諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

204「やっちゃん」という随筆

2023年04月23日 | エッセイ
定番 高尾山縦走🈡 到着!陣馬山山頂 縦走完結 この後、藤野駅に下山

毎年、司馬遼太郎さんの命日を記念してシンポジュウムが行わる。
今年もテレビ放送があり、例年の通りたくさんの長編小説が取り上げられていた。そんな中、大作に肩を並べるようにある小品が印象的に紹介された。
たまたま本棚にあった随筆集のこの一編を読みかえすと、改めて番組の識者のコメントが気になって録画を見てみた。
すると、司会者に指名されたパネラーの作家も短い言葉で表すことに窮したような表情で…、「奇跡の名作」と言った。


やっちゃん

「ボクがボクであることの証はこれだ」
と、小学校5年生のやっちゃんは、まさかそんな難しい言いまわしはしなかったが、似たようなことを子供ふうのことばでいった。
まず、ぐいっと左耳を上げる。やがて上下に動かす。後は電動式みたいにさかんに動かした。
難は、当人が笑うと耳が静止してしまうことだった。だから、耳を動かすときは、真顔になる。
「右耳も動かしておくれ」
と、たれかが頼んだが、やっちゃんは丁寧に断った。「いまれんしゅう中だ」。
 六年生になって、やっちゃんが珍しく算数で100点をとった。先生がその答案を両手でかざしてほめると、この少年は地面から出てきたばかりのワラビみたいに、大きな首を垂れてはずかしがった。
 それが転機になったのか、以降、耳を動かさなくなった。両者のあいだに、何か心理的な関連があるらしかった。
 十五、六の時に左官の徒弟に入った。この道では「土こね三年」というが、土こねや追いまわしばかりさせられて、そのうち兵隊にとられたため、十分な技術が身に付かなかった。
 戦後は、ヤミ屋の時代だった。
やっちゃんもその仲間にはいったが、すぐやめた。
「こんなもの、身につかないよ」
再び左官の子方になってやりなおした。無収入同然だった。
そのころのやっちゃんに、大きな夢があった。
徒弟時代に見た姫路城の白亜や総塗籠の土蔵、あるいは高名な料亭の座敷でみた渋紙色の聚楽の壁のようなものを塗りたいということだった。
しかし、戦後の経済事情の中で、そんな古典的な普請がやたらとあるわけではなく、建売り住宅の壁ぬりやトイレのタイル張りなど、ただの左官業としてあけくれた。
三十前後で独立し、その後、ちまたの左官業として十分成功したが、ただあこがれの聚楽や白壁の注文はなかった。
もともと出発点が悪かった。京都の千家に出入りするような親方を師匠にもてばよかったのかもしれないが、そういう機会にはめぐまれなかったのである。

六十すぎて、隠居した。
マンションに老夫婦だけ住んだのだが、自宅の、スプレーでペンキを吹きつけただけの外壁や、安っぽい床の間の壁が気に入らなかった。
「この壁を聚楽にする」
と思ったが、奥さんが反対した。マンションに聚楽はそぐわないし、掃除のたびにぼろぼろと砂が落ちる。それに冷暖房のために悪乾きに乾いて、ひびも入るだろう。
「世の中は、思うようにはいかないな」
と、近頃やっちゃんが言う。
「職人でも商人でも、若いうちにいい師匠を見つけることだよ」
そんなわけで、彼は、ぜいたくな仕事と言う場数を踏んでいないのである。
だから、聚楽を塗ると思いたつにしても、
「おれには塗れやしないよ」
空想なんだ、と言っていた。
「ただ、俺の頭の中には、大した左官が住んでいるんだ。それは彦根城だろうと何だろうと、楽々と塗ってしまう」
そういえば、引退後やっちゃんは、建築史の学者のように、京都や奈良の建築や茶室の壁を見てまわっている。
「いい壁は、宝石だね」
しかしその“宝石”を塗る腕はない。
「ああいうものを見ると、自分の一生がでくのぼうだったと思うんだ」
「ところが、六十になって、こいつだけはできるようになった」
と、やっちゃんが急に真顔になった。
両耳を動かし始めたのである。
「―女房のやつ、変におだてやがって」
私はやっちゃんの奥さんに会ったことがないが、きっと気が優しくて賢くて、この鬱懐症の亭主のあやし方を知っているんだろうと想像した。
「男の一生というは単純だね」
そのようにいうやっちゃんが、私には聖者の列に加わっているように思えてくる。
                                      (1987年3月2日)



                    『風塵抄』中央文庫  




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203 奥にある世界

2023年04月02日 | エッセイ
定番 高尾山縦走 約7時間の行程 ほとんどが穏やかな山道

スタニスワフ・パヴェウ・ステファン・ヤン・セバスティアン・スクロヴァチェフスキという長い名前の指揮者がいて、別名が「ミスターレントゲン」だという。
「楽譜には無駄な音譜はないはずだと」として丁寧な音作りをする。
結果、それまで聞こえてこなかった内声部の音も立ちあがって従来の曲のイメージにさらなる奥行を与えるのである。
曲の隠れた意図を透けて通して音化することから「レントゲン」ということである。

例えば、ベートーベンの「運命」にしても主旋律に圧倒させがちだが、内声部が聞こえてくるとより私的なベートーベンの姿があらわるように感じられて曲の味わいが増す。

≪参考≫
Youtubeを貼ります。再生環境によってレントゲンの見え具合?も変わりますが…。
ベートーヴェン 交響曲第5番ハ短調 スクロヴァチェフスキ指揮ザールブリュッケン放送交響楽団

ジャズもちょっと聞いただけでは単純なインストゥルメンタルとかイージーリスニングに感じたりする。
だからジャズは分かりにくい、となる。
私自身も、長くマイルス・デイビスといっても…、と思っていた。

ところが、ジャズの名盤を積極的に紹介している村上春樹さんによると、

(ジャズを分かるようになるためには)何も100曲を聴く必要なない。同じ曲をアドリブ部分も含めて全部覚えるつもりで聴くことです。

という。
で、実際やってみると不思議なことに、ある個所のシンバルの小さな音がいい感じだったり、ちょっとずらしてピアノが追いかけるくることがカッコよかったり、目立たないけど時々アドリブを入れるベースがいい味だったり…、を感じられてくる(ようだ)。
≪参考≫
名盤の1つというビル・エバンスの「Portrait In Jazz」

また、見ることについても、小林秀雄が次のように語る。

(画家が花の絵を描くのは)花の名前などを表しているのではありません。
何か妙なものがあるなと思って、諸君は注意して見ます。その妙な物の名前が知りたくて見るのです。「なんだすみれの花だったのかと」わかればもう見ません。これは好奇心であって画家が見るということではありません。画家が花を見るのは好奇心からではなく、花への愛情です。愛情ですから平凡なすみれの花だとわかっていても飽きないのです。

                                   「美を求めるこころ」

日常は、諸事に追われ聞いていないし、見ていないことが多いに違いない。





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