
雪!の天城山 雪の天城山稜を歩いて、有名な天城峠に到着。三島から下田に向かう下田街道の難所として有名ですね。いつの間にか雪がなくきれいな夕日がでています。
日本人の幸福度は低い。
特に若い世代が顕著である。
このことは、本シリーズの「統計の輪郭#01~08」で述べた通りである。
まとめの「#08」で、その統計上の傾向をまとめておいた。
生活上の条件は上位なのに対して15歳の精神的幸福度は調査対象の国々の中でほぼ最下位なのである。
15歳に限らない。国内統計でも若い世代の実態はなかなかシリアスである。

統計からの「幸福」は、もともと行政が行政的な面での社会情勢の把握や、制度や政策の根拠として性格が強いから、尾木直樹さんが、一斉主義により序列化を指摘するし、阿部 彩さんは、格差社会の課題という視点から問題提起していく。
そしてこのシリアスな問題を認知科学や心理学を応用した幸福学ではどう捉えのだろう。
つまり、外的条件や客観的数値だけでは規定しきれない「幸福」を捉えようとする幸福学は、日本の現状をどう捉え、どう対処しようとするのか。
第一人者の前野隆司さんの著作を見てみよう。
前野 隆司『幸せな大人になれますか』小学館
この本はたくさんある前野さん著作の中でも「若い人に、しあわせに行くための方法を伝えたい」ということをテーマにしたものである。
若者への現状認識(データの根拠)はほぼ同じだ。若者の現状観が書かれている。
気になっているのは、日本の子どもや若い世代の自信のなさです。大学院で指導している学生や授業やワークで出会う学生と話すと、それぞれにやる気や活気があり、幸せそうな人も多いと感じます。
しかし、後ほど紹介するように様々な調査やデータを見ると、日本人の子どもの自己肯定感は非常に低く、自信を持てないと言う人の割合が高いのです。
一方で、考えてみれば、日本の中高生の学力は世界でトップクラスです。2020年に発表されたユニセフの「子どもの幸福度調査」によると、「身体的健康(死亡率の低さや、肥満度の子どもの割合の少なさなど)」も、世界で1位。学力もある。健康も優れている。なのに、なぜ自信を持てないのでしょう?
日本青少年教育振興機構が2018年に発表した「高校生の心と体の健康に関する調査」によると、「自分は価値のある人間だと思う」と答えた。高校生の割合は、アメリカは83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%に対して、日本は44.9%。
なんと日本の高校生の半分以上が「自分は価値のない人間だ」と感じているということです。
2014年度の内閣による調査でも、「自分に満足している」と言う若者の比率は、アメリカ、イギリスなどの欧米諸国が軒並み80%台なのに対し、日本では45.8%しかありません。これらも日本人の謙虚さの表れかもしれません。比較調査や国際調査の結果を気にする気にしすぎるべきではないでしょう。
しかし、これほどまでに子どもの自己肯定感が低く、自殺率が高い現状はやはり気になります。
なぜ日本では、大人も子どもも幸せでは無いのでしょうか?
だだし、研究者はこんな指摘もする。
(世界幸福度報告書)について、
こうしたアンケート調査の際、日本を始めとするアジアの人々は、真ん中の5点付近に点数をつける人が多くなります。一方、欧米では8点付近に点数をつける人が多いことが知られています。特に日本人の答えには謙虚な性格が出ていると考えることもできますから、単純に国際比較できない面もあるでしょう。
また、アンケートの質問も、聞き方や訳し方によってニュアンスが違ってくることもあります。
日本人の幸福度や満足度が低い理由の1つに、控えめで謙虚な文化があると考えられます。
年代が上の男性は特にその傾向が見られますが、「嬉しい」「楽しい」といった感情をストレートに表現することは多くありません。相撲などの伝統的なスポーツでは、勝ったときにガッツポーズをしたら怒られます。
多分武士の時代の「謙遜するのが美徳」「大げさに喜ぶのははしたない」といった価値観が残っているのだと思いますが、私が考えるに、江戸時代の日本人は現代の私たちより、もっと自信を持っていたのではないでしょうか。現代の日本人のように自信をなくした上に控えめで謙虚だと、幸福度はどんどん下がってしまいます。
確かに、はつらつと「幸せ!」と表明しないし、そう感じるシチュエーションでも「幸せ」を手放しで感じることへの警戒感がある。
