釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

カラスに襲われたカルガモの親子

2012-06-30 19:19:44 | 文化
今日もまた筋雲の出る晴れた日になった。予想最高気温は22度。風があまりない。メジロは変わらず今日もやって来ていた。匠の方の話では今年は例年に比べて気温が上がらないため、野菜の出来が悪く、花の咲きも良くないそうだ。紫陽花なども色付きが良くないのだと言う。匠の方の敷地には山から流れれて来る水を引いた池があるが、今年はそこでカルガモの子供が生まれた。しかし、雛を狙ったカラスの攻撃にあって、1日も経たないうちにどこかへ移ってしまったらしい。親の子を守る野生本能はすばらしく、カラスが攻撃して来ると、親は必ず片側が物陰になる位置に付き、子をしっかり守っていたそうだ。情愛ではなく、本能で結ばれた絆の方がよほど確かなものがある。残念ながら現代は人の情愛はひどく不確かなものになってしまった。子供を見捨てる親や親を見捨てる子供がいる。それぞれのおかれた状況にはそれなりの理由があるだろうが、いずれにしても情愛というものが絆を結ぶにはあまりあてにならないものになっている。震災後、全国からたくさんの人的、物的支援が被災地に寄せられた。しかし、時が経つにつれてそれらは次第に限られたものになり、表面上は落ち着いて来るようになると、今被災地では不心得な行為を行う人たちが出て来ている。人が人を信じることで逆に被害に合う。被災者にはまだまだ様々な支援やケアを要する。精神的にも簡単には落ち込みから抜けられない人たちが多くいる。自由で自立した人たちの社会は、決して勝手気ままに過ごして、他人を顧みない社会ではない。むしろ、自立して自由が保障されるからこそ、そこで結ばれる絆が確固としたものになる。逆に言えば強固な絆が結ばれないところには自由や自立が希薄なのだ。今の日本の指導的立場の人たちを見ていても、自由と自立の欠如した人たちが目につく。それらが欠如しているところには無責任がはびこる。家にいる二匹の大型犬はどちらも雄で、2歳の歳の差がある。若い方が子犬のときから一緒に飼っていて、正確も異なり、雄同士なので時には喧嘩をすることもある。しかし、そうした場合も、決して、相手を傷付けることはない。威嚇のうなりを発して、相手を抑えるだけである。雄同士であってもほとんどは仲良く過ごしている。散歩中の他所の犬同士が時に吠え立てているのを見ることがあるが、これなどもただそれぞれが自分たちの縄張りを主張して威嚇しているだけである。自然界の動物たちの厳しい世界では、自然の厳しさを本能的に記憶しているだけに不必要な争いはしない。生存のための戦いだけだ。よほど人の社会の方が屈折したものに見えてくる。人はほんとうに動物たちより賢いと言えるのだろうか。歴史の進みに合わせて人は賢くなっているのだろうか。科学や文明の進歩は人の手でしか成し遂げられないが、それらは決して幸せを保障するものではない。
ジギタリス 乾燥した葉っぱは薬用に使われる

