大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

ポール・マッカートニー来日公演11.19東京ドーム

2013-11-20 | 洋楽
★セットリスト
大阪、福岡との違い
・Listen To What The Man Saidの代わりに4.Jet
・I've Just Seen A Faceの代わりに11.Things We Said For Today
・Get backのか代わりに34.I Saw Her There Standing There
・どれも個人的には残念なチェンジでした。特に4。Jetは盛り上がるけどこれまで散々聞いているからねぇ。
・直前のツアーまでやっていたJunior's FarmとYour Mother Should Knowはやっぱり復活しなかった。特にJunior's Farm聞きたかったなー。Hi, Hi, Hiよりこっちでしょ。
・バンドはさすがに10年以上も一緒にやっているので、借りてきたコピーバンド状態だった11年前とは比べ物にならないくらいこなれていました。ギターは90年3月のロビー・マッキントッシュと名手ハミッシュ・スチュワートのコンビには及ばないですが…。
・一番の感激は、前回ウクレレのみの弾き語りだったSomething。入りこそ同じだったものの途中からフルバンドに移行しての盛り上がりが素晴らしかったです。
・一方のジョントリビュートのHere Today、もうひと工夫なんとかならんかったかな。前回と同じだもん。「Don't Let Me Down」とか、ジョンの曲をフルバンドやって欲しかった。
・ニューアルバムから3曲は不要。タイトルナンバーだけでいいでしょ。一気に盛り下げてました。
・ビートルズナンバーはいいんだけど、やっぱりコピーって感じ。一方ウイングス時代のナンバーは完全にバンドって感じになっていてGOOD!
・定番だけどBand on the Runはいつ聞いてもよい!
・Another Dayはアコギをフィーチャーしたアレンジで最高でした!

1.Eight Days A Week
2.Save us
3.All My Loving
4.Jet
5.Let Me Roll It/Foxy Lady (instrumental)
6.Paperback Writer
7.My Valentine
8.1985
9.The Long And Winding Road
10.Maybe I'm Amazed
11.Things We Said Today
12.We Can Work It Out
13.Another Day
14.And I Love Her
15.Blackbird
16.Here Today
17.NEW
18.Queenie Eye
19.Lady Madonna
20.All Together Now
21.Lovely Rita
22.Everybody Out There
23.Eleanor Rigby
24.Being for the Benefit of Mr. Kite!
25.Something
26.Ob-La-Di, Ob-La-Da
27.Band on the Run
28.Back in the U.S.S.R.
29.Let It Be
30.Live And Let Die
31.Hey Jude
アンコール:
32.Day Tripper
33.Hi, Hi, Hi
34.I Saw Her There Standing There
アンコール2回目:
35.Yesterday
36.Helter Skelt37.Golden Slumbers / Carry That Weight / The End

嗚呼、洋楽生活40年(その12)

2013-07-08 | 洋楽
久々再開です。75年のお話です。最初のポール・マッカートニー来日騒ぎ。

その当時は今にもまして、元ビートルズと言えば言わずもがなの大物でした。しかしながら、66年のビートルズ来日以来、誰一人として、パフォーマーとして日本の地を訪れた者はなく、ツアー活動をしていなかったジョンとリンゴはハナから期待薄、ジョージも74年のUSツアーの散々な評価に当分ツアーには出ないと宣言、唯一精力的なライブ活動をしていたのがポールでした。

その来日騒ぎは突如降って湧きました。我々の情報源はスポーツ新聞だったように記憶しています。「ポール来日」の噂はあっという間に仲間の間で広まり、いかにしてチケットを手に入れるか、我々の相談はチケット争奪戦へと移って行きます。呼び屋さんのウドーから武道館三回公演の正式なアナウンスが流され、文化放送で発売日と発売場所が公表されるという発表があり、その日から毎日夜から深夜にかけて文化放送にかじりつく日々が始まりました。

当時ポールはウイングスを従えて、まさしくロックバンドのリーダーとして脂の乗り切った活動をしていました。私もアルバム「バンド・オン・ザ・ラン」と「ヴィーナス&マース」を持っていましたし、特に「ヴィーナス&マース」はいまだにポールの最高傑作と信じてやまない大傑作として大のお気に入りでした。その冒頭を飾る「ヴィーナス&マース~ロック・ショウ」はライブ・ステージのために作られた最高のオープニング・ナンバーでもあり、生で聞けるかもしれないという期待感に胸が高鳴りました。

文化放送は深夜放送の「セイヤング」をはじめ、得意分野ではありましたので、毎晩聞くことに何の問題もなかったのですが、その間時々うたた寝をしてしまい「今、聞き逃したんじゃないだろうか」と不安になることがたびたび。翌日学校に行っては仲間たちと、「昨日はまだ放送されていないよな」と確認しあったりしておりました。ちなみに、その時連日これでもか状態でオンエアされていたのが、「ヴィーナス&マース」からの来日記念シングル「ワインカラーの少女」でした。

この来日騒ぎの間、恐らく我々高校生を中心にどこかの私立学校のヤツが流していたのであろう整理券配布情報なるデマがまことしやかに流されて(僕らのところにも、他の学校のヤツが言っているという噂が何度か耳に入りました)、都内の各所で突如行列や人だかりできる騒ぎがあったとも記憶しています。そうこうするうちに、チケットの発売方法を発表する日時がラジオで公表されました。

いよいよ臨戦態勢で僕らはドキドキしながらその日のラジオに耳を傾けました。しかし、なぜか発表数日延期のアナウンスが…。翌日学校では、どうしたのか訳がわからない、という話で持ちきりでした。そして記憶ではそのさらに翌日、「入国管理局がポールの入国を拒否」というニュースが一斉に流され、ポール来日話は夢と消えたのです。来日のアナウンスから約1カ月ほどのお祭り騒ぎだったように思います。直後に、ポールが日本のファンにお詫びをするビデオがテレビで流されました。「ブルー・バード」を弾き語りしながらのメッセージで、この曲を聞くたびに今でもあのメッセージ・ビデオを思い出します。

あんなに見たいと思ったライブも少ないのではないかと思えるほど、75年のウイングスは本当に見たいライブでした。今でもあの時代のウイングスは見ておきたかったと思うことしきりです。だからでもあるのですが、翌76年のリリースされた3枚組のライブ・アルバム「ウイングスUSAライブ!」は、数あるライブ盤の中でもかなりフェバリットな1枚です(10年ほど前に紙ジャケ3枚組CD(=写真)で出たのを入手したのは本当にうれしかった!)。この5月には、3CD+DVD+豪華ブックレットのデラックス盤が発売になったとか。もしかするとこのデラックス盤、我々日本のウインウス・ファンが世界で一番思い入れをもって受けとめる作品かもしれません。

