た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

モグラ

2016年01月12日 | essay

   我が家の庭にモグラが出た。

   庭、と言っても猫の額ほどの狭い庭である。これが数年前までは百坪を超える大きなぶどう畑と地続きであり、こちらは勝手にその敷地全部を「我が庭」のように眺めて悦に入っていたのだった。しかし世は無常であり、我々が引っ越してきた翌年に地主がブドウ栽培を止め、すべての杭を引き抜き、しばらくはそのまま放置していたが、ついに去年、盛り土をしてあっけなくアパートを建ててしまった。それにより我が家の庭は突然塀に囲まれ、その元々の小ささを知らしめるはめになった。それはそれで箱庭のように楽しもうと芝など植えていたのだが、どうやら受難者は地下深くにもいたらしく、ブドウ畑に住まっていたモグラ一族たちがこちらの庭に集団移動してきたのだ。はっきり証拠をつかんだわけではないが、そうに違いない。去年の暮れごろから、庭のあちこちにいたずらのように土がこんもりと盛られ始めたからだ。モグラが掘り出した土をせっせと積み重ねているのだろう。

  それにしても、一応市内の住宅街である。モグラがいる、という事実自体が驚きであり、受ける迷惑を考慮に入れなければ、なかなか痛快な出来事であった。モグラ、とわかったときには思わず声を上げて笑ってしまった(それまでは、同居する義理の母が庭いじりで勝手なことをやっていると憶測していた。母上、ごめんなさい)。いいではないか。面白いではないか。万物を我がもののように蹂躙する昨今の人間の営みだが、その手の届かない地下で、しっかりと息づいている生き物がいる。人間どもが地上に境界線を引き、自分の土地だとか他人の土地だとか言い合っているときに、地下では彼らがそんなことに一向お構いなく、あっちに行ったりこっちに行ったりしてもぐもぐやっているのだ。人間の作った核兵器で地上の生けるものすべてが死に絶えても、モグラはやっぱり地下でもぐもぐやっているのではないか知らん。

   とは言え、いつまでも感心して眺めているわけにはいかない。面白いではないか、では済まない。素人栽培ながらようやく形になり始めた芝を、モグラ一族のゴミ捨て場にされるわけにはいかない。迷っていたが、ついにホームセンターで、モグラがにおいを嫌がるという薬を買ってきた。天然成分だけで、有害物質は入ってないというから安心である。ただ、『モグラ、出ていってクレヨン』という、頼りになるのかならないのかわからないような商品名だから、効果のほどはわからない。人間ってやっぱり我がままだなと思いつつ、庭にいくつかその「クレヨン」を刺しておいた。

   モグラよ、すまんがどこか別の新天地を探して、どうか生き延びてクレヨン。

 

 

 

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