大関暁夫の“ヒマネタ”日記~70年代大好きオヤジのひとりごと

「日本一“熱い街”熊谷発コンサルタント兼実業家の社長日記」でおなじみ大関暁夫が、ビジネスから離れて趣味や昔話を語ります

嗚呼、洋楽生活40年(その10)

2013-04-07 | 洋楽
73年当時のラジオ話の続きです。

当時のラジオライフの中で、何よりエポック・メイキングであったのがラジオ関東(現ラジオ・ニッポン)毎週土曜日夜10時~深夜1時に放送されていた「全米トップ40」です。いまだに当時を思い出して懐かしむサークル的集まりが複数存在するような、洋楽ファンにとっては大変な存在感のある番組でした。

アメリカの雑誌ビルボードの週間チャートを、3時間をかけて40位からカウントダウン形式で1位まで毎週放送するという画期的な番組で、雑誌以外にはリアルタイムの海外からの情報がほとんどなかった当時において、湯川さんの語りも含め最新の洋楽情報が入手できる番組でありました。あちらのラジオ局の放送をそのまま流しながら、日本語解説を加えると言う放送で、アメリカ版のDJはケーシー・ケイサム氏、日本サイドは湯川れい子さんと坂井アナという黄金コンビで72年秋に放送を開始したそうです。

どういう経緯で私がこの番組に出会ったのか、詳細は覚えてはいないのですが、おそらくヒマで長い土曜日の夜にラジカセをあれこれいじっているうちに偶然この番組に出会い、「なんという素晴らしい番組だ!」と感激しつつその虜になっていったというのが、なんとなく記憶しているところであります。恐らく私が聞き始めたのが、73年の春、その後80年の春ぐらいまで、可能な限り土曜日の夜はラジオをオンにしてこの長尺番組に耳を傾けたのです。今の洋楽知識の大半は、この番組から仕入れたものであるような気がします。

聞き始めてとにかく驚いたのは、日本で売れている曲とあちらで売れている曲のあまりの違いでした。特に文化放送の「オールジャパン・ポップ20」でも毎週40位までのチャートを発表していたので、そのチャートとの比較をするとほとんどかぶる曲がないという事実はかなり衝撃的なものでした。もちろん、当時の音楽事情では世界同時発売などない時代ですから、あちらで流行ったモノが2~3カ月遅れで日本で流行ると言うことはごくごく一般的にあったのですが、あちらで売れてもこちらで売れない、あちらではチャートにも入っていないのにこちらではバカ売れしているとか、そんな曲もけっこうあっていろいろ不思議に感じていたものでした。

後から思えば、これらはひとえに当時の日本のレコード会社のラジオ局に対するプッシュの有無によるものであったわけなのですが、そんなことはこれっぽちも知らない中坊には、なぜTレックスがアメリカで売れていないのかが不思議でならなかったのです。何よりこの番組でいち早く洋楽のヒット曲を仕入れたり、日本では流行ることなく終わった曲を知っているのは、どこか人とは違う優越感を感じさせてくれるものでもあり、そんな曲の知識ストックを増やすことがなんとも楽しい作業であったように思います。

実はこの番組とセットで聞いていた番組がもうひとつあります。それはNHK-FM日曜日夕方6時~7時に放送していた「リクエスト・アワー」と言う番組です。石田豊さんという局アナが司会進行を務める何の変哲もない冗談のひとつも言わないお堅い番組でしたが、この番組司会者のいかにもなNHKチックな語りとは裏腹に、ビルボード・チャートの最新ヒット曲をかなりの率で網羅してかけてくれる、しかもしゃべりをイントロにかぶせずフルコーラスで。新譜シングル・エアチェックに最適の番組でした。

日本発売なしの曲もなぜかちゃんとオンエアしてくれたりしていたので、至れり尽くせりの本当に嬉しい番組でした。いつの頃にこの番組の存在を知ったのかは定かではないのですが、土曜日に「全米トップ40」で聞いた新譜は一~二週間遅れぐらいで「リクエスト・アワー」でかかるので、いつしか土曜日に情報を仕入れて日曜日にテープに録るという生活が習慣化して、それはけっこう長い間続いていたように思います。おかげで、私のシングル曲を集めたカセット・テープだけでもかなりの数にのぼったのでした。これが今の私の音楽ストックの原点かもしれません。
(この項続く)

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