天皇賞春

2013-04-27 | 競馬
ゴールデンウイーク初っ端を飾るG1は淀の3200メートル天皇賞春。

今年は作年の菊花賞馬で有馬記念も制している8ゴールドシップで堅そうなムード。興味は早、次戦宝塚記念でのオルフェーヴル、ジェンティルドンナとの3強対決といった感じの相手探しの一戦か。

このレースでの注目は、今や特殊な存在になりつつある長距離レースだけに、過去のこのレースの好走馬と同じ淀の長距離G1菊花賞の好走馬。過去の好走馬は、優勝馬4ジャガーメイル、5マイネルキッツと3着入線のある11トウカイトリック。しかし3頭それぞれ9、10、11歳というロートル馬で、今や紛れた時の3着がやっとか。

ならば狙いは菊花賞好走馬。1トーセンラーが3着、12フォゲッタブルが2着実績馬。先週天に召された天皇賞馬の名牝エアグルーブ関連としても、フォゲッタブルはその子であり、トーセンラーの鞍上武豊はエアの主戦騎手である点が何とも匂うではないか。

ゴールドシップよりも早仕掛けでスタミナに自信のこの2頭の抜け出し前残りにかけてみる。
馬連1-8、ワイド8-12

人気の6フェノーメノは、母系の短距離血統が気になる。初距離、初輸送でもあり、ここは要らないとみた。


嗚呼、洋楽生活40年(その11)

2013-04-14 | 洋楽
さてさてラジオ話の続きは少しマニアックに。

FM放送、特にFM東京でエアチェック(当時はラジオのテープ録音をそう呼んでいました)を目的としない新譜チェック的な番組がいくつかありました。番組名は覚えていませんが、レコード会社の提供でそのレコード会社のものだけをかける夜11時から30分のソニーの番組、ここではディランとかベックとかポルナレフとか解散後のサイモン&ガーファンクルとかの新譜を楽しみに聞いていました。日曜日の昼12時からは東芝EMIの提供番組。神太郎さんが司会でした。これも欠かさず、ビートルズ、Tレックス、スージー・クアトロ、スリー・ドッグ・ナイト、グランド・ファンクとか、こちらはさら好みのアーティストが目白押しでした。

マイナーなところでは、夕方5時台ぐらいに20分刻みぐらいでRCAビクターとかポリドールとかの番組があったように記憶しています。デビッド・ボウイとかスレイドとかの新曲はこの辺できいたかな。マニアックなのも結構多く流していて、オシビサとかマデュラとか、そういう他の人が知らないものを仕入れる時間帯でもあったかもしれません。確実に覚えているのは、中学時代にポコをこの時間内の番組で聞いて気に入ったということ。学校から帰るとまずラジオをつけて、NHKでエアチェックの予定がない時は、たいていFM東京を聞いていました。

それ以外にも夜9時から、俳優の佐藤慶さん(あの本番映画「白日夢」で一躍脚光を浴びたあのお方)の渋い語りで一週間ぶっ続けで一アーティストを特集する25分番組や、日曜日夜8時からの「オット―、ミュージック××××(タイトルの最後を覚えてないけど、ジョンの「マザー」の鐘のSEとタイトルコールで始まる番組で、森直也という人が司会だったかな)」とか、よく聞きました。ストーンズの新譜はいつもこの番組が早かったという記憶があります。その後は結構深夜にもFMを聞くようになって、「アスペクト・イン・クロスオーバー」なんて言う番組では、あのスタジオ・ミュージシャンのセッション・バンド、スタッフを丸ごと1枚聞いて衝撃を受けたのでした。

また有名どころの番組では、あの城達也さんの渋いナレーションと粋な音楽で聞かせる「ジェット・ストリーム」とか、いつごろ始まったのかはっきりしませんが、NHK-FM夜11時台の「クロスオーバー・イレブン」も。「ジェット…」と同系統ではありましたが、こちらはまたスクリプトがなかなかイカした良い番組で、こんな番組のシナリオライターになりたいとか、思ったものでした。深夜のエアチェック系では、土曜の夜中に、アルバムを丸々かけてエアチェックさせてくれる番組も印象に残っています。確かソニーの番組でした。ディランの全作をこの番組で録音して、繰り返し繰り返し愛聴テープとして聞いていたのをよく覚えています。

これらの番組をこんなにも覚えているのはなぜかと言えば、本当に感謝しているからなのです。だってレコードは高価でそんなに沢山は買えない、でも聞きたいものはたくさんある。その断片だけでもどうにかこうにか聞いてみたい、不完全でもいいからテープに録音して繰り返し聞いていたい、そんな思いに溢れてあれこれチューニングしては聞き漁ることができたラジオに感謝してもしきれない気分です。聞きたいと思えばすぐにネットで詮索して簡単に聞けてしまう今の時代ってどうなんでしょう。音楽は苦労して手に入れるもの、大切に大切に扱うもの、そんな感覚はもう今の人たちにはないのかと思うと、少しさびしい気がします。

皐月賞

2013-04-13 | 競馬
いよいよ春の競馬シーズン本番を感じさせる皐月賞。

今年は上位拮抗?2歳チャンプでスプリングステークス勝ちの7ロゴタイプ、二歳時に評判の高かった12コディーノ、14エピファネイアあたりが人気上位を争う展開。

狙いは、人気薄で弥生賞を勝った15カミノタサハラ。人気馬に勝る末脚の鋭さで大外アッと驚く差し足で差し切ったナリタタイシンの再現を、毎年熱望してやまない私には今年はこの馬しかない。ディープインパクトの仔の相性が悪いレースであるとか、追える内田から蛯名への乗り替わりがどうだろうかとか、不安材料は山ほどあるものの、青く茂った芝で争う春前半の大レースには豪快な差し切り勝ちこそが良く似合うのであり、切れ味のいい競馬で溜飲を下げさせていただきものだ。

相手は、前走いかにもトライアル的な走りをした14エピネファイア。過去10年で連対ゼロという4、6枠に入ったロゴタイプ、コディーノは狙いを下げ、むしろ伏兵3レッドルーラーあたりに食指が動く。中山2000メートル2戦2勝の16フェイムゲームは要注意。

