諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

124 感想の表裏 B面

2021年02月28日 | エッセイ
道 雲取山 有名な防火帯にそって

つづけます。

感想のB面。
元気で楽しい授業」について考えたコメントは以下の通り。ま、ボツ原稿なのですが。


教育がまだ人の営みの中で未分化だったころから人々は共同体の中で助け合いながら生きてきました。暮らしを維持するためには昔も今も頑張る必要もあったでしょう。
狩猟・採集の時代は、村の誰かが
「いくぞー」
といって森へ獲物を求めて仲間を誘っただろうし、
「はい、これもって」
と言って採取した植物を入れる籠を配った誰かがいたでしょう。
その中に赤ちゃんがいて、籠を渡されたお母さんに代わって、
「ほら、行ってきて、赤ちゃんみてるから」
と言った年寄りもあったでしょう。

共同体の実際をよく見ると、力を合わせるというが、自然発生に行われるのではなく、それを支える推進者がいたと思われます。
つまり、
一緒にやろうよ!
と声を掛ける人です。
そして、それを理解したり、気持ちを共有したものが、
「わかった、やろう」
と呼応して、穏やかだが、規律性のある共同体は維持されてきたと思われます。
そこで、老若男女がそれなりにくらしてきた。

「一緒にやろうよ!」
という提案によって、人が動き、それによって心身共に人は変わっていったことでしょう。
それが、自然な形での“教育”といってもいいかもしれません。
そして、そんな光景を目にしながら、肌で感じながら子ども達は、共同体の一員としての自覚と技能を身に着けていったことでしょう。
「一緒にやろうよ!」と声を掛けられるのを待ちながら。

このことは、もちろん近代以前だけの話ではありません。
世の中にあるすべての組織そのものの成り立ちが、誰かによる「一緒にやろうよ」が起点になっています。この学校だって誰かかが「ここに学校をつくろうよ」と周囲に言ったにちがいありません。
身近なところでも、家族・友人で楽しく過ごすためには誰かが「一緒にやろうよ」の声を掛けなきゃはじまりません。
そして、気持ちが一致して、あるいは理解が進んで、
「じゃ、やろうか!」
となった時、身近な共同体も、生気を帯びてくるものです。

「一緒にやろうよ!」
という小さな掛け声が社会や人々の暮らしを発展させ、豊かにしていくもともとの原理だと思います。
コロナの中で現在、「一緒にやろうよ!」が言いにくく、したがって違和感を抱える人が多いといわれています。

幸い学校は開かれています。
授業の中で、学校生活の中で、子ども達には、明るく、楽しくしく「一緒にやろうよ」と誘ってあげるといいです。
もちろん「一緒にやろうよ!」はインクルーシブ社会の根本でもあります。

明るく、楽しい授業の中には、先生の「一緒にやろうよ!」というメッセージが詰まっています。


という原稿ですが、早々に断念した。
「一緒にやろうよ!」も、(あまり大風呂敷で)相手がもてあましては「じゃ、やろうか!」にはならない。そこが難しいところである。(了)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

123 感想の表裏 A面

2021年02月27日 | エッセイ
道 南アルプス 夜叉神峠から鳳凰三山へ 5月

若手の先生の研究授業が行われ、生徒下校後にその授業についての話し合いが行われた。

授業は、細部に指摘はあったものの、元気で楽しい授業で、見ている全員が自然に好印象をもった。

元気で楽しい授業

話し合いの席上、このことに触れて話したかったが、他の先生のコメントとのバランスあってややフォーマル?なコメントを述べた。


「特別支援学校は、子ども達の発達や障害の状況に個人差があるから、大きな原則はあるが何をどんな活動を通して教えるか、ということから考えて授業をつくるのが特徴です。そこが、小中高等学校のいわゆる“定型発達”と言われる子ども達の教育課程と異なる点です。」

