諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

38 子ども時代の意味#5 ヤマダの場合

2019年07月29日 | 子ども時代の意味
(写真)常念岳から

 長文を続けます。
 転校してきた中学生ヤマダである。(#2参照)


 夜9時、今日も塾が終わる。週4回通っている。

 伸びをしたい気分のまま、表に出ると駅前の賑わいだ。この雰囲気にもだいぶ慣れてきた。
いつもようにバス停の方に歩いていくと、例のオーディオメーカーT社の人がビルから出てきた。
父親の好きなメーカーというだけだけど親しみがある。

 グレーのスーツ。ストライプも入っている。手には茶色の革カバン。
その印象が、中学生には父親のスピーカーの印象とダブル。
「品がいい音だろう。全域のバランスがいいからな」
と言っていた「ダークブラウン」?の「フォルム」?のスピーカー。

 かっこいい大人の雰囲気!。ホントはこの人がメーカーの社員かわからないんだけど。

 父親は学生のころ、「アマチアムセン?」をやっていたらしい。
今でも時々、家の電化製品の調子が悪くなると「テスター」なる機械をだしてきて点検している。
プラスとマイナスに帯電した2本のスティックみたいのをお箸の要領でもち、トースターの中を開けて調べている。
踏み台に乗ってその様子を覗き込んでいた小さいころ、今では通電するとメーターの針が電磁石の磁性によってやや緩慢に動くのがアナログでいいんだよ思ったりする。
ミニ四駆のモータもこの電磁石の原理で回ることを意識していることが、ヤマダが他の子のミニ四駆好きと違うところだと自負がある。

 ヤマダの中に新しいものを感じはじめたころ、T社の人らしき人が、黒いビジネスバッグの別の会社の人らしい人と例のコーヒーショップDに入って行くのを見つけた。
「商談にDを使うんだ。」

 中学生ヤマダにとってコーヒーショップは大人の世界である。

 コーヒーショップのことを前の中学校で同級生だったK君は、カフェと言っていた。 
K君は中学生なのにカフェSに行くようであった。カフェSはコーヒーショップDより大人っぽく敷居が高い。

 ヤマダはそんな同級生Kにはやはり関心があった。
Kはそんな背伸びした雰囲気がある一方で授業中の横顔がいい。自分なりのスタイルがあってヤマダにも分かりやすく勉強を教えてくれる。文庫本を携帯しているらしい。

 転校しても、その感覚が残っていた。

 塾の予習のために駅前のDに入ってみると、大人の雰囲気に包まれた。
それぞれ違った目的でここを利用している大人の中にいると、塾の予習は「自分がやるべき仕事」のように感じた。向こうの方でビジネスマンが商談をしている。大学生が何か調べてる。この人たちも父親と同じように仕事とプライベートにスタイルがあるのだろうと感じた。

 Dを出ると、隣に花屋があった。「テーブルフラワー」600円。「こんなものがあるんだ」。

 ヤマダは、新しい自分の展開を感じている。
                         
  づづく。

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37 子ども時代の意味#4 スズキの場合

2019年07月21日 | 子ども時代の意味
長文をつづけます。

 

 

甥っ子との生活も明日、母に交代して終わりになる。

「5日間かぁ」

急なことだったし、もちろん不慣れだ。大いに慌てたけど「任務完了!」の達成感がある。

 

甥っ子の相手は大変だったけど、こちらの気の持ちようで、少しずつ余裕もでてきた。

訳もわからず詰め込んだ荷物をまたカバンに入れて帰る準備もできて、壁に貼ったドラえもんのクレヨン画を見上げている。

それにしても、我ながら落ちいてやりぬけたことが不思議に感じる。こういう満足感はいいなと思う。普段の自分でないみたい。

 

ぼんやり考えていると、不意にあの時の「お姉ちゃんの背中」のイメージが沸く。

 

 

4年生の冬、スズキは、スキー合宿に参加していた。

スクールは5年生の男の子ばかりだ。その中で紅一点。一緒に行くはずだった幼なじみが前日にインフルエンザになってこない。

スキーそのものには興味があまりなかったので、こんな状況にって気分は暗転してしまっている。運動は得意でもない。

 

雪の降るゲレンデの下の方で、小さく見えるインストラクターがストックを上げて合図をする。雪の向こうで見えずらい。

「いきまーす」と緊張気味の声を発して、男の子がスタート。最後に転んだけど無難に降りた。

次、次と男の子が滑って行って、いよいよ最後、ヤマダの番だ。下でみんなこちらを見上げている。

 

