釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

再び松山へ

2009-12-24 07:18:27 | 文化
世間で言う法事のためにまた四国を訪れている。釜石から車で花巻空港へ出たが空港では雪が降っていて少し心配させられた。無事花巻空港を飛び立ち、伊丹空港へ向かったが今回も富士山が左手によく見え、長野県の諏訪湖もほぼ真下近くに見えた。以前勤めていた豊橋を初め渥美半島もよく見ることが出来た。伊丹空港では気温がまるっきり違い、やはり暖かかった。2時間の乗り継ぎ時間をターミナルの中で何とか潰して松山に向かう。瀬戸内海上空では無数に散らばる島々を眺め、西の海に沈む夕日の照り返しが海面に伸び、神々しいまでの情景を見せてくれた。松山は今坂上の雲のポスターがあちこちに溢れていた。気温は暖かく日中には入道雲も出るほどで驚かされた。北九州市から来ていた姪の話では北九州市の方が松山より寒いと言う。日本海側の気象になるため夏暑く、冬は寒いと言う。意外であった。海辺を通るとさすがに風があるためやや寒く感じはするが今の岩手のように風は決して冷たくはない。海岸沿いの道には多くの釣り人が竿を垂れていたが寒そうにしている人も見かけない。松山は人口54万人で現在も増え続けている。そのためか新しい道路もたくさんできており便利にはなったが、その道路がさらに人を松山に呼び寄せて、周辺部は人口が減って行く。特に愛媛県の南部は産業もなく若者はどんどん松山に出ていると言う。しかしその松山もそうした若者にちゃんとした仕事を提供出来るご時世ではないようだ。店はたくさんあり非常に便利だが松山規模の都市ではまだまだ自然もそこそこ残されていて、朝兄の家の周囲を歩くと小鳥達がさえずり、近所の家の溢れんばかりに咲き乱れる山茶花を見ているとジョウビタキの雄が尻尾をふりふり近づいてきた。伊予鉄道の線路脇の土手には水仙の白い花とともに菜の花が咲いている。すこし丘になったところへ行くとミカン畑がいくつも見られる。旧家のそばには大きな井戸が残され手動式のポンプに代わり、電動ポンプが据え付けられていた。松山近辺の古い農家は遠野とはまた違って門構えが妙に母屋より立派で外から見るとまるで武家屋敷のように見える家もある。松山に来ると必ず一日一回はうどんを食べることにしているがうどんの店もたくさんありその都度店を変えてみるがちょうど釜石のラーメンと同様にどの店のものも美味しく食べられる。全国どこにでも讃岐うどんと書かれたのれんが下げられた店があるが一度として讃岐うどんと認められる店はなかった。四国では讃岐うどんののれんは一定以上の基準を超えなければ下げることが許されない。松山では従ってむしろ讃岐うどんののれんを下げた店はまず見かけない。見かけないがいずれの店のうどんも食べて飽きることが無い。やはりうどんの味のレベルがまるで違う。数日は毎日うどんが楽しめることがたまらなくうれしい。

伊予鉄道の線路そばに咲く菜の花

岩手と違いリンゴではなくミカンがあちこちで植えられている