大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

2011年回顧 終

2011-12-31 | 日記
最後は思いつくままに。

まず、スポーツ
サッカーは、今まで以上に本格的に見入った一年でした。長友、香川らの選手が世界で活躍するのは本当に元気をもらいますね。女子サッカーはどうも、世間のなでしこフィーバーをよそに、個人的にはイマイチ盛り上がりませんでした。ワールドカップ優勝はたいしたことですが、メディアの急造ブーム的印象が強く彼女たちに責任はないのですが、なんか今ひとつシックリこない感が最後まで続きました。

野球は、相変わらず日ハム一筋。梨田監督のシーズン途中での辞任表明(クビを通告される前の先手打ち)が全てをぶち壊し、結局クライマックスシリーズ早々敗退の寂しいシーズンでした。梨田氏は就任の時も同じような空気を読まない自分勝手な会見を開いてポストシーズンをぶち壊した前科ありですから、もともと嫌いなのですがらしい最後っ屁だなと。ダルビッシュの国内ラストシーズンを台無しにしてくれました。栗山新監督の下、来シーズンに期待しましょう。

競馬は、何をおいても三冠馬オルフェーヴル。久々のスターホース誕生に来年は本当に楽しみです。とにかく故障のないように、厩舎関係者にはくれぐれも無理のない使い方をお願いしたいところです。

趣味の洋楽は、
やはり毎年秋~冬に出されるリイッシュー盤にいいものがあります。今年はビートルズの映画「レット・イット・ビー」の完全版あたりがいよいよ出るかなと期待しましたが、ビートルズ関連はお休みの一年でした。代わりにビーチボーイズが「スマイル」、ローリング・ストーンズが「サム・ガールズ」という素晴らしい発掘音源を披露してくれました。他にも前年に引き続きAORやスワンプ系の知る人ぞ知る名盤が紙ジャケリイッシューされて、散財させてもらいました。中にもピカイチは、ローウェル・ジョージエグゼクティブ・プロデュースのトム・ヤンス「the eyes of an only child」。本当に埋れさせてはもったいないアルバムの再発に拍手です。

IT機器は‥
今年はめぼしいものは購入していませんので、特の記すようなものはないかなぁ。要はiPod4をWIFIで使っている私が欲しいと思うようなスマホはなかったということ。すなわち、今年も私にとってはアップルの一人勝ち状態が続いたということのようです。

最後に個人的な出来事。
「青山カレー工房」の開店。おかげさまで多くの皆様にご来店いただき、開店から六カ月ご好評をいただいております。ヨーグルトチキン唐揚げもすっかり人気メニューになりました。来年は新春早々新メニューを投入予定です。乞うご期待です。
BLOGOSへの転載も大きな出来事でした。飛躍的に多くの方々に原稿を読んでいただくチャンスをいただき、身の引き締まる思いです。J-CASTさんに営業ノウハウの連載のコーナーを頂戴したのも今年。本当に関係の皆様、お読みいただいた多くの皆様ありがとうございました。来年も引き続きよろしくお願いいたします。

では皆様、良いお年を。

2011年回顧  Ⅲ

2011-12-29 | 日記
私にとって今年最大のヒット商品・サービスはズバリ、フェイスブック!今年の夏にはじめてみて、まずは旧交を温めることに役立ちうれしくあったのですが、徐々にビジネス関係を中心とした新しい人の輪づくりもしっかりと根付いてきました。驚きです。この新しい人の輪では、“ビジネス・フレンドリー”とでも言っていいような、個人的にあまり経験したことのない新しい概念が生まれているように思います。はじめてみないと分からない新発見でした。このあたり特に知的サービス的印象が強く、単純な“パーソナル・フレンドリー”サークルにとどまる印象のミクシーとの違いがあるように感じています。

すこし違った切り口としては、2010年型情報ツールのツイッターと比較をしてみるとおもしろいです。昨年爆発的に広まったツイッターですが、どうも私は乗り切れませんでした。その理由探しに今年前半までモヤモヤしていたのですが、フェイスブックの登場でそこに直結するものが、ツイッターとフェイスブックの特性の違いから良く分かりました。具体的には、匿名前提のツイッターと原則本名のフェイスブックと言う両者最大の相違点です。恐らくその相違点のなせる技でしょう、何となく陰湿さが漂うツイッターが性に合わなかった分、透明度が高く明るいイメージのフェイスブックは私にはGOODだったのです。

誤解を恐れずに言うなら、両者には偏差値の違いすら感じます。名前を隠して言いたいこと言い放題も可能なツイッターは「見える化」度が低くコミュニケーション偏差値は40台、発言者ガラス張りで「見える化」度が高く責任感をイメージさせるフェイスブックは偏差値70台って感じじゃないでしょうか。分かります?言ってること。言い方を変えれば、ツイッターが匿名故ひとつ間違うとすぐに悪口出放題にもなりうるネガティブ・コミュニケーションの流れが根底にあるのに対して、フェイスブックの基本精神は「いいね!」に代表されるポジティブ・コミュニケーション。営業でも教育でも対話のあるところ、成功を呼び込むのは常にポジティブ・コミュニケーションですから、勝敗は明らかです。

