諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

70 生体としてのインクルージョン#13 まとめ 後半

2020年03月14日 | インクルージョン
塔ノ岳も古くは修験の山だったらしいです。山小屋も尊仏山荘といいます。

こんな例えが適切だかわからないが、

「よく「氷にのれた」滑りです」

 と解説者が評するフィギュアスケートの選手がある。
ジャンプとか、ターンとか個々の技ではなく、滑りの重心が常に安定している。
全体に落ち着きがあるから、表現に説得力がある。

 似た感じを、身近な人の姿にも感じたりする。
いつも活気のある酒屋のご主人、笑顔がいい。カフェの定員さんはいつもの注文するものを覚えてくれていてリズムがいい。あのころ毎日挨拶してくれた駐在所のお巡りさんは住民思いが表れていた。もちろん、この稿にも書いた町内会長さんは大きさがある。

 どなたも仕事や役割にきちんと向き合って安定していて、力みがない。
自然に仕事が自己表現になっているとでも言うのか…。
いうまでもなく、皆さん自然に人望が集まり、目には見えないが輪ができるような。
 
 仕事を通じて素敵な人になる

こういうことは実際あるなあ、と思う。それは能力や機能とは違ったもののようだ。


 「インクルージョン」について考えてきた。
考えるために始めたこともあり、案の定、手に余り、考えを保留せざる得ない部分も多く残った。
まだ、しばらく時間も必要なようだ。

  しかし、確かなことが1つだけあるとも感じた。
子ども達のかかわり手としての私たちの雰囲気のことである。
子ども達の代弁者である技術者であることより、同伴者として素敵さのような。

 子ども達と日々接してその関わりの中に自分をみつけ、そこに「生きている」人がいること。
その人たちの素敵さと自然な人望こそがインクルーシブ社会へのパスポートのように感じる。


宮城まり子さんは、
「私は彼等と共に泣き、また、共に笑った
   彼等はただ私と共にあり、私は彼等と共にあった」

という。

 いい感じの同伴者が増えてきていると感じる。

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69 生体としてのインクルージョン#12 まとめ 前半

2020年03月07日 | インクルージョン
塔ノ岳山頂 雪の少ない冬の丹沢は登山者が集まります

 糸賀一雄さんは、
「精神薄弱といわれる人たちを世の光たらしめることが(近江)学園の仕事である」
と言った。
「この子(精神薄弱者)らに世の光を」ではなく「この子らを世の光に」という。
続けると、
「精神薄弱な人たち自身の真実な生き方が世の光になるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々がかえって人間の生命の真実に目ざめ救われていくのだ。」

 古来日本では障害者を神としてして尊ぶ伝統があったという。
「世の光」という言い方は聖書の言葉であると糸賀さん自身も言っているように人間の存在に関わる本質を障害者の中に強く感じたに違いない。彼はそれほどに確信をもった。

 社会的弱者は「世」から光を与えられるべき者
 社会的弱者は「世」に光を与える者

 茂木健一郎さんが、貧困に関って、
「苦しんでいる人が近くにいても自分とは関係がない、と切り捨ててそれに向き合おうとしない人は、自分自身の生命力の一番深いところのエネルギーを引き出せていない気がする」
と言い、さらに、
「困った人は地域の宝物である。一人の課題を解決することは、地域と社会の問題を解決すること。その積み重ねが日本社会全体の解決能力もあげていく」
という。

 貧困を貧困問題という。障害者を障害者問題と昔は言った。
そういう捉えが豊かではないということ?。

 映画「みんなの学校」の青空小学校には、発達障害の子や不登校で転入してきた子が多く在籍している。
木村泰子校長は子どもたちの成長には地域の協力なしでは難しいという。
いろいろなことが起きるがその中で確実に子どもたちは力をつけていく、その出来事が関わる地域の住民にも活躍の場でもある。


 糸賀さんの施設は新しい施設を生み枝分かれしていく。
「そしてそれぞれの施設はひとつひとつ、ちょうど砦のように、そこを基盤として、新しい社会の形成のために、身を粉にしてはたらきつづけたのである。」
 この子らから社会を変えようとしたのである。
 だから施設のことを「コロニー」と呼んだ。

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68 生体としてのインクルージョン#11 福祉のチーム

2020年02月29日 | インクルージョン
箱根古道。 終点 小田原城に着くとさすがに夕方になってます。

 ある市の自立支援協議会へ出張である。
お役所の5階の会議室。
子ども部会のあと、大研修室で全体会もあるらしい。

 この会議では鈴木さんに会える。
鈴木さんは放課後等デイサービス事業所の作業療法士(OT)さんだ。

 自立支援協議会というのは、自立支援法の成立(平成17年)以降、障害種別に個々に対応していた援助を、横断的な〝支援″として、福祉関係者、医療、労働、そして教育の関係などが会して検討する会議なのである。
 そして、その後の“障害者の権利条約”そのものが行政的な障壁を考慮してないものだから、いっそう自立支援協議会に期待がよせられている。
この会議も世界的な時代の趨勢の中にあると言える。

