釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

東北と北海道の自然

2012-06-19 19:23:09 | 文化
雨は降らないが、曇天続きで、まるで梅雨に入ったような気になってくる。気温が上がって来ているのでやや蒸し暑く感じる。被災した職場の隣の醤油工場に新しい建物が建って来た。工場の裏手の山裾に今、昇藤(のぼりふじ)が咲き始めている。この花は学名がルピナスと言われ、ラテン語のルプスー狼から来ているらしい。狼のようにどんな土地でも逞しく育つ、というところから付いたようで、古代エジプトの時代から植えられていた。昇藤を見るたびに若い頃住んだ北海道道東の清里町を思い出す。今頃になると清里町では至る所でこの昇藤が咲いていた。人が植えたものより自然に運ばれて山野に自生するものがたくさん見られた。家人と二人で東京からフェリーに乗り、釧路に着いて、初めての北海道の地を暗く、吹雪く中を車で走った。釧路から北見に向かったが、夜の吹雪のため、ほとんど前方が見えない中を、運良く走っていたトラックに付いて、その後方を赤いランプを頼りに走った。道路と道路の外れの境界が全く分からない。集落を通っても明かりも人影もほとんど見ることがなく、ひどく心細く感じたことを覚えている。翌日無事に着いた清里町は当時人口が6,300人ほどの小さな町だった。現在はさらに人口が減って4,500人になってしまった。広大な平地に1,500mの斜里岳が聳え、少し離れた小清水原生花園の近くの濤沸湖(とうふつこ)には毎年たくさんの白鳥がやって来た。清里町での勤務に少し慣れて来ると、朝早く起きて、出勤前に町外れの川へ行き、よく釣りをやった。オショロコマと呼ばれる北海道特有の岩魚の一種をはじめ、アメマスやサクラマスも釣れた。町内の中央を流れる川の橋の下では幻の魚と言われるイトウを釣り上げた人もいた。裏摩周と言われる摩周湖の観光店などがあるところと反対側は人が来なくてのんびりと摩周湖を見ることが出来た。裏摩周へ行く途中には神の子の池があり、当時はまったく人が来ない、まさしく神秘的な池があった。地下で摩周湖と繋がると言われるその池はいつも水が底からわき出しており、透明度が高いため、エメラルドブルーの水面からもよく見えた。釧路へ向かう道路から少し逸れるため、草木の茂る未舗装の道へ入って行かなければならなかった。熊に注意の立て札があった。東北と違い、北海道はヒグマなので大きさはまるで異なる。立ち上がれば人よりもはるかに高い。出くわせばまず命はない。知床の湯の流れるカムイワッカの滝なども観光客のいない時期には熊に注意が必要になる。海岸の目の前を群れをなして泳ぐ鮭の姿を見たのも初めてだった。何度か職場の方と鮭を釣りに行ったこともあった。鮭の時期には斜里町の長い砂浜にはたくさんの人がやって来て一人で何本もの竿を出していた。同じ自然でも東北と北海道では全く異なる。東北では山は厳しいが、北海道では平地でも自然は厳しい。雪のない季節でも、日中、全く人影を見ない道はたくさんあり、事故に出会えば助けを呼ぶことさえ出来ない。真冬の集落を外れたところでは低い気温がさらに命を危うくさせる。東北の繊細な自然と比べると北海道はさらにずっと野性的で、荒々しいとすら言える。常にサバイバルの気構えが必要だ。同じ北海道でも、道東は最も北海道らしい地域で、「北海道」を直接感じとることが出来る。経済的にはその道東も限られた農業が中心であるため、生活はますます厳しくなって来ているのだろう。人口の減少は簡単には止められない。補助金に支えられた農業は、それが減って行けば自立が不可能になって行く。どこか釜石と似たところがあるように見える。
山で白い葉を見せるマタタビ

