大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

さようならザ・バンド~リヴォン・ヘルムの死を悼む

2012-04-22 | 洋楽
ザ・バンドのドラマーでリードボーカルでもあったリヴォン・ヘルム氏が亡くなられたと報じられています。享年71歳。90年代半ばから癌との闘病生活をしつつ音楽活動を続けてきたようですが、遂に病魔には勝てず。無念の死です。

リヴォン・ヘルムはザ・バンドの魂とも言える存在でした。ザ・バンドの前身はロニー・ホーキンスのバックバンドからのスタートで、そこに在籍していたのが彼でした。バンド名はザ・ホークス。カナダツアー中にメンバーの入れ替わりがあり、新たに4人のカナダ人を迎えたことが後のザ・バンドのスタートになりました。4人のカナダ人はアメリカ南部の音楽にあこがれ、カナダの地から南部をめざす放浪のツアーが彼らの原点となったのです。

ディランのバックバンドして、ストーンズやクラプトンをも驚愕させ時代を揺るがせた67年の「ベースメント・テープス」はルーツロックの原点であり、英国ミュージシャンたちのスワンプへの傾倒はこの音源が発火点であったと言っていいでしょう。68年、ザ・バンドとしての正式レコード・デビュー後の歴史に残る名作「ミュージック・フロム・ビッグピンク」「ザ・バンド」収録の「ザ・ウエイト」や「クリップル・クリーク」といった代表曲はほとんどリヴォンのボーカルによるもので、ファンにとってバンドの「声」と言えば確実にリヴォンであったのです。

ちなみに、エリック・クラプトンがスワンプに傾倒しアメリカ人ミュージシャンたちとデレク&ドミノスを組む動機づけは、ザ・バンドの「ベースメント・テープス」と「ビック・ピンク」を聞いたことに他なりません。翻ってザ・バンドの4人のカナダ人が目指したものは、リヴォンに導かれたアメリカ南部へのあこがれに他ならず、その意味で言えば、クラプトンが求めた理想郷はリヴォン・ヘルムによってザ・バンドにもたらされたアメリカ南部に根差した音楽の世界なのです。すなわち突き詰めれば、クラプトンのアイドルはリヴォンその人だったというわけです。

ロビー・ロバーソンのナルシスト的エゴによるザ・バンドの解散に納得できなかったリヴォンはバンドを再結成させ、デビュー当時のルーツ探しに放浪するヒットとは無縁の音楽活動に戻ったのですが、リチャード・マニュエル、リック・ダンコという相次ぐ悲しい仲間の死によってバンドは活動の停止を余儀なくされます。そんなつらい状況下に、自身は死に至る病と闘いながらも独自の音楽活動を続けてきました。遺作となった一昨年の「エレクトリック・ダート」でも、一貫したルーツロックのこだわる姿勢が素晴らしく、個人的にはセカンドアルバムの「リヴォン・ヘルム」に匹敵する傑作であると思ったものです。

復活ザ・バンドの日本公演と、リンゴ・スターのオールスターバンドでの来日時と、生のリヴォンには2回触れる機会がありましたが、名曲「ザ・ウエイト」などでみせたレコードと同じあの声での熱唱ぶりは素晴らしく本当に感動したものです。あくまで商業主義的だったロビーとの間にはかなり根深い確執があったようで、そんなエピソードにもなぞらえて聞く彼の武骨な歌声には、いつでも作り物ではない“本物”感が漂っていたのです。演奏をするその表情も、本当に人の良さそうなおじさんの風情。ひねくれ顔で気難しそうなロビーとは大違いですね。

3人のボーカリストを擁し、三人三様の素晴らしい歌を聞かせてくれたザ・バンドですが、遂にその3人が皆亡くなってしまったことになります。ザ・バンドはロビーが演出した「ラスト・ワルツ」で無理やり解散させられたことやその後のリチャードの自殺等もあり、どことなく“無念さ”が漂うバンド・カラーになってしまっただけに、レヴォンの訃報にはどうしても重苦しい気分にならざるを得ません。ネットでロビーがリヴォンの死にコメントを寄せていたことを知りどこか違和感を感じながら、「ザ・ウエイト」を聞きつつ彼のご冥福を祈っています。日本で彼のソロ・ステージを見たかったですね。

さようならリヴォン、さようならザ・バンド…。

<余談>
73年に吉田拓郎がツアーのバックバンドに、自身のアイドルであったディランのバックバンドであるザ・バンドを使いたいと言い出し、事務所がザ・バンド・サイドにオファーを出しOKをもらっていたという話があります(当時私が聞いた拓郎のツーアトークでの本人の弁)。しかし、ツアー間近になって突如キャンセルに。理由は時同じくしてディランが復活ツアーに出ることになり、ザ・バンドをバックバンドに指名したためでした(ディラン&ザ・バンドのライブ・アルバム「偉大なる復活」のツアーです)。ディランが相手じゃ拓郎も勝ち目はないわけで、仕方なく拓郎は広島フォーク村の後輩バンド愛奴をバックにツアーに出ました(ディラン&ザ・バンドのツアーをまねて、バンドが中央に陣取り拓郎はステージ端で歌うと言うものでした)。この愛奴でドラムを叩いていたのが誰あろう無名時代の浜田省吾(「ドラムは下手なくせに、女にはやたらにモテた」という逸話も、その後拓郎が語っていました)。まさに“歌うドラマー”リヴォンの代役は浜省だったというオチです。

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2 コメント

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ぱぴこ (papiko75w@yahoo.co.jp)
2012-04-24 07:26:04
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ぱぴこ (papiko75w@yahoo.co.jp)
2012-04-26 17:43:23
はじめまして!♪ハロo(・x・o) !!o(・x・)/ハロ!! (o・x・)oハロ♪ 初めてコメント残していきます、おもしろい内容だったのでコメント残していきますねー私もブログ書いてるのでよければ相互リンクしませんか?私のブログでもあなたのブログの紹介したいです、私のブログもよかったら見に来てくださいね!コメント残していってくれれば連絡もとれるので待ってますねーそいじゃ●○●^・ω・^●○アドレス残していくのでメールしてね!そいじゃ●○●^・ω・^●○
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