日本人が最も苦手な「ほめコミュニケーション」がここにはある訳で、フェイスブックの広がりと定着が進めば、日本の社会に革命的な変化を引き起こす可能性があるのではないだろうかとさえ思っています。「見える化」に加えて「ほめコミュニケーション」、来年もフェイスブック動向には引き続き大注目です。

2011年回顧 Ⅱ

2011-12-28 | 日記
今日は今年の訃報をまとめます。

スティーブ・ジョブズ
CEOを降りたあたりからいつ逝ってもおかしくないという状況ではあったものの、やはり大変なショックではありました。アップルは生活を変えたコンピュータ・メーカー、いやコンピュータも作る新生活提案企業であり、それはイコールジョブズであった訳ですから。今後の道筋は遺言的にアップルに残されているとは聞きますが、アップルがジョブズ時代と同じように展開していくのか否か、それは来年以降徐々に明らかになることでしょう。仮にアップルがどう変わろうとも、ジョブズの精神は影響を受けたビジネスパーソンによって脈々と受け継がれていくことでしょうし、私もその一人でありたいと思います。

田中好子
キャンディーズのスーちゃん。僕らの世代にとっては大きな存在であったあの時代を象徴するアイドルでした。中三トリオのファンとかいうのは憚られる感じだったけど、キャンディーズなら堂々と胸を張って「ファンです」と言えるみたいな。ピンクレディーほど子供ウケでなかった点もけっこう重要だったかな。その後の女優田中好子は特にどうもなかったけれど、キャンディーズは特別だった。それだけに衝撃的な訃報ではありました。僕らの昭和がまたひとつ逝った、そんな感じですかね。

中村とうよう
洋楽系音楽評論家として、僕らの世代は少なからず影響を受けている、と言うよりも彼の評論を通じていろいろな洋楽を聴いた訳で、その意味ではある部分では確実に師匠みたいな存在だったのかなと。氏が創刊した「ニュー・ミュージック・マガジン(NMM)」は革命的に情報量の多い雑誌でありました。グラビア中心のミーハーな「ミュージック・ライフ」とは一線を隔す、大人の音楽雑誌であったかな。今のレココレ・ファンは確実に、NMMからの持ち上がり生たちな訳で、洋楽ファンに論理性という納得感をもたせることでファンの層に厚みを増した功績は大きいかなと。だた自殺と言うのが、なんとも切ないですね。

立川談志師匠
個人的には子供時代にあこがれた、仕事ができて頭の回転が速くてちょっと悪そうな遊び人風情…。この人みたいな大人になりたいと(落語家になりたいとは一度も思っていませんが)思った、あこがれの大人でありました。議員さんになって以降のことはあまりしっかりと追いかけてはいなかったけど、死後に聞かれた周囲の人たちのお悔やみによれば、一貫してカッコイイ大人だっとそうな。最後まで我が道を貫いた表向きの生き様よりも、本業を忘れず常に努力の人であったという素顔にこそ見習うべき点が多くあるなと、訃報に接して感じさせられたものです。子供の頃の直観的な人を見る目ってけっこう正しかったりするものです。

その他
実は洋楽関係でリアルタイムには知らずに後から訃報を知りショックを受けたアーティストが何人かいます。クラレンス・クレモンス、スプリングスティーンのEストリートバンド巨体の黒人サックス奏者。もう、スプリングスティーンとのあのからみは見れないのか…。「明日なき暴走」のビデオ・クリップの2人はとにかくカッコイイ。「霧のベイカーストリート」のジェリー・ラファティ、「ロンリー・ボーイ」のヒットを持つ西海岸の仕掛け人アンドリュー・ゴールドの訃報も。彼らは個人的にライブハウスクラスの会場での来日ライブを心待ちにしていたアーティストです。本当に残念でなりません。70年代のアーティストたちよ、やれるうちにやってくれ、来れるうちに来てくれよ、本当にそう思います。

おまけ
悪い奴らもずいぶん死にました。ビンラディン、カダフィー、そして金正日。時代は確実に変わりつつるかなと、思わされる死でした。

2011年回顧 Ⅰ

2011-12-25 | 洋楽
今年は10大ニュースという形式ではなく、ジャンルごとの印象的な出来事をオフィシャルとプライベート両ページで本日から振り返ります。まずは今年の来日アーティスト。

今年は1月中野サンプラザのデイブ・メイスンで明けました。薄くなった髪と丸くなった体型は年月の経過を感じさせましたが、ギターも歌も全盛時のそれとほとんど変わらない素晴らしいステージでした。メジャーになり過ぎなかったことが、今もあの時代のデイブ・メイスンを再現していられる要因なのだろうなぁと本当に嬉しく思いました。終演後にはサイン会までやってくれて、その温かな人柄に感激もしたものです。当然私も、アルバム「デイブ・メイスン」(「見張塔からずっと」が入っているヤツ)にしっかりサインもらいました。

3月震災の直前は、エルビス・コステロの完全ソロライブでした。一部打ち込みとの“共演”もありましたが、基本はギター一本。スティーヴ・ナイーブとのデュオもいいですが、完全一人はそれはそれで味わい深いかなと。何しろ、アンコール5回だったかな?気分が乗れば一人だから何でもありな訳で。本編とアンコールの長さが同じと言う、実に不思議な、でもコステロらしいライブでした。ヒットパレード的選曲は、歳と共に彼も丸くなってきたという印象を受けました。ホント、震災前でよかった。震災後だったら確実に中止だったよね。

