諦めない教育原理

特別支援教育は教育の原点と聞いたことがあります。
その窓からどこまで見えるか…。

35 子ども時代の意味#3 タナカの場合

2019年07月14日 | 子ども時代の意味
(写真)夏山のふもと

 帰りはやっぱり湾岸渋滞。向こうまで続くテールランプ。
子どもは後ろでポップコーンのバケツを抱えたまま寝ている。

 タナカはさっきのパレードのことで、ぼんやりと中学校時代の中にいた。
 

 あと一勝で決勝進出の中学野球の地区大会。8回の裏、相手の攻撃。
 打球はファウルフライになってキャッチャーとサードタナカの中間に上がる。薄曇りの空に黒いシルエットのボール。何度も見上げた空とボールの関係に捕れると確信できた。
 でも練習とは違うフライ。ここで守り切れば勝ちに近づく8回裏のフライだ。

 落下点に走る途中、一瞬、
「これをはやく捕って、次の攻撃で追加点がほしい。そうだボクが先頭バッターだ」
というイメージが頭をよぎる。
 ボールが落ちてきた。無事捕球。
「よし!、チェンジだ。」
とほっとして、少し脱力。

 攻撃にうつるためベンチに向かいながら、ボールを相手に渡すべく周りを見渡していると、
「おい、タナカ!。」
マウンドからホームに駆け出すピッチャーが叫んでいる。
「?…。」
 目の前にフライを追ってきたキャッチャーがいて…、ピッチャーはホームのバックアップなのだ!!。
つまり…、つまりだ。まだ2アウト、チェンジではない!。

 ランナーの黒い影を感じると、早く送球なのだが、改札で定期券が見つからないように慌ててボールが手につかない。


「勝ったからよかったじゃない。」
と、母親は明日の天気予報を見ながら言っているが、まだ「罪悪感」が心を覆っている。確かに勝ってよかった。

 4、5時間前、勝負が決するまでの間は、生きた心地がしなかった。神さま、仏さま…、祈れるすべてに祈っていた。帽子のひさしの下で祈り、時々隙間から戦況を見ていた。何とも言えない時間帯。


 後日、予想以上の好成績に町内会長さんが祝賀会を開いてくれた。
 胸に小さいけど立派なメダルをさげてベンチ入りのメンバーがステージに並ぶ。甲子園みたい。
 マイクが回ってきて端から順に一言という司会者。月並みの「一言」が続く。中学生である。

 ところがタナカのとなりのキャッチャーが、当時売り出し中の阿部慎之介をまねて
「最高でーす!」
と叫んだ。
 いいぞ、いいぞの声。それまで儀礼的だった雰囲気が和らいだ。結果、次のタナカに「場」が与えられた形になった。
 そして、マイクを受け取ると、ウケねらいでもあるが、本心であることもわかる抑えめな調子で、
「最高でもありませーん!」
 といった。
 
 タナカの8回の裏を知っている場内に不思議な納得感のようなものが広がる。フロアにいたいつもはきびしい監督がいい顔で笑っている。
 あの時間帯のことが案外伝わった。
 
 あの時のあの感覚。

 これがパレードのパフォーマンスと結びついていると理屈で説明はできないけど、確かにあれが後押ししていることがある種の好感触とともにタナカには感じられていた。
 いつもの課長としてあいさつの感じの出し方もあの時のあれとつながっている気がしている。


 自宅近くのランプで高速を降りるころ、「課のチームワークや誠実さについても、野球部の何かとつながっているかもしれない」と思いを巡らせたが、そこまでははっきり分からない。

(つづく)

 

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