た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

無計画な死をめぐる冒険 23

2006年04月16日 | 連続物語
 しかし彼女がオットセイに対して感じる不安ももっともであろう。オットセイが何かに勘付いているのは傍の目にも確かである。そしてそれは彼女の最も勘付かれたくないことに違いないのである。だから事情徴収なんて言い間違いをしてしまうのだ。見よ、膝が震えているではないか! 
 女ラスコーリニコフよ、猜疑心に苦しむがよい。罪がばれるまでがお前の本当の地獄なのだ。
 
 オットセイは手を触れないようにと念を押して帰っていった。彼が心配しなくても、私がちゃんと見張っている。何しろ犠牲者が加害者を見張るわけだから、念入りである。
 しかし玄関の向こうで救急車が走り去る音がしたあとも、美咲は怪しげな挙動を示さなかった。それどころかその場所を動かなかった。ずっと玄関先にたたずんだままである。吊り上がった目だけが落ち着かなくドアや下駄箱を彷徨う。それは生前、私に向かって見せた警戒心に塗り固められたすまし顔と違い、子どものような無邪気さの滲み出た表情であった。
 ぶるっ、と一つ身震いをしたかと思うと、美咲は膝を落としてその場にうずくまってしまった。驚いたことに、目からはまた涙がこぼれている。湯気の立つような涙が次々と溢れ出ている。
 美咲はしゃくり上げながら泣いた。
 弱い女なのだ、結局。美咲は弱い女だったのだ。
 夫を殺害しておきながら、死体のある部屋に入って証拠を隠滅することすらできないのだ。もちろん、当然無論、彼女が犯人と決まったわけではないが、しかしもし彼女が潔白だとすると、彼女はなんで泣いているのだ。説明がつかない。愛する夫が死んだからか。まさか。生前ゴキブリのように私を忌み嫌っていたではないか。ゴキブリは叩き殺せるが、私は叩き殺せない。そこを無理してでも殺したくなったから、ローヤルに毒を混入させたのではないのか。
 妻が泣き崩れているその不細工な顔を見ていると、ふと、二十数年前のある暑い夏祭りの晩のことを思い出した。

(つづく)
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