馬連・ワイド
15-14、3、16
抑え程度に
15-12、7

今年こそ、ナリタタイシンの切れ味が見たい。

嗚呼、洋楽生活40年(その10)

2013-04-07 | 洋楽
73年当時のラジオ話の続きです。

当時のラジオライフの中で、何よりエポック・メイキングであったのがラジオ関東(現ラジオ・ニッポン)毎週土曜日夜10時~深夜1時に放送されていた「全米トップ40」です。いまだに当時を思い出して懐かしむサークル的集まりが複数存在するような、洋楽ファンにとっては大変な存在感のある番組でした。

アメリカの雑誌ビルボードの週間チャートを、3時間をかけて40位からカウントダウン形式で1位まで毎週放送するという画期的な番組で、雑誌以外にはリアルタイムの海外からの情報がほとんどなかった当時において、湯川さんの語りも含め最新の洋楽情報が入手できる番組でありました。あちらのラジオ局の放送をそのまま流しながら、日本語解説を加えると言う放送で、アメリカ版のDJはケーシー・ケイサム氏、日本サイドは湯川れい子さんと坂井アナという黄金コンビで72年秋に放送を開始したそうです。

どういう経緯で私がこの番組に出会ったのか、詳細は覚えてはいないのですが、おそらくヒマで長い土曜日の夜にラジカセをあれこれいじっているうちに偶然この番組に出会い、「なんという素晴らしい番組だ!」と感激しつつその虜になっていったというのが、なんとなく記憶しているところであります。恐らく私が聞き始めたのが、73年の春、その後80年の春ぐらいまで、可能な限り土曜日の夜はラジオをオンにしてこの長尺番組に耳を傾けたのです。今の洋楽知識の大半は、この番組から仕入れたものであるような気がします。

聞き始めてとにかく驚いたのは、日本で売れている曲とあちらで売れている曲のあまりの違いでした。特に文化放送の「オールジャパン・ポップ20」でも毎週40位までのチャートを発表していたので、そのチャートとの比較をするとほとんどかぶる曲がないという事実はかなり衝撃的なものでした。もちろん、当時の音楽事情では世界同時発売などない時代ですから、あちらで流行ったモノが2~3カ月遅れで日本で流行ると言うことはごくごく一般的にあったのですが、あちらで売れてもこちらで売れない、あちらではチャートにも入っていないのにこちらではバカ売れしているとか、そんな曲もけっこうあっていろいろ不思議に感じていたものでした。

後から思えば、これらはひとえに当時の日本のレコード会社のラジオ局に対するプッシュの有無によるものであったわけなのですが、そんなことはこれっぽちも知らない中坊には、なぜTレックスがアメリカで売れていないのかが不思議でならなかったのです。何よりこの番組でいち早く洋楽のヒット曲を仕入れたり、日本では流行ることなく終わった曲を知っているのは、どこか人とは違う優越感を感じさせてくれるものでもあり、そんな曲の知識ストックを増やすことがなんとも楽しい作業であったように思います。

実はこの番組とセットで聞いていた番組がもうひとつあります。それはNHK-FM日曜日夕方6時~7時に放送していた「リクエスト・アワー」と言う番組です。石田豊さんという局アナが司会進行を務める何の変哲もない冗談のひとつも言わないお堅い番組でしたが、この番組司会者のいかにもなNHKチックな語りとは裏腹に、ビルボード・チャートの最新ヒット曲をかなりの率で網羅してかけてくれる、しかもしゃべりをイントロにかぶせずフルコーラスで。新譜シングル・エアチェックに最適の番組でした。

日本発売なしの曲もなぜかちゃんとオンエアしてくれたりしていたので、至れり尽くせりの本当に嬉しい番組でした。いつの頃にこの番組の存在を知ったのかは定かではないのですが、土曜日に「全米トップ40」で聞いた新譜は一~二週間遅れぐらいで「リクエスト・アワー」でかかるので、いつしか土曜日に情報を仕入れて日曜日にテープに録るという生活が習慣化して、それはけっこう長い間続いていたように思います。おかげで、私のシングル曲を集めたカセット・テープだけでもかなりの数にのぼったのでした。これが今の私の音楽ストックの原点かもしれません。
(この項続く)

桜花賞

2013-04-07 | 競馬
我々古くからの競馬ファンにとっては桜花賞こそ春のG�の幕開けであり、このレースが取れれば幸先がよいと大変喜ばしい気分になるもの。

このレースの古くからの傾向を思い起こせば、トライアルのチューリップ賞1~4着馬とフィリーズレビュー1着馬合計4頭の組み合わせでたいてい取れるというセオリーがあったと記憶している。

今年の出走馬は、チューリップ賞3着馬を除く4頭。6点の馬連組み合わせを買っても人気的には面白いと考える。ちなみにその4頭は、13クロフネサプライズ、5ウインプリメーラ、7アユサン、18メイショウマンボ。

他にデータからの要注意は、前走クイーンC、フラワーC、エルフィンS好走馬。今年は12トーセンソレイユが該当。逆に人気でも以上の条件に合わない馬は狙いが下がる。3戦3勝の3クラウンロゼは戦ってきたレベルと鞍上の三浦に「?」、2歳王者の6ローブティサージュ、14レッドオーヴァル、17コレクターアイテムは前走が負け過ぎ(過去10年で前走7着以下の馬は3着以内1頭もなし)。

軸は馬場と先行馬の少ない組み合わせを勘案して人気でも13クロフネか。相手は急遽Cデムーロに乗り替わった7アユサン、前走落鉄しながら先行してクロフネの2着した5ウインプリメーラ、ディープインパクトの妹で2戦2勝の12トーセンソレイユ。18メイショウは大外枠でかつ坂のある阪神1600は距離不安あり消し。

ワイド7-13、5-13、12-13。
1点勝負なら未知の魅力で12-13。

嗚呼、洋楽生活40年(その9)

2013-03-31 | 洋楽
今回はあの頃のラジオ事情を少々。

ナショナルのラジカセMAC FFを手にした当初は、もっぱらAM放送に明け暮れていました。日本の洋楽市場での売れ行きをある程度把握するために役に立ったのが、文化放送の深夜放送「セイヤング」今日のベスト10でした。深夜0時30分から毎日約30分間、リクエスト集計で決める日刊ベスト10チャートモノだったのです。

