諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

193 近未来からの風#29 OECDからカリキュラムへ

2022年11月27日 | 近未来からの風
秋の山で 晩秋 硫黄岳東斜面を望む

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第6章カリキュラム分析とデザイン原理

ここまでは、2030年までの教育のあり方について、近未来に向けての大局的な観点で、そのビジョンが示せれてきた。
この章以降については、それを実際のカリキュラムにどう落とし込んでいくのか、について述べられていく。

こうした国際会議においては、各国に落とし込まれるカリキュラムについての議論は、必ずしもこれまで活発には行われてこなかったようである。「ほとんど行われてこなかった」と白井さんは述べている。
各国の手続き論が先行される面が強いことが想像できるから、議論の仕様がむずかしいことは理解できる。

DeSeCoの場合には、コンピテンシーの論理的枠組みの構築に力が注がれたが、その一方で、カリキュラムや指導法など、具体的な教育政策、教育実践に移していくための橋渡しが十分でなかったことがある。

その背景には、

一般に、カリキュラムの策定に関しては、教師、生徒、保護者といった直接的な利害関係者だけでなく、企業や業界団体、NPO団体を始めとした様々な団体が、それぞれにとっての重要事項をカリキュラムに盛り込むことを求める傾向にある。例えば、金融業界は、金融協会の充実を求めるし、法曹界であれば法教育、ICT関連業界であれば、情報・ ICT教育、環境保護団体であれば、環境教育の充実を求める事は、ある意味で当然である。各国のカリキュラム策定者は、こうした多様な社会的ニーズをカリキュラムの上でどのように扱っていくかを考えなければならない。しかしながら、学校教育の年限も、年間の授業時間も限られているし、教師や生徒にも過密の内容を求めることができない以上、カリキュラムにどのような内容を盛り込むかと言う検討は、慎重な舵取りが必要であり、利害調整を伴う、政治的なプロセスとしての側面を持つことになる。そのため、プロジェクト開始当初は、各国の教育上からは、カリキュラムを国際比較の対象として取り上げることについて、消極的な反応が示された。

国際的な比較にさらされる中で、それぞれの国内における政治のバランスの上に作られたカリキュラムを壊してしまうことへの懸念である。


この辺の機微については、本ブログの趣旨からややそれし、ますます手にあまるので、本章のプロットを示し、内容のアウトラインとして参考になればとおもいます。若干の引用は補足の意図です。

1 カリキュラム分析の手法
 多くの国がカリキュラム・オーバーロードの問題に直面している中で、生徒が必要なコンピテンシーを身につけるために、どのようなアプローチをとるべきかについて、各国が模索している状況であった。

(1) カリキュラムに関する政策質問表調査(PQC)

(2) カリキュラム・コンテンツ・マッピング(CCM)、
 政策レベルで参考にできる資料が作れないかと考えて、筆者(白井さん)がOECD事務局勤務時に提案したのが「カリキュラム・コンテンツ・マッピング(Curriculum Contents Mapping;CCM)」である。
① CCMの基本的な考え方
② CCMの方法論
(CCMについは、かなりの労作で、突き詰めていくと学習指導要領の随所に影響を与えているものであることがわかるはずです。本書でも全部は紹介されていない。)

2 カリキュラム分析の3つの局面
 各学校が「教育課程」を策定するうえでの基準になるのが、「学習指導要領」である。これに対して、「カリキュラム」という言葉は、一般に「教育課程」より広義に解されており、「計画レベルだけでなく、実施レベル、結果レベルまで含むものをある」と考えられている。

当然であるが、政府機関等がどれほど理想的な「(1)意図されたカリキュラム」を策定したところで、それが円滑に実施されないことには画餅に終わってしますことに留意する必要がある。

(1)「意図されたカリキュラム」
イギリスのように、国が定めるカリキュラム(ナショナルカリキュラム改革)は、学校のカリキュラムの5割程度を想定しており、残る5割は、学校の裁量の中で決定していくという方法もある。しかしながら、カリキュラムの統一性を緩めれば緩まるほど、地域や学校ごとのカリキュラム格差が生じていくこともことにもなる

(2)「実施されたカリキュラム」
 「意図されたカリキュラム」と「実施されたカリキュラム」との間の乖離についは、各国における共通の課題として認識されている。

(3)「達成されたカリキュラム」
 測定しやすい学力は、デジタル化・オートメーション化されやすい学力である。ペーパーテストで簡単に測れる学力をつけたところで、それだけでは、必ずしも教育目標を達成したことにならない。

3 カリキュラム・デザインの基本原理
(1)「意図されたカリキュラム」のデザイン原理
 ①一貫性
  「順序立て」
 ②厳格性
  「発達段階」、「やる気」、「深い思考」
 ③焦点化
  「内容をなるべく少なく」「学習の深さや質のあげるべき」
 ④転移可能性
  「スキルや価値観及び態度などの役割」の明確化
 ⑤真正性
  「現実社会との関連づけ」「学問的な原理(ディシプリン)に基づいた知識」

