昨日は日中にわずかに小雨が降り、夜は雪に変わった。ただ雪はほんの少し朝見られただけで、ほとんどは今日の日中に溶けてしまった。出勤すると、今朝も職場の裏山に6頭の鹿が来ていた。この裏山にはごくたまにだが、日本カモシカもやって来る。シカの名前が付くが、日本カモシカは鹿の仲間ではなく牛の仲間だ。鹿とは違って群れもなさない。あらためて鹿の分布を環境省のデータで調べてみると、東北では岩手県、それも沿岸部から北上山地にかけてに、集中している。近隣の秋田県や青森県は極めて少ない。理由を調べてみると、やはり積雪であった。鹿は草食動物であるから、冬の積雪が50cm以上の日数が多い地帯では生息出来ないのだ。ただ、江戸時代の1772年には秋田県の男鹿半島付近で27000頭の鹿がいたことが記録されている。動物の生息は自然環境と人との関わりで決まる。男鹿半島付近の鹿は江戸時代の人為的な駆除により急減したようだ。鹿はほんとんどの草や樹皮などを食べるようで、冬に山の雪が深くなると、市街地にも姿を見せるようになる。我が家の裏の空き家の庭にも夜になると1頭の雄鹿がやって来る。日本には3種類の鹿の亜種があり、北海道のエゾジカ、四国・九州のキュウシュウジカ、本州のホンシュウジカで、岩手県の鹿はホンシュウジカになる。北海道に住んでいた頃も鹿をよく見かけたが、エゾジカはホンシュウジカより大きい。万葉集の雑歌には田畑にやって来る鹿や猪などから作物を守るために、田畑のそばに仮小屋を作り、そこで夜を過ごしたことが何首か詠われている。果たして、そんな歌を農民が歌ったのだろうか。弥生時代の遺跡からは鹿の土偶が多く発掘されている。縄文時代にも鹿はいたはずだが、どう言う訳か、縄文時代は猪の土偶が多い。鹿は中国の日本海側沿岸部や東南アジにも分布しており、日本の鹿のルーツは大陸であったろう。沿海州から北海道まで結氷により陸続きとなり、マンモスなどが南下した時代に鹿もやはり南下して日本列島にやって来たのか、あるいは、さらにずっと古い時代に日本列島自体が大陸から離れる時に、すでに日本列島に入り込んでいたのか。後者は、その後の日本列島の形成が複雑なため、考えにくくはあるが。日本の鹿の化石では最も古いものが氷期であった30万年前の大型のヤベオオツノジカである。日本列島に広く分布していた。何万年もの時を経て、鹿も熊も本州以南では北海道に比べて小型化している。これは大陸などでも北から南へ行くほど熊なども小型化していることを考えると、どうも環境変化による繁殖率の問題があるようだ。繁殖しにくくなると、小型化して生存しようとするのだろう。
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