 鈴木さんとは前回の休憩時間に何気ない会話をした(程度だが)旧知の仲である。
元高校球児。大学でも野球を続けた。でも「神宮大会を目指している時、疲労骨折しちゃいまして」野球から離れたという。
で、作業療法士になろうと決心してアルバイトしながら資格を取ったという。そんな話をした。
 会議にまったく関係のない話なのだが、こういう人に頑張ってほしいと思った。

 他の委員さんも自己紹介などでそれぞれのお立場と生き方?みたいなものを感じている。

 田中さんは社会福祉協議会の人で、同じ社協でも主に地区社協に力を注いでいるという。
この地区はあまり住民の移動もなく、社協の活動も自治会の活動と連動しているらしい。
「地区社協で集まっても、すぐお酒になちゃって、議事が進めないんです」
という。そういうコミュニティなのだ。
 だが、この田中さんは活動力があり、いくつかのボラティア団体を結んで新組織をつくってNPO法人にしようとしている。
いわゆる活動家の雰囲気は少しもなく、日常の地域生活の延長線上で自然体の環境改善をしている。

 山田さんは児童発達支援事業所を経営している。
本校に通う7~8人の児童の名前を挙げ、子ども達の成長の様子が気になるという。
「発達障害の子がどんどん増えている実感がある」
という話は実感があふれる。
その一方で、児童数と職員数が助成金にかかわるという。
経営者でもあるのだ。
「安全のためには、職員の人材確保が必要でしょ。それがなかなかいないんですよ。」
 こういう人達の日々の努力で乳幼児期の療育はなされている。

 また、障害者の移動支援を行うサービスの担当者吉田さんは、障害者の移動のニーズと障害の状況を判断して移動ボランティアさんを紹介している。
障害当事者とその家族もそれぞれ個性があり、ボラさんのできることも個々異なるのでマッチングは難しい。また、地区によってはボランティアさんが集まらない厳しい現状もある。

 いつの時代でも、理想と言えば一定の制限がある中での模索に違いない。
 この最前線の人たちは活躍の場は別々だけど気分はすぐにワンチームで模索を始める雰囲気がある。これが福祉の皆さんの強みでもある。


※今回ももちろん仮名であり、少し脚色もありです。

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66 生体としてのインクルージョン#10 シャッター3/3

2020年02月15日 | インクルージョン
三島宿からの坂の途中(箱根石畳は三島からの方が保存、復元がいいかもしれません 余談)

 4回の準備会議を経て町内会の文化祭の当日である。
文化祭の会場は真ん中にある公民館。

 地域の皆さんが中心になり、小中学校、幼稚園、保育園、児童館、老人ホーム、習い事サークルなども一緒に集う。
ミニステージ、ワークショップ、展示、そしておにぎりとトン汁がふるまわれるらしい。
本校も10年来仲間に入れてもらって作品展示で参加していると聞く。

 朝8時、学校から生徒の作品を車に積んで公民館に向かう。ほぼ車満載。
「よろしくお願いしまーす」
会場に入ると皆さん準備に追われている。

 展示室は普段は5~6台の卓球台が設置されている場所。
で、本校展示場所は入口の正面。役員さん達が本校を引き立ててくれているのである。

「ああ、どうぞよろしく。この腕章つけてよ」
と委員長さん。腕章をつけることで係の一員になったようで少し嬉しい。

 一時間かけて、長テーブル2台と掲示用の衝立に作品を展示。
作品の意図や生徒が工夫した点を書いたポップも置いた。よい感じ。
あとは、来られた方に作品の説明と今度学校でやるイベントのチラシを渡すのである。

 ところが、まだ開場まで時間がある。慌てて準備しすぎたか。
回りをみると皆さんの展示もほぼ完成している。

 お隣は、陶芸を本格的にやっている年配の男性だ。
「私は野焼きで、土器みたいに焼くんだよ」
という。野趣ということ?
器と焼いている場面の写真がある。
「迫力ありますねぇ」
というと、にっこり笑う。子どもように両手を腰にやりながら焼き物の歴史を教えてくれる。

 隣は姫路城のレプリカを作成した人。この人自身が隠れちゃいそうな大きさの天守閣の持ち込んでいる。
自慢話にならないようにと思ってるけど、「唐破風の湾曲」のあたりの説明になると力がこもってる。

