諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

231 保育の歩(ほ)#23 K夫と生きること

2024年05月26日 | 保育の歩
北アルプスの花畑  翌日目指す予定の雪倉岳 有名な白馬岳の隣で控え目に見えます

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

なお、文章そのものの中に津守さんの保育者としての視点や、微妙な感じ取り方が物語られており、自然に長い引用になる。

第2章 普通の日々 子どもの思いを追って ―保育者3・4年目— から

《K夫と生きること》
Aある日、K夫は、私のわきを通り過ぎて、実習生と一緒に、職員室に通じるドアのノブに手をかけた。その実習生は、ドアをあけて、K夫と一緒に廊下の方に出ていった。
自分のまわりに、自由と静けさと親しみの空間を作りたい。
この場面で、私は、子どもがドアのノブに手をかけたことをたしかに知ることができる。これだけでは、単に外的行動の観察にとどまるのだが、さらに加えて、私は、この子はドアの向こう側にゆきたいと思っていることが分かる。外的行動と内的世界とはあわせて一つの行為である。だが、私はそこまでしか言う資格はないのだろうか。
これまで、私はK夫とのつきあいも多く、ドアから廊下に出て、階段をのぼり、二階の廊下を通り抜け、反対側のドアから庭に出て学校を一回りすることを何度も繰り返したことがある。このような体験から、この子にとって、薄暗い廊下を抜けてもとの場所にもどることは、学校の生活に習熟するのに精神的な支えになっているのだろうと考えてきた。それだから、いま、ドアのノブに手をかけて廊下に出ようとする子どもの行為に、とくべつな意味を見ることができる。この場合、その体験を思い起こすことは、この行為の理解を助けている。
この日、保育のあと、話し合いのときに、その実習生は、K夫の一日の生活を追って、くわしく話してくれた。
ドアをあけて廊下に出たあと、階段から二階へと通り抜けるのを何度も繰り返したこと、実習生の腕の中にくるまるようにして抱かれたこと、モップをふりまわして追いかけてよろこんだことなど、その実習生と一日中一緒に過ごした話は次つぎとつづいた。保育のあとの話は、行動の羅列と思えるほどに、具体的なことがつづくのだが、私は、こうして語られる一連の行為に子どもの世界があるのだと思う。その中の一つの行為だけにとどまるのでなく、一日を通してつづいてゆくその行為の全体が子どもの世界だと言ってよい。
少しだけ説明を補足する。最初は、K夫は私のわきを通りすぎて、実習生と一緒にドアの方に向かった。いつもだったら、私に声をかけたり、私の手を引くことも多いのである。そして、私が予想したように、階段から二階へと通り抜けた。このことは、かなり以前に何度もやっていたが、最近はほとんどしていなかった。また、腕の中にくるまるように抱かれたり、モップで追いかけたりすることも、ずっと以前によくやっていた行為である。いまは、
ある時間をしっかりと相手をすると、自分で遊びを見つけることが多くなっている。つまり、この日のようなことは久しぶりである。

また、K夫は、私に対するのと、女の実習生に対するのと振る舞い方を変えている。このことは、他の人に対しても同様であって、この子どもは相手に対して気を使い、相手に合わせて行為する。女の先生の「ああ疲れた」という一言で、トランポリンからさっと降りたりもする。
この日に、実習生をつかまえて、ふだんより幼い仕方で一日を過ごしたのには、それなりの意味があったのだと思う。積極的で活発な日がつづいた後、もっと幼かった日にもどりたいと思ったのだろう。


K夫は相手に気を使い、人によって応対の仕方を変える。気を使うというのは、相手がどういう状態にあるかを認識し、それを肯定し、尊重して自分の行動を決めることである。相手を傷つけまいとして自分を抑制することである。気を使いすぎると、自分を十分に出せなくなる。これは愛の問題であるが、ある限界をこすと、自分自身の真実を表現しないことにもなる。
この実習生が語ってくれたこの日の子どもの一連の行為に、この子どもの世界はあらわれている。つまり、保育者は、子どもの一連の行為をともに過ごすことにより、子どもの世界をともに生きている。あとになって話をするときに、大人の意識に残るのは、行為の結果として記憶にとどまりやすい部分である。子どもがドアのノプに手をかけるところは、意識にとどまりやすい部分であるが、その以前に、私の傍を通りすぎて歩いてゆくところで、すでに、より幼い時期の行動様式にもどろうとする心が彼の心に動いていたと言ってよいであろう。その部分は、あとの話し合いのときには省略されてしまう。だが、保育の実践の最中に重要なのは、その部分を子どもとともに過ごすことだろう。そのときに、未来の展開はまだ分かっていない。この実習生は、この一日を過ごすのに、未来は未知のままに、子どもの世界をともに生きることによって、ここに叙述したような行為が、結果として生まれたのである。
こう考えると、保育の実践は、まだ形にならない子どもの世界をともに生きることだといってよいだろう。
後になってふりかえるとき、そのある部分が意味を与えられて、大人の意識の中に位置づけられる。