神であった自然

2012-06-18 19:15:07 | 文化
今朝は久しぶりに青空が広がり気持ちのいい朝だったが、昼頃から再び雲が空に広がって来た。今朝は震度4の地震で目を覚まされた。さすがにここのところ震度4は遠のいていたので、少し驚かされた。その地震の直後に息子は気仙沼に向けて家を出たので、この地震がアウターライズ型だと沿岸部を南下するには津波に気をつけなければ、と思ったが、特に、津波警報は出なかった。今月上旬、房総半島の太平洋側、いわゆる外房のいすみ市大原漁港で、カタクチイワシの大群が入り込み、3日間で250トンもが回収され、その後も海底に大量の死骸が堆積し、そこから悪臭が出るため16日しゅんせつ作業が行われた。神奈川県三浦市の海岸でも14日カタクチイワシの死骸およそ1万匹が打ち上げられた。沖合の海底に異変があれば、その異変を逃れて小魚は陸岸に集まって来る。これまでも三陸沿岸部では津波の前には大量に小魚が陸岸に押し寄せて来ると言う伝承があった。房総半島沖合を震源とする地震が起きており、それらの海底での影響によるものなのだろうか。千葉大大学院園芸学研究科の三位正洋教授らの研究グループは遺伝子組み換え技術を使った青いダリアの作出に成功したそうだ。青い花を付ける野草の露草から、色を決める遺伝子を取り出し、濃いピンク色の一重咲きのダリアの染色体に組み込み、一重の青色ダリアを作出した後、さらにそれと桃色の八重咲きダリアを交配させて6年がかりで作出に至った。細菌を利用して遺伝子の組み込みを行っている。趣味で育てている敦盛草などの絶滅が心配されている山野草なども種や組織を培養して繁殖させている。培養と遺伝子操作という二つの方法が植物の繁殖に使われているが、後者は主に新しい品種の作出に用いられている。園芸を趣味にする人たちが増えたこともあって、珍しい品種が高価に取引させれるために、ますます遺伝子操作による新品種の作出が盛んになる。しかし、自然界の長い時間をかけた新品種の誕生とは違って、こうした人工的な遺伝子を使った改良は植物の本来の生育過程に問題を持ち込む可能性がある。害虫や病気への耐性や新品種としての存続性などだ。食品でも遺伝子操作は米国を中心にかなり広がっているが、原発で生まれる自然界には存在しない核種と同様、地球の自然環境を大きく変えて行く危険性がある。魚や動物を趣味で飼っていて、事情で飼うことが出来なくなると、放置してしまったことで、自然界の生態系を大きく変えて来ているように、植物でもいずれ、自然界への影響が出て来るだろう。大学が研究機関としてのみ遺伝子操作をすることは許されると思うが、そこから生み出されたものが流通に乗ってしまうとコントロールは難しくなる。あらゆる生物の進化は自然界の淘汰を受けて初めて生存が許されて来た。自然はそこでは神の役割を担っていると見ることも出来るだろう。しかし、遺伝子操作は、神である自然の許しを経ないで、生み出される。適用を間違えば人の傲慢さの代表とも言える科学技術になるのではないだろうか。太古から人類が自然を神と崇めて来たことにはそれなりに理由があったのだ。そうした人類の歴史を短期間に無視し始めた、人類は自然を神の座から引きずり降ろしてしまった。その報いがこなければいいが。
カルミア(アメリカ石楠花) 職場の近辺を歩いていて見かけたつつじ科の花

古文書と遺跡

2012-06-17 19:24:09 | 歴史
今日も天候はすっきりしない1日だった。気温は少し上がったが湿度も高いようだ。昼前にまた蒸気機関車の汽笛が響いていた。3週続いた週末の北上ー釜石間の運行の最後の日になる。昼過ぎに娘は今日も鵜住居地区の仮設住宅で行われるイベントに出かけて行った。息子は午後になって植物のための土などを買うために一人で出かけた。庭では五月が終わってしばらくして、今二色のツツジのうち一方が咲いていて、残りの一色も一輪だけ咲き始めた。紫陽花も蕾が見えて来たが、もう少し日がかかりそうだ。日本で噴煙を出して今も活動する著名な火山に、浅間山と並んで九州熊本県の阿蘇山がある。標高はさほど高くなく1,592mである。岩手県で言えば薬師岳や栗駒山がこれより少しだけ高い。しかし、阿蘇山の過去の大噴火は凄まじかった。9万年前に起きた大噴火では巨大なカルデラが形成され、火砕流や火山灰が大量に放出され、火砕流は関門海峡を越えて山口県にまで達した。火山灰はさらに日本全国を覆い、北海道までも降り積もった。この時遠野に降り積もった火山灰の層から石斧・掻器など7点の旧石器が、多量の木炭片や焼けた礫とともに出土した。遠野市宮守町の金取遺跡だ。現在のところ日本最古の石器とされている。出雲市多伎町の砂原遺跡からも古い石器が見つかっているが、こちらは12万年前から7万年前までの可能性があり、今のところ時期が明確になっていない。いずれにしろ、縄文時代以前の中期旧石器時代にすでに東北には人が住んでいた。和田家文書にある阿蘇部族の渡来は5万年前であるから、阿蘇部族以前の日本の原住民と言える。4万年前に津保化族が米大陸から馬を伴って故地を目指して筏で漂着して、阿蘇部森が噴火したことで岩木山が形成された時に、阿蘇部族の大半が滅び、津保化族が主導的立場に立つ。青森市の三内丸山遺跡や岩手県二戸郡一戸町の御所野遺跡、岩手県八戸市の風張遺跡など東北の縄文時代の一大集落は津保化族中心の集落だと考えられる。遮光器土偶で知られる青森県つがる市の亀ヶ岡遺跡もやはり津保化族の集落であり、この集落と同じ様式の土器は広く、北海道から中部・近畿まで分布している。近畿の邪馬台国の王であった安日彦とその弟長髄彦が侵略して来た神武に追われて、津軽へ落ち延び、朝鮮や中国の戦乱を逃れてやって来た亡命者とともに稲作集落を形成し、津保化族をも併合して荒覇吐王国(あらはばきおうこく)を打ち立てた頃の遺跡が水田遺構の見出されている青森県弘前市の砂沢遺跡や青森県南津軽郡田舎館村の垂柳遺跡である。弥生時代前期からのものだ。縄文期の想像を超える集落と弥生期の歴史学を覆す水田遺構について考古学や歴史学はその理由を語り得ていない。日本には古事記や日本書紀に記された歴史しかないと思い込んでいるために、考古学的な東北での発見が説明出来ない。和田家文書はむしろそうした東北の縄文から弥生にかけての考古学的な発見とよく符合する。江戸時代後半に東北を中心に全国を歩いて伝承や寺社に残る古文書を集めて回った秋田孝季らが綴ったもので、それを菅江真澄も助けている。『東日流外三郡誌』(つがるそとさんぐんし)には菅江真澄自らも記述した文がいくつか載せられている。各遺跡のさらなる発掘・調査がなかなか進まないが、これが進められて行けば和田家文書に記されていることの多くが実証されて行くだろう。
山法師(やまぼうし) 花水木に似ているが花弁の先が尖っている

