この前の日曜日(23日)、ツイン21の24時間テレビイベントへ行く前に
朝早くからお京はん乗って、京都へ行ってきました。
何を思い立ったか、京都の街の中心を堂々と南北に流れる鴨川の全行程を歩きたくなったんです。
以前から京都の水路、水運には興味があったもので鴨川の隅から隅までを極めてやろうと… (^▽^)
河川法上、鴨川の起点はずっと上流の桟敷ヶ岳の麓付近らしいけど、通例ここ糺の森で大原方面からの
高野川と合流した地点からを鴨川と呼び、ここより上流は賀茂川または加茂川と表記しています。
ここから約12km下流、伏見の上鳥羽付近で桂川と合流してその名が消えるまでを歩きます o(^▽^)/
8:25、加茂大橋のふもとから左岸の川端通に沿ってスタートです!
出発してすぐに、右岸にみそそぎ川の取水口がありました。これがもうすぐ地上に現れます。
広々とした河川敷。右岸の堤の向こうに重厚ながらすっきりしたデザインの府立医大病院が見えます。
河川敷に降りると、昭和10年の大水害の悲惨さを今に伝える掲示板があります。
流失した木製の橋が、コンクリート製の四条大橋に引っかかり流れをせき止めたため、
甚大な浸水被害をもたらしたとのこと。 おお怖っ…… w(*゜o゜*)w
荒神橋を通過して……
足取り軽く、丸太町橋を通過します。
そういや今日は地蔵盆なんですね。
子どもたちがピョンピョン飛び跳ねて飛び石を渡っているのが楽しそうで、一丁やってみようと…
降りてきたものの、とてもとても走れません…… d(≧∀≦)b
近くで見ると、いろんな形の石があるのがわかります。
右岸に渡り少し上った所に、加茂大橋の下流から分岐して地下を流れてきたみそそぎ川が現れます。
このみそそぎ川がまた高瀬川と分岐して五条大橋の麓で本流と合流します。
二条大橋まで来ました。
この辺りから京の夏の風物詩「 納涼床 」 が初めて姿を現します。
二条大橋を少し下った左岸に巨大な人工建造物があります。
近づいてみるとゴウゴウと水の流れる音が聞こえますが、一滴の水も流れ出してはいません。
川端通に上がってみると、そう満々と流れる琵琶湖疎水の本流です。
向こうの水門を閉じて鴨川へ放流して水量を調節する施設のようです。
御池大橋を過ぎてしばらく行くと…
これが見たかったんです!
みそそぎ川が分岐して高瀬川の流れが地下水路に吸い込まれて行きます。
早速左岸の堤を登って木屋町通へ出口を探しに行きます。
ありました、ありました (^o^)丿 地下を流れること約50m。
木屋町通の北詰に出口があり、往時の高瀬舟を展示して、ちょっとした休憩場所になっています。
この船はてっきり、高瀬川を走る船だから高瀬舟と呼ぶんだと思ってたんですが、
実は水深の浅い河川を走るために船底を平にした船を高瀬舟と呼び、高瀬舟が行き来する川だから
高瀬川と名付けたとのこと。お恥ずかしい…… σ(^_^;)
荷揚げの為の船溜所 「 一之舟入 」 が柵の向こうに見えていますが、北側は日銀京都支店、
南側は京都らしい茶屋が並んでいて入ることが出来ないようです。
南側に茶屋の間に史跡が見学できるような施設らしいものがありますが、何故か閉まっていました (~_~;)
このまま高瀬川沿いを三条まで下がると、お馴染み 「 三条小橋 」 があり、
幕末維新の史跡の宝庫でわくわくドキドキします (~_~;)
「 武市瑞山先生寓居跡 」 とあり、土佐勤王党の盟主 武市半平太の京都滞在時の宅跡。
ご存知 「 池田屋騒動の址 」…… 今は居酒屋 f(^^;ポリポリ
顔入れて撮りたかったーーーーーーーーーーーっ ♪(*^.^*)エヘッ
その他、佐久間象山・大村益次郎遭難の地であったり、江戸時代の 加賀藩邸跡であったりと…
この周辺だけで半日はぐるぐる巡って遊べそうです!!!
お~~~っと、本来の目的とは離れてしまいそうなので、鴨川に戻ります!