そして、前野さんは、そのことが行きすぎていることを指摘する。
考えてみれば、現代の日本人は微妙な立ち位置にいると思うのです。
もともと日本には、自己主張は控えめで、周りとの調和を大事にする集団主義的な文化がありました。しかし、第二次大戦後に欧米式の個人主義的な教育や文化を取り入れたため、集団主義的でありながら、個人主義的でもあるという複雑な社会になっています。
例えば「自己主張するべきだ」といわれる一方で、「周囲の多くの人に合わせて行動するべきだ」と言う同調圧力も同居していると言うように。
大人たちも、そうした板挟みの中で「俺だって我慢しているんだから、お前も我慢しろ」とばかりに足の引っ張り合いをしているため、意思決定が遅く、なかなか古い壁を壊すことができません。その結果、日本は世界の新しい動きについていけなくなって、生産性も低くなり、すっかり自信をなくしてしまっていると考えられます。
大人がこんな状況なら、若者の若者らしいはつらつさは表出しにくい状況があることは想像できる。
そして、これらを踏まえたうえで、前野さんは若い人たちに幸福の獲得についてつぎのように述べています。
「幸せなんて、漠然としすぎている」と感じる人もいるかもしれませんね。
それに、人によって幸せも違います。毎日サッカーができるのが幸せと感じる人もいれば、アニメのフィギュアに囲まれていることこそ、幸せという人もいるでしょう。
ただし、幸せの形は人それぞれでも、人間の脳には、幸せを感じるための基本的なメカニズムが存在するのではないか、と考えるのが幸福学です。
こうした脳の傾向や性質、つまり人が幸せを感じる基本的なメカニズムを知ることによって、幸せの形は多様でも、それぞれの人が幸せと感じる人生へ近づくことができるのです。このように現代の知見を結集して、人が幸福に生きるとは、どういうことかを科学的に実証していくのが幸福学です。
私が本書を書くことにしたのは、そんなふうに考えているかもしれない若い人に、幸せに生きていくための方法を伝えたいと思ったからです。
そして、心からこう言いたいのです。
大丈夫。そのままがあなたで大丈夫です。皆、それぞれ素晴らしい個性とポテンシャル(潜在能力や将来の可能性)を秘めています。
世界中で研究されている「科学的に幸福になる方法」を知り、あなたが心から「幸せになる」と思ったら、今は眠っているポテンシャルが発揮され、幸せな人生を歩むことができるのです。
その手助けをするのが幸福学です。
幸福学はどう日本の若い人(私たちも)を励ますのだろう。
日本人の幸福度は低い。
特に若い世代が顕著である。
このことは、本シリーズの「統計の輪郭#01~08」で述べた通りである。
まとめの「#08」で、その統計上の傾向をまとめておいた。
生活上の条件は上位なのに対して15歳の精神的幸福度は調査対象の国々の中でほぼ最下位なのである。
15歳に限らない。国内統計でも若い世代の実態はなかなかシリアスである。

統計からの「幸福」は、もともと行政が行政的な面での社会情勢の把握や、制度や政策の根拠として性格が強いから、尾木直樹さんが、一斉主義により序列化を指摘するし、阿部 彩さんは、格差社会の課題という視点から問題提起していく。
そしてこのシリアスな問題を認知科学や心理学を応用した幸福学ではどう捉えのだろう。
つまり、外的条件や客観的数値だけでは規定しきれない「幸福」を捉えようとする幸福学は、日本の現状をどう捉え、どう対処しようとするのか。
第一人者の前野隆司さんの著作を見てみよう。
前野 隆司『幸せな大人になれますか』小学館
この本はたくさんある前野さん著作の中でも「若い人に、しあわせに行くための方法を伝えたい」ということをテーマにしたものである。
若者への現状認識(データの根拠)はほぼ同じだ。若者の現状観が書かれている。
気になっているのは、日本の子どもや若い世代の自信のなさです。大学院で指導している学生や授業やワークで出会う学生と話すと、それぞれにやる気や活気があり、幸せそうな人も多いと感じます。
しかし、後ほど紹介するように様々な調査やデータを見ると、日本人の子どもの自己肯定感は非常に低く、自信を持てないと言う人の割合が高いのです。
一方で、考えてみれば、日本の中高生の学力は世界でトップクラスです。2020年に発表されたユニセフの「子どもの幸福度調査」によると、「身体的健康(死亡率の低さや、肥満度の子どもの割合の少なさなど)」も、世界で1位。学力もある。健康も優れている。なのに、なぜ自信を持てないのでしょう?
日本青少年教育振興機構が2018年に発表した「高校生の心と体の健康に関する調査」によると、「自分は価値のある人間だと思う」と答えた。高校生の割合は、アメリカは83.8%、中国は80.2%、韓国は83.7%に対して、日本は44.9%。
なんと日本の高校生の半分以上が「自分は価値のない人間だ」と感じているということです。
2014年度の内閣による調査でも、「自分に満足している」と言う若者の比率は、アメリカ、イギリスなどの欧米諸国が軒並み80%台なのに対し、日本では45.8%しかありません。これらも日本人の謙虚さの表れかもしれません。比較調査や国際調査の結果を気にする気にしすぎるべきではないでしょう。
しかし、これほどまでに子どもの自己肯定感が低く、自殺率が高い現状はやはり気になります。
なぜ日本では、大人も子どもも幸せでは無いのでしょうか?
だだし、研究者はこんな指摘もする。
(世界幸福度報告書)について、
こうしたアンケート調査の際、日本を始めとするアジアの人々は、真ん中の5点付近に点数をつける人が多くなります。一方、欧米では8点付近に点数をつける人が多いことが知られています。特に日本人の答えには謙虚な性格が出ていると考えることもできますから、単純に国際比較できない面もあるでしょう。
また、アンケートの質問も、聞き方や訳し方によってニュアンスが違ってくることもあります。
日本人の幸福度や満足度が低い理由の1つに、控えめで謙虚な文化があると考えられます。
年代が上の男性は特にその傾向が見られますが、「嬉しい」「楽しい」といった感情をストレートに表現することは多くありません。相撲などの伝統的なスポーツでは、勝ったときにガッツポーズをしたら怒られます。
多分武士の時代の「謙遜するのが美徳」「大げさに喜ぶのははしたない」といった価値観が残っているのだと思いますが、私が考えるに、江戸時代の日本人は現代の私たちより、もっと自信を持っていたのではないでしょうか。現代の日本人のように自信をなくした上に控えめで謙虚だと、幸福度はどんどん下がってしまいます。
確かに、はつらつと「幸せ!」と表明しないし、そう感じるシチュエーションでも「幸せ」を手放しで感じることへの警戒感がある。
そして、前野さんは、そのことが行きすぎていることを指摘する。
考えてみれば、現代の日本人は微妙な立ち位置にいると思うのです。
もともと日本には、自己主張は控えめで、周りとの調和を大事にする集団主義的な文化がありました。しかし、第二次大戦後に欧米式の個人主義的な教育や文化を取り入れたため、集団主義的でありながら、個人主義的でもあるという複雑な社会になっています。
例えば「自己主張するべきだ」といわれる一方で、「周囲の多くの人に合わせて行動するべきだ」と言う同調圧力も同居していると言うように。
大人たちも、そうした板挟みの中で「俺だって我慢しているんだから、お前も我慢しろ」とばかりに足の引っ張り合いをしているため、意思決定が遅く、なかなか古い壁を壊すことができません。その結果、日本は世界の新しい動きについていけなくなって、生産性も低くなり、すっかり自信をなくしてしまっていると考えられます。
大人がこんな状況なら、若者の若者らしいはつらつさは表出しにくい状況があることは想像できる。
そして、これらを踏まえたうえで、前野さんは若い人たちに幸福の獲得についてつぎのように述べています。
「幸せなんて、漠然としすぎている」と感じる人もいるかもしれませんね。
それに、人によって幸せも違います。毎日サッカーができるのが幸せと感じる人もいれば、アニメのフィギュアに囲まれていることこそ、幸せという人もいるでしょう。
ただし、幸せの形は人それぞれでも、人間の脳には、幸せを感じるための基本的なメカニズムが存在するのではないか、と考えるのが幸福学です。
こうした脳の傾向や性質、つまり人が幸せを感じる基本的なメカニズムを知ることによって、幸せの形は多様でも、それぞれの人が幸せと感じる人生へ近づくことができるのです。このように現代の知見を結集して、人が幸福に生きるとは、どういうことかを科学的に実証していくのが幸福学です。
私が本書を書くことにしたのは、そんなふうに考えているかもしれない若い人に、幸せに生きていくための方法を伝えたいと思ったからです。
そして、心からこう言いたいのです。
大丈夫。そのままがあなたで大丈夫です。皆、それぞれ素晴らしい個性とポテンシャル(潜在能力や将来の可能性)を秘めています。
世界中で研究されている「科学的に幸福になる方法」を知り、あなたが心から「幸せになる」と思ったら、今は眠っているポテンシャルが発揮され、幸せな人生を歩むことができるのです。
その手助けをするのが幸福学です。
幸福学はどう日本の若い人(私たちも)を励ますのだろう。