震災後は、来日の中止が相次ぎさびしい時期が3カ月ほど続きました。計画停電も一段落した6月になってようやく、ビルボードでメリサ・マンチェスターが登場しました。この人、昔から大好きで見たい見たいと思い待ち焦がれていた歌姫です。やはりうまかった!還暦は過ぎたかな?というお歳でありながら、流石の歌声でした(ルックスはだいぶ変わっていましたが)。しかも彼女にピッタリの狭いライブハウス規模のスペースで聴けたという、輪をかけて素晴らしさ。この人もアコースティック・バック基調に、代表曲目白押しのベスト・ヒット・ショーでした。

夏はめぼしい私好みの来日アーティストがなく、久々の日本モノで「チャボ=仲井戸麗一+吉田健+村上ポンタ」という腕利き3人のセッション・バンドG3(じいさん?)のライブを見ました。オール洋楽カバーナイトということで、これが思いのほか良かった。日本を代表するリズム楽器コンビにチャボの個性的なギターとヘタウマなボーカルはなかなか味がありました。大物アーティストの有名曲を山盛演奏していましたが、彼のギターと歌はやはりキース・リチャーズやロン・ウッドに近いイメージで、ストーンズのナンバーが最高にカッコ良かったかな。次回もぜひ見たいと思わせるライブでした。

そして11月のエアロスミス。04年のロック・オデッセイ以来7年ぶりに見ました。還暦越えを感じさせない素晴らしいステージ。初期のバンドのイメージを大切にした選曲は、今後の彼らの歩むべき道筋を明確に自覚したとの意志表示とも受け取れ、なんとも頼もしい気分にさせられました。バラードも、スティーヴンのピアノ弾き語り「ホーム・トゥナイト」~「ドリーム・オン」が秀逸で、「アルマゲドン」はもういらないなとつくづく感じました。それにしても、スティーヴンとジョー・ペリーは絵になるなぁ~。

さて来年来日を期待するのは、何と言っても結成50周年を迎えるローリング・ストーンズ。一説には、70歳を迎えるチャーリー・ワッツがワールドツアーに拒否反応を示しているようですが、ストーンズの事ですからミックがまた上手に説得して、必ずや日本にも来てくれることと期待しましょう。あとは、そろそろ最後の来日になりそうな70年代の大物たちが、一人でも多く来て素晴らしいステージを見せてくれることを願ってやみません。

※洋楽モノではありませんが、楽しみにしていた靖国能楽堂の「夜桜能」が震災の影響で中止になって本当に残念でした。来年こそ、見ます!

有馬記念

2011-12-24 | 競馬
今年も早いものでしめくくりグランプリ有馬記念と相成りました。
昨年は運よく14番人気トゥザグローリーのワイド馬券でオイシイ思いをして年を越すことができましたが、今年は果たして・・・。

世間ではこれで引退のGⅠ6勝の女傑①ブエナビスタと三冠馬⑨オルフェーヴルの一騎打ちムードが高まっています。ブエナは前走ジャパンカップで久々にGⅠを勝ち、最後に2年連続2着のこのレースを勝って引退の花道を飾りたいという筋書きのようです。巷では「なでしこフィーバーの年を締めくくるのは牝馬である」と、もっともらしいことも言われております。しかしながら、競馬ファン的にはオルフェが勝ってくれない事には来年以降が面白くない!引退間際のオバさん馬に若手のエースがやられるわけにはいかんのでして、三冠馬の威厳に賭けても負けられない一戦ではあるハズです。

と言う訳で個人的には、どんなに人気であろうとも軸は⑨オルフェーヴルで絶対なのです。狙いは昨年同様、人気薄とのワイドかなと。小回り中山2500メートルのコース特性は相性善し悪しの問題があります。ならばまず押さえておきたいのは、昨年3着の⑦トゥザグローリー。超良血で鞍上に腕の確かな外人騎手を配した⑭ルーラーシップ、眠れる薔薇一族もそろそろお目ざめの頃かと思われる⑧ローズキングダム、春天の勝ち馬で人気の盲点③ヒルノダムール、もしかするとオルフェ並み実力馬かもしれない⑬レッドデイヴィスあたりへのワイドがおいしそうです。

オルフェからの上位人気馬への馬連では好配当は望めないので馬連は思い切って2点に絞って、ここまできたら買い続けるしかない⑤エイシンフラッシュと、中山小回りを単騎逃げならしぶとい⑫アーネストリーへ。
引退レースの①ブエナ、前走負けすぎの②ヴィクトワールピサ、劇走続きの⑩トーセンジョーダンは消します。

まとめますと、
馬連⑤-⑨、⑨-⑫
ワイド⑦-⑨、⑧-⑨、⑨-⑬、⑨ー⑭、③-⑨

今年も、「終わりよければ全てよし!」となりますか否か・・・。

ローリング・ストーンズ「Some Girls」 デラックス・エディションを聞く

2011-12-18 | 洋楽
お約束通り、このたび出ましたストーンズの「Some Girls」 デラックス・エディションを聞いた感想です。同時リリースのスーパーデラックス・エディションと共通のボーナス・トラック未発表12曲入りCD2についてです。