《見出し写真の補足》
見上げるとアルプスの稜線が見えてきて、足元には高地のあやめが時期ズレで咲いています。


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230 保育の歩(ほ)#22 見上げる先

2024年05月19日 | 保育の歩
北アルプスの花畑   沢は雪渓から流れでてきいて、橋は冬は雪崩れにも耐える堅固な鉄製です。

保育について、今度はその実際の現場から学ぶ。テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

第1章 保育の中に身を置いて ―保育者の最初の2年— から

《V夫 滑り台 プロペラ》
十月のある日、V夫は登校すると私と手をつないだ。庭に歩いて行き、庭の片隅でうずくまり、うーと低くうなるような声を出していた。私は何かすることがありそうに思いながら、一緒にじっとしていた。V夫が三輪車に関心をもっているのが分かったので、それを近寄せた。V夫は自分の手で車輪をいじりはじめた。そうするうちに彼の心が解放されて、上方に向かうゆとりができたのだろう。急に滑り台の下から上を見上げて登ろうとした。私はお尻を支えて上がった。V夫はしっかりと手すりにつかまって上がる。上までゆき、滑り下りようとしたが一人ではこわいらしく、私の身体の向きをあちこちにかえて、どうやったら私にうまくつかまって滑れるかを試みた。私は先に滑り、V夫は私の首にしっかりつかまってゆっくり滑り下りた。それを十数回も繰り返した。終わり頃には、もう私の首につかまらないで、足の先が私の背中に触れるだけでよかった。手には登園したときから持っていた小さなプロペラをしっかりと握っていた。何度目か上がったときに、そのブロベラを滑り台の上から下に放り投げた。
彼は手を放すのにも、意志的に強く放すのである。
プロベラはドライエリアの溝の中に落ちた。自分では取りにいかれない遥か下の空間である。するとV夫はウーとうなって動かなくなった。私が下からそれを取ってくるとまた動きはじめた。この日の午後、ミニカーや電車を他の子が持っていっても怒らなかった。


《このことについて》
この場面で子どもは自発的に動きはじめた。そこにあらわれた結果としての行動は小さなものだが、この保育の過程の中にこの子ども自身の成長の姿があらわれている。子どもが低い声でうなっているときには、目は下を向いている。おそらく子どもは何に手を出して良いかも分からず、閉じ込められた空間の中にいて、目を上に向ける余裕もなかったのだろう。三輪車の車輪を回しているうちに―この子は回るものが好きである―子どもの心は解放されて上方に目を向ける余裕ができた。子どもは外に向かって広がりゆく空間があることに気がついた。
子どもが滑り台を下から上に登ることに関心を示したとき、上方の空間を発見し、未来の時間を希望をもってみるようになったといえよう。
人間の空間は身体と深く関係している。前、後、上、下、左、右は、直立した身体を基準にしている。そのことは時間とも関係するし、人の感情とも関連する。前進する方向は未来を指し示し、前の上は、希望の感情を伴う。
前の下は墜落する淵であり、前進に伴う不安である。後は自分が歩んできた道であり、過去のさまざまな感情を伴っている。

赤ん坊はいつ上を仰ぎ見るようになるだろうか。子どもが寝ている状態からひざまづいて、そして立ち上がるようになったとき、子どもは自分の体を基準にして上と下の空間を分化して認識する。赤ん坊が立ち上がった時に、自分の頭のあるほうが上で、しりもちをついて倒れる方向が下である。これは体の動きと一緒にできあがる上下である。歩いては転び転んでは立ち上がるときに、子どもは一生懸命に上と下を勉強している。そして二歳くらいになると、すっかりそれは自分の身についたものになる。
二歳くらいになると、子どもは滑り台の下から上に登ろうと思う。そう思うときには登る前から子どもには上方空間が観念の中にできている。「うえ」「した」という言葉はまだ意味をなさなくとも、上に登ろうと思う気持ちは明瞭で、子どもの中には身体の水準で上下のイメージができている。三、四歳になると、限られた平面で上下の空間のイメージが生じる。子どもは画用紙の縁を基準にして上と下を認識するようになる。上に太陽を描き、下方には地面を描き、その中間に人間を描く。明らかに視覚の面で、上と下とその中間が子どもに認識されたことが分かる

子どもは小さなミニアチャーへままごと、人形、小さな自動車など)で遊ぶとき、大きな世界を想像し思考してし)いる。ミニアチャーの世界は単に幾何学的縮小の再現ではない。その小さな空間の中に大きな世界がある。保育者は子どもと一緒にその世界で動く。

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229 保育の歩(ほ)#21 保育の記述

2024年05月12日 | 保育の歩
北アルプスの花畑 歩き始めて30分、雪解け水を集めたような湿原に出ていきなり秘境の趣。

保育について、現場の実際から学びます。
テキストは、
津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

すでに述べたように、著名な心理学者の津守真さんがいち保育者として愛育養護学校の現場に立った12年間の事々をまとめた本である。

保育の本質的な意味は学校教育などの意図した教育に先立つといってもいいだろう。
実際、保育実践の中には、人とは何か、人が人と出会い、交わることとはどういうことかについての洞察があり、また子どもにとって保育者とは何か、子どもの認識や自我の形成と、保育者が子どもとかかわることについても絶えず問われることだろう。
そして、こうした知見は、つい先を急いでしまう今日の教育ありよう全体にとっても重要な一視点に違いない。
つまり保育の中には人間の成長にとってなくてはならないものがあるに違いない。
保育者の地平から津守さんは、どのように子ども捉え、解釈し、働きかけ、その変容を子どもの成長の中にどう位置づけて行ったのだろう。

第1章 保育の中に身を置いて ―保育者の最初の2年— から
《一日の流れと記述》

一日の流れを分解して次に記してみよう。具体的記述は読者には願わしいだろうが、そこで子どもが示している行為のひとつひとつが、これから長期にわたりそれぞれの子どものテーマになって展開することになる。

①全体をみて私がどこにいくのかの配慮。
I夫、朝、登校すると、庭の真ん中をまっすぐに歩いて端まで行き、木の上を眺めていた。後ろ向きに少し歩いたが、また前を向いてすたすたと庭の真ん中を歩いてもどった。
H夫一家が弟たちを連れてきた。砂場で遊びはじめた。最初、私はこの日もH夫とつきあおうと思っていた。砂場でも母と弟たちは砂をやり、H夫はひとりはずれて本を見ていた。ここは母親にまかせておくほうがよいように思えたので、私は保育者のいないところにいった。

②単純な行動をも意味あるものとして見る。
H夫の弟たちは母に本を読んでもらい、H夫は絵本の好きなところを開いて、とびはねていた。H夫は絵本を見ていないように見えるが、関心をもっていることを体中で表現しているように思えた。

③どの子も自分の思うことをしている。それが調和をつくっている。
1先生がT夫を抱いて中二階へゆく。私は別の子どもに頼まれてその子を抱いていた。
そんなことをしている間にT夫が私の手を引き、庭で私をブランコに座らせて、ひざに乗った。

④滑り台を一緒に楽しむ。
工夫は滑り台の階段を上ってゆき、はじめ自分が先に滑り、私がついて滑るのを確かめていた。それから私を先に滑らせ、私の背中にもたれて滑った。滑り下りたところでしばらくじっとしていると、H夫はその回りでとびはね、私の手を引いて形び階段を上り滑り台を滑った。それを何度も繰り返した。私も一緒に滑り下りた瞬間、すべてを忘れてボーとした感じを味わった。

⑤そうしている間に食事になる。

⑥場の共有。竈灯の点滅。
電灯を消す子とつける子とあり、ワーワーする。何人もの子どもたちがわいわいと出たり入ったりする。私は「夜になりました」「昼になりました」とか言って参加する。みんなが一緒にこの場を共有している実感があった。

⑦子どもたちの中に巻き込まれて夢中になる。
そのうちに、H夫を追いかけて私が走り、弟たちも走り回ることがつづいた。私はこの中に加わって何か一緒のわいわいの中に巻き込まれ、何も考えないで、そのときを楽しんだ。H夫は、大声で走り回った。この巻き込まれている中で私は子どもたちと世界を共有していたのだと思う。そこには共通体験がある。

⑧みんなが同じことをしたがり、それをかなえるのに私は一生懸命になった。
T夫が私の手を引いておしっこにゆく。トイレで窓をあけさせ、自動車を見る。そこに双子が来て一緒に窓にのりたがった。H夫もきて、一緒に自動車を見た。子どもたちの間に葛藤が生じてきたので、私はおしくらまんじゅうをして体をゆさぶった。そうすると、けんかになりそうになっても一緒に笑いはじめた。

⑨助けを必要としている子どものところにゆく。
だれもいなくなり、私が食事をしていると、トイレで泣いている子がいる。T夫がトイレに紙をいれてそこに手もつっこんで遊んでいたのだが、ふたがパタンと落ちて手をはさんだ。トイレのふたの丸の中から手を入れてトイレットペーパーを回して遊んだ。私はT夫を抱いて庭に連れ出すと、すぐにたらいの中に入った。
T夫は大きな箱をみつけ、そこに私をいれようと一生懸命になった。箱の内部は狭いので、私はどういうふうに入ればよいか分からないでいると、T夫はときどき機嫌が悪くなりながら、私の足を左足、右足とその箱の中にいれる。私一人が入ると箱はいっぱいで、私はへりに腹をおろした。するとT夫は、私の膝にのり、狭い空間にようやく自分の足をいれ、私の手で後ろから抱きかかえるようにさせ、私の体の中に入り込んでしまいたいような様子だった。狭いところでまるで猫みたいだと思う。

⑩思う存分に絵の具をぬる。
E夫が絵の具の瓶に指をつっこみ、箱積み木にべったりと絵の具をぬりつけた。それをもって、積み木の上を渡り歩く。私のひざに座ったりする。その手で体や顔にさわるので、E夫の顔やからだが絵の具だらけになる。私はシャワーにいれようかと思うがそれを察知して逃げまわる。私がつかまえてI先生が拭いた。E夫は思う存分やった。

《このことについて》
この1日について具体的な評価のようなものはないのだが、自然な①~⑩のパラグラフに分けることによって、味方によっては漠然とした1日がなだらかな起伏とともに立ちあがってくる。そして何より保育者自身の「苦心」も率直に書かれている。単に子供たちの観察するものではない。
津守さんは、次のように述べている。

1日終わった時、なんとたくさんの子どもたちがダイナミックに動いていたかを思った。それは保育者としての実感なのだが、しかし、その力動的な動きを文字に記録することは極めて難しい。記録をそのまま上げてもそこに居合わせなかった人には、無味乾燥な文字の羅列に過ぎなくなってしまう。ただ、私が確信を持っている事は、障碍をもった子どもたちだから、ダイナミックな遊びを生み出せないと言うのは当たらないということである。保育者がその気になって腰を添えて取り組むならば、ある時保育の場が力動的に動くようになる。その時子どもたちも、なんと楽しい1日だったことかと思うようになるだろう。

もちろん津守さんの保育観に障碍の有無によっての隔たりはあまりない。
保育は差異を受け止めることから出発するからだろうと思う。

《見出し写真のつづき》
夏ですが北アルプスの沢沿いにはガクアジサイ。どうしてこんなに綺麗なの?と思ったりします。





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228 保育の歩(ほ)#20 舞い降りた先の地平

2024年05月05日 | 保育の歩
🆕北アルプスの花畑 もう日本海に近い北アルプスの最北端 写真の蓮華温泉から朝日岳、雪倉岳、白馬岳の三座を目指します。短い夏にたくさんの花が咲くと聞いています。

前テキスト『世界の保育の質評価‐制度に学び、対話を開く‐』では、保育を各国の制度から考えてきた。

今回からは趣きことにする。現場のリアリティから保育を見ていく。
テキストは、

津守 真『保育者の地平』ミネルヴァ書房

である。「はじめに」に経緯と本の意図がある。

私は子どもの研究者として壮年期の大半を過ごした。その最初から、私は、20世紀前半に全盛期にあった米国の進歩主義教育の流れを汲むお茶の水女子大学附属幼稚園で、幼児の遊びに魅せられた。決まったカリキュラムにははめずに、子どもの内から発し、生命的に創る遊びに、私は人間教育の原型を見た。同時に、それを作り上げていく「保育者の苦心」を見た。私は心理学者として、客観的実証科学の方法論によって、その関係を明らかにしたいと考え、長年を費やしてきたが、その試みは放棄せざるを得なかった。保育は人と人とが直接関わる仕事であり、知性も想像力も含めた人間の全てがかかっているから、いま考えれば当然である。
一方、1960年代、70年代の私どもの社会は、高度成長期にあたり、早期知的教育のプログラムが流行した。それによれば、保育者の仕事は、科学的に効果を証明された方法を応用することである。「保育者の苦心」も、子どもの遊びも危機にあった。私は学問の方法論を根本的に考え直す必要を感じた。


そして、1983年つまり50台半ばにしてこの著名な心理学者は私立愛育養護学校の保育者になるのである。「客観的実証科学の方法論」を放棄して、「保育は人と人とが直接関わる仕事」の「地平」へと舞い降りたのである。

また、この挑戦からの知見は、アカデミズムや制度政策のフィルターも通さず、直接、人と人とが関わりが、子どもたちの成長・発達にどう関わっているのかに直接アクセスしてみることである。

ところで、前回のテキストで、編者を代表して古賀松香さんが述べている、

近年、乳幼児期が注目されるようになってから、(各国の)その制度的発展はスピード感を持ってなされ、グローバルに広がりを見せている。
ひるがえって、果たして日本はどうだろうか。諸外国における制度設計や改革のスピード感に圧倒されたのは私だけだろうか。乳幼児期の重要性に対する認識が、国内外ではまだ不十分と感じたのは私だけだろうか。


得てして、保育(教育)の「改革のスピード感」というと現場で置き去りになるのは子どもたちであることはよく懸念されることである。
「予測困難で不確実、複雑で曖昧」の未来観にあって現在こそ「保育者の心」も、子どもの遊びも危機」なのかもしれない。

年度替わりの学校業務の諸事のスピードに圧倒されていたが、ここで落ち着ていて津守さんの地平からの実況を聞いてみたい。

テキストは、津守さんの12年間の実践を時の経過に沿って2年ごとに章を立ててありそれぞれにテーマが設定されてある。

第1章 保育の中に身をおいて
第2章 普通の日々
第3章 「いま」を充実させる
第4章 保育の中で発達を考える
第5章 願いや悩みを表現する遊び
第6章 保育の知と身体の惰性
そして、まとめとして、
第7章 保育の地平
第8章 出会う・交わるー表現と理解・「現在」を形成する・省察する

なお、ブックレポートの性として、原書を読んでいただく以上の事はできるわけがないのだが、他者の関わりの中で、あるいは他者の微妙な意図的な働きかけが、どのように子どもたちの成長・発達し、それを促し得るのか、と言うポイントを外さずに読み進めたい。

ただし、学術でも、制度でもない「関わり」と言うものは物語るしか方法がない。
したがって、長い物語を多分に引用をせざる得ないと思われる。
保育は感じ取ることが大事だと言うが、物語れることから感じ取るセンスはこちらに求められる。


以下、裏表紙に記載された津守さんの言葉である。予告編?である。

・一日、保育の現場にでることは、一冊の本を読むようなものだ。
理解しながら読むこともできるしわけの分からぬまま読みとばすこともある。

・子どもと心を通わせた記憶は、保育者には長い年月、心に留まっているが、子どもにも同様である。

・保育の現場も矛盾に満ちている。私はその中にあって、生きつつ学ぶ。

・自分のまわりに、自由と静けさと親しみの空間を作りたい。

・思いがけないときに子どもの世界との出会いがはじまる。
一見奇異に見える子どもの行動に、人間のもっとも奥深い心の痛みがあらわれる。
私はこの十二年間に何と多くこのことにふれてきたことか。

・あるとき、私は子どもの行動を表現として見ることを発見した。
行動は子どもの願望や悩みの表現であるが、それはだれかに向けての表現である。
それは、答える人があって意味をもつ。

・子どもが心の中を表現する遊びを生みだすことは、保育実践の最大の課題であることを、私はいまや憚ることなくいえる。
その遊びの中で子どもは癒され、教育される。具体的な場面は限りない。

・保育の現場で子どもも私も自由である。
私は子どもの存在に束縛されながら、子どもが自由である故に自由である。
この体験を省察する仕方も自由でありたい。

・子ども学は子どもとは別のところでつくられた理論の応用ではない。
子どもとふれるところにつくられる知恵である。



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