目前の日本の姿

2012-06-16 19:20:58 | 文化
今日も天候は芳しくない。最高気温はやはり20度を切っている。昨夕と夜半にも余震があった。息子は気仙沼でイベントがあるため昨夜は帰って来なかった。娘も今日は鵜住居地区でイベントがあるとかで朝いつもより早く出かけて行った。日中一人で自由に時間が使えるのはいいが、天候が良くないので出かける気にもならなかった。ニュースを見ると民主、自民、公明三党は世論調査を無視して消費税増税を事実上決定したようだし、政府は今日午前中に関西電力大飯原発3、4号機の再稼働を正式に決定したようだ。現政権になって以来ほとんどが官僚の思惑通りに物事が進んでいる。政権の経験のない政治家の寄り合いでは一方的に官僚の為すがままにならざるを得ないのだろう。何と言っても情報はすべて官僚が握っているのだ。その官僚を掌握出来そうな政治家さえもが、策謀としか思えない手段で逮捕され、政治力を削がれてしまう。明治以降を見ても国が安定するに従い秀でた政治家は陰を潜め、官僚が勝手に動き出す。そして国を危うくさせて行く。やはり今の日本は行き着くところまで行かなければならないのかも知れない。官僚はいくら優秀だと言われても縦割りになっているため、国全体を見渡すことが出来ない。何らその分野の知識もポリシーもなく、ただ政党への貢献度などだけで選ばれた大臣や首相に官僚を掌握し切れるはずもない。その結果、誰もこの国をどこへ導こうとするのか、言えるものはいない。世界的にも国内的にも経済は危機的状況にあり、地震や津波、富士山の噴火と言った自然の脅威が迫り、それでも尚原発を再稼働すると言う、さらに人為災害の可能性まで抱え込んで来ている。今やどう見ても日本は滅びの道を歩んでいるとしか思われない。別に悲観しているわけではない。むしろある意味で楽観視している。最悪の事態になったときこそ秀でた人物たちが表れて来るだろうと思うからだ。中途半端な事態こそ危うい。日本人に限らず、人はどん底に落ちて初めて必死で生きようとするだろう。その活力は必ず新しい日本を生み出すだろう。その時、おそらく地方が生き返るだろう。地方から秀でた人たちが現れて来るだろう。東京電力と言う巨大な帝国を築き上げて来た人たちはどんな事態になろうとその帝国を維持しようと必死になり、どんな手も使って来る。それはごく当たり前のことだ。国よりも組織を防衛しようとする、組織としては当然の行為だ。だからこそ、国が規制する必要が生まれる。しかし、その国が、官僚が、あらゆる危険性を無視して、原発再稼働に走る。世界経済も日本経済も危機的状況にあっても、尚、財務省は目先の税収しか目に入らない。消費税増税がさらに日本経済を悪化させ、税収はむしろ減少するという単純な経済動向が読めていない。欧州危機が起爆剤となって世界恐慌が現実のものとなる可能性が高まっている。日本国債の大暴落さえ視野に入って来るだろう。今、これらの動きを誰も止められないでいる。
職場近辺を歩いていて見つけた石南花(しゃくなげ)