「Some Girls」は78年のパンクムーヴメントの嵐吹き荒れる中リリースされたアルバムで、ギターのロン・ウッド加入後彼がフルでレコーディングに参加した初めての作品でもあります。その意味では、キースとロンの“ヘタウマ”ギター・アンサンブルがフル回転の現在直結出発点でもあり、最も脂が乗っていた時期であると言っていいと思います。ですから、このCD2に収められた未発表12曲の出来はホント素晴らしい!いわゆる“ボツ”ではなく、事情あってその時点では正規リリースされなかったと理解すべき楽曲であると思います。

そもそもストーンズは、アルバムづくりにおいて常に大量の楽曲を試していて、その時点で最良のモノをアルバム収録する。そこで不採用となった曲たちは、改めて別の機会に録音し直されるかあるいはオーバダブされるかして、全く違う時期に正式リリースされるなんてこともザラだそうです。そんな曲を集めた作品が、80年リリースのアルバム「Tatoo You」。その1曲目に収められ今やステージで欠かせない「スタート・ミー・アップ」なんてまさしくこの「Some Girls」セッションで初めて試された曲であり、次作「Emortionel Rescue」時にも再トライされながら連続不採用になっているのです。ストーンズのオクラ入り曲のレベルの高さが分かるエピソードです。

そんな訳ですから、今回公式リリースされた12曲が悪かろうはずがないのです。正規盤の「Some Girls」収録曲は、セックス・ピストルズをして「ストーンズは65年に解散しているべきだった」などとまで言われたパンクムーヴメントへの対抗意識むき出しに、ハードなエッジの効いた曲(A2「ホエン・ザ・ウイップス・カムズ・ダウン」A5「ライズ」B2「リスペクタブル」B5「シャタード」など)が多く収めらていました。ということで当時の事情で正規盤から漏れ今回ようやく陽の目を見た12曲は、比較的まったり間のあるルーツロック的な音楽が中心となっています。

特に顕著なのはカントリー系統としてくくれそうな楽曲の多さ。カントリー・ロック風の③「ドゥ・ユー・シンク・アイ・リアリー・ケア」⑤「ノー・スペア・パーツ」、さらにはストレートなカントリー・ナンバーとしても、ウイリー・ネルソンの⑦「ウイ・ハッド・イット・オール」をキースのリード・ボーカルでカバーしたり、ハンク・ウイリアムスの⑪「ユー・ウイン・アゲイン」をミックとキースのダブル・ボーカルで聞かせたりしているのです。パンク隆盛の時代背景から、この辺の曲は割を食いオミットされたのでしょうが、出来はどれも最高です。正規盤に収められたB1「ファー・アウェイ・アイズ」B4「ビースト・オブ・バーデン」あたりとの組み合わせで、もしかするとストーンズ流カントリー・アルバムを企画していたのかも、とさえ思わされる内容です。

他には、チャックベリー的ロックンロールの①「クロディーヌ」、ストーンズお得意ブルース調の④「ホエン・ユー・アー・ゴーン」⑩「キープ・アス・ブルース」、珍しいカリプソ風の⑥「ドント・ビー・ア・ストレンジャー」などのナンバーは、「エグザイル・オン・メインストリート」以降の時代にハマっていたルーツ探索的な流れを感じさせてくれます。収録曲中最もストーンズ的なのは、キースの“十八番(おハコ)”5弦ギターが印象的な⑨「アイ・ラブ・ユー・トゥ・マッチ」。もう少し丁寧に作り込みがされていたならば、「スタート・ミー・アップ」と並んで80年代以降のステージ代表曲になっていたかもしれないとさえ思わされるナンバーです。

ストーンズの事ですから当然オーバーダブはありありで、ミックのボーカルなどでは曲によってはかなり最近のものもありそうな歌い方も登場します。プロデューサーにドン・ウォズの名前がクレジットされており、楽器類の直前オーバーダブも一部ある模様(実際にドン・ウォズ自身がベースでクレジットされている曲あり)。オーバダブがあろうがなかろうが、スゴイものはスゴイ!全盛期ストーンズのオクラ音源はレベルの高さが違うと、改めて実感させられました。まだまだ相当な数のオクラ音源が存在するハズで、ミックの気が変わらないうちにぜひ出し尽くして欲しいものです。

最後に、同時リリースの発掘ライブ映像「サム・ガールズ・イン・テキサス78」にも少し触れておきます。私は映画館で見ましたが、とにかくカッコいいの一言。昨年公開のミック・テイラー在籍時のライブ映像「レディス・アンド・ジェントルマン」に比べても、断然こちらの勝ちです。スタジアムクラスのライブに移行する前の映像ですから、音的にはエッジの効いたサウンドが最も“らしい”ストーズであり、ミック、キースに新たにロンを加えた鉄壁フロント3人衆が最高にノッていた時代のストーンズの映像として、絶対見ておいて損なしです。

さて来年はいよいよストーンズ・デビュー50周年です。遂に最後になるかもしれないワールド・ツアー実現に期待して、再来日を待ちましょう。

“お宝音源”リリース・ラッシュは、新手の“オヤジ狩り”?

