バッタモンのポタリング日乗

松本在住の自転車散歩日記です
  時々余計な話題も

耳塚その2

2007-07-29 22:50:29 | ポタリング
塩尻とはその名の通り、日本海側から来る塩も太平洋側からの塩も運ばれて来るのはここまで。太平洋側からのルートは岡崎から足助、伊那谷を通るいわゆる三州街道が塩の道の一つとして塩尻に至り、ここで中山道に合流します。そして、その合流点から少し下ったところから、五千石街道というのが松本方面に分岐していますので、帰路はそこを走ってみました。
この街道の正確なルートは良く分からないものの、それらしい道を拾っていくといろいろ歴史の遺物に出くわします。そしてここにもありました、耳塚が。以前から祠があることは知っていましたが、立ち寄ってみたのは今回が初めてなので新発見でした。

樹齢800年と言われるでかい2本の欅の木の後に鎮座する小さな社ですが、面白いことに、ここの耳塚も安曇族の王の古墳跡だという説明文がありました。耳塚と安曇族は何か関係がありそうです。
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耳塚その1

2007-07-29 19:07:24 | ポタリング
今日は塩尻に用事があったのでフラットバーロードで出かけてみました。MTB用のレバーはシフトしやすくなかなか快適で、このところクロモリばかり乗っていたので久々のアルミフレームの感触は結構新鮮な感じでした。

帰り、塩尻市内の中山道沿いに耳塚を見つけちょっと寄ってみました。説明文の中に安曇族の王と関係がある、という記述があり興味をそそられましたが、う~ん、どうでしょうか?場所的には武田信玄の頃の塩尻峠の戦いとか桔梗が原の戦い(これは実際にあったか定かではないらしい)とかに関連したものではないのでしょうかね。
耳のような素焼きの皿に穴をあけて何枚も紐に通し、アフリカ原住民の首飾りのようにしたものがたくさん奉納されていました。耳の病の治癒祈願とのことです。
抗生剤のない江戸時代には、中耳炎など悪化させ耳が聞こえなくなった人も多かったのでしょう。遠くは伊那の方からも祈願に来ていたようです。

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