1日1話・話題の燃料

これを読めば今日の話題は準備OK。
著書『芸術家たちの生涯』
『ほんとうのこと』
『ねむりの町』ほか

8/1・宮本常一の下から目線

2013-08-01 | 歴史と人生
真夏の8月1日は、ファッションデザイナー、イヴ・サン=ローランが生まれた日(1936年)だが、民俗学者の宮本常一の誕生日でもある。
あるとき、自分が近所の書店へ入ると、文庫本のコーナーに、書店員の手書きの小さな宣伝メモが掲げられていた。「スピッツの草野くんも読んでます」とあったと思う。スピッツの「ロビンソン」という曲が流行っていた時分だから、たぶん1995年ごろだったろう。
「ふうん」と、自分はその岩波文庫の『忘れられた日本人』を買って帰った。読み出すと、おもしろくて止まらなくなり、読み終えた後、心に重たいものが残った。いろいろ考えさせられた。その本の著者が宮本常一だった。

宮本常一は、1907年、瀬戸内海、山口県の周防(すおう)大島で生まれた。貧しい環境で育った常一は、23歳のころ、結核にかかり、帰郷。療養しながら万葉集や近松、長塚節を読んだ。宮本はそのころから民俗学の雑誌に郷里の民俗についての論文を投稿しだした。
28歳のころ宮本は、民俗学者の柳田國男と知り合い、また日本銀行総裁や大蔵大臣を勤めた渋沢敬三と知り合って、民俗学の全国組織を作り、機関紙を発行しだした。
その後、渋沢敬三の家の食客となったり、郷里へもどって農業をしたり、学校教師をしたり、農林省や文化庁など中央政府、あるいは大阪府や奈良県など地方行政府の嘱託を受けて、さまざまな役職についたりしながら、生涯を民俗学研究の旅に費やした。
著書に『忘れられた日本人』『家郷の訓』『民俗学の旅』などがある。
1981年1月、胃ガンにより東京で没した。73歳だった。

自分は宮本常一の本は十冊くらい読んだと思う。こういうことがらを調べ、書き残しておいてくれて、ほんとうにありがたいと思う。日本人が経済力を得てきたなかで、失ってしまったものを、宮本は教えてくれる。

宮本常一が書いたものは、どれもおもしろく、ためになるけれど、やはりいちばん印象強かったのは『忘れられた日本人』である。この本の、愛知県の名倉村の農家のお年寄りたちが話し合った記録のなかに、こんなやりとりがある。
「小笠原 (中略)わたしは嫁にもらわれた。家やしきだけで、何一つ財産もない、それでもしうとめも小じうとめも居らんから気らくだろうと親も人も言うので、わたしもその気になったが、それから六十年一しょにおりました。無口で、一日中ろくにものも言わずに暮しました。ただ人の二倍も仕事をするのがとりえで……。
金田金 よう働いた人じゃ。わしもたいがいの人にはまけんが、あんたのおやじには一目おいた。からだの小さいくせに、仕事のはやい人であった。
小笠原 わたしら貧乏だったし、それがあたりまえと思っていたから、別に不幸もなかったが、いま思うと、よう辛抱したもんであります。」(「名倉談義」『忘れられた日本人』岩波文庫)
このくだりなど、自分はほんとうにいろいろなことを考えさせられた。

宮本常一のすばらしいところは、つねに地べたを歩く庶民の目線からものを見、ものを考える彼の態度だと思う。けっしてえらぶらないし、卑屈にもならない。そういう姿勢が、自分にはひじょうに尊く感じられる。宮本はこう書いている。
「われわれは、ともすると前代の世界や自分たちより下層の社会に生きる人々を卑小に見たがる傾向がつよい。それで一種の悲痛感を持ちたがるものだが、御本人たちの立場や考え方に立って見ることも必要ではないかと思う。」(「あとがき」同前)
まったくその通りで、自分など耳が痛い。
(2013年8月1日)




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宮本常一、中坊公平、北原怜子、宮沢賢治、ブローデル、バーンスタイン、マドンナ、ヘルタ・ミュラー、シャネル、モンテッソーリ、アポリネール、ゲーテ、マイケル・ジャクソン、など8月誕生31人の人物論。8月生まれの人生とは? ブログの元になった、より深く詳しいオリジナル原稿版。


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