大地震に後続する富士山の大噴火

2012-06-15 19:15:43 | 文化
先日の予想とは違って今日は夏日にはならず、気温は20度を切った。午前中は雲も多く、昼頃から日が射すようになった。職場の裏山では桐の花が見られるが、ほとんどが緑に覆われて、一時の花たちの彩りが見られなくなった。ウグイスは相変わらず毎日きれいな声を聞かせてくれている。裏山を含めた沿岸部の北上山系には火山帯がなく、従って、温泉も出ない。岩手県では活火山は岩手山がある。八幡平と駒ヶ岳は秋田県とまたがる。岩手山の噴火は1919年が最後で、この時には水蒸気爆発で火山灰が10cm積もったとされている。現在、富士山の噴火が最も危ぶまれているが、富士山の噴火が和歌に表れた最初と言われているのは柿本人麻呂の『柿本集』に収められた「ふじのねの たえぬ思ひを するからに 常磐に燃る 身とぞ成ぬる」だと言われる。『拾遺和歌集』にも人麻呂の「ちはやふる神もおもひのあればこそ としへてふじの山ももゆらめ」が残されている。古田武彦氏によれば人麻呂は九州王朝の歌人であると考えられている。従来の歴史学では何の疑いもなく、近畿の王朝の歌人としている。しかし、『万葉集』第一の歌人だと言われながら人麻呂は官位も定かではない。人麻呂は東国に配流の身となって、東国に向かう時に富士を見て歌ったものとされる。人麻呂の歌は主に7世紀末に歌われており、その頃は富士山からは噴煙が立ち上っていた。琉球大学の木村政昭名誉教授は2015年までに富士山の大噴火が起きるだろうと考えられている。一般的には火山の噴火の前に付近での群発地震が起きるとされる。地下のマグマの動きのためだ。現在、富士宮市周辺では2年以上にわたって数か月おきに湧水を生じており、富士五湖では水位が上昇している。河口湖では湖底からガスが湧出するようになり、富士山東斜面にある自衛隊演習地では数か所で大きな穴が空き、そこから摂氏40、50度の噴気が出ていると言う。これらの現象を同名誉教授は地下でのマグマ活動が活発になって来たことの現れだと見ている。過去の富士山の大噴火は地震と連動しており、近くの相模トラフはある意味では日本列島の中でも最もプレートが複雑に交差している場所であると言える。地震の震源になり得るということであり、地震が起きればその影響を受けて、噴火も生じやすくなる。昨年の広範囲な大地震の震源域の影響が相模トラフにも当然与えられており、付近での地震だけではなく、富士山の地下のマグマへも大きく影響している。震災後、富士山付近での地震も増加している。昨年の太平洋側の海溝付近で大規模に起きた地震により、相模トラフへも大きな歪みを付加している。それ故に、関東直下の地震や東海・東南海・南海連動型地震が早まったと考えられるようになった。東海・東南海・南海連動型の地震が起きれば、続いて富士山の大噴火が起きることになるのだろう。歴史上で富士山の三大噴火とされる噴火は800年 - 802年の延暦大噴火、864年の貞観大噴火、1707年の宝永大噴火であるが、このうち貞観大噴火だけがそれに先行する東海、東南海域の地震が明らかになっていない。延暦大噴火も794年に先行して巨大な南海地震があったことが明らかにされたのは、本年4月岡山大学の今津勝紀准教授によって見出された『日本紀略』の記述からである。今後の調査・研究で貞観大噴火に先行する地震もおそらく明らかになって行くだろう。
朱鷺草(ときそう)