百合の花

2012-06-29 19:19:08 | 文化
今日で5日連続で晴れになったが、昨日までとは少し違って、今日は空には筋雲などが多く漂っている。朝、犬たちの世話をしている時に庭の花たちの水やりにも注意しなければならなくなった。油断をすると萎れた葉が出て来る。長く枝を伸ばして来たモミジの木に今朝もメジロが集まって来ていた。ウグイスよりもメジロの方が身体の色はずっときれいだ。目の回りの白い輪も可愛いし、声もとても可愛い。昨夕帰宅してみると、息子が庭で花たちに水をやったり、雑草を抜いたりしていた。気仙沼から戻っていた。息子は明日大阪で開かれるゴスペルコンサートに出るので、今朝はNPOを半日休む娘の運転で、花巻空港へ送ってもらった。出かけに運転中、警察の交通取り締まりに気をつけるよう注意しておいた。北海道ほどではないが、釜石近辺では冬場は警察の取り締まりがなくなるが、その分、暖かくなって来ると、特に、天気のいい日には間違いなく取り締まりが強化される。集落を外れる辺りが一番危ない。白バイもこの時期にはもう出ているので、意外なところで取り締まっていたりする。親に似たのかハンドルを持つと娘も少し人が変わる傾向がある。庭では、昨日あたりから百合の花が咲き始めて来た。今朝見ると黄菅も開いて来ていた。しばらく前には黒百合が咲いたが、同じ黒百合として以前どこかの産直で買った黒百合が今咲いている。こちらの方がずっと大きく、色も黒っぽさより赤味が強い。息子は肥料の関係ではないか、と言っていたが。ほぼ満開に近づいたツツジのそばで咲いている。世界に百合は100種類ほどあり、日本では15種類が自生し、うち7種が日本の固有種だと言う。原種は形により鉄砲百合系、山百合系、透かし百合系、鹿子百合系の四つの系統に大別されている。釜石では自生する百合としては浜百合と山百合の2種を見かけた。百合は古事記や万葉集にも登場しているが、奈良市にある小さな神社、593年に建てられたとされる奈良市では最古の率川神社(いさがわじんじゃ)に三枝祭(さいくさのまつり)、別名ゆりまつりが伝わっている。この祭りで使われている百合は日本固有種である笹百合だ。白地に淡い桃色が浮き出た可愛い百合だ。中国では3世紀初めの三国時代の頃の医薬書である『金匱要略方論』や『神農本草経』に百合が登場する。これらが中国における百合の記述の最古のものになる。1世紀の古代ローマの博物学者で政治家でもあったプリニウスが著した『博物誌』にも百合の記述があるそうだ。古代のギリシャやローマでは百合は油として利用されていたようだ。エーゲ海に浮かぶクレタ島にあるミノア文明の遺跡、クノッソス宮殿には百合の壁画が描かれているそうで、この遺跡は紀元前2000年頃のものだ。蓮では大賀蓮のように2000年以上も前の弥生時代に咲いていた花が現代に甦っている。今のところ百合ではそうした事例は見ない。しかし、恐らく百合も太古から日本列島でも自生していたのではないだろうか。江戸時代の言葉に「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」というのがあるが、美人を表す言葉に使われるほど日本人に馴染んで来た美しい花の一つが百合の花なのだろう。
庭で咲く黒百合

東北の王国の末裔たちの盛衰

2012-06-28 12:19:39 | 歴史
4日連続して青空が広がった。気温は最高で22度の予想で、朝晩との気温差が5度以上あり、昼は半袖であっても、朝晩は長袖が欲しくなる。我が家の庭にはここのところ毎日メジロがやって来る。職場の裏山でもシジュウカラやヤマガラが晴れているとたくさん集まって来る。昆虫たちが活発に動くのだろう。ウグイスの声はどこにいても聞こえて来る。昼休みに甲子川沿いを歩くと夏の日射しを打ち消すいい風が吹いていた。風がなければ暑くて歩くのも大変だったろう。青葉に満たされた山々と空の青がとても気持ちいい。釜石の北になる山田町には船越半島があり、そこに船越御所と呼ばれる遺跡がある。北条氏の鎌倉幕府末期、1333年、倒幕に動いた後醍醐天皇側に翻った足利尊氏の六波羅探題攻撃を契機に鎌倉幕府は崩壊し、後醍醐天皇は親政を開始した。しかし、不満を持つ武士勢力が足利尊氏の下に集まり、後醍醐天皇は新田義貞や陸奥守であった北畠顕家に尊氏討伐を命じる。一度は九州に追われた尊氏も、勢力を立て直して、新田義貞・楠木正成を打ちとり、光明天皇を擁立した上で幕府を開く。後醍醐天皇は京都を脱して奈良の吉野へ逃れる。ここに北朝と南朝が生まれる。1339年に後醍醐天皇が崩御すると北畠顕家の父である大納言北畠親房が南朝の中心的存在となる。しかし、前年の1338年には親房の嫡男顕家は北朝との戦いで21歳で亡くなっている。北畠顕家には4人の子供がいる。嫡男の北畠顕成、次男の村上師清、三男北畠師顕、娘は安東貞季の妻である。1347年福島県伊達市にある霊山城が北朝勢に落とされると、そこを逃れた北畠顕成は岩手県の稗貫に一旦居を構えた後、山田町船越に移る。さらに1373年には青森県青森市の浪岡に移り、ここで浪岡北畠氏を起こす。青森県では安倍氏の末裔が安東氏として主に大陸との交易により大きな勢力を誇っていた。しかし、南北朝に分かれた際に、安東氏自体も内部で、南朝支持と北朝支持に分裂。さらに1411年陸奥国司となった南部守行の台頭で安東氏は次第に北東北地域の勢力を削がれて行く。南部守行に侵領された安東氏は北海道松前の湊安東氏と秋田の檜山安東氏に分かれて逃れる。何度か津軽の十三湊近辺の奪還を図るが失敗し、結局は安東愛季の代に秋田で分裂した安東氏が統合され、秋田氏に改名し、再び日本海における交易により秋田を中心に勢力を拡大して行くが、愛季の没後に安東氏は内紛を越したため、豊臣秀吉により禁じられていた私戦と見なされ、所領を召し上げられることになり、以後秋田氏は家康の時代に5万石の大名として福島県の三春藩へ領地替えされたまま明治維新を迎えることとなる。10万人の人口を抱えた十三湊という中世の大都市を築き上げた安東氏の下へは源氏に敗れた平家の落人や南北朝統一後、難を逃れた南朝方の人々が落ち延びて来た。しかし、安東氏内部の分裂と南部守行の陸奥国司着任により衰退が始まって行く。安日彦、長髓彦に始まる安倍氏ー安東氏(ー奥州藤原氏)ー秋田氏の東北での歴史を見ると、いずれも内部の裏切りや内紛が係累の衰退に繋がっている。民の安寧が最も重視された荒覇吐王国の基本精神が見失われて行ったように思われる。
甲子川沿いに咲いていた柏葉紫陽花

