諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

144 「ズレ」を考える #17 未来との同居

2021年07月11日 | 「ズレ」を考える
絵地図! 高尾山のものです。わかりやすいし、楽しい登山を予感をさせますね。

「ズレ」というキーワドが発展し、教育方法史の方面までいきました。
で、次は、自意識のズレについて考えていきたいのですが、ちょっと準備不足でなので今回は、入口だけです。

サルトルのこの言葉に立ち戻ります。

人間は現在もっているものの総和ではなく、彼がまだもっていないもの、これからもちうるものの合計である。

これが、人間が、明日に向かって生きてく原理であると言ってもいいし、人間の存在そのものがその原理として前に進むようにできているとも言えるだろう。
もっと言えば、常に、明日へのイマジネーションが広がってしまうのである。
そういう存在自体に内包する推進性が、努力の糧になったり、学ぶ意欲とつながっていると考えても良いだろう。

未来の自分と常に同居している自分

ところが、である。
その存在性がゆえに、
未来の自分と、現にここにある自分のズレに悩むということがある。
拡がるイマジネーションに負けそうになる自分。
例えば、こんなコメントがある。

私は人間という生き物が嫌いです。だから自分も嫌いです。みんなも嫌いです。けれどそんな嫌いなみんなと仲良くしないと世の中を渡れません。人と人が繋げている橋を渡らなければいけません。私はこの橋が崩れそうで渡りたくありません。何故なら嫌いなみんなが作ったものだから。でも渡らないと将来という渡った先に着けない。
私は17歳です。高校2年生です。
橋の前にたっている気がします。この橋を渡らずの先行く方法はありますか??、ないですか??、どうやったら人を好きになれるのだろう?。溜息がでます。はぁ……。


                    村上春樹『村上さんのところ』新潮社 ※)

こういうことって、ある種の刺激を放ちつつ、多くの人の心に響くコメントだろう。
「分かるよ」って。
そして一方で、「未来の自分と同居している自分」存在性をもつ私達として宿命?のようにも感じる。

あるべき自分と、ある自分とのズレ

教育の問題ではないが、教育の根源にかかわることに違いはないだろう。
このテーマについては、もう少し準備が必要なので、宿題にしようと思います。
もっとも、答えは見えていて、心を沿わせつつ、一緒にいる人があることなのでしょけど。それがまた人間らしくもある。

※)この本は村上さんが、読者のメールによる質問の答える形のもので、上の引用も読者の方からの質問です。ブログの趣旨とは関係ありませんが、参考に。村上さんは慎重に次のように返答しています。

他のみんなもきらいだけど、きみ自身もきらいなんだ。そう言われると筋がとおっているような気がします。自分のことは好きだけど、まわりのみんなのことはきいらだというよりまともですよね。人間そのものがすべて気に入らない。フェアな考え方です。僕は思うんだけど、そういうときには、自分の中のいったい何がこんあにいやなんだろうと考えていくといいんじゃないかな。他人の中のいやなところって、なかなか突き詰めて考えられませんよね。他人のことだから。他人の心の中までは見通せないから。でも自分の中のいやなところって、どんどん突き詰めて行けます。具体的にどうやってうまく突き詰めていけがいいか? それはきみ次第です。きみが自分で考えるしかありません。僕の場合は本とか音楽とか猫とかが助けてくれました。きみにも助けてくれる何か(誰か)があるといいですね。








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143 「ズレ」を考える #16 教育内容決定権

2021年07月04日 | 「ズレ」を考える
絵地図! 上高地の奥 横尾にある穂高連峰の絵地図。この絵の上にけが人の数が貼ってあることがあり、気が引き締まります。

授業における教授方法について考えきました。
一斉授業という枠組みの中で最大限に子ども達の変容を促すための歴史の変遷をまとめたつもりです。広く見ると授業の中の子ども達の認識ズレを意図的に組織していく技術ともいえるように思います。
そして、今回は教授とは直接は関係のないのですが、寄り道して、教育内容が決定される根拠をテキストにそって学んでみます。