「何でこんなところに来っちゃたんだろ」という気分を振り払ってやるしかいない。

「はーい!」と言ってスタート。ほぼ独り言のよう。

 

プルークのまま斜滑降で進んでソロソロと進む。

まずは順調と思った途端。嫌な音とともにスキーのトップが交差した。途端、前につんのめるように、顔から雪の塊に突っ込んでしまった。

 

目を開けるとゴーグルの外側に雪が付着して、その向こうに白い木々が無関心そうにぼんやり立っている。

状況がすぐには把握できなかったが、何とかしなきゃという不安と焦りに覆われてきた。

でも、ストックを持つ腕とスキーを履いた足が今どういう位置にあるのかわからない。周りは真っ白で取り留めもない。

 

「大変なことになったちゃった。」

知らない男の子たち、みんな下で見ているはずだ。

ようやく体制を整えたが、無情にもスキーは意思とは別の方に動いてしまう。

ぶざま。

それでもどうにもならない。

 

その時、大丈夫?という声が聞こえた気がした。少し遠い。

ゲレンデの上の方、赤いウエアー。お姉ちゃんだ。

しばらくこっちを心配そうに見ながら、

「先行くよー」

と言って降りていく。姉は姉で別のコースのレッスン中だ。

 

赤いウエアー。

そう、1週間前に送られてきた知り合いからのお下がりだ。

「なんか、戦隊ヒーローみたいじゃない。」

という姉。確かに必要以上に大きなボタンが目立って、おかしいぐらいそんな感じだった。

「でも、これ着て街歩くわけでもないし。」

とすぐに割り切って、それを着て来ている。

 

その姉が、ゲレンデを降りていく。左右のターンが不ぞろいで、不器用な感じだけどなんとかしている。それなりにまとめている感じ。その背中が遠ざかっていく。

 

その時である。

 

「丁寧にやってごらん」

という姉の声がきこえた。

低学年の時、「ちゃんと鉛筆けずったの?」と言ってもらっていた感じで。

 

気持ちが落ち着いてきた。

「あ、そうか。」

 

まずは、谷足側を決めて、そこに山足をそろえる

ことを合理的進められるようになってきた。

立ち上がり、滑りだすと、足が雪を捉えている感じが分かった。

途中もう一回転んだが、慌てなかった。

 

集合地点まで着くと、インストラクターに褒めらられた。

「今の気持ちでいいんだよ」

と言われているような気がした。

 

あの時のあの感覚

 

そう、5日間の甥っ子との生活を終えた達成感は、あの時の気持ちに似ていると思っている。

 

 

つづく

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36 「豊かさとは何か」の続編として

2019年07月17日 | 
?マークが集まった花。名前は(も)


暉峻淑子著「対話する社会へ」岩波新書

 原始の昔から、人は老若男女の密な共同体の中で生まれ、成長してきた。コミュニケーションの中で認知は発達したし、共同生活で社会性を身に着けた。
 そして、自分のあるべき姿(人格)は共同体の生活で育まれ、あるいは鍛えられながら規定されてきた。「生活=教育」といことが広義の教育の根本原理である。

 大学生でゼミを面白く思っていたころ、共働き家庭率が50%に迫ってきて、子どもたちの生活の質の変化が懸念されてきたいた。コンビニが出来て、「お袋の味」が「(コンビニの惣菜の)袋の味」になった。テレビ画面のスーパーマリオで一人遊びして、ウォークマンで密室的に音楽聞いて、塾の前にマックに寄って…。
 
 そんなころ暉峻さんの講演を聞いたことがあり、有名な「豊かさとは何か?」という緑版の岩波新書があった。社会科学の先生が「豊かさ」をどう説くのかなぁ?と思って読んだように思うが今となっては正確な内容は忘れた。でも「忙しいとは心を亡くすと書く、豊かさとは風に揺れる花を感じること」(正確でない)とどこか書いていたのは印象的だった。だから、そのころの(若いころの主観の多分に混ざった)社会状況と重ね合わせてこの人を記憶した。

 それから数十年が経った。共稼ぎ率という概念が聞かれなくなった。老人が増えて介護もあって、「文化性」を維持した生活にはお金がかかる。追われた感じでゆとりがない。
 そして子どもが減った。一方で一人親世帯も増えた。貧困ということもある。教科書にあったはずの商店街はなくなって、Amazonで深夜でも非対面でなんでも買える。子ども一般の「生活」の実態や実感が分かりはしないが、「学ぶべき教材として生活」は質的にどうなっているのだろう。ノスタルジーやセンチメントで過去を美化せず、冷静な意味でどんなことが学校教育に求められているのだろう。学びが必要だ。

