今日もまた筋雲の出る晴れた日になった。予想最高気温は22度。風があまりない。メジロは変わらず今日もやって来ていた。匠の方の話では今年は例年に比べて気温が上がらないため、野菜の出来が悪く、花の咲きも良くないそうだ。紫陽花なども色付きが良くないのだと言う。匠の方の敷地には山から流れれて来る水を引いた池があるが、今年はそこでカルガモの子供が生まれた。しかし、雛を狙ったカラスの攻撃にあって、1日も経たないうちにどこかへ移ってしまったらしい。親の子を守る野生本能はすばらしく、カラスが攻撃して来ると、親は必ず片側が物陰になる位置に付き、子をしっかり守っていたそうだ。情愛ではなく、本能で結ばれた絆の方がよほど確かなものがある。残念ながら現代は人の情愛はひどく不確かなものになってしまった。子供を見捨てる親や親を見捨てる子供がいる。それぞれのおかれた状況にはそれなりの理由があるだろうが、いずれにしても情愛というものが絆を結ぶにはあまりあてにならないものになっている。震災後、全国からたくさんの人的、物的支援が被災地に寄せられた。しかし、時が経つにつれてそれらは次第に限られたものになり、表面上は落ち着いて来るようになると、今被災地では不心得な行為を行う人たちが出て来ている。人が人を信じることで逆に被害に合う。被災者にはまだまだ様々な支援やケアを要する。精神的にも簡単には落ち込みから抜けられない人たちが多くいる。自由で自立した人たちの社会は、決して勝手気ままに過ごして、他人を顧みない社会ではない。むしろ、自立して自由が保障されるからこそ、そこで結ばれる絆が確固としたものになる。逆に言えば強固な絆が結ばれないところには自由や自立が希薄なのだ。今の日本の指導的立場の人たちを見ていても、自由と自立の欠如した人たちが目につく。それらが欠如しているところには無責任がはびこる。家にいる二匹の大型犬はどちらも雄で、2歳の歳の差がある。若い方が子犬のときから一緒に飼っていて、正確も異なり、雄同士なので時には喧嘩をすることもある。しかし、そうした場合も、決して、相手を傷付けることはない。威嚇のうなりを発して、相手を抑えるだけである。雄同士であってもほとんどは仲良く過ごしている。散歩中の他所の犬同士が時に吠え立てているのを見ることがあるが、これなどもただそれぞれが自分たちの縄張りを主張して威嚇しているだけである。自然界の動物たちの厳しい世界では、自然の厳しさを本能的に記憶しているだけに不必要な争いはしない。生存のための戦いだけだ。よほど人の社会の方が屈折したものに見えてくる。人はほんとうに動物たちより賢いと言えるのだろうか。歴史の進みに合わせて人は賢くなっているのだろうか。科学や文明の進歩は人の手でしか成し遂げられないが、それらは決して幸せを保障するものではない。
ジギタリス 乾燥した葉っぱは薬用に使われる