大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

嗚呼、洋楽生活40年(その5)

2013-02-24 | 洋楽
今日はちょっとあの当時のレコ屋事情を書いておきましょう。

まず国内盤。シングル盤はたいてい、洋楽に入り始めのごく初期は住まいのあった目黒の駅ビルと駅近くのレコード屋で手に入れていました。LPは、前々回も書いたように、やはり大枚をはたいて買うので、なんとなく信頼のおけるデパートが一番と、渋谷のデパートで最初の何枚かは買った記憶があります。

そのうち同級生に教わったのが、当時レコードは再販商品でどこの店でも値引きは一切なかったのですが、裏技的に次回使える割引券を出している店があるという話。それが秋葉原の石丸電気でした。購入価格の15%ぐらい値引券で戻してくれていたように思います。なけなしの小遣いからLPを買う身分には、本当にありがたかった。それと、LPコーナーは2号館の最上階に広々半端ない枚数が陳列されていてたいていの商品があったことと、分厚いビニール袋に入ったお目当ての商品をレジカウンターに持っていくと、奥から同じ商品の新品在庫を出してかつ目の前で検盤させてくれるというのがなんともうれしかった記憶があります。

石丸はシングル盤の在庫も半端ありませんでした。普通のレコ屋では売り場の広さの関係からシングルも発売から、一定時期を過ぎると問屋に戻されたりして1年以上前のヒット曲や売れなかった曲は、一部の人気アーティスト以外ほとんど置かれていなかったのですが、石丸ではたいていのシングル盤がありました。ですからグラムロックのTレックスやスウィートのバックナンバー的シングルを探すのには極めて好都合だったのです。当時はグラム以外でも、シカゴやラズベリーズの過去シングルを買いあさったので、本当に助かりました。

雑誌「ミュージック・ライフ」を読むようになると、そこに出ていた広告から、輸入レコ屋の存在が気になるようになりました。先般お話をした露天ワゴン販売はさすがにリスクを感じたのですが、広告効果で固定店舗なら大丈夫じゃないかと思うようになったのです。それと、広告掲載の輸入盤は国内盤よりも1~3割価格が安かったのと、当時は新譜の国内盤が出るのは輸入盤よりも2~3カ月も遅れていたので、一刻も早く聞きたいものはとにかく輸入盤に走るしかなかったという事情もありました。

真っ先に足を踏み入れた輸入レコ屋は、原宿竹下通りにあった「メロディ・ハウス」でした。新宿界隈に多くの輸入レコ屋があることは、雑誌の広告で分かっていましたが、原宿は何と言っても家から近いのと、小学校時代からけっこう土地勘のある場所だったのでここを選んだのです。ちなみに、当時の竹下通りは、蕎麦屋さんやパン屋さんなどがポツポツ軒を並べる普通の商店街で、人通りも少なく本当に静かな通りでした。

「メロディ・ハウス」には、けっこうお世話になりました。ちなみにここで買った最初のアルバムは、「クイーン 」でした。まだクイーンがほとんど無名に近い時代。日本で1枚目がリリースされた頃だと思います。「キープ・ユアセルフ・アライブ」を初めてラジオで聞いた直後にたまたまこの店に足を運んで、壁に掲げられた「店長おススメ盤」の文字と、ついさっき聞いたクイーンという名前、そしてあのジャケットのおしゃれさに即買いを決めたのでした。でも新譜だったので、2200円ぐらいしたと記憶しています。もちろんこのレコード、今も大切に所有しています。

その後は、新宿、お茶の水、渋谷界隈の輸入レコ屋をずいぶん回りました。タワレコやHMVといった海外大手資本のメガストアが日本に上陸するのは数年後であり、どこの店もけっこう品ぞろえに個性があって、店主と話し込んだりして自分の知らないアーティスト情報を仕入れたりするのもそれはそれでけっこうおもしろかったものです。古き良き時代のレコ屋話でした。この辺の話の続きはまたいずれ。

★ 本日の関連レコード
<スウィート>
リトル・ウイリー
<ラズベリーズ>
ゴー・オール・ザ・ウェイ
明日を生きよう
<シカゴ>
ロウ・ダウン
ダイアローグ
<クイーン>
クイーン (LP)

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