欧州の起爆剤

2012-06-14 19:20:32 | 文化
今日も曇天が続き肌寒い。ここのところ毎日昼休みには裏山の旧道を車で走っている。先日の夜、職場のそばの裏山で熊が出たようで、一昨日は裏山で市が爆竹を鳴らして、熊に警告を発した。今日もやや熊のことを意識しながら旧道を走った。散歩する初老の方々もラジオをかけながら歩いていた。熊もそう簡単には人を襲うことはない。熊を驚かせないようにすることが大事だ。人がいるよ、と言う音を発してやれば熊の方は離れて行く。突然出くわしたりすることが危険なのだ。裏山から職場の駐車場へ戻った後、付近を少し歩いてみたが、被災した建物が取り壊されて空き地になったところも、よく見ると、流れて来た木片や崩れかけたコンクリートの土台、その土台から出ている曲がった鉄の支柱などがあり、廃墟の跡と言った感じが強く、人も住んでいない建物も多く、震災の爪痕は簡単には消えないようだ。昨年奄美大島と徳之島で捕獲され、行政が買い上げた猛毒の蛇であるハブの数は急増して過去最多となった。3万8843匹で1年前より1万匹も増えた。1987年にはハブに咬まれた人は160人で2人亡くなっている。行政の買い取りにより咬傷者数は徐々に減少し、2011年には65人までに減った。東京大学医科学研究所奄美病害動物研究施設の服部正策准教授によれば、景気低迷や就職難のため、夜間に車で林道などを回り、道ばたにいる小型のハブを大量に捕まえる20、30代の若者が増えているのだと言う。復興景気で人手の足りない三陸沿岸部は別として、地方の疲弊は進んでいる。日本は15年間デフレが放置されたままで、積極的な経済政策がとられないばかりか、消費税導入という最悪の手段を今とろうとしている。さらに欧州には世界恐慌の起爆剤が控えている。政治家も官僚も、財界も日本経済の力を過信しているとしか思えないほど危機感がない。米国の情報サービス会社Bloombergは今ギリシャでは銀行預金の流出が加速していることを伝えている。日々の引き出し額は今月、1億ユーロ(約100億円)から5億ユーロの範囲の上限に増加し、12日には7億ユーロを超えた。2009年10月にギリシャがユーロ圏債務危機の引き金となって以来、同国銀行の個人や法人による預金引き出しは約720億ユーロに上っている。預金者は自己資金の防衛のための行動に走っている。17日ギリシャでは再選挙があり、急進左派連合(SYRIZA)は欧州連合(EU)などがギリシャに求める緊縮政策を「破棄する」方針を明確にしている。13日には米国格付け会社Moodyzがスペイン長期国債の格付けを3段階引き下げた。スペイン政府が国内金融機関の資本増強のため、ユーロ圏諸国と合意した最大1000億ユーロ(約10兆円)の資金支援を受ければ、同国の債務負担が増大するほか、国債利回りの急上昇で同国の資金調達力が極めて限られてしまう、と判断したためだ。さらに1段階下がると、デフォルト(債務不履行)の可能性が高まる。イタリアでも昨年9月に付加価値税の税率を1ポイント引き上げたことが裏目に出て、4月末までの1年間の徴収額は2006年以降で最低に落ち込み、今月5日に公表された政府統計によると、イタリア経済がリセッション(景気後退)に陥りつつある。米国もユーロ諸国と同じく国債の問題を抱え、貿易収支も莫大な赤字になっており、国債暴落の可能性がある。中国経済もここのところ減速して来ており、欧州危機が起爆剤となって世界恐慌に突入する危険性は極めて高くなって来ている。日本はその状態に耐えうるほどの経済的余裕はなくなっている。国の指導者たちにはあまりにも危機感がない。ノーベル経済学賞を受けたプリンストン大学のポール・クルーグマン教授や元財務省財務官で青山学院大学榊原英資教授などは1929年のブラックマンデーのような株大暴落不況ではなく、1870年型のじわじわと真綿で首を絞められるような大不況になるだろうと言われている。
ライラック(リラ) まだ咲いているところがあった

