニューヨークのハーレムで没した。44歳だった。

出会う男がみな暴君で、殴られ、おどされ、しぼりとられ、麻薬漬け、借金漬けにされて、身も心もぼろぼろだった。それでも歌えば燦然と輝いた。そういう生涯だった。
彼女の生涯を描く映画「ビリー・ホリディ物語」はダイアナ・ロスが主演した。

世の中には「この歌はこの人に」という絶対的な組み合わせがときどきあって、それはたとえばエディット・ピアフの「愛の讃歌」だったり、郷ひろみの「男の子女の子」だったりするのだろうけれど、ビリー・ホリディの「奇妙な果実」もその一曲である。
「米国南部の木には奇妙な果実がなる(Southern trees bear strange fruit)」
とはじまる、この歌をはじめて聴いたときの衝撃は忘れられない。
米国史専攻で、担当教官は米国黒人史が専門だったので、感じるところが深かった。南部の木の枝からさがる「奇妙な果実」は、リンチを受け、首をロープで吊るされた黒人の死体である。
(2024年4月7日)



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