その週間総括版とも言えたのが、土曜深夜3時から放送していた「オールジャパン・ポップ20(以下AJP)」なる番組。これは文化放送をキー局とした全国ラジオチャートとレコード売り上げで集計された(という触れ込み)の洋楽チャート番組でした。司会は文化放送アナウンサー時代のみのもんた氏。毎週眠い目をこすって、日によっては120分テープの片面を使って番組丸ごと録音して、翌日聞いたりしていました。ただ当時はタイマー録音なんてない時代だったので、とにかく3時まで起きていないことには話にならず、聞き逃すこともたびたびでした。

この文化放送系の洋楽チャートで強かったのは、元ビートルズの面々にカーペンターズ、ミッシェル・ポルナレフあたりだったと記憶しています。その後の音楽生活では、当時のAJPで15位以下に初登場してすぐに圏外に消えてしまった曲に意外なほどの愛着心があって、どんな曲があったか今でも少しづつ記憶をたどっては、CDを探してみたりYOUTUBEで懐かしく聞いたりしています。例えばFirstClassの「Beach Baby」をiTunesで見つけた時は歓喜しましたし、ごく最近では、The Heywoodsの「Hartbreak Kids」なんて曲を思い出しYOUTUBEで探しまわって懐かしい再会を喜んだりしています。

そんなAM中心の生活に変化が現れるのは、クラスの友達が手にしていた「FMファン」なる雑誌の存在を知ったことがきっかけでした。この先2週間分のFM放送の番組内で流れる曲目が書かれているという事実はかなり衝撃的でした。当時FM放送はまだ始まったばかりでDJもAM放送に比べると知名度が低い人が多く、番組そのものもまじめ路線でやや面白みに欠ける気がしていたのですが、AMに比べた圧倒的な音の良さとしゃべりがイントロにかぶらないことが多いという特徴には魅力を感じていただけに、「FM放送で事前にオンエア曲が分かり、ラジカセでテープ録音できたらレコード代が浮くぞ」と、これはかなりな強力な発見をした気分だったのです。

さっそく本屋さんで「FMファン」を購入し、録音したい番組を事前チェックしては漁る生活が始まりました。中でも重要度が高かったのは、NHK夕方4時台にあった「軽音楽をあなたに」という番組で、約2時間日替わりでアーティストの特集や新しいアルバムを丸ごと放送していました。その日の放送予定を朝学校に行く前にチェックして、録りたい番組があるときは極力放課後まっすぐ帰って放送に間に合うようにしたりけっこう一生懸命でした。

ただ僕は当時野球部だったので、火曜日、木曜日、土曜日は放課後練習があり、その曜日に聞きたいアーティストの特集がぶつかると大変ショックを受けたものです。でもその補足役的存在として、同じNHK夜7時台の、番組名は忘れましたが、アルバム1枚を毎日丸ごと放送してくれる番組もありました。「軽音楽をあなたに」で録り逃したものの、ここで再度放送されることもけっこうあってこれもかなり重要度の高い番組だったのです。

一方新譜アルバム紹介で当時もっとも情報が早かったのは、NHKのAM放送夜10時台の「若いこだま」という番組でした(名称からして古い)。DJは当時はまだ駆け出しの音楽評論家、渋谷陽一氏。恐らく輸入音源を使っていたのでしょう。上記のFM番組はたいてい新譜が日本発売になった後に放送されるのが常だったのですが、この番組はあちらで発売になるかならないかのタイミングで、新譜から何曲かを紹介していました。AMなので、録音して保存には向かなかったものの、いろいろなアーティストの新譜の出来をチェックするには格好の番組でした。

それと渋谷氏は、ただ音楽を流すだけでなく、いろいろなアーティスト情報や洋楽の基本知識も伝えてくれたので、この番組もまた聞き逃せない存在であったのです。この番組は後にFMに移転して、「ヤングジョッキー」という番組に引き継がれたので、その時代に親しんだ人も多いのではないでしょうか。

この項まだまだ書くことがありますので、次回に続きます。

★本日の関連レコード
<ファースト・クラス>
ビーチ・ベイビー
<ヘイウッズ>
ハートブレイク・キッド

高松宮記念

2013-03-24 | 競馬
春のG1シリーズ第一弾は、電撃の6ハロン戦、高松宮記念。

人気でも、昨秋のG1スプリンターズ・ステークスから三連勝の11ロードカナロアで軸は堅いか。

食指がうごくのは、同じく三連勝で重賞を制した15サクラゴスペル。鞍上の横山典弘は大レースでは要注意で、大金星まであるかとも思うが、大成は今秋か。

ここはこのレース2年連続2着の9サンカルロに期待したい。七歳とはいえ、二走前阪神カップの末脚を見るに衰えは微塵もなく、直接坂の出来た中京コースで、先行馬の脚が鈍ったところを強襲してマサラッキの再現での悲願達成あるか。

単勝9
馬単9→11
ワイド9-11

嗚呼、洋楽生活40年(その8)

2013-03-17 | 洋楽
さて僕が洋楽聴き始めの頃、洋楽界の大物たちはどんな状況であったのか、ひととおりさらっておきたいと思います。

まずはビートルズ。ちょうど、2枚組×2セットの通称赤盤・青盤という初の決定盤的ベスト盤が発売され、彼らの解散後としては最大のビートルズ・ブームが世間をにぎわしていました。でも高かったなぁ。確か2枚組で1セット3500円だったかな。通常の2枚組よりも高かったのを覚えています。2セット買うと7000円って、当時の中坊には高根の花でした。というよりも60年代の音楽は、例えビートルズでも古臭い気がして、さほど欲しいとも思っていなかったと言うのが正直なところです。

当時元ビートルズのメンバー個々人は盛んにソロ活動をしていました。ポールはちょうど「マイ・ラブ」が売れていました。この曲はかったるくてあまり好きじゃなかったな(今でも人が言うほど良い曲とは思っていません)。それを収録した当時の最新アルバム「レッド・ローズ・スピードウェイ」も評判がイマイチだったので、関心はほとんどありませんでした。そうこうするうちに、映画007シリーズの主題歌「死ぬのは奴らだ」がリリースされて、映画と共に大ヒットしました。個人的にはこれもどうでもいいレベルだったと記憶しています。