「したがって、授業を作るには、日々子ども達と係る中で感性を働かせて、今の彼らに何こそ必要なのかを発見することがとても大切です。いわば子ども達の中に教育課程を見出すことでもあります。」

「この子には、今これが必要だと感じて単元を構成し、授業の準備ができた時、話し方、教材の提示の仕方、子どもからの発信を待つこともにも確信がもて、子どもの心の動きとともに展開する授業ができると思います。」


このコメントがこの若い先生の授業づくりに今後生きてくるのかどうか分からない。
でも、協議会の席上、言っておく必要はあろう。
毎回、授業へのコメントは、行き先を案じてしまう。

ところで、案じてしまって?(もちろんそれだけではないが)結局触れなっかったのは「元気で楽しい授業」についてである。
なんで、みんなそのことに好感をもっちゃうんだろう、ということだ。

「元気で楽しそうでいいですね」という感想で十分であるとも思うのだが。
感想のB面に続く。
               
                      (つづく)




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

122 主人公

2021年02月21日 | エッセイ
道! 信濃川上村。 左右は高原野菜の畑です。

小説家の遠藤周作さんのことだからずいぶんと前の話になる。

遠藤さんは熱心に劇団を主宰していた。
「樹座(きざ)」といった。
オペレッタを上演するこの劇団は、全員舞台の経験のないアマチィアがキャストを務めた。

オーディションには毎回大勢の人が集まった。
こんなにもステージに上がりたかった人が多いことに遠藤さんも驚いたという。

それもそのはずで、キャスト以外のバックのメンバーはプロできちんとオペレッタを成功させるべき準備されていた。しかも会場は帝国劇場なのである。

「みんな、舞台にあがりたいんですよ」
と遠藤さんはいうが、気兼ねなくアマチィアが集まったのにはユニークな工夫がある。
合格基準を、
「音痴であること」
としたのである。

審査員の前で歌を披露した参加者には、合否が発表されるのだが、そういう基準だから、不合格者は結果に納得し、逆に合格者は苦笑いしていた。

果たして、稽古で磨かれた「樹座」の公演は好評だったらしい。
素人(で音痴)であってもステージにあがり主人公となったとき、何らかの魅力を発し、見るものにもそれが伝わった。

その後、公演は遠藤さんが亡くなった後の追悼公演を含めて22回も行われた。

当時、ラジオ番組に出演した遠藤さんは、劇団のことに触れ、少し小さな声で、
「でも、なんですなー、音痴はいつまでも音痴ならず、ですなー」
音痴を惜しむかのように言っていた。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

121 幸福の種 #16 まとめ 🈡

2021年02月14日 | 幸福の種
八ケ岳🈡 横岳~硫黄岳の稜線 ここでたくさんの高山植物がみられます。

幸福の種⑦
「絶対諦めない」という言葉

シリーズ最終回は、困難な状況にある子ども達のことについて考えます。


「幸福の種」というシリーズではあるが、幸福を一般論であてはめにくい子がある。
幸福は、結局その子の背負っている条件によることが多い。
大まかだが、一般論がある程度あてはまるケースと、条件がシビアでそんな枠組み自体をかぶせるべきでないと思われるケースがある。

教師としての一定のキャリアがあると、いろいろな子ども達がいろいろな条件下で生きているケースを見てきている。
その中には、私達自身の想像力でも届かない状況になっているものも少なからずある。

幸福論を考えている時、それらのケースを思い出しつつ、自分の考えが通用するものか、それぞれのケースにあてはめて検証してみる。
それは避けられない作業だが、ハードである。
考えているうちにかなりの体力が消耗するような感じがある。
(あの子に、「幸福」だなんて‥)

でも実際、そういう状況の子を「想定外」などとできない。
しかも、その子ども達は、その状況を自ら主体的に招いてしまったわけではない場合が多いから、「私だって…」と言われた時、大変せつない。