幕末の再来か

2012-06-27 19:20:55 | 文化
珍しく3日続けて青空が広がった。昨日より風の温度も少し高く、初夏の日射しという感じが強い。犬たちも日陰に入ったままだ。昨夜もまた震度2の地震があった。比較的直前の地鳴りが強く感じられた。地鳴りがあるのは岩板の強固な海の方から伝わる地震の時のようで、内陸を震源とする地震の場合は地鳴りがないのだと聞いた。今日は全国で一斉に電力会社の株主総会が開かれた。原発に反対する株主の集中を避けるために過去10年では初めて9電力会社がそろって同じ日に株主総会を開いた。それでも東京電力の株主総会は予想通り開会早々紛糾したようだ。中部電力の総会では社長が浜岡原発の年内再稼働を訴えた。津波対策工事が終えるので、それを機に再稼働を考えている。恐らくなし崩し的に各地で再稼働されて行くのだろう。内閣府原子力委員会の近藤駿介委員長は東京電力が公表した福島第一原子力発電所事故調査の最終報告書について批判している。緊急時に通常の手順で1号機の非常用復水器を操作したことは、「緊急時にとる手順ではない。考えられない。どういう教育なのか」と述べ、「詰めが甘く、継続的な改善が不足していた。米国に事務所を構えて情報を取る能力を持っていたのに、新しい思想の潮流をとらえられなかったのか」としている。東京電力だけでなく、他の電力会社をはじめ、国も事故前後とも変わらず、一貫して詰めが甘い。再度の事故は避けられないだろう。二度三度繰り返して初めて批判の声も強まって行くのだろう。「忍耐強い日本人」と言うことなのだろうか。江戸300年とそれに続く明治から昭和の前期まで、「お上」への服従心が儒教の流れで植え付けられてしまっている。戦後も企業がかっての藩のような形になって、終身雇用制が維持されていた間は企業への忠誠心も強かった。企業が目先の利益を優先したため、終身雇用を放棄して、派遣社員制を導入しはじめてからそうした忠誠心は薄れて行った。企業自ら「藩」を取り壊したのだ。しかし、電力業界は国策の原発に支えられて、極めて優遇された電力料金を維持し、高収益と高収入を堅持して来た。従って、企業忠誠心も他業種に比べてずっと高い。内部からの情報漏れなども出にくい。国もまた電力業界を手厚く守って来た。しかし、それらのすべてが、一方で、電力業界の「甘さ」に繋がってしまった。大飯原発の再稼働の条件は、津波対策計画の策定であり、計画を策定しただけで、再稼働を国は許可した。まだ現実の重要な対策は何もなされていない。今日、明日にも地震や津波が来ても防護策はなされていない。近藤委員長は東電の甘さを指摘したが、実は国の組織である原子力委員会そのものがこれまで、極めて甘い存在であった。原発では一般企業ではごく当たり前の安全意識や安全対策が見られない。責任感が全く欠如している。ごく少数のまともな人もいたようだが、そうした人たちは徐々に排除されて行った。今、日本という国は末期の江戸幕府の時代にあるように見えてくる。
紫陽花(十二単)

夕暮れにコウモリが飛ぶ釜石

2012-06-26 19:16:27 | 文化
昨日に続いて今日もよく晴れてくれた。やはり晴れるととても気持ちがいい。ただ日陰に入ると風は冷たく、肌寒い。職場の自室にいてもすぐそばの薬師さんの木立からウグイスの声が一日中聞こえて来る。空は雲がなく釜石ブルーだ。日中はツバメが飛び、夕方はコウモリが飛ぶ。愛知県の岡崎市や北海道ではコウモリの姿はほとんど見かけなかった。地域的にいずれもコウモリが棲息しているはずだが、記憶には飛ぶ姿がない。コウモリは世界に1,000種もいる。哺乳動物ではネズミについで種数が多い。日本には35種いるが、環境変化のため絶滅が危惧されている種が多い。生態も研究者が少ないためよく分かっていない。子供の頃、低く飛んで来たコウモリを網で獲ったことがある。顔は決して気持ちのいい顔ではない。イメージ的にもあまりよくはないが、沖縄の八重山では自分たちをコウモリの子孫だとしていたそうだ。四国のように暖かいところの方が釜石より飛ぶコウモリの数も多い。四国を離れてからは都会で住むことが多くなり、コウモリを見ることがなくなった。釜石でコウモリが飛ぶ姿を見たときは一種の感動を覚えた。やはり釜石の自然環境は豊かなのだとここでも実感した。日本経済の高度成長期は公害が各地で発生し、人の生活環境が悪くなったが、自然環境をも大きく変えて行った。その反省から、公害対策に注意が注がれるようになった。現代では悪臭ですら防止の対象となっている。しかし、昨年の福島第一原発事故は原発だけは例外扱いになることをその後示した。環境汚染の取り締まりの対象としては規制が甘く、今後の同様な事故発生の予防についても対策が極めて甘い。何世代にも渡って汚染を残すにも関わらず、規制が最も甘いものになっている。欧米ではすでに廃炉扱いとなっている高経年の原発まで使用期間が延長されることに決った。電力会社にとって減価償却を終えている原発はコストをかけずに収益の上げられる最良の生産手段だ。表面とは裏腹に、実はそこにはとてつもなく巨額になる使用済み核燃料の最終処分費用が含まれておらず、さらには、相変わらず、事故は起きないという前提に立っている。しかし、40年を超えても使用可だとする高経年の原発こそ、地震や津波とは無関係に巨大な事故を起こす可能性を持っている。金属材料学を専門とする井野博満東京大学名誉教授は以前から高経年の原発の危険性を指摘されておられた。特に佐賀県の玄海原発1号炉は全原発中で最も危険な原発であることを指摘されて来た。圧力容器そのものが劣化しており、いつ破断してもおかしくない状態だと言う。圧力容器が破断すれば核分裂をコントロールする手だてはない。炉心の燃料棒が吹き飛ぶような大爆発を引き起こす可能性があり、最悪の場合はチェルノブイリ事故をはるかに超える事故になると言われておられる。大飯原発も敷地内の破砕帯と呼ばれる断層を詳しく調べることなく見切り発車し、同じく断層が近くを走る柏崎刈羽原発についても来春の再稼働に向けて計画が進められている。群馬県は昨日、県内の3つの断層でそれぞれ大地震が発生したときの被害を想定した調査結果を発表した。最大では関東平野北西縁断層によるM8.1の地震で死者3,133人としている。比較的地震の少ない群馬ですら、こうして最悪の地震被害を想定している。最も危険な原発が最も安全を軽視した形で動かされて行こうとしている。原発国難は必ず再びやって来るだろう。四季豊かな日本の自然は目に見えない汚染に見舞われて行くだろう。原発を止められない我々はそれを受け入れて行くしかない。
庭に咲いている薔薇の花

求められる被災者の自立支援

2012-06-25 19:16:12 | 文化
半月ぶりに今日はよく晴れ上がった。昼休みは気持ちがいいので釜石駅の近くまで行って、引き返して来たついでに職場の近辺も少し歩いてみた。空気はややひんやりとして、暑い日射しを打ち消してくれる。震災後建物が取り壊されて空き地になったところには雑草がたくさん生えて来ている。工事関係者もあちこちで車を止めて、車中で休んでいる。山が近いので、被災した市街地を歩いていてもウグイスの声が聞こえて来る。震災前と同じ場所で再び営業を始めている店も目立って来た。店の二階に住んでいるところも見受けられる。復興へ向けて基本計画は出来たものの本格的な被災した市街地の工事はまだ先になるため、今日の生活に迫られている人たちにとって待っている余裕はない。自ら資金を工面して、とりあえず元の場所で営業を始めるしか手がない。場所的に被災した市街地は、以前も寂れて来た商店街であったが、それ以上に今は買い物客が訪れる様子はない。恐らく車で回って注文をとっているのだろう。銀行や電力会社の建物は使われないまま閉じられている。移転して営業を再開しているのだろう。今週末、息子は気仙沼でのボランティア活動を中断して、ゴスペルコンサートのために一時大阪へ戻る。震災から1年以上経って、復興支援のためのコンサートをやる。そこで息子は歌だけでなく、震災を受けた現地での様子をスピーチするよう依頼されたようだ。娘も参加するよう依頼されたが、自分が撮り溜めた写真のみを提供して、自分の参加はお断りした。釜石でやらねばならないことがあるようだ。6月末退職予定であったNPOも7月末までに変更になった。7月初めには千葉県柏市で厚生労働省元事務次官らが進めている試みに協力するU先生たちとともに集まりに参加する予定もある。8月には地元釜石ではじめてNPOの写真展もあり、今、その準備を進めているようだ。すでに東京などではやっていたが、地元では初めてであり、しかも、この時期と言うことで、どういう写真にするか写真の選択に苦心しているようだ。被災した市街地に住んでいた人たちへは市がそれらの土地を今後どう利用して行くのか、地権の問題も含めて説明会が行われる。仮設住宅に住みながら、まだまだ安定した生活を得るためには時間がかかりそうだ。釜石は高齢化率が高く、高齢者だけの世帯も多い。少ない年金だけが生活の支えである人たちが多い。また、働き盛りであっても家族を抱えて、十分な職もなく、生活苦の続く人たちもたくさんいる。全国で生活保護世帯数が最高になっていることが報じられていたが、とかく、生活保護については批判も多く、その批判に納得出来る部分がないわけではないが、被災地の現況を見ると、増加もやむを得ないと思えて来る。放射性物質のことがあっても福島県を離れられない人がいるように、職がなくとも釜石を離れられない事情の人もいる。市や県は国の方針の下、被災地での心のケアに力を入れているが、心の問題の多くは経済的な不安感が占めている。心のケアと同時に、そうした経済的な相談ができる人たちの組織的な巡回などももっと考慮される必要がある。日本の悪いところは国の復興支援予算が土木事業へ傾きがちであるところだ。自動車道の整備を早めることなど被災した人たちには、今、必要なものではないだろう。
鉄鉱石を囲むアーチの上には円の中で「高炉の火」が灯されている 釜石駅