ジョージ・ハリスンは「ギブ・ミー・ラブ」が売れていました。この曲で、ジョージが元ビートルズだと知り、「あー、あの目立たない風貌のヤツか」と思ったわけです。曲もノラリクラリで、ハードな曲に飢えていた当時の僕には全然ピンときませんでした。リンゴ・スターは写真を見て「あのリーダーか(小学校時代からの勝手な思い込み)」と期待をして聞いた「想い出のフォトグラフ」にぶっ飛びました。何がって、歌の下手さ加減です。「こりゃ、リーダーじゃねーな」と初めて自分の誤りに気付いた瞬間でした。

ただリンゴのアルバム「リンゴ」には少し惹かれるものがありました。大好きな、Tレックスのマーク・ボランがゲストでギターを弾いていると、雑誌「ミュージック・ライフ」掲載の広告に書いてあったからです。それとこのアルバムには、ジョン、ポール、ジョージの他ビートルズたちもゲスト参加していて、先の赤盤・青盤の発売とも相まって「ビートルズ再結成」がまことしやかにラジオでは噂されていたのです。もちろん「リンゴ」は私も友達の誰もが買わなかったので、マークの演奏を聴いたのはそのずーっと後、CDの時代になってからのことです。

そしてジョン・レノン。小学校時代にビートルズの問題児と思い込んでいた彼。上記に少し遅れて、「マインド・ゲームス」をリリースしました。これがかなりいい曲で、「実はこいつ才能あるじゃん」と妙に感心し、「もしかしてこの人がビートルズのキーマン?」と遅ればせながら気がついたことを覚えています。LPのジャケットに“山”に見立てて映った女性の横顔が、日本人妻オノ・ヨーコであることもこの時知りました(メンバーの中に日本人と結婚した人がいるという話は聞いていましたが、詳しくは知らなかったのです)。

この頃の各メンバーの曲を聴いた感想は、「ビートルズも一人ひとりになると普通だな」といったところで、他のアーティストと大きく違う存在であるという認識は全くなかったと思います。だからでしょう、僕がビートルズのメンバーのレコードを買うのは随分経ってからのことです。4人とも特別に好きなアーティストでもなかったので、その2年後ぐらいにポール・マッカートニーの来日騒ぎを契機として急激にポール派として盛り上がったことがその最初だったかもしれません。この辺はまた改めて記します。

一方、ローリング・ストーンズはどうだったかと言えば、ちょうどシングル「悲しみのアンジー」とアルバム「山羊の頭のスープ」がリリースされたところでした。前作から久々のアルバムとの触れ込みで、ラジオでは連日かけまくりの嵐でした(ビートルズの面々も、新譜が出るとそうでしたが)。でも「アンジー」の曲調がロックじゃなかったことが、どうも印象が違ってしまい、やはりハードな音楽に飢えていた中坊には物足りなく感じられたものでした。ただし、曲調から受けたマイナーな暗い印象が、ビートルズと対極に立つ存在なんだということを意識させてもらうのには十分であったようには思います。(続く)

◆本日の関連レコード
<ビートルズ>
「1962~1966」(LP)
「1967~1970」(LP)
<ポール・マッカートニー>
「レッド・ローズ・スピードウェイ」(LP)
「マイ・ラブ」
「死ぬのは奴らだ」
<ジョン・レノン>
「マインド・ゲームス」
<ジョージ・ハリスン>
「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」(LP)
「ギブ・ミー・ラブ」
<リンゴ・スター>
「リンゴ」(LP)
「想い出のフォトグラフ」
「ユア・シックスティーン」
「オー・マイ・マイ」
<ローリング・ストーンズ>
「山羊の頭のスープ」(LP)
「悲しみのアンジー」
「ハート・ブレイカー」

嗚呼、洋楽生活40年(その7)

2013-03-10 | 洋楽
中学2年生の僕が「ツェッペリン2」を時代遡りで購入した頃、僕らの仲間内で同じように遡りで聞いておかなくてはいけないと暗黙のうちにされていたアーティストが他にもいました。その筆頭がクリームです。

クリームは、言わずと知れたエリック・クラプトンが在籍した伝説のグループ。ちょうど時を同じくして、その年はクラプトンが麻薬生活から復帰しアルバム「461オーシャン・ブルバード」とシングル「アイ・ショット・ザ・シェリフ」で世間を賑わせていて、クリームへの同級生たちの注目度は嫌が上にも盛り上がっていたのです。

恐らくは「ミュージック・ライフ」誌が言いだしっぺだったのだろうとは思いますが、当時日本では元ヤードバーズの3人のギタリスト、クラプトン、ジェフ・ベック、そしてツェッペリンのジミー・ペイジは“三大ギタリスト”などという呼び名であがめられていました。中でもクラプトンは、歌って弾けるギタリストと言うことで特に人気が高く、この時の復活人気はかなりの盛り上がりであったと記憶しています。

しかしながらオマセな洋楽通同級生の間では、レゲエを取り入れた「アイ・ショット・ザ・シェリフ」はクラプトンの中では異端であり、よって新作の「461オーシャン・ブルバード」をほめるのはダサいとされ(『アルバムはイマイチだけど「レット・イット・グロウ」はいいね』と言うのが通とされていました)、クリームを知らずしてクラプトンを語るな的な俄かクラプトンを諌めるムードがどことなく漂ってもいたのです。

ついでに言えば、ブラインド・フェイスなどほとんど語る者はなく、また今では彼の一の代表作である「いとしのレイラ」などはウケ狙いのロック・ナンバーで、同名のアルバムはスワンプという言葉すら輸入されていなかったその当時は、麻薬漬けで“腑抜け”になったクラプトンの超駄作とされていました(これもまた、『「ベルボトム・ブルース」と「リトル・ウイング」はいいね』というのが通だったような)。そんな訳で、ブルーズを基調としてハード一辺倒のクリームこそクラプトンの真骨頂であるというのが、「ミュージック・ライフ」の受け売りも含め洋楽通同級生たちの一致した見解だったのです。

そして、その当時もっとも名盤として我々洋楽入門世代に愛されていたのが、「ライブ・ボリューム2」でした。このアルバムはクリーム解散後の72年、すなわち「461」の前年にリリースされた“新譜”で、ベスト盤的な選曲のせいもあって同級生の間ではかなりの高評価を得て貸し借りされていました。

この中で、基本中の基本として押さえるべきとされていたのが、「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」と「ホワイト・ルーム」でした。「サンシャイン・オブ・ユア・ラブ」は学内のコピーバンドの定番でしたし、「ホワイト・ルーム」はライブの荒々しさで、インパクトのあるイントロも含めた迫力満点の演奏が、我々中坊の心を鷲掴みにしたのです。