まず、19世紀の半ば、西欧では、数学化学工学医学法学政治学社会学心理学が確立し、その後基礎科学(特に理学的な分野)、応用科学(特に工学的な分野)が加わり学問領域ができた。これが、学校の教科の基盤である。

ところが、教育には、別の要素が入ってきて、ナショナル・アイデンティティを形成する内容(国語、道徳、歴史、体育)が、産業社会を建設する内容(数学、科学、技術)が導入され、個々のアイデンティティを表現する内容(音楽、美術)という目的性が与えられる。

つまり教科は単純に学問領域の基礎をなすのでないということである。当たり前だが、社会のあり様や国の未来像に向けての思惟が含まれ編成される面がどうしたって学校教育にはある。

そして、教育内容の決定の在り方には原理的に課題が生じる。
一つは、基盤となる学問領域もそのものが明治時代に西欧からの輸入したそのままのものだったこともあり、人々の日常に遊離したものに感じたこと。
二つ目には、高度化する社会にあって、学問領域はその時々の課題解決にはフィットしにくいということである。

だから、時折、教科学習より日々の生徒の実感に根差しやすい生活教育(統合学習とか総合学習)に注目が集まったりすることになる。

教育内容の決定の大枠は、ざっと以上の構造のようだ。
ただ、よくよく考えてみると社会科も理科も家庭科も領域統合された教科だし、やり方によっては生活教育的にもできるから教科と生活とを二項対立させるのも適切でない面がある。

ところで、こうした構造のなる背景を、テキストでは、「リベラルアーツ」「一般教育」を取り上げて解説している。

暗黒の中世にあって、ルネッサンスのごとくギリシャ時代の復古する動きの中で、プラトンの「自由7科」(『国家』)が再考され、封建社会の個人に精神的な「解放(リベレイト)」を求めたという動きがあった。
これが、人文主義の古典を中心に教育内容となり、学校教育に用いられた。論理的思考の態度そのものが「精神陶冶」という価値として、中等教育、高等教育に「教養主義」として広まったという。これが確立したのが19世紀で、アメリカや日本にも大きく影響した。この流れを「リベラルアーツ」という。

日本の旧制高校はこの「リベラルアーツ」と呼ばれる「教養主義」の典型で、旧制高校を経験した方の著作などにもプラトン以降の偉人たちの古典を読みふけった話などがよく出てくる。
そして、初等教育も含めて教科(学問)を分科主義で教育する伝統もこの影響であるという。
今でも小学校になるとこれまでの幼稚園学習指導要領の「遊びを通しての総合的指導」がガラッと変わって教科教育的な学習になるが、これもこの分科主義の流れであろう。
ところが、「香しき…」「文化の精華」の旧高校の誇り高き「リベラルアーツ」も現実社会から遊離した教養主義とエリート主義という批判が、アメリカで市民社会の成熟とともに起こりはじめた。

民主主義の社会を実現する市民の教育とは「現実の社会的な問題の解決に貢献する教養の形成」という19世紀末のアメリカに起源をもつこの考えを「一般教育」という。
そして、2度の大戦を経つつ、「リベラルアーツ」との質のちがいを明確にしつつ、1945年の『自由社会における一般教育』という大学研究の報告書が出され、アメリカの教育改革の指針になる。
ここでは、
「一般教育」の目的を民主主義社会を建設する自由な市民の形成に求め、その基礎となる教養を大学においては「自然」、「人文」、「社会」の3つの領域を選択する方法をで、高校においては「数学と科学」「文学と言語」「社会科と社会諸科学」「芸術」「職業」の5領域で構成する
という。ちなみに日本の大学の「一般教養」はこの発想に基づている。
そして、全米各地で「平和」と「自由」と「民主主義」を主題とする「一般教育」の学校改革がなされる。
つまり、「一般教育」はその本来の目的性からみて、教科分科ではなく、結果的に領域という総合性こそが市民としての課題解決にふさわしい教養を導くのだと説くのである。

教育内容の決定はもちろん、人類の文化遺産の基礎的部分を子ども達に着実に伝えるということだろう。だから、普遍的な人類の歩みを静かに読み解くことは当然である。ここに変わらない「静の教養」がある。
しかし、現代を生きるものとして直面する社会や個人の課題に立ち向かう力も必要だ。それもまた違った性質の教養である。「動の教養」と言っていいのかもしれない。