もちろん、それを解決するのは教育によるものとは限らない。児童福祉の分野だったり、将来の危機はその時の社会システムが対応する問題なのだろう。

しかし、子どもたちの届かない現実を感じながらも、教育には(教師には)彼らに道をつける方法がある。
まったくシンプルな方法だが、

「絶対諦めない!」

と、言葉でいうことではないか。

幸福を希求する力を呼び起こすための言葉の力ともいえよう。
その子を知り、共に生きてきた教師にできることである。

そして、その担保になるものが、本テキストにある。
困難な状況にある方々が、どう生きがいを求めて行ったかを綴った記録である。

彼らは極限とも思われる状況でも“変革体験”を経て生きがいを得て行く。
生命が、もともともつ底力を証明するかのように。
そして、その「変革」の中身への注意そのものより、「諦めない力」も強く働き得るということも分かるのである。
「絶対諦めない」ことは、絶対何らかの生きがい(幸福)へとつながっていく。

そんな個々の記録の辻々に神谷さんのキーセンテンスがある。

・生きていて出会う、いろいろの場面を味わい、その中から生きがいを見つけ出すこと
・生きがいは、「生きがい感」という感覚なので、人に理屈で説明できなくていいこと
・「生きがい感」は人のそれとは比較できない
・生きがいが奪われた時こそ、生きがいが、もともとあるものとして、再度発見する
 機会になる
・生きがいは動的なもので、形がない。働きとして感じる精神性の感性こそ、これに気づく
・絶望の弦楽器は自分で鳴らすものとして、絶望した時に作られるが、その楽器は他人の絶
 望にも共鳴し、共感しうる
・そもそも生きていることは、大きなものの上に成り立っている
・孤独な悲しみの底で、その自分をそれでも支えているものに気がつく、返って孤独でない
 ことに気づく。
・生きてるだけで、生きがいはそなわっている


これらは、どんな重篤な場面でも希望を失わなかった方々の至った貴重な境地といってもいいだろう。
それは手の届かな子(人)の魂を救う言葉になりうるのかもしれない。

そして、私達(ことに特別支援学校の)教師にとって大きいのは、重篤な病をもった人に真摯にむきあい、彼らの視線を慎重に、そして謙虚に追いながら自らの視線もあわせようとした人があったことである。

神谷美恵子さんは別の本で、自ら病で倒れ看取られる側に立った時、こんな詩を書いたという。

こころとからだを病んで
やっとあなたたちの列に加わった気がする
島の人たちよ、精神病の人たちよ
どうぞ 同志として うけ入れてください
あなたと私のあいだに
もう壁はないものとして

凄い人がいるものである。

        (シリーズ 了)


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

120 幸福の種 番外

2021年02月07日 | 幸福の種
八ケ岳 北八ケ岳から南八ケ岳をみています。一面のカラマツ紅葉

まとめが長くなってます。
私たちは子ども達の幸福のついて意識的に、あるいは無意識に考えつつ、日々の指導に当たっています。

だけど、こんな根源的な問題を意識レベルで、過ぎ去る日々の中で立ち止まって考えるのは難しいものです。

私自身、幸福論を考えとき、息をつめて、海底の真珠をとりに、素潜りで挑むような感じがしています。
なかなか、日常の諸事に追われて息が持たないというの実感です。

でも実際。日々の指導の根底には「どう係ったら、この子の将来に有用だろうと」無意識に思っているはずです。
そこには個々の先生なりの子どもの関係者としての「幸福論」が働いているはずです。

そんな想いによって、日々の指導は成り立ってします。
こんなことは「学習指導要領」にはなく、みな自前の良心によっているのです。

そんな感覚。

そんな自前の良心を発揚?しあうシステムが仲間なんだろうと思ったりします。
手弁当?であつまるような仲間たちこそ、幸福論の答えをもったいるのかな、と思ったりします。

今日は、まとめはできませんでしが、もう少し、海底に潜って真珠をさがしたいと思います。

Coming Soon.


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする