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諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

260 幸福をどうするか #12 幸福学のニュアンス2

2025年02月16日 | 幸福をどうするか
雪!の天城山 八丁池近くの展望台から、雲も開けて南陵側が冬の北八ケ岳のよう

余談だが、雑誌『Tarzan』(マガジンハウス)のテーマは、
”快適なんてかんたんだ”
である。言ってくれるねぇ、と思うこの宣言は端的にいって、
プッシュアップ(腕立て伏せ)・ストレッチ・有酸素運動
を推奨することである。
同じように幸福学も端的である。”幸福なんてかんたんだ”と言わんばかりに、
人と交わり(social) ・親切(kind) ・ここにいること(present)、
を推奨する。
この平明さ幸福学の可能性なのである。
しかし、腕立て伏せでも、腕の置く位置や向き、回数や曲げ伸ばしの速さによって刺激の質はや筋肉の部位が変わってくるように幸福学の各論にもそれぞれの深みがある。
こんなトレーニングのように幸福は実現しうるのか。

テキスト、

「幸せ」について知っておきたい5つのこと
NHK「幸福学」白熱教室 
中経出版 2014年


を続ける。
「Key to Happiness」と名付けられたキーワードを補完する学生との対話部分、今回はその第4章と第5章を取り上げる。
今回も読みごたえのある部分が多く引用が長くなります。


第4章 01逆境や挫折を「受け入れる」効果

まずは逆境に耐え、「受け入れる」ことを学びましょう。嫌な感情をごまかしたりせず、向き合ってみてください。不愉快なことを思い出しても気を紛らわすそうとせず、その状況を受け止めてみましょう。
アルコールなどで紛らわせるのは、良くありません。1分、2分、5分向かい合ってください。いつ自分が耐えられなくなって、その感情に屈服してしまうか、確かめてみるのです。
多分不快でも、それが「逆境」をコントロールできるようになる始まりです。ジムで筋肉を鍛えるように、ネガティブな感情と向き合えるしなやかな回復力を鍛えられるかどうか、確かめてみてください。そうした後で、次は感情面から楽観主義や幸福感を高めていきます。

挫折や逆境。これらは人にとって辛いことですが、これを乗り越えるためには、この挫折、辛さと言うものをもう1つ上から捉え、自分がどうして挫折と感じているかをじっくりと解釈するのが大切だと思います。
これを認知科学では「メタ認知」といいます。つらいと思っている自分を客観的に見る働きです。


第4章 02快適さの追求は、刹那的な喜びしかもたらさない

「不快さ」は、自分の内側にある何かを感じることです。ほとんどの場合、彼らは顔をしかめ、背中を丸めた姿勢で、体のどこかをつかみ、眉を寄せています。これは科学的な研究ではなく、単なる事例です。しかし、どうやら人は不快感を「自分のうちにあるもの」と考えているようです。そう、「不快さ」とは、自分の主観的なものなのです。
ところが「不快」の対極にある「快適」、つまり「便利さ」「柔らかさ」「触り心地」はどれも私たちの体の外にあります。この対照的な違いには、多くの人が納得できると思います。快適さは自分の外、不快は自分の中。不快とは、体の中に感じるものです。
例えば、筋肉痛や腹痛、心の不安もそうです。そう考えると、不快感はある種の毒のようなもの。ならばどうにかして「解毒」しなければなりません。

ドイツの哲学者。ヘーゲルも「快適さ」について言葉を残しています。
「もし不快が内あり、快適さが外にあるなら、その快適さには際限がない」

逆境をどう乗り越えるか。そのために人類がとってきたのは、「不快感」を「快感」で打ち消すと言う手段だったとディーナー博士は言います。逆境と向き合うのではなく、無理に忘れようとしたり、他の気分でごまかそうとしたりする。誰もがそのようにしがちです。


第4章 03 悲しいことが起きたら、悲しむ。しかし、その中で起きる「幸せ」は逃さない

ディーナー博士は講義の初めに「逆境」「挫折」とは、自分が心に抱く「不快感」のことだと言いました。そして、それと向き合い、受け入れることが「不快感」を小さくし、「幸せ」への近道だと語りました。つまり自分を不幸にしそうな「不快感」を上手に扱うことで、「幸せ」をもたらすことができると言うのです。

例えば、1杯のコップに半分のジュースが入っているのを見た時、「半分しかない」と悲観的に捉えるか、「まだ半分もある」と楽観的に捉えるかで幸福度は変わってきます。
もし何か辛いことが起きたとしても、「それは長く続くものではないし、頻繁に起きることでもない。また、自分だけに起きることでもない」と楽観的に自分に説明してみます。
出来事の捉え方を再構築することで、心の変化を促すことができるといいます。これはスポーツの練習のようにトレーニングを繰り返すことで向上していきます。


第5章 02高齢者の人生満足度の秘訣は、長い人生経験から培った物事に対する「受容性」

内閣府が発表した年齢による幸福度の推移データがあります。講義にあったように、アメリカ人は、年をとるにつれて幸福度が上昇していきます。それに対して日本人は回復を見せることなく、低いまま高齢を迎えます。
これは一体どういうことでしょうか。こちらは60歳以上の男女を対象にした内閣府による《高齢者の生活と意識に関する国際比較》のデータです。「別居している子どもと週一回以上会う」という項目では、日本人はおよそ2人に1人の割合にとどまります。一方、アメリカやスウェーデンは、およそ8割と言う高い数字です。
「相談、あるいは世話をし合う親しい友人がいる」「電話で家族や友人などと連絡を取る」などの項目でも低い結果が出ました。さらに「近所の人たちと病気の時に助け合う」と言う質問では、他の国の半分以下です。日本の高齢者は、人との結びつきが薄いことが明らかになっています。
孤独死や、地域と接点を持たない独居老人など、高齢化社会の問題が浮き彫りになっています。日本では、人間関係の希薄者が幸福度と下げていたのです。



第5章 03後悔からの人生の「幸せ」を逆算してみる

オーストラリアのホスピスで働く看護師が、余命数週間の患者に、こう問いかけました。
「人生で一番後悔していることは何ですか?」
人生を終えようとしている人々にこう聞けるのは滅多にない機会です。あなた自身も考えてみてください。もし余命2週間だとしたら、何を一番後悔すると思いますか?死を迎える人たちが、最期に人生を振り返った貴重な証言集です。オーストラリアで看護師をしていたブロニー・ウェアが、2011年に発表しました。
多かった答えは次の5つです。
「人の期待に応える人生ではなく、自分に正直に生きる勇気が欲しかった」
こう答えた人たちは、自分の目標や夢を諦めて、人のために生きてきたと思っています。責任や義務を負うことはもちろん大切です。バランスが取れればよかったのですが、この人たちは自分の夢を犠牲にしすぎたと思っているようです。
2番目の答えは私のお気に入りです。
「あんなに働かなければよかった」
まさにこれをみんなに教えたいのです。働きすぎるな。気を楽に持て。サーフィンにでもスキーにでも行け。本を読め。休みを取れ。徹夜で期末試験の勉強なんてするな。
誰でも死の間際になって、「ああ期末試験のとき、もっと勉強すればよかった」とか、「もっと早く会社に行って仕事すればよかった」「週末も夜も働けばよかった」なんて思う人間はいません。
仕事は大事です。人生に意義も与えてくれるし、生活の糧も与えてくれます。しかし時に、本当に大切なものを見失わせます。それが他の答えに出ています。
次は、「勇気を出して自分の気持ちを伝えればよかった」
切ないですね。こう答えた人たちは、人とつながりたい、本当の自分をさらけ出したいと思いながら怖くてそうできなかった。
親しいから言わなくてもわかるだろうと思ってしまったり、適に言葉足らずだったりして、はっきりと伝えることができなかった。彼らはそれを最後の最後に後悔している。
これはみんなにとって貴重な教訓です。難しい話も、愛のある話もためらわないで話してください。今すぐ気持ちを伝えるのです。
4番目は「友だちとつき合い続ければよかった」。これまでも話した通り、幸福に秘訣があるとすれば、それは「社会との結びつき」。大切な鍵です。
最後は「自分が幸せになるのを許せばよかった」
これについては、皆さん自分で考えてみてください。皆さんの心は、どのくらい自分の幸せを制限しているでしょうか。もし、これから自分自身を解き放って自由になったら、あなたは幸せになるでしょうか?人生が少しは変わって、もうちょっと人生の意義を感じ、ポジティブになれるでしょうか?


