大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

嗚呼、洋楽生活40年(その5)

2013-02-24 | 洋楽
今日はちょっとあの当時のレコ屋事情を書いておきましょう。

まず国内盤。シングル盤はたいてい、洋楽に入り始めのごく初期は住まいのあった目黒の駅ビルと駅近くのレコード屋で手に入れていました。LPは、前々回も書いたように、やはり大枚をはたいて買うので、なんとなく信頼のおけるデパートが一番と、渋谷のデパートで最初の何枚かは買った記憶があります。

そのうち同級生に教わったのが、当時レコードは再販商品でどこの店でも値引きは一切なかったのですが、裏技的に次回使える割引券を出している店があるという話。それが秋葉原の石丸電気でした。購入価格の15%ぐらい値引券で戻してくれていたように思います。なけなしの小遣いからLPを買う身分には、本当にありがたかった。それと、LPコーナーは2号館の最上階に広々半端ない枚数が陳列されていてたいていの商品があったことと、分厚いビニール袋に入ったお目当ての商品をレジカウンターに持っていくと、奥から同じ商品の新品在庫を出してかつ目の前で検盤させてくれるというのがなんともうれしかった記憶があります。

石丸はシングル盤の在庫も半端ありませんでした。普通のレコ屋では売り場の広さの関係からシングルも発売から、一定時期を過ぎると問屋に戻されたりして1年以上前のヒット曲や売れなかった曲は、一部の人気アーティスト以外ほとんど置かれていなかったのですが、石丸ではたいていのシングル盤がありました。ですからグラムロックのTレックスやスウィートのバックナンバー的シングルを探すのには極めて好都合だったのです。当時はグラム以外でも、シカゴやラズベリーズの過去シングルを買いあさったので、本当に助かりました。

雑誌「ミュージック・ライフ」を読むようになると、そこに出ていた広告から、輸入レコ屋の存在が気になるようになりました。先般お話をした露天ワゴン販売はさすがにリスクを感じたのですが、広告効果で固定店舗なら大丈夫じゃないかと思うようになったのです。それと、広告掲載の輸入盤は国内盤よりも1~3割価格が安かったのと、当時は新譜の国内盤が出るのは輸入盤よりも2~3カ月も遅れていたので、一刻も早く聞きたいものはとにかく輸入盤に走るしかなかったという事情もありました。

真っ先に足を踏み入れた輸入レコ屋は、原宿竹下通りにあった「メロディ・ハウス」でした。新宿界隈に多くの輸入レコ屋があることは、雑誌の広告で分かっていましたが、原宿は何と言っても家から近いのと、小学校時代からけっこう土地勘のある場所だったのでここを選んだのです。ちなみに、当時の竹下通りは、蕎麦屋さんやパン屋さんなどがポツポツ軒を並べる普通の商店街で、人通りも少なく本当に静かな通りでした。

「メロディ・ハウス」には、けっこうお世話になりました。ちなみにここで買った最初のアルバムは、「クイーン 」でした。まだクイーンがほとんど無名に近い時代。日本で1枚目がリリースされた頃だと思います。「キープ・ユアセルフ・アライブ」を初めてラジオで聞いた直後にたまたまこの店に足を運んで、壁に掲げられた「店長おススメ盤」の文字と、ついさっき聞いたクイーンという名前、そしてあのジャケットのおしゃれさに即買いを決めたのでした。でも新譜だったので、2200円ぐらいしたと記憶しています。もちろんこのレコード、今も大切に所有しています。

その後は、新宿、お茶の水、渋谷界隈の輸入レコ屋をずいぶん回りました。タワレコやHMVといった海外大手資本のメガストアが日本に上陸するのは数年後であり、どこの店もけっこう品ぞろえに個性があって、店主と話し込んだりして自分の知らないアーティスト情報を仕入れたりするのもそれはそれでけっこうおもしろかったものです。古き良き時代のレコ屋話でした。この辺の話の続きはまたいずれ。

★ 本日の関連レコード
<スウィート>
リトル・ウイリー
<ラズベリーズ>
ゴー・オール・ザ・ウェイ
明日を生きよう
<シカゴ>
ロウ・ダウン
ダイアローグ
<クイーン>
クイーン (LP)

嗚呼、洋楽生活40年(その4)