だから教育内容は変わらないものを含みながらも更新させる、このことは今後も変わらない。
要は個々から子ども達が何を学び取っているのか、それは教育方法の問題になる。



                                   テキスト:佐藤学『教育方法学』岩波書店


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142 「ズレ」を考える #15 ルソーの残像

2021年06月27日 | 「ズレ」を考える
🈟 絵地図! 登山道入り口などに登山ルートを表した絵地図が設置されているところがあります。なかなか凝ったいい物が多いです。第1回は二荒山神社の先の「男体山」の絵地図。実際は絵の印象よりタフでした。

ヘルバルトの話が長くなってきたところで、この機にルソーの話を書きます。

ヘルバルト主義は、ルソーのこの発想から出発する。

 社会の秩序のもとでは、すべての地位ははっきり決められ、人はみなその地位のために教育されなければならない。その地位にむくようにつくられた個人は、その地位を離れるとなんの役にもたたない人間になる。教育はその人の運命が両親の地位と一致しているかぎりにおいてのみ有効なものとなる。そうでないばあいは生徒にとっていつも有害なものになる。(中略)
自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。だから、そのために十分に教育された人は、人間に関係のあることならできないはずはない。
わたしの生徒を、将来、軍人にしようと、僧侶にしようと、法律家にしようと、それはわたしにはどうでもいいことだ。両親の身分にふさわしいことをする前に、人間としての生活をするように自然は命じている。生きること、それがわたしの生徒に教えたいと思っている職業だ。  『エミール』


そして、ルソーの影響で市民革命に参加したぺスタロッチは、市民革命後の道徳の混乱と、社会の貧困下にあるスイスで、社会の開放が必ずしも人間の開放につながらない現実に直面しつつ、教育者へと転じ孤児院での教育をはじめる。
そして、次の結論に達する。

事物に対する曖昧な直観から出発して明晰な言語で表現される概念へと到達する過程こそ、子どもが合自然の原則を体得して近代的な主体へと成長する筋道である

子どもの手仕事や労働の教育的価値を発見し、合自然の原理は、自然の事物に問いかけ働きかける作業や労働の教育において具体化される


ペスタロッチはルソーの命ずる「自然に帰れ」は、社会変革の必要性と合わせて、個の人間の合自然に即した陶冶の必要性を感じながら、実際に教育者になり、実践し、その方法をも示した。それが、「直感から概念へ」であり、「生活が陶冶する」なのである。

そして、その「シュタンツの孤児院」に、ヘルバルトが訪問したことが、その後の教育史の大きな転機になった。
そこでの教育に感銘をうけたこの哲学者は、ペスタロッチの教育を倫理学と心理学とで理論づけることに尽力した。
これが、教育をアカデミックに取り上げた最初のものにあり、市民社会化した各国の国民教育の理論的基礎になったことはすでに触れた。

そのヘルバルト主義が日本でも国民教育に導入され、「国民皆学」の内実をささえることになる。
そして、「教育的教授」は訓育として教育勅語を中心とした帝国臣民づくりに対応しことや、「形式的段階」は伝達と記憶を中核とする授業の様式と技術の定型化を促進した、と、教職のテキストなどには載る。

もちろんその解釈でいいのだが、忘れてはならなのが、広田照幸さんの次の指摘である。

すべての子どもに教育可能性を見出すとういう、平等思想を教育の中で展開する足場になったということである。生まれつき人間の質には優劣があるとういう思想は、プラトンまでさかのぼる古くからある思想であった。当時のヨーロッパは現代の日本以上に、生まれ落ちた身分や階級によって、子ども達の「生」のあり方が、はなはだしく異なっていた。だから、はなはだしい成育環境の差は、貧民の子どもには知的発達が不可能といった論や、だから身分別・階級別の教育が当然だ、といった論を、容易によびこんでしまっていた。しかし、ペスタロッチやヘルバルトのように、「子ども」を単一で均質な存在として、そこに「教育可能性」を見出すとすると、身分や階級にかかわりない「教育」の可能性を想定できるということになる。