2011-12-16 | 洋楽
先日、ビーチボーイズの幻の名盤「スマイル」がリリースされ、そのデラックス・バージョンが素晴らしいというお話をしたのですが、今年の冬はこれは序章に過ぎず、なんだかスゴイことになってまいりました。

まずはローリング・ストーンズ。70年代の傑作「サム・ガールズ」がなんと、ビーチボーイズと同じような5CD+1DVD+7インチCDからなるスーパー・デラックス・エディションと2CD(スーパーDXと内容は同じ)のデラックス・エディションでリリース。未発表テイク満載でこりゃ即買いな訳ですが、さらに先般先行公開された「サム・ガールズ」ツアーの映画「サム・ガールズ・ライブ・イン・テキサス78」もDVD+CDで出ちゃってます。大変だ!

「ストーンズは精力的だねぇ」と思いきや、同じ英国のビッグネームでマイ・フェバリット・アーティストのTheWhoも、あの超名作「四重人格」のスーパーデラックス・エディション3CD(Pタウンゼントのデモ・バージョン2CDが目玉)+1DVDオーディオ+7インチCDと2CDデラックス・エディションなんてのをリリースしちゃってて、これまた大変なことです(併せて、新リミックス、新ボートラ入りの紙ジャケも出ます。今回のシリーズ中では「フーズ・ミッシング」なんていうマニアックな貴重盤が初CD化で、これは見て見ぬフリはあまりに苦しい・・・)

「ビートルズ関連は今年はお休みだよね?」と思いきや、ジョージのアンソロジー映画「リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド」が早くもDVD化ですよ。監督があの鬼才マーティン・スコセッシじゃこれだって見ない訳にいかんでしょ、な訳です。さらにさらに、グラム・ファンには涙・涙なのが、アリス・クーパー初期作品の紙ジャケ化です。なんてったって、ギミック・ジャケットの宝庫(例のパンティレコード袋も遂に再現です!)であるアリス・クーパーです。個人的には長年紙ジャケ化を最も望んでいたアーティストですので、これまた見過ごすわけにはいかんと・・・。さらに、スレイドもあの全盛期の名ベスト盤「スレイデスト」のリマスター&拡大版とかが英国盤で出ているし、もうどうにもならない状況な訳でしょ。

この他にも、私は手を出しませんが、ビリー・ジョエルの「ピアノ・マン」2CDレガシー・エディションなんていうものも出るそうな。ここまですべて70年代モノですよ。つまりはレコード会社が企む、若者のCD離れをオヤジで埋め合わせようと言う戦略で、完璧なオヤジの“財布狙い”の姑息な手段な訳です。言ってみれば体の良い“オヤジ狩り”ですよ。狩られたくなければ、買わなければいいのですが、そうはいかないのが長年の洋楽フリークの泣き所な訳で、それも十分知った上で仕組まれたレコード会社の作戦にまんまと乗っからざるを得ない悲しい性なのです(って実はけっこう嬉しかったりするという、複雑な心境であります)。

まぁこうなったら仕方ない、順次今週あたりから当ブログで紹介してやりますよ。まずはストーンズからだな。覚えてろ、音楽界最強のビジネス・パーソン、ミック・ジャガーさんよ!

70年代懐かし洋楽曲22~24

2011-12-11 | 洋楽
季節モノなのでクリスマス・ソングを。80年代はワム「ラスト・クリスマス」、90年代はマライヤ・キャリー「恋人たちのクリスマス」が有名ですが、私的には70年代でないとピンと来ないので、私がおススメする70年代のクリスマスソングを3曲ほど。

22.「ふたりだけのクリスマス/イーグルス」
★YOUTUBE →http://www.youtube.com/watch?v=XeShHAZk3to


これはけっこう有名です。「ホテル・カリフォルニア」で大ブレイクした翌々年の78年、ニューアルバムを心待ちにしてたファンの前に突然登場したのがこのクリスマス・ソングでした。曲は彼らのオリジナルではなく、チャーリー・ブラウンというブルースマン60年の作品だそうで、彼らはこれを3連のロッカ・バラードのアレンジに仕上げています。ビートルズの「オー・ダーリン」をはじめ、三連のロッカ・バラードが大好物の私は特にお気に入りのクリスマス・ソングであります。クリスマス・ソングと言うのはヒットチャートで上位にはいかないものですが、この曲は確か最高位18位。健闘している方です。ジョン・レノンの「ハッピー・クリスマス」なんてチャートインすらしていないのですから。内容は「クリスマスには帰って来てよ」と別れた相手に呼び掛けるけっこうさびしいもので、ドン・ヘンリーのボーカルが実にハマっています。みんな知っている70年代の定番です。


23.「クリスマス・ソング/ギルバート・オサリバン」
★YOUTUBE →http://www.youtube.com/watch?v=G-K9FVDUpns&feature=related


