★All Things Must Pass /George Harrison
デラニー&ボニーから流れたフレンズの面々は、レオン一座に形を変えてジョー・コッカーの「マッドドッグス&イングリッシュマン」ツアーをサポートした後、次に向かった先は元ビートルズのジョージ・ハリスン初ソロ作「オール・シングス・マスト・パス」のレコーディングでした。これが70年の5月。ビートルズの正式解散が同4月ですから、ジョージは正式解散以前からソロ作を計画しメンバーおよびプロデューサーの確保に動いていたと見るのが正しい推測でしょう。
ジョージがフレンズの面々に最初に関心を持ったのはのは、69年のデラボニのアルバム「オリジナル・デラニー&ボニー」を聞いた時あたりでしょうが、彼らの起用を決めたのはデラボニ&フレンズ英国ツアー同行中に彼ら全面参加のデイブ・メイスンのソロ作「アローン・トゥゲザー」のマスターを耳にしたことが恐らく決定打であり、ツアーの最中にわたりをつけたということなのでしょう。クラプトンやメイスンまでを含め、フレンズ・ツアーの面々全面参加というメンバー構成はツアー中に固まり、彼らが転戦したジョー・コッカーのツアー明けを待ってレコーディングは開始されたと考えられます。
しかし参加ミュージシャンがクレジットされた「ミレニアム・エディション」を見ても、肝心のデラニー&ボニーとレオン・ラッセルのクレジットが見当たりません。恐らくは、デラボニ陣営からマッド・ドッグスへフレンズを引きぬいたラッセルとデラボニの確執に気を遣い、どちらもクレジットはしなかったということなのではないかと。しかしながら、デラボニはともかくラッセルは確実に参加しているであろう状況証拠とも言える音源が存在します。75年リリースのジョージのアルバム「ジョージ・ハリスン帝国」に納められた「二人はアイラブユー」がそれです。
この曲、「オール・シングス…」のプロデューサーであるフィル・スペクターの奥さんロニー・スペクター71年のシングル用に書き下ろしたジョージのオリジナルで(実際にはボツ)、ここに納められたものはまさしくロニー用に用意されたオケなのです。問題はそのレコーディング・メンバー。ジム・ゴードン、カール・レイドル、ジム・ホーン…とまさにフレンズの面々の名がそこに。1曲だけこのアルバムの他の楽曲とは明らかに違うメンバーでの録音で、しかもそのクレジットには、「ピアノ:レオン・ラッセル」のクレジットがあるのです。
フィル・スペクターに頼まれて奥方の曲づくり、そしてバックにフレンズ面々。「オール・シングス…」の後デレク&ドミノスを結成し本格活動に入るオリジナル・フレンズ面々が、クラプトン抜きのこの面子でレコーディングをしている…。これだけの状況証拠が積み重なれば、この曲のレコーディングは「オール・シングス…」のセッションにほぼ間違いないでしょう。そこにラッセルの名があるということは…。言わずもがな。やはり、「オール・シングス…」のところどころで聞かれる、どう聞いてもラッセル特有の手癖が感じられるピアノは、本人のものであると確信できるわけです。
そんなわけで「オール・シングス…」は、スワンプの“師”であるデラボニ門下生(フレンズ+ラッセル+クラプトン+メイスン)たちの“師”抜きでの「卒業アルバム」的存在でもあるのです。この先まだ長くなりそうなので、アルバムの中身に関しては次回です。
デラニー&ボニーから流れたフレンズの面々は、レオン一座に形を変えてジョー・コッカーの「マッドドッグス&イングリッシュマン」ツアーをサポートした後、次に向かった先は元ビートルズのジョージ・ハリスン初ソロ作「オール・シングス・マスト・パス」のレコーディングでした。これが70年の5月。ビートルズの正式解散が同4月ですから、ジョージは正式解散以前からソロ作を計画しメンバーおよびプロデューサーの確保に動いていたと見るのが正しい推測でしょう。
ジョージがフレンズの面々に最初に関心を持ったのはのは、69年のデラボニのアルバム「オリジナル・デラニー&ボニー」を聞いた時あたりでしょうが、彼らの起用を決めたのはデラボニ&フレンズ英国ツアー同行中に彼ら全面参加のデイブ・メイスンのソロ作「アローン・トゥゲザー」のマスターを耳にしたことが恐らく決定打であり、ツアーの最中にわたりをつけたということなのでしょう。クラプトンやメイスンまでを含め、フレンズ・ツアーの面々全面参加というメンバー構成はツアー中に固まり、彼らが転戦したジョー・コッカーのツアー明けを待ってレコーディングは開始されたと考えられます。
しかし参加ミュージシャンがクレジットされた「ミレニアム・エディション」を見ても、肝心のデラニー&ボニーとレオン・ラッセルのクレジットが見当たりません。恐らくは、デラボニ陣営からマッド・ドッグスへフレンズを引きぬいたラッセルとデラボニの確執に気を遣い、どちらもクレジットはしなかったということなのではないかと。しかしながら、デラボニはともかくラッセルは確実に参加しているであろう状況証拠とも言える音源が存在します。75年リリースのジョージのアルバム「ジョージ・ハリスン帝国」に納められた「二人はアイラブユー」がそれです。
この曲、「オール・シングス…」のプロデューサーであるフィル・スペクターの奥さんロニー・スペクター71年のシングル用に書き下ろしたジョージのオリジナルで(実際にはボツ)、ここに納められたものはまさしくロニー用に用意されたオケなのです。問題はそのレコーディング・メンバー。ジム・ゴードン、カール・レイドル、ジム・ホーン…とまさにフレンズの面々の名がそこに。1曲だけこのアルバムの他の楽曲とは明らかに違うメンバーでの録音で、しかもそのクレジットには、「ピアノ:レオン・ラッセル」のクレジットがあるのです。
フィル・スペクターに頼まれて奥方の曲づくり、そしてバックにフレンズ面々。「オール・シングス…」の後デレク&ドミノスを結成し本格活動に入るオリジナル・フレンズ面々が、クラプトン抜きのこの面子でレコーディングをしている…。これだけの状況証拠が積み重なれば、この曲のレコーディングは「オール・シングス…」のセッションにほぼ間違いないでしょう。そこにラッセルの名があるということは…。言わずもがな。やはり、「オール・シングス…」のところどころで聞かれる、どう聞いてもラッセル特有の手癖が感じられるピアノは、本人のものであると確信できるわけです。
そんなわけで「オール・シングス…」は、スワンプの“師”であるデラボニ門下生(フレンズ+ラッセル+クラプトン+メイスン)たちの“師”抜きでの「卒業アルバム」的存在でもあるのです。この先まだ長くなりそうなので、アルバムの中身に関しては次回です。