 社会の変わりように無力を感じかねない中、暉峻さんは「対話が必要だ」という本を90歳で出した。この30年間本当の豊かさを求めて活動してきたことの証明である。すごい人がいる。



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35 子ども時代の意味#3 タナカの場合

2019年07月14日 | 子ども時代の意味
(写真)夏山のふもと

 帰りはやっぱり湾岸渋滞。向こうまで続くテールランプ。
子どもは後ろでポップコーンのバケツを抱えたまま寝ている。

 タナカはさっきのパレードのことで、ぼんやりと中学校時代の中にいた。
 

 あと一勝で決勝進出の中学野球の地区大会。8回の裏、相手の攻撃。
 打球はファウルフライになってキャッチャーとサードタナカの中間に上がる。薄曇りの空に黒いシルエットのボール。何度も見上げた空とボールの関係に捕れると確信できた。
 でも練習とは違うフライ。ここで守り切れば勝ちに近づく8回裏のフライだ。

 落下点に走る途中、一瞬、
「これをはやく捕って、次の攻撃で追加点がほしい。そうだボクが先頭バッターだ」
というイメージが頭をよぎる。
 ボールが落ちてきた。無事捕球。
「よし!、チェンジだ。」
とほっとして、少し脱力。

 攻撃にうつるためベンチに向かいながら、ボールを相手に渡すべく周りを見渡していると、
「おい、タナカ!。」
マウンドからホームに駆け出すピッチャーが叫んでいる。
「?…。」
 目の前にフライを追ってきたキャッチャーがいて…、ピッチャーはホームのバックアップなのだ!!。
つまり…、つまりだ。まだ2アウト、チェンジではない!。

 ランナーの黒い影を感じると、早く送球なのだが、改札で定期券が見つからないように慌ててボールが手につかない。


「勝ったからよかったじゃない。」
と、母親は明日の天気予報を見ながら言っているが、まだ「罪悪感」が心を覆っている。確かに勝ってよかった。

 4、5時間前、勝負が決するまでの間は、生きた心地がしなかった。神さま、仏さま…、祈れるすべてに祈っていた。帽子のひさしの下で祈り、時々隙間から戦況を見ていた。何とも言えない時間帯。


 後日、予想以上の好成績に町内会長さんが祝賀会を開いてくれた。
 胸に小さいけど立派なメダルをさげてベンチ入りのメンバーがステージに並ぶ。甲子園みたい。
 マイクが回ってきて端から順に一言という司会者。月並みの「一言」が続く。中学生である。

 ところがタナカのとなりのキャッチャーが、当時売り出し中の阿部慎之介をまねて
「最高でーす!」
と叫んだ。
 いいぞ、いいぞの声。それまで儀礼的だった雰囲気が和らいだ。結果、次のタナカに「場」が与えられた形になった。
 そして、マイクを受け取ると、ウケねらいでもあるが、本心であることもわかる抑えめな調子で、
「最高でもありませーん!」
 といった。
 
 タナカの8回の裏を知っている場内に不思議な納得感のようなものが広がる。フロアにいたいつもはきびしい監督がいい顔で笑っている。
 あの時間帯のことが案外伝わった。
 
 あの時のあの感覚。

 これがパレードのパフォーマンスと結びついていると理屈で説明はできないけど、確かにあれが後押ししていることがある種の好感触とともにタナカには感じられていた。
 いつもの課長としてあいさつの感じの出し方もあの時のあれとつながっている気がしている。


 自宅近くのランプで高速を降りるころ、「課のチームワークや誠実さについても、野球部の何かとつながっているかもしれない」と思いを巡らせたが、そこまでははっきり分からない。

(つづく)

 

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34 子ども時代の意味#2 3人の現在

2019年07月07日 | 子ども時代の意味
(写真)いいねーと思って撮りますが花の名前わかりません。

※ しばらく文章の雰囲気が違います。違和感があると思います。

1 タナカ
「課員のみなさんの誠実がわが社の商品そのものです」というあいさつが定番の課長タナカは彼自身も誠実だ。
課の事業に対する構想力がある。課の事業と全社の利益と社会還元性は一致するはずだと信じている。
だから人事評価は得意で部下をよく見て将来を見据えた評価ができる。
 そしてなんとなく自分が活力に溢れて働いている姿が周囲にとっても良いことと感じている。

