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著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

10月19日・リュミエール兄弟の遺産

2018-10-19 | 映画
10月19日は、メリルリンチを創設したチャールズ・メリルが生まれた日(1885年)だが、フランスの発明家、オーギュスト・リュミエールが生まれた日でもある。映画を発明した「映画の父」リュミエール兄弟の兄のほうである。

オーギュスト・リュミエールは、1862年、フランス東部の町ブザンソンで生まれた。父親は肖像画を描く画家で、写真館の経営者でもあった。オーギュストが生まれた2年後、弟のルイ・リュミエールが生まれた。
オーギュストは19歳のころから父親の仕事を手伝いはじめ、写真の感光剤や乾板を改良した。父親は有能な息子の協力を得て、写真乾板の工場をはじめ、感光剤を販売した。
32歳のとき、パリに出向いた父親は、そこで米国の発明王エジソンが作ったキネトスコープを見た。キネトスコープは箱をのぞきこんで動画を見る仕組みの映画装置である。
父親に勧められ、オーギュストとルイの兄弟は動画の研究をはじめ、キネトスコープを改良して、映像を大きなスクリーンに投影することによって、おおぜいがいっしょに見られるシネマトグラフ・リュミエールを開発した。
リュミエール兄弟は、映画を撮影し、1895年、オーギュストが33歳のとき、パリで世界初の映画を公開した。50秒ほどの短編映画が10本上映され、スクリーンに映し出された汽車が、こちらに向かって突進してくる映像に、場内は大騒ぎになった。
5年後の1900年開催のパリ万博でも、リュミエール兄弟の映画が公開され、その動く映像の迫力は世界に衝撃を与えた。
米国のエジソンは、彼ら兄弟の映画に刺激を受け、劇場映画製作に乗りだしていき、こうして、大西洋をはさんで、米仏の発明家が影響を与えあって、映画は育っていった。
リュミエール兄弟はグレタ・ガルボやマレーネ・ディートリッヒ、ジャン・ギャバンといったスターを輩出した映画産業の隆盛をながめ、第二次世界大戦後まで生き、兄のオーギュスト・リュミエールは、1954年4月に没した。91歳だった。弟のルイは、兄より早く1948年6月に83歳で亡くなっている。

インドやアフリカでも映画は盛んだし、もちろん日本や、米国ハリウッドもあるけれど、映画の国といえば、やはりフランスである。甲斐バンドも歌っていた。
「映画を見るならフランス映画さ」(甲斐よしひろ「ポップコーンをほおばって)」

世界に映画祭は数多くあるけれど、やはり頂上に位置するのはフランスのカンヌ映画祭である。映画祭のにぎわいのほか、カルネ、ルルーシュ、トリュフォー、ゴダールといった監督たち、またあるいはベルモンド、バルドー、ドヌーヴ、ソフィ・マルソー、エマニュエル・ベアールといった映画スターたちの活躍も、リュミエール兄弟の達成の上に築かれたものだと思い返すと、彼らがフランスに残した遺産の大きさをあらためて感じる。その遺産は、極東の島国、日本にもちゃんと届いていて、その恩恵を我々はずいぶんこうむっている。
(2018年10月19日)



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