2013-02-23 | 洋楽
私のTレックス「ザ・スライダー」でのLPデビューは大成功でした。何と言っても、A面1曲目「メタル・グゥルー」が期待にたがわぬ素晴らしい曲で、この1曲で大満足でした。2分ちょっとの短い曲ですが、とにかくいきなり盛り上がるサウンドと雄たけびは、中学2年の駆け出しロック小僧を興奮させるのに十分すぎたのです。

実は、シングル「ザ・グルーバー」のジャケット解説に「ゲット・イット・オン」以降7曲のヒット・レコードの文化放送「オール・ジャパン・トップ20(土曜深夜放送、司会は文化放送アナのみのもんた)」での最高位を記録した時のチャートが掲載されていまして、「メタル・グゥルー」はTレックスとして国内で初めて1位を記録したシングルだとそこで知り並々ならぬ期待感をもっていただけに、満足感もひとしおだったのです。

もう1枚のシングルカット曲B面1曲目の「テレグラム・サム」は、どちらかと言うと地味な印象。でもメロディがいいのでよしとしようと。LPは全14曲入りで、確かによさが分かるのに時間を要する曲も何曲かありましたが、1回聴いただけでけっこう気に入った曲も多くて、2000円の大枚をはたいての初購入LPとしては大成功の部類だったのでした。雰囲気たっぷりのジャケット写真が気に入っていたことと、アルバム見開き面が朱赤バックに白抜き文字の歌詞カードだったことも、「外国のアーティストはセンスがいいなぁ」とこのLPの評価を高めるのに大きな力になってもいたと思います。

さらに、LP付属の日本語ライナーノートにあったTレックス年表を見てビックリしたのは、なんとマーク・ボランが私と同じ9月30日生まれであるという事実でした。初めてファンになった洋楽アーティストが同じ誕生日、運命的な何かを感じずにはいられず、「この人についていこう」ぐらいの勢いで、さらなるのめり込みに拍車をかけてくれたのでした。

そんなLPのライナーを読むに中で、Tレックスがどうやらグラム・ロックというジャンルに分類されていることを知りました。そうなると今度は、グラム・ロックというジャンルに入るやつらを徹底的に聴いてみようということになるわけです。その流れで買ったレコードが、スウィート「ヘル・レイザー」、シルバー・ヘッド「エース・スプリーム」、スージー・クアトロ「キャン・ザ・キャン」などEPと、スレイドのベスト盤「スレイデスト」でした。

ラジオで紹介される新アーティストでも、「グラム・ロック」として紹介されると何となく身内のような気がして、親近感を覚える感じすらあったのです。そんなアーティストには、マッド、ジョーディ、コックニー・レベルなどがいました。

一方Tレックスと同様に、グラム・ロックの雄として語られることが多いのがデビッド・ボウイですが、ボウイはマークがかなり強烈にライバル視していたので、中坊の私はボウイを好きなる事は同じ誕生日のマークを裏切る行為だと思い、長らくボウイとは一定の距離を置いて接っしていました。今考えるとおかしな話ですが、それだけファンとして純粋だったということでしょう。その当時流行っていたボウイのシングルは「夜をぶっとばせ」でしたが、これはローリング・ストーンズのカバーでした。私はこれを、「なんだ自分曲じゃないのか。だっせー!」とけなしていたりもしたようにも記憶しています。

実際にはその頃すでに下火になり始めていたグラム・ロックですが、私のグラム・ロック熱は「ザ・スライダー」の購入を機に一気に最高潮に達した感があったのでした。

★今回の関連レコード
<Tレックス>
ザ・スライダー(LP)
<スウィート>
ヘル・レイザー
ブロック・バスター
ロックンロールに恋狂い
<スレイド>
カモン
スクイーズ・ミー・プリーズ・ミー
スレイデスト(LP)
<スージー・クアトロ>
キャン・ザ・キャン
48クラッシュ
デイトナ・デモン
<シルバー・ヘッド>
エース・スプリーム
恐るべきシルバー・ヘッド(LP)
<マッド>
タイガー・フィート
<ジョーディ>
君にすべてを
朝日のあたる家
<コックニー・レベル>
悲しみのセバスチャン
<デビッド・ボウイ>
夜をぶっとばせ
タイム
アラジン・セイン(LP)