三条大橋の西橋詰には、弥次さん喜多さんの像が建って道中の安全を願ってくれています。
時刻は 10:10。 出発地点からわずか2kmあまりですが、下ったり上ったり、渡ったり
寄り道したりで、2間ほどかかってしまいました。
ここらで、弥次さん喜多さんと一緒に一服しようと…、すかさず力水 (^▽^;)
あっ、もう秋バージョンのビールが売られています。日差しはまだ夏本番なのにと、ふと見ると……
あっ、やっぱり秋は確実に近づいているようです …( ̄▽ ̄;)
さて、まだゴールまで残り6分の5程残ってるけど、長くなる= 疲れた ので次回へ…
CONTINUE
朝早くからお京はん乗って、京都へ行ってきました。
何を思い立ったか、京都の街の中心を堂々と南北に流れる鴨川の全行程を歩きたくなったんです。
以前から京都の水路、水運には興味があったもので鴨川の隅から隅までを極めてやろうと… (^▽^)
河川法上、鴨川の起点はずっと上流の桟敷ヶ岳の麓付近らしいけど、通例ここ糺の森で大原方面からの
高野川と合流した地点からを鴨川と呼び、ここより上流は賀茂川または加茂川と表記しています。
ここから約12km下流、伏見の上鳥羽付近で桂川と合流してその名が消えるまでを歩きます o(^▽^)/
8:25、加茂大橋のふもとから左岸の川端通に沿ってスタートです!
出発してすぐに、右岸にみそそぎ川の取水口がありました。これがもうすぐ地上に現れます。
広々とした河川敷。右岸の堤の向こうに重厚ながらすっきりしたデザインの府立医大病院が見えます。
河川敷に降りると、昭和10年の大水害の悲惨さを今に伝える掲示板があります。
流失した木製の橋が、コンクリート製の四条大橋に引っかかり流れをせき止めたため、
甚大な浸水被害をもたらしたとのこと。 おお怖っ…… w(*゜o゜*)w
荒神橋を通過して……
足取り軽く、丸太町橋を通過します。
そういや今日は地蔵盆なんですね。
子どもたちがピョンピョン飛び跳ねて飛び石を渡っているのが楽しそうで、一丁やってみようと…
降りてきたものの、とてもとても走れません…… d(≧∀≦)b
近くで見ると、いろんな形の石があるのがわかります。
右岸に渡り少し上った所に、加茂大橋の下流から分岐して地下を流れてきたみそそぎ川が現れます。
このみそそぎ川がまた高瀬川と分岐して五条大橋の麓で本流と合流します。
二条大橋まで来ました。
この辺りから京の夏の風物詩「 納涼床 」 が初めて姿を現します。
二条大橋を少し下った左岸に巨大な人工建造物があります。
近づいてみるとゴウゴウと水の流れる音が聞こえますが、一滴の水も流れ出してはいません。
川端通に上がってみると、そう満々と流れる琵琶湖疎水の本流です。
向こうの水門を閉じて鴨川へ放流して水量を調節する施設のようです。
御池大橋を過ぎてしばらく行くと…
これが見たかったんです!
みそそぎ川が分岐して高瀬川の流れが地下水路に吸い込まれて行きます。
早速左岸の堤を登って木屋町通へ出口を探しに行きます。
ありました、ありました (^o^)丿 地下を流れること約50m。
木屋町通の北詰に出口があり、往時の高瀬舟を展示して、ちょっとした休憩場所になっています。
この船はてっきり、高瀬川を走る船だから高瀬舟と呼ぶんだと思ってたんですが、
実は水深の浅い河川を走るために船底を平にした船を高瀬舟と呼び、高瀬舟が行き来する川だから
高瀬川と名付けたとのこと。お恥ずかしい…… σ(^_^;)
荷揚げの為の船溜所 「 一之舟入 」 が柵の向こうに見えていますが、北側は日銀京都支店、
南側は京都らしい茶屋が並んでいて入ることが出来ないようです。
南側に茶屋の間に史跡が見学できるような施設らしいものがありますが、何故か閉まっていました (~_~;)
このまま高瀬川沿いを三条まで下がると、お馴染み 「 三条小橋 」 があり、
幕末維新の史跡の宝庫でわくわくドキドキします (~_~;)
「 武市瑞山先生寓居跡 」 とあり、土佐勤王党の盟主 武市半平太の京都滞在時の宅跡。
ご存知 「 池田屋騒動の址 」…… 今は居酒屋 f(^^;ポリポリ
顔入れて撮りたかったーーーーーーーーーーーっ ♪(*^.^*)エヘッ
その他、佐久間象山・大村益次郎遭難の地であったり、江戸時代の 加賀藩邸跡であったりと…
この周辺だけで半日はぐるぐる巡って遊べそうです!!!
お~~~っと、本来の目的とは離れてしまいそうなので、鴨川に戻ります!
三条大橋の西橋詰には、弥次さん喜多さんの像が建って道中の安全を願ってくれています。
時刻は 10:10。 出発地点からわずか2kmあまりですが、下ったり上ったり、渡ったり
寄り道したりで、2間ほどかかってしまいました。
ここらで、弥次さん喜多さんと一緒に一服しようと…、すかさず力水 (^▽^;)
あっ、もう秋バージョンのビールが売られています。日差しはまだ夏本番なのにと、ふと見ると……
あっ、やっぱり秋は確実に近づいているようです …( ̄▽ ̄;)
さて、まだゴールまで残り6分の5程残ってるけど、長くなる= 疲れた ので次回へ…
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