被災地にある使われなくなった電力会社の敷地に雑草が茂る

地中に眠る悠久の時間

2012-06-23 19:16:00 | 文化
天候は今日も思わしくない。空は雲で覆われている。我が家の庭は南向きだが、松や杉の木が植えられているのと、200mほど離れたところに高さ100m程度の山が続いているため、日が射して来る時間が遅く、庭の花たちが咲く時期が他所よりも遅い。他所ではもうツツジが終わりかけているのに、我が家は今ちょうどツツジが咲き始めている。息子は今朝気仙沼から帰って来て、庭の花たちの世話をしていた。娘の方は昼頃から仕事があるのか出かけて行った。岩手県の久慈市は古くから琥珀の産地として知られる。琥珀の「琥」の字は、中国では琥珀は虎が死んで石になったとものと考えられたことに由来するらしい。久慈市の琥珀は恐竜が棲息した中生代白亜紀後期の9,000万~8,000万年前の地層に属する。日本列島がまだアジア大陸の一部であった時代だ。北海道の、1万4,000年前の日本最古の墓がある湯の里遺跡や2万年前の柏台遺跡から発掘された装飾品の琥珀玉がアジアで最古の加工跡を残した琥珀となっている。昨日、早稲田大国際教養学部の古生物学の平山廉教授はこの久慈市の約8,500万年前の地層から草食性恐竜「竜脚類」の歯の化石5点を発見したことを発表している。本年3月久慈市を流れる大沢田川支流の川岸を調査した際に発見された。体長は約20メートルと推定される国内では最大級の竜脚類だという。竜脚類は首と尾が長く、体重は30トンにもなる。子供時代を過ごした四国では学校の校庭によく蘇鉄が植えられていた。記念樹として植えられているものが多く、南国的な雰囲気をかもし出していた。この蘇鉄は2億1,000万年前から何回かの氷河時代も恐竜の時代も生き抜いて、現在も変わらない姿を保った生きた化石と言われる。南国の植物なので、残念ながら東北ではあまり見かけることがないが、1~2度だけ見かけたことがある。琥珀は樹木の樹脂が化石となったもので、その時代の昆虫などが閉じ込められて発見されたりもしている。8,500万年前の樹脂や恐竜の歯が化石として現代で見出され、その時代にも同じ姿で自生していた蘇鉄が今も見られる。四国には中央構造線が走っているが、小学校時代にその断層を学校行事として見学したことがあった。この断層もまた中生代白亜紀後期に属し、恐竜の化石などが発見されている。瀬戸内海にはやはり生きた化石と言われているカブトガニもいて、学校の理科資料室の標本としておかれていた。カブトガニは2億年前から生き続けているのだ。時代が下って気候が温暖になるに従い、日本列島の自然環境にも差異が生まれたが、それ以前には列島全体の自然環境はあまり差がなかったのだろう。列島に人々が住むようになっても当初は文化の差もなかったはずだ。人々の列島での生活も時代が下るにつれて、次第に地域差が生まれて来た。我々が生活する大地の下には地表では忘れられている列島の自然や文化の長い時の流れが刻まれているのだ。
庭のツツジ

経済の巨大地震

2012-06-22 19:19:10 | 文化
今日は久しぶりに朝から薄日が射し、次第に晴れ間が広がって来たが、
午後からまた雲が出て来た。山の青葉が気持ちよく目に入る。今週娘は連日帰りが遅くなっている。NPOでの仕事の後、起業のための講習というのに参加している。別に自分で起業するつもりがあるわけではないが、元のNPOの先輩から声をかけられて、最初はお付き合い程度の気持ちで参加したが、結構面白くて、結局毎日参加する形になった。娘が釜石にしばらくいることになったきっかけは昨年の震災だが、昨年3月9日、ちょうど娘が花巻空港に着く日、M7.3の余震があった。遠野には東北大学大学院附属の地震研究所があり、そこでは昨年1月頃から前触れとなる小さな地震を観測していた。三陸沖で地震が来るだろうと予想していたそうだ。ただ、3月9日に地震があったので、それが予想された地震だと考えたようだ。さすがに11日の本震までの規模のものが来るとは予想出来なかったようだ。今の日本は地震や火山の活動期に入っているが、自然界の地震と同じく、経済界の地震の活動期にも入っている。欧州ではとりあえず、ギリシャの選挙で緊縮財政派が連立政権を樹立することで、危機が一時的に回避されたが、その危機と言われるギリシャの財政の債務残高はGDP比で159%である。危ないと言われるスペインが79%、イタリアが128%である。これらの国に比べても我が日本ははるかに抜きん出た219%にもなる。景気後退している米国が103%、フランス102%、英国97%、ドイツ87%となっている。債務残高だけで見れば日本は世界でも最悪の状態になっている。国と地方の長期債務を合わせると1200兆円を超える。欧米先進国は2008年のリーマン・ショック以後に債務が年々増え続けてはいるが、日本の場合はそれ以前からほぼ変わらぬスピードで増え続けて来ている。現在、国の長期債務は908兆円ほどだが、15年ほど前には500兆円であった。利払いだけでも10兆円近い。日本国債が格下げされれば、金利が上昇し、さらに利払いは増えてしまう。積み重ねられた積み木はわずかな振動でたちまち崩れてしまうところまで来てしまっている。国は確かにこの債務を減らす必要に迫られている。支出を抑えて、税収を増やすことが求められている。とは言え、今、日本はデフレに陥っており、このデフレ下で消費税率を上げようとしているのだ。デフレでは供給に対して需要が少ない状態である。買い手が少ない状態だ。そんな状態で消費税率を上げようとしている。買い手はますます減ってしまうだろう。企業の収益は間違いなく今より悪化する。企業収益が減れば、当然、税収も減ってしまう。あまりに、消費税率を上げるタイミングが悪すぎるのだ。リーマン・ショック以後、先進国は景気を維持しようと財政出動させ、各国とも国の債務を増やして来た。しかし、それらはいずれも抜本的な景気回復には繋がっておらず、世界は今や泥沼に入ってしまった。もがけばもがくほどに債務だけが積み重ねられる。いずれの国もこれ以上債務を増やしたくないので、財政による景気刺激策は安易にとれなくなって来ている。身動きとれない状態で、欧州が契機となる世界恐慌の危機が迫っている。地震学者の間では貞観の巨大地震は震災以前から常識であったが、電力会社や国はそれを無視していた。経済の領域でも同じように過去に巨大な恐慌があった。そのこともやはり国は無視しているように見える。
雪ノ下 白い斑のある葉は天ぷらにして食べることができる