写真は楽しんで撮りたい

2012-06-13 19:15:05 | 文化
小雨や曇天が今日も続き、気温は最高でも15度を切る、肌寒い日になった。大阪では28度にもなっている。この気温は明日までで、明後日からは一挙に10度ほど上がって、しばらくは25度以上の夏日が続くようだ。娘はNPOで知り合った同年代の人たちと最近写真の愛好会をつくった。これまで漫然と撮っていた写真も、先ずはカメラの基本から学ぶことになり、帰宅後もカメラの設定について聞いて来るようになった。偶然、昨日は遠野から来られておられる職場の同僚から望遠レンズの購入について相談を受けた。カメラは本体もレンズも様々あり、欲を言えばキリがない。レンズ交換ができるカメラは一般に一眼レフカメラと言われて来たが、最近はよりコンパクトなミラーレス機と言うものも出て来た。一眼レフの場合、大雑把に言って、3ランクに分かれる。初級、中級、上級の3ランクで、自分では中級のものを使っている。上級機は無論、多くのプロの方々が使われている。中級機は言ってみれば素人にとっての最高級機とも言えるかも知れない。娘は初級機を使っている。先日も書いたが、デジタルカメラの進歩は急速で、今時の初級機もかなりの性能を持っている。カメラ本体の性能は、ピントがいかに正確に早く合わせられるか、解像度を高め、色表現をいかに豊かにするか、に関わって来る。デジタルは画像処理を小さなコンピュータでやるので、その小さなコンピュータのハードの進化とプログラムの進化が決め手になる。レンズはカメラメーカーが普及レンズと高級レンズのだいたい2種類を出していて、さらにシグマやタムロンと言ったサードパーティーが比較的安価なレンズを出している。従ってレンズも3ランクあると考えてよさそうだ。高級レンズは確かにすばらしく、誰が撮ってもきれいな写真を撮れるとも言える。しかし、カメラ本体が良くなければ、当然、レンズの性能のすべてを引き出すことが出来ない。ある意味で宝の持ち腐れ、と言うことになる。やはり常識で考えられる通り、初級者の場合は初級カメラとサードパーティのレンズでしっかりとそれらを使いこなす練習をした方が好ましいだろう。写真を撮る場合、ハードとしてのカメラやレンズの他にソフトとしての撮り方がある。そしてその撮り方はそれこそ人様々であり、趣味の写真であれば、人が撮った写真をたくさん見て、自分が感動するものを真似ることから始めればいいと思う。その際の柱は構図だろう。どういう構図で撮るか、が重要になる。簡単に言えば構図さえ整っていればとりあえずはいい写真が撮れてしまう、と言ってもいいと思う。構図も黄金比や三分割などを頭に入れて撮っていると、無意識にそうした構図が身につくようになって来ているのに気付くようになる。撮る対象によっても撮り方は左右される。人物は表情が重要になる。大勢いるのかただ一人なのかでも撮り方は違って来るだろう。静物は構図の練習には適している。動きのあるものはとても難しい。いいタイミングに恵まれなければならないし、そのタイミングを逃さない鋭さも身に付けておかなければならない。いろいろ考えているととても気軽に撮るわけには行かなくなり、だんだん面白くなくなったりする。最後は、素人なのだから、と言い訳をして済ませてしまう。
小阿仁千鳥(こあにちどり) 大正8年秋田県北秋田郡上小阿仁村で自生種が見つけられた

伝承や古文書ー無視ではなく検証を

2012-06-12 19:15:53 | 文化
昨日の晴れ間は一時的だったようで、昨夕から再び曇天が続いている。昨日朝早く息子は気仙沼に出かけて行ったが、路面が濡れたままだったので、注意をしておいた。十分な睡眠もとっていないはずなので、なお、心配だったが無事に着いたようだ。気仙沼ではまた新しいメンバーとともにボランティア活動が始まる。娘も息子も沿岸部で復興のために助力することは結構だが、再びアウターライズ型のM9クラスの地震の発生が危ぶまれているので、それによる昨年以上の大津波の可能性があることを考えると、いざと言う時に対応出来るのか心配になる。特に、気仙沼は平地が広がっており、避難場所が遠くなる可能性がある。ボランティア活動の場所が変わるたびに避難場所を確認するよう注意はしておいたが。昨夕も岩手県沖でM4クラスの地震があり、相変わらず三陸沖の余震は続いている。気が付くと余震に慣れてしまっていることが不安になる。釜石ではいよいよ今年度末から高台移転の一環として、高地での復興住宅の建設が始まり、岩手県下全体でも町づくりや海岸保全施設整備などすべての復興事業を2018年度までに完成させることになった。今回の大震災を契機に太平洋側で起きた過去の地震や津波の調査が積極的に行われるようになった。東海から南海にかけてや関東直下などの地震が切迫していると考えられているため、尚更である。しかし、プレートの交差を考えれば当然のことながら日本海側でも過去に巨大地震と津波は起きている。以前にも触れたが、青森県津軽地方の十三湖はかっては湖として閉じられてはおらず、湾をつくっていた。そこには十三湊(とさみなと)と呼ばれる一大都市があった。津軽地方では古くからその都市についての伝承があり、近年発掘調査によりその都市が伝承通り存在していたことが明らかになって来た。和田家文書の中心をなす『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)』が世に出されるや、心理学者で古代史研究家でもある安本 美典氏を中心に執拗な偽書キャンペーンが張られた。同書をはじめ和田家文書は江戸時代の秋田孝季が義父である三春藩主秋田千季の命で各地に残された伝承や古文書を収集し、焼失した秋田家の家史を残そうとしたものであり、当時各地に残っていた伝承や古文書の記録が書かれている。そこには南北朝時代の南朝暦で興国二年(一部に元年と記したところもある)、西暦で1341年大津波が十三湊を襲ったことが書かれている。伝承として残っている繁栄していた十三湊が発掘により実在した都市であることが明らかになって来ており、その発掘の際には、大津波の痕跡は認められないとされたが、その後、津波の調査で大津波があったことが分かって来た。秋田県地震被害想定調査検討委員会の委員長代理を務める松冨英夫秋田大学大学院教授は「さきがけ on The Web」の取材で「今回の大震災のような巨大津波は、日本海側でも発生し得るか。」との問いに答えて「実は過去に起きていて、それを知らないだけだと思った方がいい。存在を疑う人もいるが、例えば1341年の「興国の大津波」。青森県の津軽半島にある十三湖付近で行われた堆積物の分析により、大規模な津波があった可能性が指摘されている。」と言われている。1990年に日本地質学会で出された「地質学論集 (36)」に載った東北大学理学部地質学古生物学教室の箕浦幸治教授らの「津軽十三湖及び周辺湖沼の成り立ち」という論文では「湖とその周辺での詳細な試錐調査により, 十三湖の歴史の大部分が内湾の環境下で作られ, 現在みる閉塞性の強い湖の状況は浜堤状砂丘の発達によりもたらされた事実が明らかとなった。十三湖の周辺には過去度々津波が押し寄せた経緯が有り, 650年前に発生した巨大津波による海浜砂州の出現によって, 十三湖は最終的に閉塞湖となった。」ことが論述されている。津軽地方に江戸時代に伝承されていた都市、十三湊やそこを襲った大津波も以前は史実としては疑問視されていたが、発掘調査や堆積物の調査が進められるに連れていずれもが事実であったことが明らかになって来た。偽書としてキャンペーンが張られた際は、『東日流外三郡誌』に書かれた十三湊を襲った大津波は逆に「日本海側には大津波は起こりえない」として偽書の論拠として上げられていた。若狭湾でも701年大宝元年に3日間地を震わせて、「丹海郷」が海に没したという「冠島伝説」が残されているが、調査が十分行われていないため、現在は疑いを持って見られている。三陸津波の伝承は、しかし、今回の震災をみても史実としてむしろ重視する必要があることを示しており、伝承だからと無視したり、疑問視するのではなく、伝承されるにはそれなりの理由があったのではないか、と考えて、むしろ、科学的な調査をすることの方が重要だということを学ばさせてくれている。
近所に咲いていた苧環(おだまき) 釜石付近の山にも自生のものが見られる

