雨は降らないが、曇天続きで、まるで梅雨に入ったような気になってくる。気温が上がって来ているのでやや蒸し暑く感じる。被災した職場の隣の醤油工場に新しい建物が建って来た。工場の裏手の山裾に今、昇藤(のぼりふじ)が咲き始めている。この花は学名がルピナスと言われ、ラテン語のルプスー狼から来ているらしい。狼のようにどんな土地でも逞しく育つ、というところから付いたようで、古代エジプトの時代から植えられていた。昇藤を見るたびに若い頃住んだ北海道道東の清里町を思い出す。今頃になると清里町では至る所でこの昇藤が咲いていた。人が植えたものより自然に運ばれて山野に自生するものがたくさん見られた。家人と二人で東京からフェリーに乗り、釧路に着いて、初めての北海道の地を暗く、吹雪く中を車で走った。釧路から北見に向かったが、夜の吹雪のため、ほとんど前方が見えない中を、運良く走っていたトラックに付いて、その後方を赤いランプを頼りに走った。道路と道路の外れの境界が全く分からない。集落を通っても明かりも人影もほとんど見ることがなく、ひどく心細く感じたことを覚えている。翌日無事に着いた清里町は当時人口が6,300人ほどの小さな町だった。現在はさらに人口が減って4,500人になってしまった。広大な平地に1,500mの斜里岳が聳え、少し離れた小清水原生花園の近くの濤沸湖(とうふつこ)には毎年たくさんの白鳥がやって来た。清里町での勤務に少し慣れて来ると、朝早く起きて、出勤前に町外れの川へ行き、よく釣りをやった。オショロコマと呼ばれる北海道特有の岩魚の一種をはじめ、アメマスやサクラマスも釣れた。町内の中央を流れる川の橋の下では幻の魚と言われるイトウを釣り上げた人もいた。裏摩周と言われる摩周湖の観光店などがあるところと反対側は人が来なくてのんびりと摩周湖を見ることが出来た。裏摩周へ行く途中には神の子の池があり、当時はまったく人が来ない、まさしく神秘的な池があった。地下で摩周湖と繋がると言われるその池はいつも水が底からわき出しており、透明度が高いため、エメラルドブルーの水面からもよく見えた。釧路へ向かう道路から少し逸れるため、草木の茂る未舗装の道へ入って行かなければならなかった。熊に注意の立て札があった。東北と違い、北海道はヒグマなので大きさはまるで異なる。立ち上がれば人よりもはるかに高い。出くわせばまず命はない。知床の湯の流れるカムイワッカの滝なども観光客のいない時期には熊に注意が必要になる。海岸の目の前を群れをなして泳ぐ鮭の姿を見たのも初めてだった。何度か職場の方と鮭を釣りに行ったこともあった。鮭の時期には斜里町の長い砂浜にはたくさんの人がやって来て一人で何本もの竿を出していた。同じ自然でも東北と北海道では全く異なる。東北では山は厳しいが、北海道では平地でも自然は厳しい。雪のない季節でも、日中、全く人影を見ない道はたくさんあり、事故に出会えば助けを呼ぶことさえ出来ない。真冬の集落を外れたところでは低い気温がさらに命を危うくさせる。東北の繊細な自然と比べると北海道はさらにずっと野性的で、荒々しいとすら言える。常にサバイバルの気構えが必要だ。同じ北海道でも、道東は最も北海道らしい地域で、「北海道」を直接感じとることが出来る。経済的にはその道東も限られた農業が中心であるため、生活はますます厳しくなって来ているのだろう。人口の減少は簡単には止められない。補助金に支えられた農業は、それが減って行けば自立が不可能になって行く。どこか釜石と似たところがあるように見える。
山で白い葉を見せるマタタビ