早くも今日で今年も終わり釜石で三度目の大晦日を迎える。歳とともに1年の過ぎるのが早まるように思われる。メディアは年末になると特別番組を報じて1年を振り返るがいずれもただ表層を見ているだけの軽薄さを感じてしまう。我が家では家人も最近は自分の書いているブログに執心しているためTVを見ることはなくなった。そのためかかえって物事を考えることが多くなり、それをめぐって家人と話すことが増えた気がする。今日は大晦日だがかっては日本では1日が夜に始まると考えられており、大晦日の夜は既に新年に入っていたそうだ。従って現在行われている大晦日の夜の行事は新年の行事として考えられていたと言うことになる。夜の年越し蕎麦の風習はあくまで江戸時代に始まる風習でずっと後に行われるようになった風習だ。初詣も元来は一家の家長が大晦日の夜から元旦の朝まで土地の神様の社にこもって家内の平安と繁栄を祈る儀式が次第に除夜詣と元旦詣に分かれて行き元旦詣のみが初詣として残ったと言う。百八の人の煩悩を消滅させると言われる除夜の鐘も仏教が伝来してからかなり後の鎌倉時代に中国から日本の禅寺に伝わったもののようだ。そうした現在に行われる行事以前は本来神道で行われる行事が中心で以前にも記した大晦日の大祓であった。今も大晦日には神社では大祓が行われるがこれは明治4年に明治政府によって意図的に衰退していた旧儀を再興させたものだ。古代は現在の1年を6月と12月で区切って半年を1年と数え、6月と12月に天皇の命で大祓が大晦日に行われた。平安末期まで朝廷内で国家行事として行われていたが以後は武士の台頭により廃れて行き、中世で6月の大晦日の大祓のみが名越祓え、夏越の祓え、水無月祓えなどの名で民間に伝承されて行った。つまり朝廷内でのみ行われていた神道行事が次第に武士の権力が増強するとともに民衆の家中心の行事へと変容し、武士自体は神道よりも仏教を重視するようになっていったのだろう。現在この神社で執り行われる大祓は人の罪穢れを祓うものとされるが、本居宣長によると大祓はあくまで個人のためのものではなく、公のためのもとして捉えられている。天下万民、社会全体の罪穢れ、災厄を取り除く為の祓ということのようだ。現在の大祓詞(おおはらえのことば)は多少の改竄と省略があるが『延喜式』のなかに載せられている大祓詞の原型では侵略者の犯した罪を祓うという意味が伺われる。いずれにしても元来大晦日はその年の人の罪穢れを祓って清らかな状態で新年を迎える日であったのが現在は1年を振り返りつつ新年が良い年であることを願う日に変わって来たということなのだろう。
匠の方の山に祀られる山の神 修験者のもたらした密教の影響で鉄剣が奉納されているが山の神は女神である
縄文の巨石信仰と関連して巨石に祀られる この付近は中世の館の遺跡とも重なる
匠の方の山に祀られる山の神 修験者のもたらした密教の影響で鉄剣が奉納されているが山の神は女神である
縄文の巨石信仰と関連して巨石に祀られる この付近は中世の館の遺跡とも重なる