嗚呼、洋楽生活40年(その3)

2013-02-17 | 洋楽
雑誌「ミュージック・ライフ」で個人的に一番重要なコーナーは、ニューリリースのEP紹介と新作LP紹介のコーナーでした。限られた小遣いを有効に使うためには情報が命でしたから。EP紹介は評論家の方々の投票で毎月1位から10位までが数人のコメントと共に冒頭に並べられ、その後にベスト10圏外の曲が多数紹介されていました。

このEP新譜ベスト10ですが、毎月テクニクス・プラザというナショナルのショールームで、評論家の先生方とかDJの皆さんを集めて雑誌の発行に先駆け順位発表と試聴をおこなう定例イベントもありました。私は1回だけ学校の帰りに聞きに行ったことがあります。池袋だったような気がするのですが、定かではありません。その日座席は満席で立ち見でしたが、評論家の故福田一郎さんとかDJとしても活躍していた八木誠さんとかが出ていて、いろいろなアーティストの最新情報を聞くことができてなかなか充実していました。

その日八木さんが「今月のイチ押し」として熱く語り紹介してくれたのが、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「夜汽車よジョージアへ!」という新曲でした。ロックじゃなかったのですが確かにいい曲だなと思ったことを今でもハッキリ覚えています。その後、ラジオでも何回か聞いてあの日の印象もあり「やっぱりいい曲だ」と妙に感じ入り、シングル盤を購入しました。これがブラック系で初めての洋楽シングル購入でありました(彼らがブラックだというのは、購入時にジャケットを見て初めて知ったので、ブラックを初めて買ったという意識は特になかったですが…)。

一方の「ミュージック・ライフ」のLP紹介コーナーの方ですが、このコーナーのおかげで、それまで歌謡曲と同じく寄せ集めの金儲け企画とばかり思っていたLPいわゆるアルバムというものに対する誤解が解けました。海外アーティストの場合、アルバムはしっかりとコンセプトを持って作り込まれたものなんだと分かったことは、大きな収穫でした。そうなると、そのアルバムというやつを買ってみようということになるわけです。当然候補はTレックスでした。

その当時のTレックスの最新アルバムは「タンクス」でした。しかし、このアルバムにはシングルヒットが入っていなく、しかもシングル「イージー・アクション」のB面「ボーン・トゥ・ブギー」が入っていたので、自分の手持ち曲とダブりがあるのは損な気がしました。そこで、目をつけたのはひとつ前のアルバム「ザ・スライダー」でした。こちらは、聞いてみたいと思っていたシングル曲「メタル・グゥルー」と「テレグラム・サム」の2曲が入っていることが最大の魅力でした。それとジャケットに漂う不思議なアート感が、「中身もいいに違いない」と思わせるのに十分魅力的であったのでした。

初めてのLP購入は、2000円というシングル4枚分ものお金を出すので、なぜか家の近くのレコード店でやすやすと買ってはいけない気がして、渋谷まで現金を握りしめて買いに行った記憶があります。それはあの当時に「ちょっとしたものを買うときはデパートで」という習慣があったからのような気がします。何かあったときにデパートならちゃんと対応してくれるから、と親に教わっていたのかもしれません。

渋谷の駅に着いて道を歩いていると、道端でレコードを売っている露天商に出くわしました。いわゆる輸入盤販売です。通りがかりに横目で見るとなんとお目当ての「ザ・スライダー」が飾られているじゃないですか。しかも特価1500円とか書いてあって、これから買おうとする国内盤よりも500円も安い。「なんで安いんだ?」「500円浮けば、シングルが1枚買える」。心が揺らぎました。しかし、ワゴンに向かいジャケットを手に取ってみるとやけに薄い。その感触今でもはっきり覚えているのですが、レコードが入っていないかのように思えたのです。

私は思いきって、露天商のおじさんに聞いてみました。「これレコード入ってますか?」。するとおじさんは少しムッとした顔つきになり、「何言ってんだこの小僧」と言わんばかりに「ん!」と小さく発して睨まれてしまいました。そのやり取りでハッと我にかえり、「こんなところで買って、もしレコードが入っていなくても、絶対に交換や払い戻しはしてくれないぞ。それどころか明日来たらもうこんな店ないかもしれないぞ。信頼一番のデパートでLPを買うために来たんじゃないか。つまらん寄り道はするな!」と心が囁きました。