人格を貶める手法

2012-06-11 19:18:55 | 文化
先週末は梅雨のような雨が続き、やや鬱陶しい感じがあった。週末の北上ー釜石間の蒸気機関車の正規運転があり、汽笛が愁いを帯びて響いて来た。山に囲まれているため反響しやすい。やはり何度聞いても大きな動物が悲しく吠えているように聞こえてしまう。今日はすっかり晴れ渡り、またとても気持ちのいい天気になった。震災で崩れかけた建物はほとんど取り壊されて空き地が点々と出来て来た。しかし、今のところそれ以上の変化は被災地域には見られない。被災地域の本格的な整備にはまだまだ時間がかかるのだろう。1997年3月、東京電力に初めての女性総合職として入社していた、当時39歳の女性が殺害された。慶応義塾大学経済学部卒で企画部経済調査室副室長にまでなっていたエリート女性だ。同年5月20日ネパール国籍の30歳の男性が逮捕された。以後マスコミは警察から漏れ出た、殺害された女性が売春行為をやっていたという意外な情報を元にたちまちセンセーショナルな取り上げを展開して行った。後にはノンフィクション作家が『東電OL殺人事件』、『東電OL症候群(シンドローム)』などという書籍を書いたことにより、世間は警察のリークした情報通りにこの殺害された女性像を受け入れて行った。松本清張氏が存命であれば、おそらく全く違った書籍が出ていたのではないかと思う。現在の東京電力会長勝俣恒久氏は当時殺害された女性の所属する企画部の部長を務めていた。彼女の父親もまた東京大学工学部卒で東京電力に入社したエリートであった。しかし、この父親は社内で推進されていた原発に対して、その危険性を説くようになったため、降格され、間もなく癌で亡くなる。経済調査室に配属されてから彼女が書いたレポートは賞を受けるほどのものだったという。彼女もまた父親同様反原発の視点に立っていた。彼女は東京電力内の貴重な資料に触れ得る立場にあり、その資料を元にしたレポートの公表もある程度可能だったと思われる。科学的な論文の著者がその人格が貶められることで、その論文の信頼性を損なわせられる、ということはこれまでにもいくつか見られた。論文に影響力があればあるほど、その効果は大きくなる。殺害犯人もこうした場合の常で社会的に弱い立場の人間が標的とされて行く。それによって真犯人から世間の目がそらされて行く。警察は標的とした「犯人」に関わる証拠固めに偏ってしまうため、全体から見れば極めてずさんな捜査となる。そこでは無論検察も一体となっている。むしろこうした場合は検察からの指示で警察が動いているのだろう。15年経ってはじめて裁判所によって警察と検察の証拠固めのずさんさが明らかとなった。ネパール人の被告を直ちに国外退去させ、被告不在のまま再審が可能だと裁判所が判断し得るほどに無罪が明らかとなっている。15年間に真犯人は消えてしまった。検察の「悔しさ」が報道されているが、検察にとって当初からこうした結末は想定されていたはずだ。東京電力という巨大企業の闇は簡単には照らし出されることはないのだろう。
近所の風車