「アローン・アゲイン」のギルバート・オサリバンが74年にリリースしたクリスマス・ソング。そのものズバリのタイトルが潔い!短くコンパクトで、かつメロディも単純明快!曲もまた奇をてらうことなく、いかにものつくり。お決まりの鈴は登場するし、子供たちのコーラスが次第に盛り上げていく、まさにどこを切ってもクリスマス以外にないでしょう、って感じのこれぞハッピーなクリスマス・ソングの典型です。たぶんですが、日本ではシングルは出ていないと記憶しています。ベスト盤に収められていたのではないでしょうか。なので、リアルタイムで聞いたというよりは、周回遅れで知った感じがします。もしかすると、初めて聞いたのは、石田豊アナ司会のNHK-FM日曜18時「リクエスト・アワー」の、「クリスマス・ソング特集」だったかもしれません。知る人ぞ知る、隠れた人気曲です。


24.「ロックンロールで大騒ぎ/エルトン・ジョン」
★YOUTUBE →http://www.youtube.com/watch?v=3uUudJuTXRI


これクリスマス・ソング?そうなんです。原題は「Step Into Christmas」。れっきとしたクリスマス・ソングです。これはエルトンが73年のクリスマスにリリースした、アップ・テンポで最高に楽しいパーティ・ソングです。さすが貫禄の曲作りであります。しかし、このセンスのない邦題はなんだ。当時の洋楽事情ですから、向こうでのリリースから2カ月は時間が必要だったようで、国内発売はなんと年明け。正月明けに「ステップ・イントゥ・クリスマス」もないもんですが、ちょうど「グッドバイ・イエロー・ブリックロード」の大ヒットで日本でも人気が盛り上がり来日も決まったと言う事で、こんな形でリリースされてしまった訳なのです。それにしても、このタイトルはないでしょう。センス悪すぎ。エルトンのダサさに合ってるちゃ合っていますけどね。ただ、繰り返しますが曲は最高。現在クリスマス・シーズンでも、国内ではまず聞きません。もったいなぁ、イイ曲なのに・・・。知る人は少ないけどおススメです。

私の名盤コレクション16~Leon Russellとスワンプ名盤(4)「Eric Clapton/Eric Clapton」

2011-12-10 | 洋楽
◆「Eric Clapton/Eric Clapton」
1. Slunky
2. Bad Boy
3. Lonesome And A Long Way From Home
4. After Midnight
5. Easy Now
6. Blues Power
7. Bottle Of Red Wine
8. Lovin' You Lovin' Me
9. I've Told You For The Last Time
10. Don't Know Why
11. Let It Rain

話はレオン・ラッセルの続きですが、タイトルが毎回レオンのアルバムでは分かりづらいので、シリーズ「Leon Russellとスワンプ名盤」と変えました(1~3も変更しています)。今回で4回目になります。

レオン・ラッセルを中心としたスワンプLAコネクションとの関連におけるエリック・クラプトンの登場です。日本では「エリック・クラプトン・ソロ」としてリリースされて、クリーム→ブラインド・フェイスからデレク&ザ・ドミノスに至る間に位置する“過渡期”的作品として昔からあまり重視されないのですが、実はこれが70年代ポピュラー音楽史は大変な重要作品なのです。

レオンのファーストアルバムの録音に参加したフレンズ一行は、その足で今度はデラニー・ブラムレットにプロデュースを頼んだクラプトンのソロ作の収録に移行します。クラプトンがこの時期になぜソロアルバムを制作しようと思ったのかですが、恐らく彼はデラボニがブラインド・フェイスのツアーに同行したことで急接近中であったデラニーから、彼とフレンズが全面的に協力した同じ英国人ギタリスト、デイブ・メイスンのアルバム「アローン・トゥゲザー」のラフテープを聞かされ、「俺もこれをやりたい」と申し出たのではないかと思うのです。

ですから作品的には、デイブの「アローン・トゥゲザー」とはまさに兄弟関係ともいえるスワンプ・ロックLAコネクションへの英国人的アプローチと言った内容。しかし、後のデレドミのメンバーはじめレオンやリタ・クーリッジ、さらにはボビー・キーズやジム・プライス等フレンズの面々が顔をそろえていながら、デイブだけが不参加と言うのは実に不自然です。二番煎じをするので、あえて声を掛けなかった、あるいは声を掛けないでくれとデラニーに頼んだ、と見るのが正解なのではないかと思います。まさに“確信犯”。

大半の曲はエリックとデラニーの共作で、デラニーによる歌唱指導の下どうも慣れない粘り不足のスワンプ・ボーカルを聞かせています。11曲中9曲までが曲作りにデラボニがからんでいながら、そうではない2曲、エリックとレオンの共作になる6「ブルース・パワー」やJJケールのカバー曲4「アフター・ミッドナイト」の方が、今日に至るクラプトンの重要なライブ・レパートリーになっているというもの実に皮肉な話ではあります。やはり完璧なスワンパーにはなり損ねたのでしょう。スワンプにあこがれてはみたものの、その後は露骨すぎる南部臭には付いていき兼ねたというのが、クラプトンの偽らざる本音なのかもしれません。