(2)カリキュラムの実施の原理

(3)カリキュラムのデザインに際しての留意点
  カリキュラムの主要な担い手である教師の状況を踏まえたカリキュラムのデザイン
 ①整合性
 ②教師のエイジェンシー
  教師が、教育の専門家として、知識やスキル、専門性を発揮して、カリキュラムを効果的に実施していくこと
 ③策定への参画
  初期段階から策定にかかわること。実施段階においても「自分ごと」として意識が醸成される。

以上、駆け足での概要を紹介した。これまでも何回か学習指導要領を読んできたわけだが、この章は、まとめ上げる実務の重さのようなものが漂ってくる。

次の章でも、カリキュラムのオーバーロード(教育内容の積み込み過ぎ)という現実を考える。

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192 近未来からの風#28 寛容性と責任感の普遍

2022年11月20日 | 近未来からの風
秋の山で 11月 松原湖

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省

第5章 2030年に求められるコンピテンシーとその基盤(つづき)

この第5章は、改めてOECDのキーコンピテンシーについて解説している。
あのラーニングコンパスの中心部分である。

前回は、その1つ目、(1) 新たな価値を創造する力、部分を読んできた。
今回は、
 (2) 対立やジレンマに対処する力
 (3) 責任ある行動をとる力
について考えていく。

ただ、興味深いのは、(1) 新たな価値を創造する力、ではたびたびイノベーションとか、変革への意志と柔軟性など、勢いや新しさを求めた面が強かったのに対して、今回の(2)、(3)では、こうした力強さとは違うトーンを感じるのである。そのことを最後にまとめてみる。
今回も私なりの部分を引用をしていきながら進める。

(2) 対立やジレンマに対処する力

交流の機会が増え、また交流が密になるほど、その場かぎりでの表面的な付き合いだけでは済まされずに、一定の対立やジレンマ、トレードオフの関係が生じてくる事は必然とも言える。そうした場合には、単に対立やジレンマを回避したり、先送りするだけでは解決につながらない。関係者が納得できるような解決策を見つけ、折り合いをつけていくことが必要になってくるのである。

VUCAが進行する時代においては、様々な事象がよりいっそう複雑に関係しあうようになる。そのため、対立やジレンマが生じた場合でも、特定の「唯一解(single solution)」を見つけようとしたり、あるいは、もっと単純に「Aか、Bのどちらにするか」といったように与えられた選択肢から選ぶだけでは、問題の解決につながらない場合がますます増えてくるだろう(OECD、2019)。

対立やジレンマを解決していくためには、物事を様々な観点から見ることが求められるし、あるいは、物事の見方が異なってくる場合には、そうした問題の背景に何があるかを認識することが必要になる。そのためには、認知的柔軟性(cognitive flexibility)や他者視点の獲得(perspective taking)が重要になる。

国際間のグローバル化だけでなく、個人主義的な生活様式が進む中で、人権意識を高め、様々な状況や心情の他者と「新しいアイディアを生み出すきっかけ」にもなりうる関係性をつくることが重要だといっている。

(3) 責任ある行動をとる力

ここで含意されているのは、「(外部からの介入なしに)自分で決められること」である。もちろん、その事は重要であるし、否定するべき理由は全くない。しかしながら、今後2030年に向けて、様々な物事が複雑化して相互に絡み合っていく時代に、自分自身のことだけでなく、他者や地球環境などを含めた社会全体におけるウェルビーイングを実現していくためには、「自分で決められること」を大切にするだけでは、十分ではないとも考えられる。
重要なのは、自分自身のウェルビーイングだけでなく、他者のウェルビーイングであるとか、社会全体のウェルビーイングといったことも踏まえた上で、行動していくことである。その際に重要になるのが、「責任(responsibility)」と言う概念である。すなわち、自らの行動について、自分自身だけでなく、他者や社会にとっても責任を取れるものとしていくことが重要であることで、これから「責任ある行動をとる力」と言う「変革をもたらすコンピテンシー」が導かれることとなったのである。

実は、この後に「責任ある行動をとる力」のコンストラクト(構成要素)が沢山あげられているのだが、教育要素の総力の結果のように感じる。それだけ新たな時代は、健康な意識の強さが必要なのだろう。


ところで、考えれみると、(2)、(3)の内容は、表現において「今後ますます」とか「VUCAが進行する中で…、」などの表現があるものの、従来からの教育が重視してきた、「異質な人々から構成される集団で相互に関わり合うこと」や、「自主的に、主体的に、責任を持って行動すること」と大きな変更がないようだ。読みながら意外性がない。
この2つの事は、日々学校で、教室で、私たちが腐心している部分でもある。
そして、そのことを裏付けるように、白井さんは次のようにまとめる。

