説教者:宮崎 一実 伝道師
説教箇所:エペソ人への手紙 2章
1.罪に死んだ私たちと神様の恵みと救い
教会を形成している素材としているのは、私たちである。
私たちは、自分の罪過と罪に死んでいた者である。悪魔の支配の中にあった。
変わろうと思っても変れずに、変わろうと思ってかえって悪いことをしてしまう。
頑張っても、本当に変えることはできない。先にあるものは滅びであり死であった。
天国にいけない身であった。それなのに、何故、この体が教会を形成する素材と
なるものに変えられたのか?神様の愛があったから。愛ゆえに私たちの努力によるの
ではなく、恵みと救いを与えていただいた。
滅び行く者であっても、嫌われる者であっても、神様の恵みによって
選んでいただいた。救っていただいた。救われないままなら、
教会を形成する者にはなれない。しかし作りかえられた。
自分たちの本質は、罪。日々せめぎあっていく。いつも笑顔でいたいが、
つい、ものにあたってしまう。本来の性質がそうだから。
しかし、神様は、私たちがよい行いをするために、作りかえてださった。
本質はたとえ愚かであり、醜くあっても、神様の愛により選ばれ救われた。
目的として、良い行いをするために作られた作品である。
そして神様は私たちに良い行いさえも備えてくださった。
神の作品になんら弱いものはない。完全なものとなることができる。
努力して奮闘して、神に認められるのではない。恵みにより愛により救われている。
2.十字架の贖いと異邦人の救い
イェス・キリストの十字架により、異邦人にも救いがもたらされた。
キリストによって、十字架によって、異邦人である私たちも救われ、
神の民として一つにされた。一つの家族とされた。
アダムとエバ以来の神様との断絶が、イェス・キリストの十字架の贖いにより、
私たちは神様との和解が成立した。
3.教会形成
救われた私たちは、主イェス・キリストによって結び合わされて、お互いに成長して、
教会が成長していく。一朝一夕にはできず、疲れてしまうが、
土台にイェス・キリストがおられる。どんなにずっこけてしまっても、
イェス・キリストにあるならば、一致も和解もできる。
イェス・キリストによらなければ、一致や和解もできないことがある。
御霊により、構築し成長していく。神の素晴らしい聖なる宮となることができる。
私たちは、自分が教会の中で、何を持っているかを、何を与えられているかを考えて、
ささげていきましょう。
(文責:三浦)
説教箇所:エペソ人への手紙 2章
1.罪に死んだ私たちと神様の恵みと救い
教会を形成している素材としているのは、私たちである。
私たちは、自分の罪過と罪に死んでいた者である。悪魔の支配の中にあった。
変わろうと思っても変れずに、変わろうと思ってかえって悪いことをしてしまう。
頑張っても、本当に変えることはできない。先にあるものは滅びであり死であった。
天国にいけない身であった。それなのに、何故、この体が教会を形成する素材と
なるものに変えられたのか?神様の愛があったから。愛ゆえに私たちの努力によるの
ではなく、恵みと救いを与えていただいた。
滅び行く者であっても、嫌われる者であっても、神様の恵みによって
選んでいただいた。救っていただいた。救われないままなら、
教会を形成する者にはなれない。しかし作りかえられた。
自分たちの本質は、罪。日々せめぎあっていく。いつも笑顔でいたいが、
つい、ものにあたってしまう。本来の性質がそうだから。
しかし、神様は、私たちがよい行いをするために、作りかえてださった。
本質はたとえ愚かであり、醜くあっても、神様の愛により選ばれ救われた。
目的として、良い行いをするために作られた作品である。
そして神様は私たちに良い行いさえも備えてくださった。
神の作品になんら弱いものはない。完全なものとなることができる。
努力して奮闘して、神に認められるのではない。恵みにより愛により救われている。
2.十字架の贖いと異邦人の救い
イェス・キリストの十字架により、異邦人にも救いがもたらされた。
キリストによって、十字架によって、異邦人である私たちも救われ、
神の民として一つにされた。一つの家族とされた。
アダムとエバ以来の神様との断絶が、イェス・キリストの十字架の贖いにより、
私たちは神様との和解が成立した。
3.教会形成
救われた私たちは、主イェス・キリストによって結び合わされて、お互いに成長して、
教会が成長していく。一朝一夕にはできず、疲れてしまうが、
土台にイェス・キリストがおられる。どんなにずっこけてしまっても、
イェス・キリストにあるならば、一致も和解もできる。
イェス・キリストによらなければ、一致や和解もできないことがある。
御霊により、構築し成長していく。神の素晴らしい聖なる宮となることができる。
私たちは、自分が教会の中で、何を持っているかを、何を与えられているかを考えて、
ささげていきましょう。
(文責:三浦)
みなさん、分かり安いですから訪ねてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/goo1639/
「聖書から人生を考えよう」のブログの作者がおっしゃっていましたが、ブログから聖書の御言葉の素晴らしさを、一人でも多くの方に知っていただきたいとの願い、また私たちの教会に来ていただきたいの願いから、作成しております。でも大佐和キリスト教会のブログは、まだまだ未熟ですので、素敵なブログやHPから大いに学んで、良いものにしていきたいと思っております。
沖縄からはるばるとありがとうございました。偉大な預言者サムエルを生んだハンナのような素晴らしい祈りと信仰によって、歩んで生きたいと思います。