ただこのアルバム、リリース後に英国で大絶賛されることになります。いわゆる英国ロッカーのアメリカン・ルーツ・ミュージックへの接近という、新たなアプローチが評価されクラプトンは“元クリームの”という接頭語抜きで語られる大物アーティストしての地位を確立する訳です。では、同じことを半年早く手掛けたハズのデイブ・メイスンはどうなったのか。実は英国でのソロ作のリリースは順序が逆になり、クラプトンがリリースされてからデイブの作品がリリースされ、デイブは“二番煎じ”の汚名を着せられる憂き目に(彼は表だって文句を言うタイプではないので、結局損な役回りだった訳です)。そして彼は、この先も長らく“元トラフィックの”という接頭語付で語られることになるのです。もし英国でのリリース順が、制作順に沿っていたならデイブとクラプトンの立ち位置は入れ替わっていたのかもしれません。デイブの方が、ギターも歌も達者だったですから。

今年クラプトンは、元ブラインド・フェイスのスティーブ・ウインウッドとのツアーで日本にも来ています。なぜ今、短命に終わり彼のキャリアにおいて大きな意味を感じさせないブラインド・フェイスなのか?むしろデラニー・ブラムレットとフレンズの面々との共演(もちろん含デイブ・メイスン)による、現在の彼の本当のルーツを明らかにするツアーこそ残された時間の中で、クリーム再編に続き真っ先にやるべきことのような気がするのですが・・・。クリーム→ブラインド・フェイスと同窓会ライブを見せて来たので、次あたりは本腰入れてデラボニ&フレンズ・ウイズECを見せてくれることを期待して待ちましょう。

この関連、まだまだ続きます。

エアロ来日公演雑感

2011-12-05 | 洋楽
7年ぶり来日を果たしたエアロスミス。東京ドームで見てきました。スティーブンの動きはさすがに歳のせいか小さくなりましたが、ギターのジョー・ペリーとのからみは実に絵になっておりました。いくつになっても、本当にカッコいい2人です。

今回は、何でも解散の危機を乗り越えて新作のレコーディングにこぎつけ、景気づけにオールタイムヒットのツアーに出たと。オールタイムヒットと銘打って彼らが今回好んで取り上げたのは、実は3枚目「Toys In The Attic」('75)4枚目「Rocks」('76)からの曲の数々と、87年の復活以降では一番メガロック的でない「Pump」('89)あたりのナンバーでした。実際、固定曲と日替わりナンバーから構成された来日公演のセットリストを見ると、日替わり部分はこの3枚からのナンバーを中心として構成されていたようです。

一般的に考えるとオールタイムであれば、3曲のヒットを生み復活ののろしを上げた「Permanent Vacation」('87)や大挙5曲のヒットを生みメガヒットを記録した「Get A Grip」('93)あたりからのナンバーが中心となってしかるべきところですが、これらのアルバムはプロの作家のナンバーを中心に構成されていていわゆるウレセン狙い。彼らにとって今となっては「それも自分たちだけど、ちょっと違ったかな」なのかもしれません。実際、メガ路線を排し先のアルバムを中心としたギターリフ重視のナンバーで構成されたステージは実に落ち着きどころも良かった訳で、「なるほど」納得の世界ではありました。

邪推かもしれませんが、メガ路線は「Get A Grip」のあと、「Nine Lives」('97)「Just Push Play」('01)まで続いて下降線を感じたところで休止。悩みぬいたあげくブルース・ロック・カバーアルバム「Honkin'On Bobo」('04)で原点回帰したら、この先どうしたものか分からなくなって、もうかれこれ10年もオリジナルの新作から遠ざかっています。で結論として、やっぱブルース基調のギターリフ系ハード路線こそがエアロであると。なんかその確認作業で新作を制作する合間にツアーに出た、そんな感じではないでしょうか。

これ実は、ジャンルは違いますがブラス・ロックバンドのシカゴも同じ道を辿っています。70年代に一時代を築きその後低迷。AOR路線で大復活して飽きられたところでその路線は休止し、ルーツであるビックバンド・ジャズのカバーをして、そこからどうしたものかと迷路入り。結局初期のオリジナル路線への回帰という解答を得て現在に至る、という系譜を辿っています。バンドって長い時代の中では良い時悪い時があり、悪い時に予想だにしない外の力を借りて思わぬ復活を遂げてしまうと、その後で「我々は何だったのか?」と悩んでしまうのでしょう。そんな時は原点に帰ってじっくり考えれば、答えが出るのかもしれません。

エアロが今回出した答えはたぶん正解でしょう。だから今ツアーでは「Angel」も「Dude」も「Eat The Rich」もなし。アルマゲドンのテーマ「I Don't Want To Miss A Thing」がやけに浮いて聞こえたのは、私だけではないはず。日本向けのサービスだったのでしょうけど、やや場違いかな、と。むしろ、アンコールでスティーブンがハープシコードのような音色のピアノで弾き語った「You See Me Crying~Home Tonight~Dream On」のメドレーはこのツアーの意義を象徴する出色の演奏でした。新作がどんな原点回帰になるのか楽しみではありますが、本ツアーで1曲も披露しなかった(出来なかった?)ところを見ると、だいぶ苦戦を強いられているのではないかと思います。

いずれにしましても、70年代からのファンには間違いなく素晴らしいライブであった来日公演でした。ただ、相変わらず音は悪かった。ドームはもうやめようよ、ウドーさん。

ジャパンカップダート

2011-12-04 | 競馬
ダートの国際G1レースジャパンカップダート。今年も外国馬の参戦はなし。日本のダートがダート王国のアメリカと全く違う砂質であることが最大のネックのようです。世界一賞金が高いドバイW杯も全天候ダートコースであり、せめて今年の勝ち馬ヴィクトワールピサが先週のJCでなくこちらに出てくれば面白かったのに、と思わされ残念です。