以上、3つの変革をもたらすコンピテンシーについて見てきたが、これらに共通するのが、とりわけAIが普及する時代において、いずれのコンピテンシーも、人間にとって固有の力であると言うことである。例えば、「対立やジレンマに対処する」するためには、複雑で曖昧な文脈や状況を読み解き、理解することが求められる。しかしながら、少なくとも現在のAI技術レベルでは、常に変化し続けるような不確実で曖昧な状況に対処したり、新たな価値観を創造したり、目標の変化に柔軟に対応していく、といったアルゴリズムに落とし込む事ができない事は解決できない。だからこそ、これからの教育には、とりわけ人間にしかできない力を身に付けられるようにしていくことが求められるし、ここで示されている変革をもたらすコンピテンシーも、正しく人間として求められる力なのである。
これからの教育には、これまで以上に、こうした人間固有のコンピテンシーの育成に注力していくことが求められるのであり、その基盤としてのカリキュラムの重要性が改めて認識されるべきだろう。


そして続けて、

例えば、「新たな価値を創造する力」にしても、それにつながる知識やスキル、態度及び価値観は、芸術など特定の教科だけで教えられると言うものではなく、国語や数学、体育など様々な教科において横断的に教えられている。また、これらのコンピテンシーは学校だけで学ぶものではなく、家庭や地域も、生徒にとって重要な学習の場であることも留意する必要がある。

「教育の未来」を提言する国際会議で、各国の専門家が、逆に従来の学校教育等の中の普遍的なところ指摘しているのである。


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191 近未来からの風#27 価値の発見者の育成

2022年11月10日 | 近未来からの風
秋の山で6 八ケ岳山麓と空

「VUCA」(Volatility・Uncertainty・Complexity・Ambiguity)(不安定,不確実,複雑,曖昧)という未来像での学校教育はどうあるべきか、各国の有識者はどう考えるのか「OECD(経済協力開発機構) Education 2030 プロジェクト」から見て行きたい。
テキストは、
白井 俊『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来:エージェンシー、資質・能力とカリキュラム』ミネルヴァ書房 (2020/12/22)
参考のHP
OECDにおける Agencyに関する議論について - 文部科学省


第5章 2030年に求められるコンピテンシーとその基盤
 
多分、各国の学校教育等のあり方は、見通せる未来のマップを想定して、子どもや教育の状況、社会の傾向、政治情勢、経済評価などを踏まえ、コンテンツを提示してきたはずだ。
だが、未来が曖昧にしか見えないと、地図やその他の条件も示しきれないまま、子どもたちに脚力(エイジェンシー)と、考えられ最高のコンパス(コンピテンシー)を持たせることに教育の重点が移つされるということになる。
そのことに国際会議の各国が同意し、共通認識されること自体、元来、お国柄や個々複雑な国情を映し出してきた教育のこれまでのありかたをかえつつあると言えるだろう。教育のグローバル化は、どの国にとつても、未来のビジョンが見えにくいこととつながっている。
学校は、統治者が統治機構を経て、国民が国家の「維持・発展」に資するように管理してきた面がある。それに対し、個人の教育要求と折り合わないとして、国民の側とそのあり方についてせめぎ合いが生じる。こんな構造があるわけだが、この会議では、今後の教育は、「変革をもたらすコンピデンシー(能力)」がテーマだといっているのである。

「変革」は統治そのものを危うくする面すらあるし、一人ひとり違った素朴な個人の教育要求ともマッチしにくいはずである。
これが成り立つのか。
そんな観点で、この章を見ていこう。
「変革をもたらすコンピデンシー」
を支える3つの力
 ・新たな価値を創造する力
 ・対立やジレンマに対処する力
 ・責任的行動をとる力

1 変革をもたらすコンピデンシー

(1)新たな価値を創造する力

イノベーションと学校との関係を考えていく記述の一部を抜粋する。

イノベーションを起こしていくために重要なのは、「現状(status quo)に疑問を持ち、他者と共同しながら、既存の枠組みにとらわれずに考えること(think outside the box)」(OECD、2019)である。この事は一見当然のように見えるが、古典的な学校像を前提にすると、これとは正反対に、「決まったことに疑問を持たず、自分一人で、既存の枠組みの中で考える」ことを重視する傾向があったかもしれない。しかしながら、それではイノベーションにはつながらないだろう。また学校教育において、いくらイノベーションが大事だと強調しても、これまでの教育システム全体が、必ずしもイノベーションを促進しようとするものではなかったかもしれない。