そんな中で僕はどちらかと言うと、ツェッペリンにはけっこう早く追いついたものの、クラプトンにはやや乗り遅れ気味で、結局クラプトンがらみのアルバムを始めて買うのはその2年近く後のライブ盤「EC Was Here」まで待つ形になりました。むしろ、クラプトンに乗り遅れた分を他で取り返そうと思ったのか、「461」の頃に買ったのが同じ“三大ギタリスト”が所属するベック・ボガード&アピスのデビューアルバムでした。

これを買った理由は、シンプルなバンド名をデザインしたジャケットが好きだったのと、何よりベックが“三大ギタリスト”3人の中で一番鋭角的な顔つきでカッコ良かったことかなと思います。加えて、意外なほどに同級生の間では人気が低く、ほとんどレコードを持っているヤツがいなかったことも、どことなく洋楽初心者の自分に優越感を感じさせてくれるアーティストとしてお気に入りになった大きな理由の一つであったというのは、今だからこそわかる部分なのかもしれません。(続く)

◆本日の関連レコード
<エリック・クラプトン>
・「461オーシャン・ブルバード」(LP)
・「EC Was Here」(LP)
・「クリーム・ライブ・ボリューム2」(LP)
・「スーパー・ジャイアンツ/ブラインド・フェイス」(LP)
・「いとしのレイラ」(LP)
<ジェフ・ベック>
・「ベック・ボガード&アピス」(LP)
・「BBAライブ・イン・ジャパン」(LP)

嗚呼、洋楽生活40年(その6)

2013-03-03 | 洋楽
Tレックスと並行して他にはどんなLPを聞いていたのか、というお話を。意外なことにTレックスの次にLPを買ったのは、全くのジャンル違いのアメリカのアーティストである、ブラスロックのシカゴでした。

私は中学入学と同時に野球部に入ったのですが、夏と春に1週間の合宿があって、そこで未知の音楽と出会う機会がありました。というのは、たいてい誰か一人はラジカセ持参(下級生にラジカセ担当とかがいたような気もします)で参加していて、大部屋で雑魚寝状態の運動部の合宿生活では、自由時間は先輩の聞きたい音楽を優先でラジカセでかけるのが暗黙の風習になっていたのです。先輩たちも後輩のラジカセを当て込んで好きな音楽のカセットはけっこう持ってきていて、それを後輩に手渡して「これかけとけ!」って感じだったのです。

シカゴとの出会いは、ちょうど洋楽を聴き始めの中学2年の夏合宿で2学年先輩が持ってきた、あのコカコーラを模したと言う当時としてはかなりイカしたアメリカンなバンドロゴが書かれたカセットテープでした。その場で音楽にとりわけしびれたという記憶はないのですが、Tレックスにはないバンドのロゴマークというヤツがやけに印象的で、カッコいいバンドというイメージがすっかり私の中で定着してしまったのでした。そして合宿から戻るとちょうど折も折、彼らのニューアルバム「シカゴ6~遥かなる亜米利加」がリリースされ、先行シングル「愛の絆」がラジオで盛んにオンエアされていたのです。

この曲には一発ノックダウンという感じで、当時の個人的好みであるヘビーな演奏とピーター・セテラのハイトーン・ボーカルに合宿でのロゴマークの印象と相まって、Tレックスと並ぶお気に入りになってしまい、さっそくこのニューアルバムを日本盤で購入したのでした。米造幣局で印刷されたという特殊な憧れのロゴ入りジャケット(実は日本盤は全然違う仕様だったのですが)も最高に気に入っていました。しかもニューアルバムでしたから、購入後にそこから第二弾シングル「君と二人で」がリリースされたことも、なんか得をしたようで嬉しかったのをよく覚えています。この曲も大好きで、今でも彼らの全楽曲の中で3本指に入る曲です。もちろんアルバムは、この「シカゴ6」が今でも個人的には彼らのベストワンであると思っています。

アルバム購入を始めるようになると新譜を追いかけると同時に、雑誌「ミュージック・ライフ」から仕入れた情報で、過去の“名盤”と言われるものにも関心が高まってきました。たいていは、雑誌で仕入れた情報を元に頭の片隅に聞いてみたい候補アルバムを挙げておいて、ラジオでその中の曲を何曲か聞いて気に入ったら購入を本格検討する。さらにその段階で重要なことは、友達がそのアルバムを持っていないということでした。アルバムは高価な買い物だったので、とにかく友達から借りられるものはテープ録音で済まして、自分が買うものは周囲の友人が持っていないことが最大の重要条件だったのです。

当時はレコード・レンタルすらない時代ですから、友人相互レンタルは音楽ライブラリを充実させる上でとても重要な役割を果たしていたのです。そんな中で次に私が購入したLPは、レッド・ツェッペリンの「2」でした。ツェッペリンは「ミュージック・ライフ」を読む中で、どうもかなり重要なロックバンドであるということが分かってきて、代表作と評されていたこのアルバムの収録曲「胸いっぱいの愛を」と「ハートブレイカー」をラジオで聞き「こりゃいいぞ!」と思ったのでした。そこで仲の良い学友たちと、近々何のアルバムを分担して買うのかを相談する中で、この「レッド・ツェッペリン2」を買う立候補をしてめでたく了承された、そんな記憶が蘇ってきます。周囲の皆も、この名盤とされるアルバムをぜひ聴いてみたいと思っていたようでした。(続く)

★本日の関連レコード
「シカゴ6~遥かなる亜米利加」(LP)
「レッド・ツエッペリン2」(LP)

※アルバム名表記の数字は、文字化け防止の関係ですべてアラビア数字で表記しております。

嗚呼、洋楽生活40年(その5)

2013-02-24 | 洋楽
今日はちょっとあの当時のレコ屋事情を書いておきましょう。

まず国内盤。シングル盤はたいてい、洋楽に入り始めのごく初期は住まいのあった目黒の駅ビルと駅近くのレコード屋で手に入れていました。LPは、前々回も書いたように、やはり大枚をはたいて買うので、なんとなく信頼のおけるデパートが一番と、渋谷のデパートで最初の何枚かは買った記憶があります。