その日の目的地は西武百貨店でした。なんとなくですが、こういうものは東急じゃなくて西武かなと思い、ここで買うことを決めて家を出てきたのです。レコード売り場に、「ザ・スライダー」はありました。2000円也。本当にこれでいいんだなと、もう一度いろいろなLPを見比べてから、アルバムをレコード棚から抜いてレジに向かいました。ついに買ってしまった初めてのLP。当時の2000円は、中学2年生にはかなりの高額であったように思います。うれしさと中身に対する不安さと、入り混じった感覚で早く家に帰って聞いてみたい一心で購入後はまっすぐ家路を急いだのでした。(以下続く)

★今日の関連レコード
<グラディス・ナイト&ザ・ピップス>
夜汽車よジョージアへ!
<Tレックス>
ザ・スライダー(LP)
タンクス(LP)
電気の武者(LP)
ボラン・ブギー(LP)

フェブラリーステークス

2013-02-17 | 競馬
今年初のG1レース、フェブラリーステークスです。

芝の1800m以下で負けなし、G1レースNHKマイルカップを勝っている11カレンブラックヒルが人気ですが、得意の距離とはいえ初ダートでいきなりのG1ですからさすがに中心には狙いにくいところです。

この馬を含めて比較的先行馬の多い組み合わせであり、直線の長い府中で差し馬の出番ありとみます。

昨年も多数の先行馬が引っ張る早い流れを差し馬がまとめてかわす展開で決まったこのレース。その1~3着馬がそのまま今年も顔を揃えており、狙いはこの3頭を上位にとります。昨年の優勝馬14テスタマッタは手の合う岩田を鞍上に確保し連覇に虎視眈々。昨年2着の16シルクフォーチュンは鞍上が絶好調横山とこちらも万全。近走の安定感では3頭中一番の昨年3着10ワンダーアキュート。

3頭三つ巴で、
ワイド10-14、10-16、14-16
です。
1点に絞るなら、10-14。

7ガンジス、8イジゲンあたりの台頭による世代交代も気になるところですが、ここは展開的要素も含めて古参馬上位と見ます。

嗚呼、洋楽生活40年(その2)

2013-02-16 | 洋楽
文化放送の深夜番組「セイヤング」を聞き始めた頃に、「今日のベスト10」で連日トップを独走していた曲が「幸せの黄色いリボン/ドーン」でした。この曲、後の日本映画の名作「幸せの黄色いハンカチ」の元ネタになったことで知られていますが、当時の私にはどうもしっくりこなかったのです。やはり元気一杯の中学2年生ですから、もっともっと刺激的じゃないと満足できなかったということに尽きるようで。

そんな状況下で脳天から稲妻が走るようにビビッと来たのが、その時連日順位を上げていた「20センチュリーボーイ/Tレックス」でした。イントロの雑音のようなやかましいギター、「ウワーオ!」という叫び声とともに始まるやたらに重たい演奏に乗せて微妙にビブラートを利かせたボーカルが実に心地いい!一発ノックアウトで即レコードを購入し、この曲とともに洋楽どっぷり生活はスタートしたのでした。

ちなみにこの曲、「今日のベスト10」での最高位は2位。惜しくも「幸せの黄色いリボン」を抜くことはできませんでした。そのしばらく後に「幸せの黄色いリボン」を抜いて1位になり、これまた長らく1位の座を譲ることがなかったのが「イエスタディ・ワンスモア/カーペンターズ」でした。個人的にはこれも好きじゃなかった。要はこれもおとなしすぎておもしろくなかっただけのことです。

このごくごく「深夜放送+洋楽どっぷり」の入口時代に、その他で「今日のベスト10」をにぎわせて特に印象深かくお気に入りだった曲は、「愛の絆/シカゴ」「ブラザー・ルイ/ストーリーズ」「レッツ・プリテンド/ラズベリーズ」など。これらもシングル盤を購入して、連日自宅のいわゆる家庭用ラジオ・アンプ・プレーヤー一体型のステレオで聞いていました。