前評判は、昨年の覇者でドバイW杯2着の16トランセンドと、一昨年のこのレースの覇者でG1フェブラリーS連覇実積もある6エスポワールシチーの一騎打ちとの様相です。この2頭のワンツーで決まっても何の不思議もないわけですが、そんな馬券を買うほど裕福ではありませんし、かといって黙って見てるのも面白くない。ダート1戦1勝で、鞍上にデムーロを迎えた14ヤマニンキングリー。芝のレースで女王ブエナビスタを破ったこともある基礎能力の高さに賭けてみます。

14から人気2頭への馬連・ワイド9ー14、14ー16。
玉砕覚悟の“見学馬券”です。

幻の「スマイル」を聴く

2011-12-03 | 洋楽


我が家にもやってきた67年ビーチボーイズの幻の名盤「スマイル」デラックス・エディション。聴いてみました。

この作品初めにことわりが必要らしくて、67年に構想され約1年以上もの時間が断続的にレコーディングに費やされたものの、遂に完成をしなかったということ。そして約35年の時を経て、企画者であるブライアン・ウイルソンがようやくその構想を完成させ、02年からツアーで演奏し04年に彼の個人名義で「スマイル」がリリースされます。そして今回のアルバムは、その04年版「スマイル」を66~67年当時の音源で組み上げたものであるということ。これらが本作を聴く前の大前提として知っておくべきことのようです。

具体的には、マッシュアップと言うデジタル加工技術(ビートルズの「LOVE」という作品で一躍有名になった手法です)を使っていろいろな当時の音源の組み合わせによって作り上げられたもので、ボーカル部分の収録に至っていなかったものは、インストナンバーとして収録されています。それにしても、めくるめく万華鏡のようなアレンジの世界であり、この作品にも収録されている66年発表の「グッド・バイブレーション」の世界を発展させて1枚のアルバムにした、あの時代においてはとんでもない作品であるのです。

そもそもブライアンは、ビートルズの「ラバー・ソウル」(ビートルズがアルバム・アーティストとして変貌を遂げた最初の作品)に刺激を受けて、ビーチボーイズの「ペット・サウンド」をリリース(当時アメリカでは酷評、イギリスでは絶賛されました)。今度はビートルズがそれに刺激を受けて「リボルバー」をリリース。ここでは、「トゥモロー・ネバー・ノウズ」のテープ逆回転等の斬新なアイデアが披露されました。そして、ブライアンは、「グッド・バイブレーション」と「スマイル」の制作にとりかかる訳です。大西洋を挟んで、英米の天才ミュージシャンがしのぎを削っていた、そんな状況下「スマイル」は新時代の決定版的作品としてリリースされる“予定”だったのです。

しかし、当時としては前衛と位置付けられた作品の制作姿勢に対する周囲からの猛反発は次第にブライアンをドラッグ依存へと陥れ、作品は遂に完成をみることなく静かに眠らされてしまったのでした。もしあの時に「スマイル」がリリースされていたなら、ビートルズの「サージェント・ペパー」以降は大きく流れが変わっていたかもしれませんし、ビーチ・ボーイズと言うバンド自体の音楽シーンにおける立ち位置も、後世からの評価も変わっていたことでしょう。当時の音源で構成されたこの作品を2011年に改めて聴くことで、そんな思いが確信めいて迫って来るのです。

「グッド・バイブレーション」は本当にすごい曲です。66~67年当時の作品としては、ビートルズの「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」と並ぶ革命的な音楽であると言っていいでしょう。トッド・ラングレンも70年代に自身のアルバムでこの両曲を完全コピー(カバーではなく)していましたから、70年代以降の音楽シーンを作ったアーティストたちに与えた影響は計り知れないのです。本作には未発表コーラスを付け初出のエンディングに改編されたロング・バージョンが収められています。他の収録曲としては、「スマイル」とん挫後に別の形で発表された「英雄と悪漢」「サーフズ・アップ」が特に白眉ですが、アルバム全体を包む当時の理想のアメリカを少々サイケな味付けを加えながら、トータルでひとつの作品として捉えるべき素晴らしいアルバムです。洋楽ファンは「これを聴かずして、60~70年代を語るなかれ」と言った感じでしょうか。

余談ですが、デラックス・エディションはオリジナルのCDサイズBOX入り紙ジャケ2枚組で、このデザインにマッチした仕様が実に愛らしい!米盤は箱の出来がイマイチとのことで、やはり紙ジャケで圧倒的な技術を魅せるメイド・イン・ジャパンでの購入を絶対的におススメします。よほどのビーチボーイズマニア以外は5枚組コレクターズBOXは不要と思いますが、1枚ものCDではあまりに寂しい。CD2にコレクターズBOXのダイジェストを収録したデラックス・エディションを基準盤としておススメします。こんなすごい代物が出てくる時代になったので、次はいよいよザ・フーの幻の1作「ライフ・ハウス」のマッシュアップ版登場を期待して待ちたいところです。