「〇〇さんは、もっと出来るはずだ!」
と思って、私たちはたびたび今日の指導の方法を反省したりする。
その当たり前のような習慣の裏には、ルソーの
「自然の秩序のもとでは、人間はみな平等であって、その共通の天職は人間であることだ。」
という教育思想が息づいている。
 


            佐藤学『教育方法学』岩波書店、『教育の方法』左右社
             広田照幸『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店 
            木村元・児玉重夫・船橋一男『教育学をつかむ』有斐閣






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141 「ズレ」を考える #14 学習指導要領の複眼

2021年06月20日 | 「ズレ」を考える
道! 🈡 白馬駅の正面の道 白馬岳がそこにあります。

さらに、ヘルバルトの話を続けます。

教師主導の教授主義を主張したヘルバトル主義について、次のような批判はで妥当である。

子どもの内面(的発達に従った教育)」と言っても、現実の個々の子どものそれには応じた教授法などではなく、あくまでも哲学的・思弁的に組み立てられた「子どもの内面」にすぎなかった。

生徒には教師があらかじめ設定した筋道を忠実にたどることだけが求められるのである。もちろん学習は、主体としての子ども自身の自己活動である。だが、それは、あくまでも教師による働きかけへの応答としての自己活動である。子どもは、教師による働きかけに反応するだけの、受動的な存在としてしか想定されていなかった、といってもよい。

「子ども」は単一で均質な存在とみなされていた。現実の子どもの多様性は十分考慮にいれられていたわけではなかったのである。子どもたちはみんな共通の心的性質・知的発想の筋道をもつ、と想定することで、五段階教授法のような学級集団を対象にした一斉授業が成り立つとになる。
   広田照幸『ヒューマニティーズ 教育学』岩波書店

 ヘルバルトによる教授理論は「機械的で画一的」だという批判である。
そして、もちろんこの画一性に反する方法思想や実際の取り組みもあった。
子ども一人ひとりのちがいに応じた内容や方法を採用し、彼ら一人ひとりの自発性に依拠して学習はすすめられるべきだする「進歩主義的教育運動」などの登場である。
しかし、日本では、1958年の学習指導要領に法的拘束力が付与されることで、こうした「子ども中心」の教育は、あまり議論されなくなったようである。

しかしである。
その同じころ、「機械的で画一的」でない学習指導要領が誕生する。現在の特別支援学校の学習指導要領にあたるものである。(経緯は複雑なため略)
特別支援学校(盲・ろう・養護学校)のそれは、子ども達の状況が多様なため、学校現場の教育の成果を学習指導要領に割合スムースに反映できてきた面があったように思う。
そこでは、子ども一人ひとりのちがいに応じた内容や方法を担保し、特に知的障害を伴う児童生徒の各教科の内容は、生活単元学習を可能にしているのである。そして後年「個別の教育計画」を立案することも盛り込まれ、個々の子ども達の教育保障を現場の力に依拠する場を提供しているのである。
そこで行われている教育活動がどう「機械的で画一的」でないかを佐藤学さんは次のようにいう。

学びと発達の関係については、ヴィゴツキーの「発達の最近接領域」(独力で達成できるレベル(現下の発達水準)と教師や仲間の援助によって達成できるレベル(明日の発達水準)との間の領域=学びの可能性の領域)の考え方が参考になる。ヴィゴツキーが指摘してように、学びの活動は「現下の発達水準」を超えて、「発達の最近接領域」において組織されるべきものであり、学びの活動は発達に先行して発達を主導すべきである。愛育養護学校の子どもたちが教師やボランティアとの親密な関係に支えられて遂行している活動は、まさにヴィゴツキーの提唱する「発達の最近接領域」における学びの活動、すなわち発達の先行し発達を主導する学びの活動として展開されている。
 佐藤学『学びとケアで育つ』小学館

小学校、中学校、高等学校の学習指導要領と、特別支援学校(特に知的障害教育の教科の部分)をさして、研究者は「教育課程の二重構造性」と言うことがあるようだが、この両者のズレは子ども達本位の学校教育を考える複眼として重要であると言えるだろう。