洋楽道に入りたてのこの頃は、それまでの歌謡曲の流れを受けて購入するのはシングル盤ばかりでした。アルバムなんてもの自体がほとんど眼中になくて、日本の歌謡曲のヒットが出ると売らんかなで作られていた粗製乱造のLP盤の印象が強く、限られた小遣いでより有意義な音楽ライフを送るためには、いらない歌を聞かされる価格の高いアルバムよりも好きな曲を効率的に購入できるシングル盤を選択していたのです。

このように他のアーティストも買ってはいたものの、なにしろ一のお気に入りはTレックスです。曲がカッコイイ、演奏がカッコイイ、名前がカッコイイ、と三拍子そろって個人的なTレックス・ブームは最高潮に達します。次のシングル「ザ・グルーバー」は当然のこと、さらには時代をさかのぼって「イージー・アクション」「チルドレン・オブ・ザ・レボリューション」を買いこみます。特に後者は、B面2曲収録のマキシシングルで、これがまた2曲とも素晴らしい出来だったもので、ますます激しくのめり込んで行ったのでした。

そんなこんなでスタートした洋楽生活は、シングル盤の日本語解説とラジオ以外にはとにかく情報に乏しい時代でもありました。そんなある日、友達が学校に持ってきた音楽雑誌に目からうろこの感動を覚え、こんなものがあったのかとばかりに、速攻で本屋さんに直行し伝説のミーハー系洋楽雑誌「ミュージック・ライフ」を購入、以降毎月この雑誌を買うことになるのでした。これによりラジオ、レコードに加えて活字情報を得るに至り、より立体的で充実した洋楽生活へと突入することになりました。

当時洋楽系音楽雑誌と言えば、「ミュージック・ライフ」の他には「音楽専科」と「ニューミュージックマガジン」がありました。「ミュージック・ライフ」→「音楽専科」→「ニューミュージックマガジン」の順に、軟→硬のイメージで、「ミュージック・ライフ」は編集スタッフが星加ルミ子氏を中心とする女性陣が中心でもありグラビア写真が豊富で見ていて楽しく、「音楽専科」はよく似たコンセプトながら写真がやや少なめ、「ニューミュージックマガジン」に至っては「音楽評論」誌でありほとんど文章という印象で、中学生にはやはり「ミュージック・ライフ」がベストチョイスだったのです。

ちなみに「ニューミュージックマガジン」は中村とうよう氏が主幹のこだわり洋楽雑誌で、現在も「ミュージックマガジン」として厳然と存在していますが、「ミュージック・ライフ」と「音楽専科」は、90年代にはその時代的役割を終え、共に現在は“休刊”となっております。
(以下つづく)

★本日の関連レコード
<ドーン>
幸せの黄色いリボン
嘆きのジプシーローズ
いちご畑のサリーちゃん
<Tレックス>
20センチュリーボーイ
イージーアクション
チルドレン・オブ・ザ・レボリューション
ザ・グルーバー
<シカゴ>
愛の絆
君とふたりで
<ストーリーズ>
ブラザー・ルイ
マミー・ブルー
<ラズベリーズ>
レッツ・プリテンド
トゥナイト
君に首ったけ
(以上すべてEP)

嗚呼、洋楽生活40年(その1)

2013-02-13 | 洋楽
こちらのブログを更新するのは、なんと今年初めてとなります。しかも久々に音楽ネタを書いてみようかと。実は、私が本格的に洋楽を聴き始めて今年でちょうど40年になりますので、そのあたりのくだりを少々。

今から40年前1973年、私は中学2年生でした。小学校の頃は普通に歌謡曲を聞いていました。5、6年生の頃に流行っていたのは、何といっても天地真理。ソルティシュガーの「走れコータロー」なんて歌も同じ頃に流行っていましたね。実はその当時、自分のお小遣いで初めて買った洋楽シングルがあります。ジェリー・ウォレスという歌手の「マンダム男の世界」という曲です。全米で大ヒットしたという話はその時は知らなくて、チャールス・ブロンソンが出ていたマンダムのCMソングだったんです(毎日やっていた「クイズグランプリ」というCX19:30からの番組のCM)。CMの影響だったのかチャールス・ブロンソンが好きで、買ったんですよコレ。初めて覚えた英語の歌でもあって、よく一緒に歌ってた。歌詞は聞き取った音をカタカナで書いてたな。そう言えば、友達の家で聞いた「マミーブルー」も好きでした。レコードは買わなかったけど、ジュークボックスでかけた覚えがあります。