人命より重要なものがある人たち

2012-06-21 19:18:45 | 文化
ほんとうにまるで梅雨入りしたような鬱陶しい日が続く。釜石の市街は三方を山が取り囲む。標高が100~200mほどのその山々に深山のように今日も霧雲が立ち上る。夕方になり、ようやく少しだけ青空を見せた。市街地では相変わらず県外車をよく見かけ、警視庁のパトカーも走っていて、被災地のあちこちで工事が行われ、震災以前より活気があるように見える。しかし、一方で水面下では自殺や自殺未遂も増えているようだ。職や家族を失った人たちの心が癒されるにはまだ時間が十分ではない。福島県では原発事故で県外へ移った人たちが未だに15万人がそのまま戻っていない。暫定的な安全基準が満たされ、再稼働しなければ夏場の電力供給に支障を来す、として大飯原発3号機と4号機の再稼働が決定された。首相は福井県知事との会見で「国民生活を守るために再稼働すべきだというのが私の判断だ」と述べている。しかし、実際は政府は国民生活を守る意志などもともと持ち合わせてはいない。いくつもの安全性を無視した「稼働ありき」がそのことを示している。夏場の電力不足もすでに口実でしかないことは明らかになっている。先頃まで大阪市の橋下市長の下で特別顧問をしており、今回山口県知事に立候補を表明した環境エネルギー政策研究所所長の飯田哲也氏は同研究所のHPに「原発を再稼動しなくても夏の電力は足りる」と題して、具体的な数値を出して、それを示している。関西電力の不足分は余力のある中部電力、北陸電力、中国電力から補充可能だ。首相や政府は先ず、稼働でなければならないのだ。東京新聞朝刊が伝えるように、昨日、国民に知らされないまま原子力規制委員会設置法の付則で、原子力基本法の基本方針があっさりと変更された。湯川秀樹氏らが創設した「世界平和アピール七人委員会」は、「実質的な軍事利用に道を開く可能性を否定できない」「国益を損ない、禍根を残す」とする緊急アピールを出している。原発導入時から目指されていた、核兵器への道がここへ来て、密かに、法律で補償されてしまった。政府にとって再稼働は何としても乗り越えなければならなかったのだ。福島第一原発事故後、東京電力の清水正孝前社長に国会の参考人聴取で、「あれ(免震重要棟)がなかったら、と思うとぞっとする」と言わしめた免震重要棟も、格納容器ベントや防波堤かさ上げも不備のまま再稼働することにどれほど「国民生活」が考慮されていると言うのだろう。断層の専門家である東洋大学渡辺満久教授らが指摘した活断層の可能性が強い大飯原発敷地内を通る破砕帯についても全く無視されている。さらに福島第一原発と異なり、再稼働される大飯原発3号機、4号機は加圧水型軽水炉であり、水素が発生した場合に爆発を抑え込むための窒素が封入されておらず、加圧水型は格納容器が大きい分水素爆発を起こせば、福島第一原発事故以上の甚大な被害をもたらす。関西圏だけではなく、九州、四国、関東まで被害は及び、人口では日本の人口の6割を超える人たちに被害が及ぶ。文部科学省がいまだに一方向の風向きの被害シュミレーションしか府県に公表していないのは、事実を示せば、再稼働は確実に不可能になるためだ。再稼働しなければ関西電力は債務超過が決定的になる。核兵器への道を残すことと企業の財務改善が再稼働の理由である。それらの前では8000万を越える人命など考慮の余地がないようだ。宮城県の河北新報は『大飯原発再稼働/「福島」を忘れ去るつもりか』と題する社説で「経過をたどると、まるで福島第1原発事故がなかったかのような錯覚にとらわれる。」と書いている。
赤詰草(あかつめくさ) クローバーは白詰草と呼ばれる