そのうち同級生に教わったのが、当時レコードは再販商品でどこの店でも値引きは一切なかったのですが、裏技的に次回使える割引券を出している店があるという話。それが秋葉原の石丸電気でした。購入価格の15%ぐらい値引券で戻してくれていたように思います。なけなしの小遣いからLPを買う身分には、本当にありがたかった。それと、LPコーナーは2号館の最上階に広々半端ない枚数が陳列されていてたいていの商品があったことと、分厚いビニール袋に入ったお目当ての商品をレジカウンターに持っていくと、奥から同じ商品の新品在庫を出してかつ目の前で検盤させてくれるというのがなんともうれしかった記憶があります。

石丸はシングル盤の在庫も半端ありませんでした。普通のレコ屋では売り場の広さの関係からシングルも発売から、一定時期を過ぎると問屋に戻されたりして1年以上前のヒット曲や売れなかった曲は、一部の人気アーティスト以外ほとんど置かれていなかったのですが、石丸ではたいていのシングル盤がありました。ですからグラムロックのTレックスやスウィートのバックナンバー的シングルを探すのには極めて好都合だったのです。当時はグラム以外でも、シカゴやラズベリーズの過去シングルを買いあさったので、本当に助かりました。

雑誌「ミュージック・ライフ」を読むようになると、そこに出ていた広告から、輸入レコ屋の存在が気になるようになりました。先般お話をした露天ワゴン販売はさすがにリスクを感じたのですが、広告効果で固定店舗なら大丈夫じゃないかと思うようになったのです。それと、広告掲載の輸入盤は国内盤よりも1~3割価格が安かったのと、当時は新譜の国内盤が出るのは輸入盤よりも2~3カ月も遅れていたので、一刻も早く聞きたいものはとにかく輸入盤に走るしかなかったという事情もありました。

真っ先に足を踏み入れた輸入レコ屋は、原宿竹下通りにあった「メロディ・ハウス」でした。新宿界隈に多くの輸入レコ屋があることは、雑誌の広告で分かっていましたが、原宿は何と言っても家から近いのと、小学校時代からけっこう土地勘のある場所だったのでここを選んだのです。ちなみに、当時の竹下通りは、蕎麦屋さんやパン屋さんなどがポツポツ軒を並べる普通の商店街で、人通りも少なく本当に静かな通りでした。

「メロディ・ハウス」には、けっこうお世話になりました。ちなみにここで買った最初のアルバムは、「クイーン 」でした。まだクイーンがほとんど無名に近い時代。日本で1枚目がリリースされた頃だと思います。「キープ・ユアセルフ・アライブ」を初めてラジオで聞いた直後にたまたまこの店に足を運んで、壁に掲げられた「店長おススメ盤」の文字と、ついさっき聞いたクイーンという名前、そしてあのジャケットのおしゃれさに即買いを決めたのでした。でも新譜だったので、2200円ぐらいしたと記憶しています。もちろんこのレコード、今も大切に所有しています。

その後は、新宿、お茶の水、渋谷界隈の輸入レコ屋をずいぶん回りました。タワレコやHMVといった海外大手資本のメガストアが日本に上陸するのは数年後であり、どこの店もけっこう品ぞろえに個性があって、店主と話し込んだりして自分の知らないアーティスト情報を仕入れたりするのもそれはそれでけっこうおもしろかったものです。古き良き時代のレコ屋話でした。この辺の話の続きはまたいずれ。

★ 本日の関連レコード
<スウィート>
リトル・ウイリー
<ラズベリーズ>
ゴー・オール・ザ・ウェイ
明日を生きよう
<シカゴ>
ロウ・ダウン
ダイアローグ
<クイーン>
クイーン (LP)

嗚呼、洋楽生活40年(その4)

2013-02-23 | 洋楽
私のTレックス「ザ・スライダー」でのLPデビューは大成功でした。何と言っても、A面1曲目「メタル・グゥルー」が期待にたがわぬ素晴らしい曲で、この1曲で大満足でした。2分ちょっとの短い曲ですが、とにかくいきなり盛り上がるサウンドと雄たけびは、中学2年の駆け出しロック小僧を興奮させるのに十分すぎたのです。

実は、シングル「ザ・グルーバー」のジャケット解説に「ゲット・イット・オン」以降7曲のヒット・レコードの文化放送「オール・ジャパン・トップ20(土曜深夜放送、司会は文化放送アナのみのもんた)」での最高位を記録した時のチャートが掲載されていまして、「メタル・グゥルー」はTレックスとして国内で初めて1位を記録したシングルだとそこで知り並々ならぬ期待感をもっていただけに、満足感もひとしおだったのです。

もう1枚のシングルカット曲B面1曲目の「テレグラム・サム」は、どちらかと言うと地味な印象。でもメロディがいいのでよしとしようと。LPは全14曲入りで、確かによさが分かるのに時間を要する曲も何曲かありましたが、1回聴いただけでけっこう気に入った曲も多くて、2000円の大枚をはたいての初購入LPとしては大成功の部類だったのでした。雰囲気たっぷりのジャケット写真が気に入っていたことと、アルバム見開き面が朱赤バックに白抜き文字の歌詞カードだったことも、「外国のアーティストはセンスがいいなぁ」とこのLPの評価を高めるのに大きな力になってもいたと思います。

さらに、LP付属の日本語ライナーノートにあったTレックス年表を見てビックリしたのは、なんとマーク・ボランが私と同じ9月30日生まれであるという事実でした。初めてファンになった洋楽アーティストが同じ誕生日、運命的な何かを感じずにはいられず、「この人についていこう」ぐらいの勢いで、さらなるのめり込みに拍車をかけてくれたのでした。

そんなLPのライナーを読むに中で、Tレックスがどうやらグラム・ロックというジャンルに分類されていることを知りました。そうなると今度は、グラム・ロックというジャンルに入るやつらを徹底的に聴いてみようということになるわけです。その流れで買ったレコードが、スウィート「ヘル・レイザー」、シルバー・ヘッド「エース・スプリーム」、スージー・クアトロ「キャン・ザ・キャン」などEPと、スレイドのベスト盤「スレイデスト」でした。

ラジオで紹介される新アーティストでも、「グラム・ロック」として紹介されると何となく身内のような気がして、親近感を覚える感じすらあったのです。そんなアーティストには、マッド、ジョーディ、コックニー・レベルなどがいました。

一方Tレックスと同様に、グラム・ロックの雄として語られることが多いのがデビッド・ボウイですが、ボウイはマークがかなり強烈にライバル視していたので、中坊の私はボウイを好きなる事は同じ誕生日のマークを裏切る行為だと思い、長らくボウイとは一定の距離を置いて接っしていました。今考えるとおかしな話ですが、それだけファンとして純粋だったということでしょう。その当時流行っていたボウイのシングルは「夜をぶっとばせ」でしたが、これはローリング・ストーンズのカバーでした。私はこれを、「なんだ自分曲じゃないのか。だっせー!」とけなしていたりもしたようにも記憶しています。