 そんなタナカはディズニーランドにいた。休日家族サービスで前日までの残業をおして出てきた。太陽がまぶしい。
で、子どもに手を引かれてパレードだかを見ることになり、やれやれ路上に体育すわりである。
何か、賑やかにキャラクターが手を振って通りすぎる。それにしても太陽がまぶしい。

 その時、突然トラみたいのに腕をつかまれたのである。!。
 しばらく事態を呑み込めなかったが、パレードに参加せよというらしい。

 「困った」

 頭は昨日の商談のことが回っていたが強制終了。
 この状況に合ったモードを高速回転で検索するころには5~6メートルトラに引きずられている。

 あれ、ここはステージだ、と思ったときタナカは課長から離れた。
 周囲がよく見える。風船をもつ女の子、向こうにはおじいちゃんとおばあちゃん。もちろん学生のグループも見えた。
 こうなると自然に体が動いた。トラの歩幅に合わせて手を組んで歩くと右に左に手を振っている。
なんだかやたらに機転が利いて、片足を引きつつ隣のクマに挨拶をしたりしている。

 なんだかみっともないことになったと反省したが気分はまんざらでもない。奥さんに「やるだろう」とか言っている。
 こういう自分もあったと久しぶりに感じた。


2 スズキ 
 スズキは病院で事務をしている。最近通期途中の駅に出来たホットヨガに通っている。事務で肩も凝るし、腰にも負担がかかると親には言っているが、前から新しいものが好きだ。
 仕事は単調に感じるが気分転換は早い。車内で「ネールアート格安」なんて検索しつつ、「ホントは関心ないけどねー」と心で弁解している。

 ある日、久しぶりに姉からラインがきた。育児に忙しいお姉ちゃんからなんだろう?。
 折り返して電話すると苦しそう。 第2子の出産が早まり入院することのなったの上の子をしばらく見てほしいという。
 
 家に駆けつけると、甥っ子がニヤッと笑って待っていた。手に連結したままのプラレールをぶら下げている。靴下は片方はいてない。 

 それからが大変だった。助けてあげようというのにその好意を受付ない人というの厄介であることを初めて知った。
 命、次に健康、それ以上は考えられなかった。掃除も、洗濯も、食事も、その片付けも、御用聞きの対応もスムースにいかない。
 今度は、このレゴで駅を作ってほしいと言っている。

 少し病院事務が恋しくなってきた3日目の夜。
 子どもというのはこっちの気持ちを緩めると分かるのかな?。
 甥っ子はようやく布団で眠ったようだ。
 やれやれ、髪をかき上げつつ、ソファにすわると、幼児用品のカタログがある。こんなのあったのか、とペラペラをめくる。
  ……面白い!。(こんなものを面白く思うなんて!。)
 この服が似合うだろう、こんなおもちゃはウケルかもしれない、これはなるほど便利だ…。
 もう、ネールアートのことは忘れている。
 

3 ヤマダ
 ヤマダは都心の中学生の中ではミニ四駆好きは少数派だ。少し地味なタイプ。
小学まではパワー重視だったが、最近はボディのカラーリングに凝っている。
「ミニ四駆にフェラーリカラーは似合わない」という。
色を配合して丹念に筆で塗る。

「お父さんに似たのね。」
と母はいう。
 その父とは、平日はほとんど顔を合さない。いそがしいらしい。
 日曜日の朝、
「スピーカケーブルを変えたからボーカルが前にでてきただろう。」
と言いながら、嬉しそうにコーヒーを入れ、新聞を眺めている。
 父のこの時間の持ち方。
 山田はその横でミニ四駆の駆動をチェックしている。

 そんな中、父の仕事の関係で地方都市に転居をすることになった。学校もかわる。
 新しい教室は天井が高くて、窓の向こうの方に「盆栽みたいな松」がきれいだった。
「誰でもそう」と心で繰り返し不安な何日が過ぎて、少し回りが見えはじめるとミニ四駆が好きそうな子もいることが分かってきた。
「わりとどこの中学生も一緒だな」
と思うとなんだか気分が落ちついてきた。授業の進度が前の学校より遅かったことも幸いした。

 慣れてくると駅前の学習塾にも通うことになった。
「これも一緒だな」
と少し暗い気分になっている。受験も見えてきている。
 慣れないバスから降りると、慣れない駅前。また不安。

 しかし、駅前広場を塾の方にむかって半周するとき、カフェのチェーン店D、父の好きなオーディオメーカTの支店があることがなんとなく印象に残った。
 転校して3か月、ヤマダは成長してきていた。 

つづく。


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