人災が繰り返されるのか

2012-06-09 19:22:30 | 文化
夜半に雨が降ったのか、朝起きると地面が濡れていた。空は雲に覆われて昼前には雨もまた降った。6月に入ってから犬たちも少し身体を動かすと大きく口を開けて呼吸をするようになった。気温は確実に上がって来た。娘は昨夜も遅く帰って来たようで、息子が起きていたので、こちらは先に寝てしまった。今日も明日も夜の集まりが続くようだ。息子も来週から気仙沼でのボランティア活動に参加するための準備をやっている。我が家をみてもそうだが、今の釜石は復興のために一時的に若者が増えている。政府の復興策による資金が流入している間はいいが、その後の釜石の再生に繋がるような策は今のところ考えられていないように見える。補助金から離れて、自立した経済状態を維持する方法を、今、考えなければならないはずなのだが。世論調査の結果などは無視されて、大飯原発は右往左往はしているが、再稼働の方向で政府はことを進めている。今回の震災後、様々な角度から過去の津波の痕跡が一層盛んに調査されるようになった。そんな中で三陸沿岸部の神社がほとんど被害を受けていないことが注目された。神社のほとんどが高台にある。しかし、逆に寺院は多く被害を受けた。1637年に起きたキリシタンによる島原の乱に脅威を感じた開幕間もない江戸幕府は1640年寺請制度、いわゆる檀家制度を設け、すべての領民をいずれかの寺院に帰属させた。寺院がすべての冠婚葬祭を取り仕切った。領民の住む近くに寺院が次々に建てられて行った。三陸では江戸時代以降も何度も津波に襲われているが、他の地方、特に若狭湾では江戸時代以後には大きな津波に襲われたことはない。しかし、それ以前には確実に津波が襲来している。江戸時代に建てられて行った寺院は津波に見舞われていないため、海岸からの距離を考慮されずに建てられているものが多い。しかし、神社は宗教的にも長い歴史があり、古くからの津波の伝承もあるため、若狭湾付近の神社であっても古くからのものは高台に建つ。敦賀短期大学の外岡慎一郎教授が「敦賀短期大学紀要」26号に書かれた『「天正地震」と越前・若狭』では1586年に起きた天正地震による津波で越前と若狭が受けた被害状況を京都吉田神社の神主吉田兼見が残した『兼見卿記』や30余年間イエズス会宣教師として織田信長の厚遇を受けながら日本に滞在したルイス・フロイスの書簡などの古文献から読み取り、津波が甚大な被害をこの地域にもたらしたことを明らかにされた。745年にもこの天正地震と同じ震源地と考えられている濃尾平野の境界域にある養老断層によると考えられる天平地震が起きており、続日本紀巻第十六には当時の地震による被害が記されている。同じく第二巻には701年からの大宝年間に丹波国で地震が続いたことなどが書かれている。若狭湾に面した京都府宮津市の天橋立に近い元伊勢籠神社の奥宮である山中の真名井神社は伊勢神宮以上の古さがある興味深い神社だが、そこには「波せき地蔵」と言われる地蔵が安置されており、「昔大宝年間(約一三〇〇年程以前)大地震の大津波が押し寄せたのをここで切り返したと伝えられ・・・」と書かれている。その位置は標高60mにもなるという。去る8日読売新聞は大飯原発3、4号機で、敷地内を通る「破砕帯」と呼ばれる断層について「活断層の可能性が否定できない」との調査結果が出たことを伝えている。東洋大学渡辺満久教授と名古屋大学鈴木康弘教授が調査された。これについて原子力安全委員会の班目春樹委員長は「最新の知見が出たなら、原子力安全・保安院で評価をしっかりやり直すべきだ」と述べているにもかかわらず、地質学の専門家でもない経済産業省原子力安全・保安院の森山善範原子力災害対策監が、即座に「断層の上にある地層は変形しておらず、活動性はない」と否定している。どの部署よりも安全性について厳しくあるべき職務にありながら、これでは全く本来の業務を放棄している発言としか言いようがない。第二の福島原発事故が起きるのは時間の問題でしかないだろう。
芥子(けし)の花 ポピーと呼ばれているが