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諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

265 幸福をどうするか #17 予定調和の習慣

2025年05月10日 | 幸福をどうするか
5月 焼岳 樹林帯を抜けると早くも双耳峰の頂上が見えてきました。ここからが長いのですが。中の湯側から登ってます。

「幸福をどうするか」を考えてきましたがまとめていきます。その1。

考えると、幸福を意識してるのは人間だけであろう。
動物は幸福を願ったりしない。

抽象的で恐縮な話になるが、流れていく時間を捉えるのは言葉である。
明日を「明日」として言葉にして意識することで、明日は存在することになる。
動物にも明日はあるが、意識としの「明日」はない。

人間は、時間ということが意識できるようになり「未来」が出現した。
「来年はいい年になりましように」
これからくる未来に対して期待をもつと、現在への評価がはじまる。その間隙に「幸福」という概念が生じる。

未来をもたない動物はここにあること、のみで生きている(だろう)。
自然環境への適応、食べ物の獲得、生殖への行動は率直である。
そこに幸福というややこしさは入りこまない。

さらに現代の「時間」は、太陽の高さや月の満ち欠けではない。
時計やカレンダーという目盛りがつく。
寿命が80年であることが明確になると、人生は時に分割される。
1年は365日。腕時計はその1日を1440分に分割する。
目盛りがふられた時間では今現在はすでに次の目盛りを意識した「今」に置き換わる。
「もう8時だから、〇〇やっておかねきゃ」
次の時間のための今。

都市部はさらに顕著だ。
路線検索して、3回乗り換えても確実に〇時〇〇分に〇〇駅の着いて、打合せに間に合う。
途中コンビニによって買い物をしつつ、公共料金の振り込みをして、ついでにあのコンサートのチケットを確保する。
同じように、有名進学塾に行けば、偏差値の高い学校にはいれるし、Jリーガーになるにはそのジュニアチームに入る。
明日のイメージを意識すればするほど、今は明日に縛られる。

すると、幸福は明日にあるもので、3回乗り換えて必ず着くはずのもののように感じてしまう。
実は幸福はこうしたことではないことを幸福の諸研究はいっているのであろう。
幸福は予定調和なものではなく、もっと率直な生のもとにあると。



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