科学への信頼回復のためには

2012-06-20 19:15:53 | 文化
台風4号が接近するため、釜石では早々と昨夜のうちに市内の小中学校を今日は休校とする決めた。昨夜の予想では気仙沼から沿岸部に沿って北上し、釜石も進路に当たっていた。実際には福島県あたりから太平洋上へ外れて、東北の沖合を北上する形になった。勢力もずっと治まり、強い風も雨もほとんど見られなかった。昨日、文部科学省は平成24年版の科学技術白書を発表した。同省のHPで公開している。第1部は「強くたくましい社会の構築に向けて ~東日本大震災の教訓を踏まえて~」と題されて、震災や原発事故を契機に国民の科学者への信頼が大きく低下し、あらためて原発の安全性などの科学技術への不安が高まっていることを指摘している。適切な科学的知見を提供出来なかったことも背景にあるとしている。専門家に任せておけないと考える国民が激増している一方で、専門家の方は信頼低下を深刻に捉えていないことに警鐘を鳴らしている。確かに震災や原発事故により科学者への信頼感は著しく損なわれた。しかし、この白書は読みようによっては文部科学省の責任逃れとも見ることが出来る。批判の矛先を科学者にのみ向けているからだ。地震の研究や原発の安全性の研究の配分には同省も大いに関わっており、むしろ、それを主導して、安全性などを軽視して、原発を推進して来たのも同省である。原発事故直後にSPEEDI(スピーディ)による放射性物質の拡散予測を公表しなかったのも同省だ。国民には公表せず、米国へは速やかに情報を送っていた。福島の人たちはこのために避難が遅れてしまった。今回の大飯原発についても文部科学省は想定される事故による被害の拡散シュミレーション結果を各府県には配布しているが、公表は府県任せとしている。そのため京都府と大阪府はすでにそれを公表したが、最も重要な原発の地元である福井県は未だに公表せず、公表しないまま国に対して、原発再稼働を認めている。むしろ、公表すれば、再稼働が出来なくなることを畏れているとしか思えない。これはどちらにしても県として本末転倒と言わざるを得ない。住民には危険性をすべてありのままに公表すべきである。被害を受けるのは住民なのだ。その上で、原発を県として再稼働するかを判断するのが県の役割だろう。文部科学省にしても、役人らしく、ここでも責任を地方自治体に預けてしまっている。反省すべきは科学者だけでなく、文部科学省自体の変わらぬ責任回避の態度である。経済産業省とともにこれまで大学を取り込んで強力に原発を推進し、今なお、その姿勢を崩していない。地震研究の予算配分などももっと地方の大学へも考慮するべきだろう。列島には広く、地震の震源や火山が分布しており、地方大学でも熱心に研究に取り組んでいるところがたくさんある。役人の膝元だけに予算を集中して来たこれまでのやり方自体が科学研究の怠慢と信頼の喪失に繋がる一因になっていることは白書では当然触れられていない。文部科学省が主導する日本の大学研究はあまりにも偏り過ぎており、かつ、閉鎖的である。欧米のように外国人教授がどれほどいるだろう。閉鎖性は学問の世界では停滞しかもたらさない。その酷さが今回の震災や原発事故で公衆の面前に晒されたのだ。
この山萩だけではなく東北では宮城の萩も自生している