塩尻とはその名の通り、日本海側から来る塩も太平洋側からの塩も運ばれて来るのはここまで。太平洋側からのルートは岡崎から足助、伊那谷を通るいわゆる三州街道が塩の道の一つとして塩尻に至り、ここで中山道に合流します。そして、その合流点から少し下ったところから、五千石街道というのが松本方面に分岐していますので、帰路はそこを走ってみました。
この街道の正確なルートは良く分からないものの、それらしい道を拾っていくといろいろ歴史の遺物に出くわします。そしてここにもありました、耳塚が。以前から祠があることは知っていましたが、立ち寄ってみたのは今回が初めてなので新発見でした。
樹齢800年と言われるでかい2本の欅の木の後に鎮座する小さな社ですが、面白いことに、ここの耳塚も安曇族の王の古墳跡だという説明文がありました。耳塚と安曇族は何か関係がありそうです。
この街道の正確なルートは良く分からないものの、それらしい道を拾っていくといろいろ歴史の遺物に出くわします。そしてここにもありました、耳塚が。以前から祠があることは知っていましたが、立ち寄ってみたのは今回が初めてなので新発見でした。
樹齢800年と言われるでかい2本の欅の木の後に鎮座する小さな社ですが、面白いことに、ここの耳塚も安曇族の王の古墳跡だという説明文がありました。耳塚と安曇族は何か関係がありそうです。