 向こう側の壁面には老人ホームの方の書道の作品。
書道の手ほどきされている女性が説明にあたるらしいが、「作品づくりにいいアイディアがないか、盗もうと思ってね」と冗談をいいながら他の展示を見ながらいろんな人と話してる。実は立派な先生らしい。

この街にはこんな人達がいるのだ!。

 開場の時間になり、まさに地域の老若男女が通りの左右からやってくる。慌ただしくなってきた。
腕章の効果?で、案内役でもある。
分からないことも多いから、いろいろな方に聞きに回ったり、プログラムを何度も確認したり、名実ともに係員になっていく。

 2階ではミニステージが始まったらしい。吹奏楽の音。
上っていくと、曲の紹介を先月部長になったばかりの男の子が行っている。
さすがに緊張していて少し間違えると、すかさず客席から「頑張れー!」と囃されている。
無事、アンコールまで終わって沢山の拍手をもらって満足そう。

 別の部屋はワークショップ会場。砂絵とか消しゴム印づくりとか切り絵を優しそうなエプロン姿の年配の方々が小学生親子に教えている。
真剣にでも楽しそう。時々手を止めて、顔を上げては先生に尋ねたり、頷いたりしている。

 そして、片付けの際には、児童館の館長さんに手伝っていただきながら、発達障害の子の増加について見識を伺ったりした。

 駅前では降りたシャッターが目立つけど、こんな人々がいる!。

 後日、町内会長さんにお会いした時、
「同じ仕事とか、好きなことが一緒とか、そういう集まりは多いけど、もっと違う人とつきあってみるっていうのが地域だと思う」
とおっしゃる。
いい言葉だと思った。

言わずもがな、学校も生徒もこの街とともにありたい。






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64 生体としてのインクルージョン#09 シャッター 2/3

2020年02月01日 | インクルージョン
箱根旧街道 芦ノ湖から畑宿へ

   授業を抜け出すという学生の心理は、知的障害の有無ではないようで、「そんなもんだろう」とも思う。
   でも、本校の生徒は校外に出て、安全確保の判断力があるとは限らない。

 渡り廊下から校外へ駆け出した生徒を、たまたま2階の窓から見ていた先生があり、
「〇〇君!、左に行った!。黒い上下のジャージ!!。」
すぐに自転車で追いかける。援軍?を呼ぶための携帯電話がポケットで踊る。遠くに行かないうちに。

 坂の下まで来てみたが、見えない。
  ベランダで布団を干しているおかあさんに尋ねると、「あっち、あっち」と2度指をさしいる。
「スミマセン!!」
と叫びながら、ペダルと踏みなおす。
あの指さしのジェスチャーだときっと走って通過していったのだろう。

 次の角に着くと、キャップをかぶったおじさんと犬の散歩をつれたフリースの女性が立ち話をしている。
ここに人がいてくれてよかった。十字路になっており方向が分からない。
「歩いてこっち側に行ったわよ」
さすがに疲れて歩きだしたのかな。

 今度はゆっくり進みながら、入り組んだ住宅地を注意深く探す。
午前中、洗濯干し、家の前の掃除、保育園の送迎の待ち合せ、犬の散歩の人などに躊躇している余裕もなく「黒いジャージの生徒」の行方を聞いた。
皆さんこっちの慌てている立場を理解してくれていてありがたい。

 それにしてもどこにったのだろう思っていると、携帯が鳴り、もう少し先で自転車2号の先生が見つけたという。
やれやれ、バイパスの手前でとにかくよかった。心配ないというのでお役御免。

 
 学校に戻る途中、まだ生徒の行方を尋ねた人たちがいて、自転車を引きながら丁重にお礼を言って回らねばならない。
「お騒がせしました…。」

 元来、学校は地域の皆さんにご迷惑をかけることが多い、と思っている。
生徒が通学路で無軌道な行動をとることもある。校内放送がうるさいこともある。校庭の砂煙が舞うこともある。スクールバスの往来の騒音、来校者の迷惑駐車もあるかもしれない。
 そんなことが固定観念になり、今日も恐縮しならが通常より丁重?にお礼である。


 ところがである。反応が想定と少し違っていた。

「どこにいたの?」
と庭を掃いていた人。
「コンビニで雑誌読んでいたらしいんです」
「ああ、そう。高校生だかねえ」
と声を立てて笑っている。

 また、別の人とは、話がそれて、
「いつも大きな声であいさつする子、随分大きくなったですね」
という。中学部の生徒を知っているらしい。
「いつも、うちの車を眺めていた男の子、もう卒業したの?」
「文化祭の時のバザーには毎年行っているよ」
など、こちらも丁寧にお礼を言ったし、切羽詰まった捜索の同情もあろうけど、こんな感じではないと思っていた。

 地域には「懐」のようなものがある。
 










 



 


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