ヘルバルトが120年なら、特別支援学校も義務化になって42年にもなる。
 










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140 「ズレ」を考える #13 帰化した「ヘルバルト」

2021年06月13日 | 「ズレ」を考える
道! 前回の後立山稜線を反対の白馬岳側から見たところ 一番手前が最難所“不帰の剣” 、怖っ。

ヘルバルトの話を続けます。

ヘルバルト(正確にはヘルバルト学派)の教授方法が一般化して120年以上もたつ。
彼(彼ら)の提唱した5段階教授法(予備-提示‐比較‐総括‐応用)は今も生きている、と実感するのは、学習指導案を書く時かもしれない。

・授業の冒頭、面白い図表や、印象的な話題を出して、これからの授業に誘う【予備】
・そして、今日行うテーマを明確にする【提示】
・そのテーマがこれまでの生徒の経験やこれまでの学習と、新しい知識や生徒からの新たな意見などとを【比較】する
・そして、新たな知識や、たどり着いた認識を【総括】する
・(総括)したものが、他の事象でも汎化できるのか【応用】する

どうであろう。授業づくりの気分で書いてみると5段階教授法の普遍性がわかる気がする。

そして、それには思想的にも裏付けがある。
「ルソーとペスタロッチが切り開いた視点を「子どもの心のうごきをふまえる」という観点に発展させて、心理学に基礎をおく教授法理論に発展した点がヘルバルトの議論の大きな意義であった。」
(広田照幸さん)という。
それまでたびたび見られた「反復練習」を超えた近代的教育の到来を感じさせるものだったことも大きいだろう。
ここには、反復練習にはない“巧みさ”があり、その延長線上に学習が成り立つ。良い授業のオーソドックスな型として納得がいくのである。

さらに、ヘルバルトは代表的著作の冒頭で「教育学の根本概念は、教育可能性である」と言い切っている。
「国家による教育内容の決定」、「学級編成(具体的には学年制)」、「一斉授業様式」といった枠組みの中で、近代の「国民皆学」は実施されるが、当然、生徒の実態差、背景の地域や家庭環境の違いが大きかった。そんな時、
「教師が教育的働きかけによって生徒の自己形成力と切り結びつつ、生徒の内に切り開く教育的働きかけの余地(が教育可能性にある)」
としたことは、国民教育の現実に即して、教師たちを勇気づけたに違いない。
(これは、「教育可能性」といっているのであって、子どもの側の「学習可能性」と言っているのではない。つまり、教師主導の教授法を優先せよ、ということである。)

そして、ヘルバルトの教授法は、120年の年輪を重ねながらさまざまな経験を経る。
戦後、各地には、斎藤喜博や大村はまなどのスターに近づきたい、と思うような教師たちが無数にあって、児童生徒本位の授業にむけ、校内での授業研究や、地域の教師間でのサークル等で技を磨き、半ば草の根的に授業の研究が続けられた。民間教育団体の活動も熱気があり、教員の研修センターも各地につくられた。

さらに、後年の初任者研修によって全国ではじまった初任研研究授業も、こうした雰囲気の中で授業力を磨いた先輩教師たちによって進められていたことは私の世代でも実感できるのである。

こんな状況を、上手に描けなくて恐縮だが、120年前、近代のにおいをさせながら輸入されたヘルバルトの教授学は、もうすっかり日本の学校文化に取り込まれている。

(補足)
もっと乾いた表現で言うと、120年間教授をする環境、つまり、「国家による教育内容の決定」、「学級編成(具体的には学年制)」、「一斉授業様式」は変わらなかった。現在も大きくこの環境は変わっていない。
しかし、ヘルバルトがドイツ哲学の系譜として示した教授の原則が、教育の可能性を示すものとして、(時代とともに見え方を変えながら)、今日までその教授方法の原則が引き継がれている。この環境下によほど適合したものだったと言える。
その変わらない原則のもと、全国の無数の熱心な教師たちによって、最大限の教育的効果を生む授業が花ひらいた。それは教師の努力であり、学校教育文化の遺産でもある。


広田照幸『ヒューマニティーズ 教育学』(岩波書店)を参考にしました。


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