1日1話・話題の燃料

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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

4月2日・アンデルセンの宝石

2024-04-02 | 文学

4月2日は、ロックボーカリスト、忌野清志郎(いまわのきよしろう)が生まれた日(1951年)だが、童話作家アンデルセンの誕生日でもある。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、1805年、デンマークの中央に位置する島、フュン島のオーデンセで生まれた。家は貧しく、ハンスはひとりっ子だった。父親は靴職人で、ハンスが11歳のときに没した。母親は洗濯女として働き、家系を支え、2年後に再婚した。ハンスは織工見習いや仕立屋の手伝いをしながら学校に通っていたが、学校をやめ、14歳のとき、コペンハーゲンへ出て、デンマーク王立劇場に入り、歌手を目指した。ハンスは美しいソプラノの歌い手だったが、間もなく変声期が訪れ、歌の道も危うくなった。そんなとき、劇場の仲間から、詩の才能があると言われたことから、ハンスはしだいにそちらに努力を傾けだした。
劇場の支配人はアンデルセンに多大な愛情を注ぎ、彼を支援してグラマー・スクールに行かせた。アンデルセンは教員の家に寄宿したが、教員は彼の性格を批判して直そうとし、彼の執筆意欲をくじくことに熱心で、アンデルセンは暗い学生時代を送った。
24歳のとき、徒歩旅行の旅行記を自費出版。これが世間に好評をって迎えられ、アンデルセンは著述家としての道を歩みはじめた。
28歳のころ、1年以上をかけてヨーロッパを旅行し、ローマで最初の小説『即興詩人』を書いた。これはローマの貧しい家に生まれた詩人志望の少年がイタリア各地を遍歴するという自伝的小説で、30歳のときに出版されると、たちまちヨーロッパ各国で翻訳され、大評判となった。日本では、森鴎外が翻訳紹介し、その名文は「原作以上」と言われ、多くの作家に影響を与えた。
文名の鳴り響いていたアンデルセンは、38歳のとき、パリに行き、バルザック、ヴィクトル・ユーゴー、デュマ父子、ハイネなどと交友をもち、『裸の王様』『みにくいアヒルの子』『人魚姫』『親指姫』『マッチ売りの少女』『赤い靴』など珠玉の創作童話を書いた後、1875年8月、肝臓ガンのため、コペンハーゲンで没した。70歳だった。

アンデルセン作品のなかで、なにがいちばんの名作か? これは難問である。聞いてまわると、ある人は『マッチ売り』、ある人は『アヒルの子』、また『裸の王様』と答える人もいた。

アンデルセンは生涯独身を通した。女性嫌いではなく、むしろ女性は大好きだったけれど、好きになった相手に、自分のこれまでの人生体験や失恋体験を長々とつづった鬱陶しい手紙を送りつけるなど、およそナイーヴ(未熟な)で人づきあいが苦手だったために、失恋の連続の人生となったらしい。

作家の野坂昭如が生前、テレビのトーク番組でこんなことを言っていた。
「モテて、お金があって、楽しかったら、誰も小説なんか書きませんよね」
なるほど、そうかもしれない。すると『みにくいアヒルの子』『人魚姫』『マッチ売りの少女』などの名作は、作者のこぼした涙が結晶して得られた宝石といえる。
(2024年4月2日)



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