また、実際に起業したり、イノベーションを起こしたりして社会に大きな影響与えた人の中でも、学校での成績が悪かったり、場合によっては学校ドロップアウトしている人も少なからず見られる。すなわち、イノベーションが教育の「副産物」として生まれるどころか、もっとひどいケースでは、「教育に反して」とか「教育にもかかわらず」、イノベーションが生まれてきた場合すらあるとして、批判的に見られる面がある(OECD、2017b)。

古典的な教育とは反対に、「現状に疑問を持ち、他者と共同しながら、既存の枠組みにとらわれずに考えること」につながるような教育に変えていけば良いのである。

そのためには、生徒一人一人が柔軟に発想していくことができる機会を作っていくことが重要である。

この「新たな価値を創造する力」を構成するコンストラクトとしては、どのような様子が考えられるのだろうか。まず必要となるのは、生徒が新しい物事に積極的に関わっていこうとする意志や態度であり、例えば、しっかりとした目的意識(sense of purpose)や好奇心(curiosity)を持っていること、いろいろな考え方に対して開かれた考え方(open mindset)ができることが重要になる。また、そもそも現場にすっかり満足してしまって、その改善しようとすることができなければ、新たな価値は生まれてこない。その意味では現場を客観的に捉えようとする批判的思考力(critical thinking)や新しい解決策を考えるための創造性(creativity)も必要になるし、複雑な問題に対しては、様々な観点からアプローチすることが必要になるため、自分だけではなく、多様な他者と共同すること(collaboration)も求められる。さらにそうした解決策がうまく機能しているかどうかを判断するためには新しい発想をどんどんと試してみる俊敏性(agility)が必要になる。もっとも、新しい取り組みをする事は新たなリスクを生み出すことにもつながるから、新しい取り組みによって生じるリスクを適切に管理していくこと(manage risks)も求められるまた、そうした際には、新しい考え方や発見に基づいて、自らアプローチを柔軟に変えていく適応力(adaptability)も必要になってくる(OECD、2019)。


ここは哲学的に面白い。
「新たな価値を創造する力」と言いつつ、既存の価値観を基盤にする面の強い学校で実際にイノベーションを促進する者を育成できうるのか、とういう計である。
そもそも法に基づいた学校は標準的な内容を求められるとイノベーションは遠のきそうだが、一方で既存の価値観は無視できないし、「標準」がマイナスとは誰も言えない。
そして、そもそも「新たな価値」は誰も知らないわけだがら、条件や方法論あったにしても近似値に過ぎない。
教育は経験科学、という表現はちょっと懐かしいが、経験のないところでどう価値を創造する教育を設計できるのか。
など、抽象的なこんな理屈ではとらえきれない。
間違いなのは粘り強い検討と、解ききれない課題に向かい続ける情熱であろう。

次回、「対立やジレンマに対処する力」「責任的行動をとる力」に続く。



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190 近未来からの風#26 コンパスの意味

2022年11月06日 | 近未来からの風
秋の山で 6 蓼科山 亀甲池からきたところから

このテキストの読解も長くなってきました。
ここで再びOECDの議論の枠組みをラーニングコンパスにもどってもう一度整理しておきます。




① 左下にランドセルを背負った子が見える。
この子がこれから未来へ歩いていこうとしている。
周囲には、仲間、教師、親、コミュニティーの人々がおり、ここで育まれて成長してきている。(これを共同エージェンシーと言う)

② そしてこの子は、同時に、学校(家庭、地域)で各種のエージェンシー(やる気とか主体性)を身に付けてきている(第3章)。

③ これからこの子が向かう目的地は、長い道のりを経た先の地図の右上、「2030年のウェルビーイング(The future we want)」山である。

④ ところがこの山は、VUCAの時代にあって、どこにあるのかはっきりしないから、向かうべき道もわかりにくい。そこで頼りするのがこの子が手にしているコンパス(方位磁針)なのである。どんなコンパスか?

⑤ そのコンパスを拡大したもの(中央)を見ると、
・(教科等の)知識群
・(各種の)スキル
・態度
・価値観 
      
第4章で取り上げた、コンピデンシー
という学校教育で扱いやすい4つのコンピテンシーが中央にあり、これから述べる「変革のコンピデンシー」に向け、それを支え、何らかの影響を与えるものとして縦横方向に突き出している。

⑥ そして、生徒等の発達の段階や有り様を加味しながら、コンパスの針は変革をもたらす方向に向く(向くべき)としている。

⑦ そしてその針の方向に確信をもたらす要素として、あるいは教育の成果として、
これから第5章で述べる。
・新たな価値を創造する力
・対立やジレンマに対処する力
・責任的行動をとる力

があり、この子は自信をもって、価値を創造しながら、対立やジレンマに対処し、社会人として責任ある行動としての歩みを続けていくということである。

以上、がおおまかなシナリオのリマインドです。

いづれにしても次世代(現世代も?)は、前世代から地図は与えられず、霧で見えないウェルビーイング山にコンパスを頼りに登るイメージである。


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