日本は古来、天皇家中心の単一民族だと言われるが、いずれも歴史を顧みると違っていることが分かる。天皇家も何度か途切れており、民族的にも古代において混血民族であった。今では日本の各地に見られる天照神社の元となる天照は現在の中国の浙江省寧波の出身であり、海洋民であり、そのため海人(あま)族として日本列島の対馬に漂着し、天(あま)族と標榜するようになった。対馬には現在も阿麻氐留神社が残されている。天照は集団で対馬に来ており、対馬に並ぶ壱岐には天ヶ原の地名が残る。天の原は天上の国を指すのではなく、天照たちの本拠地である対馬、壱岐の領域を指す。その後も中国や朝鮮半島での政変により、日本列島へ逃れて来た人たちや、西アジアからも東北へやって来て、住み着いた人たちもいる。平安時代以後は統一国家への体制づくりが強まったために、こうした諸外国からの流民は少なくなっているが。明治維新で政府の都合で歴史が作られてしまった。その歴史は基本的に現在も引き継がれており、今だに政府の都合で歴史を作ることが続いている。歴史学や考古学も科学としての建前はあるものの、基本は政府の意向で作られた歴史に従っている。遺物の発掘も解釈は全てその歴史に沿った解釈だけが取り入れられている。世界は移民の問題で揺れているが、日本でもすでに年間で在留する外国人は40万人に達しようとしている。地方の都市を構成する人数だ。政府の都合で作られた歴史に拘泥し、真の日本の歴史が解明されないままに、これもまた政府の都合で天皇家一元主義と、単一民族説がまかり通る。今の先進国で、これほど自国の歴史の歪められた国は他にはない。弥生時代の遺跡が何故北部九州に集中するのか、北部九州に少し遅れて、何故、いきなり本州の最北である青森県で水田稲作遺構が発見されたのか、現在の歴史学も考古学も沈黙するばかりだ。古代山城が戦勝国の唐が日本に進駐している中で堂々と作られたとする考古学の解釈は、素人でも疑問になる。科学的編年よりも土器編年を今尚使い続けることで、政府の作り上げた歴史を維持しようとしている。日本に生まれたからには、自分がどこから来たのか、日本と言う国はどのように出来て来たのか、とても知りたい。
椿