オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

【やはり最後は鍼灸治療】腹痛の原因は...冷え(アタマが熱くて足が冷える)だった。

2020年07月18日 18時31分55秒 | オズマの独り言

 腹痛が続いていた

 先週釣りに行って,滝のような汗をかいた。7/11に釣りに行き,7/14に腹痛は激痛となって仕事を休んだ。

 なじみの,内科まで観れる鍼灸師が亡くなって久しい。仕方ないので西洋医学に行く。

 「便とガスが溜まっているので,下剤と整腸剤で」とのこと

 しかし一向に改善せず,7/17まで禁酒などを続けた。

 7/18のPMになり,このままだと後悔しそうなので,近所で内科治療もできる鍼灸師を探したら,なんと徒歩10分圏内にあった

 問診だけで鍼灸師は指摘した。

 「その釣りが直接原因で,おそらくは,アタマが熱くて足が冷えている」と。

 治療は,腹部・足裏・背中・肩への鍼灸である。

 やはり驚いたのが,腹部へ一発刺すだけで「急激に痛みが消えた」事実である。西洋医学の医師はこの事実を認めないが

 そしてこのようにブログを書く気力も出てきた。もう,背中が暖かくて気持ち良いのである

 痛みは消え去り,注意すべきは「冷たいものを摂りすぎないこと」だ。お酒はビールでなく熱燗で,とのこと。

 熱燗は飲めないので,しばらくは梅酒HOTにして頂こう。

 治療費は,初診料込7000円。西洋医学に比べて高い,という人も居るだろう。

 しかしながら,服薬の必要も,通う必要もない。念の為,来週もう1回来て下さいとのことであるが,僕は鍼灸治療を信頼しているのでOKである。

 とりあえず,お気に入りの場所となり,あまりに混んだりしたら困るのでリンク先などは貼らないことにしておく。

 体調不良でお困りの方は,ご自分で,向いている鍼灸治療を探してみて下さい


【都民だけ制限・差別】GoToキャンペーンの前に,人口密度・感染者と患者の違い等を議論せよ!

2020年07月18日 16時02分16秒 | オズマの考える政治・経済問題


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/ASN7K6T1YN7HULUC01S

 このキャンペーン,結局都民は阻害された。いや,もはや迫害ですらある

 毎日の通勤電車。ほぼ満員である。僕の会社でも,東京在住はわずかで,千葉・埼玉・神奈川から通う人が8割以上。

 都民だって「江戸っ子」は少ないはず。僕は両親とも地方出身だから「江戸っ子」ではない。江戸っ子は「先祖代々3代続いて」という定義があったはずだし,僕のような西東京地区はそもそも「江戸」ではない。第二次大戦時に空襲がなかったほどの田舎なのだ。バブル期に定義がおかしくなっただけなのだ。

 本件に関しては,珍しく小池知事のいうことが正しいと思う。要は「検査数が多いから」陽性者数も多くなるということ。

 東京は,日本の人口の1/10を占める。詳細に比較すると,鳥取県の人口は57.6万人だが,世田谷区だけで人口は93.91万人。面積でいえば,鳥取県が3507km2,世田谷区が58.05km2である。

 つまり,東京23区のうち,たった一つの世田谷区の7倍近くの面積をもつ鳥取県に対し,世田谷区の人口57.6/93.91=0.617=62%の人々が住む鳥取県。

 このように,人口密度を考えれば東京の感染者数が多いのはアタリマエ。そして,検査を積極的に行っているから,今後感染者数が毎日500人程度になるのもアタリマエだろう。

 さらにいえば,地方出身者の多くによって成り立っているのが東京。毎年,お盆・年末年始に渋滞や帰省混雑があったのがその証拠。

 このように「東京のおかげで」地方が成り立っているともいえる事実。しかしながら,「患者」でなく「感染者数」だけが独り歩きして,「東京が怖い」なんて言い出す始末。

 都民を差別すると,実は地方の差別になっていることに気づいていない。江戸っ子が少なくて,さらに東京には奥多摩もあれば小笠原もある。そんな東京の広さを無視して,主に23区のうち新宿・豊島区の問題かのように扱う政治家を許せないのは,さすがの僕も小池都知事と同じである。

 そもそも,GoToキャンペーンは「コロナ収束後」の話のはず。「感染者だけ」ことさらに煽る政府解釈なら,現状は「緊急事態宣言」と同じはず。しかしながら,あの緊急事態宣言は,多くの社会学者が指摘した通り「コロナ感染以外」で行き場をなくした人々を大量に作った。

 まずは「緊急事態宣言」の効果を検証する。とはいっても,御用学者ばかりでは所詮政府の言いなりである。

 この問題も,きっと多くのメディアではありきたりの解釈に終わるのだろう