「マンダム男の世界」をきっかけに、近所のレコード屋さんに行くと必ず洋楽のEPコーナーも見るようになって、次に買ったのがサイモンとガーファンクルの「コンドルは飛んでいく」。これはタイトルに惹かれたんだけど、買って帰って聞いたら民謡みたいでガッカリしたのを覚えています。コンドルだから、飛んで行くんだから、派手な曲に違いないと思ったんですよ。今は嫌いじゃないけど、当時は退屈だった。それに懲りて、その後は洋楽EPコーナーは見るだけで買うのは怖いという状態が続いたのです。でも「買ってみようかな」ってジャケットはずいぶん品定めしましたよ。今思うとすごく面白いのは、外人グループの事なんかこれっぽちも知識がないから、ジャケット写真を見てずいぶん勝手なことを思ってもいました。

例えばビートルズ。ジョンは、長髪と丸メガネ姿が他でも見た記憶のある一番ビートルズらしい“だらけた”風貌で、「コイツが一番堕落したヤツに違いない」って思っていました。たぶん「ビートルズ=不良」っていう先入観を、どこかで植え付けられていたのかな。「エレキギター=不良」みたいな。今思うと不思議だよね。で、「一生コイツの音楽は聞かないだろうな」って思ってたかもしれません。ビートルズで一番まともそうに見えたのはリンゴでした。まじめそうで、「あのいい加減な丸メガネ野郎と一緒で、君も大変だね」なんて思ったり。たぶんこの人がリーダーに違いないと勝手に決めてたんじゃないかな。

ジョージの印象はないな、全く。いてもいなくてもいいヤツかなって感じ?ポールは、一番ダメそうに見えた。あの丸眉毛で、なさけない顔でしょ。第一印象悪いよね。人は良さそうではあるけど、およそデキるヤツには見えなかった。ヘラヘラしたどっちつかずのいい加減なヤツかなとか。全然、現実と違うよね。レコードを買ったサイモンとガーファンクルにしたって、ノッポのチリチリ頭(アートだよ)が断然目立っていたから、コイツが偉いんだろうって。脇にいるチビ(ポールだよ)は添え物程度なんだろうな、腰ぎんちゃくだなとか思ってましたよ。ビートルズはリンゴがリーダーで、S&Gはポールがおまけ?つくづく人を見る目がない!今思えばお笑いです。

そんなこんなが続いて、中学に入るとラジオライフがはじまるわけです。中学1年の前半は、あんまり聞いた記憶がないんだよね。熱くなったきっかけは、学校で深夜放送の話題が出始めて、ラジオとか面白んだって教えられちゃうわけ。それで折も折、中学2年生に上がる春休み頃だったと思うけど、流行りのラジカセとかを買ってもらっちゃったりしたもんだから(ナショナルのマックとか言うやつでした)、ラジオ聴き放題状態に移行したわけです。で、そうなると深夜放送を毎日聞くようになって、その延長というか前倒しと言うんですか、夕食後は「勉強する」ってフリで部屋でラジオをかけっぱの生活になるんです。なぜか、文化放送が好きだったかな。深夜放送もオールナイトもパックも聞いたけど、中心は「セイヤング」でしたね。

で、だいたい夜8時を過ぎた頃からちょうど洋楽タイムに入っていくわけです。20時台は、和洋半々ぐらい。21時台になると和洋=3:7ぐらいになって、22時代以降は2:8から1:9。23時以降はほぼ洋楽天国になるわけで、このあたりから洋楽漬の生活の下地ができてくるわけです。特に「セイヤング」をなぜ聞いたかというと、毎日放送の冒頭で、約30分間「セイヤング今日のベスト10」というコーナーがあって、これが好きだった。要は今洋楽で何が売れているかを知らせてくれていたんですよ。で、その後「全米トップ40」にはまるように、チャートものを好む習性がこのあたりから既に出始めてくるんですね。

毎日毎日、同じ曲を聞かされて耳馴染みがよくなっていくことと、洋楽にはまると日本の楽曲の安っぽさが際立ってきちゃうこともあって、気がつけば洋楽一辺倒にすっかり変っていったわけなんです。思い出し出し書いていたら何とも懐かしい気分ですな。で、40年前にどの辺から聞き始めたのか、具体的な話は次回に。