第5章 0 4人間の幸せは、周囲の人たちに伝染する力を持っている

最期の引用は、幸福心理学会のインディー・ジョーンズといわれるディーナー博士ならではエピソードである。

ある話をしてみましょう。舞台は、私が重点的に幸福に関する調査を行っている場所、インドのコルカタです。
私は長い間、海外の人々がどうやって幸福になったり、どのような考え方をしたりしているのかに興味を持ってきました。特に強く引かれたのが、貧しい人々です。
そこで10年ほど前、コルカタにあるスラムを訪れました。もう想像がつくでしょう。
ここは決して快適な場所ではありません。衛生面はひどいし、人が多すぎて、上下水道も足りない。もちろん水洗トイレなどありません。住みたい場所ではないでしょう。
特に問題なのは、スラムの敷地内にある生ごみと汚物が浮かんだ澱んだ池です。水洗トイレがないので、用を足したくなったらこの池まで行って人けがないところで済ませるしかないのです。
ところが私は、まさにこの悲惨なスラムで人生最良の瞬間を体験したのです。
私はここで10歳の少女、プータールと出会いました。スラムで調査していたときに知り合ったのです。私は彼女に「大人になったら何になりたい?」と聞きました。
もちろん、彼女の選択肢は非常に限られています。プータールは「看護師になりた」と答えました。「看護師になるための君の長所は?」と聞くと、子どもらしい答えが返ってきました。
「私、足が速いの」
素情らしい。たくさんの患者の体温を測るとき、素早く走って回れそうです。
ところで、私は子どもと競争して負かすのが大好きです。「僕より速いと思う?」と聞きました。するとブータールは「うん、絶対速いよ」と言います。
そこで「一番遠いタクシーのところまで競争しょう」と提案しました。私は特に後足ではないけど、ちょっとした距離なら勝てるだろうと踏んだのです。
「じゃあ、あのタクシーまで」と言うと、プータールは「いいよ」と答えました。
2人並んで、「位置について、用意、スタート!」。横を見ると、プータールがいない。出
煙だけ。
言っておきますが、あの子は本当に速かった。
ゴールしたプータールは振り向いて「やった!」と叫んでいます。それはもう幸せそのものでした。
私を難なくやっつけた彼女は、そのまま両親の元に駆け寄り、両親は誇らしげに娘を抱きしめました。
スラム中から拍手と歓声が沸き起こり、見物人もタクシーの運転手も乗客もみんながプータールをたたえました。あたりに幸福感が満ちあふれ、私まで幸せでした。小さな少女に負けたのに、最高に気分がよかったのです。
ここに人々、特に子どもの環境について学ぶべき重要な教訓があります。プータールのような子どもの生活を外から観察して、「経済的・社会的・政治的に、問題が多すぎる」というのは簡単です。
確かに事実だし、生活状況を改善するよう努力していかなければなりません。ですが彼女が幸せになれない、毎日を楽しんでいないと決めつけるのは大きな間違いです。
このことは大切なことを教えています。「幸福の力」です。
今起きたことを考えてみてください。私は心の中にある幸せの井戸から、地球の反対側で体験した10年以上前の話を取り出して、あの日と同じ感情を再び味わいました。
今でもあのときの幸福感を呼び起こすことができます。
今、私は皆さんと幸福を共有し、集合的な幸福感を増すことができたと思います。
ほとんどの人が私の昔話から小さな心の高まりを感じたのではないでしょうか。幸福には社会的なネットワークを通じて広がっていく力があるということです。幸福は伝染するのです。



このNHKが2014年に放送したテレビ番組「幸福学」白熱教室の書籍版の帯には、

「幸せとは技術である」

とある。
「技術」とは言えない面もあるが、『Tarzan』ばりのこの宣言?は、「幸福」の主観性の部分(気持ちのもちよう)を埋める可能性がある。
次回は本テキストも解説をされている日本の第一人者前野隆司さんの近著から日本に落とし込んだ「幸福学」を学びたい。



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