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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
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1月15日・キング牧師のクール

2021-01-15 | 歴史と人生
1月15日は、エジプトのナセル大統領(1918年)が生まれた日だが、米国公民権運動のシンボル、マーティン・ルーサー・キング牧師の誕生日でもある。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニアは、1929年に、米国ジョージア州アトランタで生まれた。父親はプロテスタント、バプテスト派の牧師で、父子が同じ名前なので、息子のほうは「ジュニア」をつけて呼ばれる。息子のマーティンは、上にお姉さん、下に弟がいる3人きょうだいのまん中だった。
子どものころから教会の聖歌隊で歌っていたマーティンは学業優秀で、ふたつ飛び級をして、15歳で大学に入り、大学や神学校をへて、マサチューセッツ州のボストン大学で神学の博士課程をとった。
ボストトン大学で、キング牧師はしばしば、ハワード・サーマン牧師を訪ねた。サーマン牧師は以前、インドでマハトマ・ガンジーと会ったことのある人物だった。
26歳のとき、キング牧師は博士号をとってボストンを後にし、アラバマ州モンゴメリーの教会で牧師となった。ちょうどそのころ、モンゴメリーの街で、ひとりの女性が、歴史を大きく揺り動かす大事件を引き起こした。
1955年12月、モンゴメリーに住む当時42歳のローザ・パークスという黒人女性が、白人と黒人とで、バスの座席が区別されていたところ、席を白人にゆずるのを拒否したため、逮捕されるという事件が起きた。いわゆる「ローザ・パークス逮捕事件」で、キング牧師は、この報せを聞くと、地域の黒人に、バスに乗車しないようバス・ボイコット運動を呼びかけた。黒人たちは敏感に反応し、乗客の大半を黒人頼みにしていた地域のバスは大打撃を受けた。この事件は、連邦裁判所のあつかうところとなって、キング牧師たちは、バスの車内での人種分離を容認する法律は憲法違反である、という判決を勝ち取った。
そこからさらに、キング牧師は全米各地で公民権運動を指揮していく。彼が黒人たちに呼びかけた戦術は、非暴力、不服従というガンジーの戦術を踏襲したものだった。
1963年8月、34歳のとき、キング牧師は、首都ワシントンDCでおこなわれたワシントン大行進に参加し、リンカーン記念堂の前で演説をおこなった。それが有名な「わたしには夢がある(I have a dream.)」の演説で、内容はこんな感じである。
「わたしには夢がある、それはいつの日か、わたしたち奴隷だった黒人の子孫と、使用者だった白人の子孫が、仲良く語り合う日がくる、そういう夢が」
キング牧師の語る高い理想は、聖歌隊できたえた美声とあいまって、全米、全世界に広く感動を呼んだ。翌1965年、35歳のとき、キング牧師はノーベル平和賞を受賞した。
そして、1968年4月、テネシー州メンフィス市内のモーテルのバルコニーで、キング牧師は銃で撃たれ死亡。39歳だった。

現在米国では1月の第3月曜日はキング牧師の名を冠した祝日になっている。

現在でも米国では人種問題はホットな話題だが、一般論をいうならば、米国の白人たちのほうが、長い歴史のなかで、差別問題についてきびしく決断を迫られる機会を多くもってきていて、日本人より差別に関してずっと意識的で目覚めている。日本人の差別主義者たちはしばしば自分が差別主義者だと意識していない。
キング牧師は度胸もすわっていたけれど、なにより頭脳がクールだった。
(2021年1月15日)



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