実際にはその頃すでに下火になり始めていたグラム・ロックですが、私のグラム・ロック熱は「ザ・スライダー」の購入を機に一気に最高潮に達した感があったのでした。

★今回の関連レコード
<Tレックス>
ザ・スライダー(LP)
<スウィート>
ヘル・レイザー
ブロック・バスター
ロックンロールに恋狂い
<スレイド>
カモン
スクイーズ・ミー・プリーズ・ミー
スレイデスト(LP)
<スージー・クアトロ>
キャン・ザ・キャン
48クラッシュ
デイトナ・デモン
<シルバー・ヘッド>
エース・スプリーム
恐るべきシルバー・ヘッド(LP)
<マッド>
タイガー・フィート
<ジョーディ>
君にすべてを
朝日のあたる家
<コックニー・レベル>
悲しみのセバスチャン
<デビッド・ボウイ>
夜をぶっとばせ
タイム
アラジン・セイン(LP)

嗚呼、洋楽生活40年(その3)

2013-02-17 | 洋楽
雑誌「ミュージック・ライフ」で個人的に一番重要なコーナーは、ニューリリースのEP紹介と新作LP紹介のコーナーでした。限られた小遣いを有効に使うためには情報が命でしたから。EP紹介は評論家の方々の投票で毎月1位から10位までが数人のコメントと共に冒頭に並べられ、その後にベスト10圏外の曲が多数紹介されていました。

このEP新譜ベスト10ですが、毎月テクニクス・プラザというナショナルのショールームで、評論家の先生方とかDJの皆さんを集めて雑誌の発行に先駆け順位発表と試聴をおこなう定例イベントもありました。私は1回だけ学校の帰りに聞きに行ったことがあります。池袋だったような気がするのですが、定かではありません。その日座席は満席で立ち見でしたが、評論家の故福田一郎さんとかDJとしても活躍していた八木誠さんとかが出ていて、いろいろなアーティストの最新情報を聞くことができてなかなか充実していました。

その日八木さんが「今月のイチ押し」として熱く語り紹介してくれたのが、グラディス・ナイト&ザ・ピップスの「夜汽車よジョージアへ!」という新曲でした。ロックじゃなかったのですが確かにいい曲だなと思ったことを今でもハッキリ覚えています。その後、ラジオでも何回か聞いてあの日の印象もあり「やっぱりいい曲だ」と妙に感じ入り、シングル盤を購入しました。これがブラック系で初めての洋楽シングル購入でありました(彼らがブラックだというのは、購入時にジャケットを見て初めて知ったので、ブラックを初めて買ったという意識は特になかったですが…)。

一方の「ミュージック・ライフ」のLP紹介コーナーの方ですが、このコーナーのおかげで、それまで歌謡曲と同じく寄せ集めの金儲け企画とばかり思っていたLPいわゆるアルバムというものに対する誤解が解けました。海外アーティストの場合、アルバムはしっかりとコンセプトを持って作り込まれたものなんだと分かったことは、大きな収穫でした。そうなると、そのアルバムというやつを買ってみようということになるわけです。当然候補はTレックスでした。

その当時のTレックスの最新アルバムは「タンクス」でした。しかし、このアルバムにはシングルヒットが入っていなく、しかもシングル「イージー・アクション」のB面「ボーン・トゥ・ブギー」が入っていたので、自分の手持ち曲とダブりがあるのは損な気がしました。そこで、目をつけたのはひとつ前のアルバム「ザ・スライダー」でした。こちらは、聞いてみたいと思っていたシングル曲「メタル・グゥルー」と「テレグラム・サム」の2曲が入っていることが最大の魅力でした。それとジャケットに漂う不思議なアート感が、「中身もいいに違いない」と思わせるのに十分魅力的であったのでした。

初めてのLP購入は、2000円というシングル4枚分ものお金を出すので、なぜか家の近くのレコード店でやすやすと買ってはいけない気がして、渋谷まで現金を握りしめて買いに行った記憶があります。それはあの当時に「ちょっとしたものを買うときはデパートで」という習慣があったからのような気がします。何かあったときにデパートならちゃんと対応してくれるから、と親に教わっていたのかもしれません。

渋谷の駅に着いて道を歩いていると、道端でレコードを売っている露天商に出くわしました。いわゆる輸入盤販売です。通りがかりに横目で見るとなんとお目当ての「ザ・スライダー」が飾られているじゃないですか。しかも特価1500円とか書いてあって、これから買おうとする国内盤よりも500円も安い。「なんで安いんだ?」「500円浮けば、シングルが1枚買える」。心が揺らぎました。しかし、ワゴンに向かいジャケットを手に取ってみるとやけに薄い。その感触今でもはっきり覚えているのですが、レコードが入っていないかのように思えたのです。

私は思いきって、露天商のおじさんに聞いてみました。「これレコード入ってますか?」。するとおじさんは少しムッとした顔つきになり、「何言ってんだこの小僧」と言わんばかりに「ん!」と小さく発して睨まれてしまいました。そのやり取りでハッと我にかえり、「こんなところで買って、もしレコードが入っていなくても、絶対に交換や払い戻しはしてくれないぞ。それどころか明日来たらもうこんな店ないかもしれないぞ。信頼一番のデパートでLPを買うために来たんじゃないか。つまらん寄り道はするな!」と心が囁きました。

その日の目的地は西武百貨店でした。なんとなくですが、こういうものは東急じゃなくて西武かなと思い、ここで買うことを決めて家を出てきたのです。レコード売り場に、「ザ・スライダー」はありました。2000円也。本当にこれでいいんだなと、もう一度いろいろなLPを見比べてから、アルバムをレコード棚から抜いてレジに向かいました。ついに買ってしまった初めてのLP。当時の2000円は、中学2年生にはかなりの高額であったように思います。うれしさと中身に対する不安さと、入り混じった感覚で早く家に帰って聞いてみたい一心で購入後はまっすぐ家路を急いだのでした。(以下続く)

★今日の関連レコード
<グラディス・ナイト&ザ・ピップス>
夜汽車よジョージアへ!
<Tレックス>
ザ・スライダー(LP)
タンクス(LP)
電気の武者(LP)
ボラン・ブギー(LP)