釜石の日々

助けを待つ人たちはまだまだたくさんいる

春の日射しが出て気温が上がって来たため庭の植物たちが一斉に芽を出して来た。職場に隣接する地元では有名な醤油工場も撤退から再起へ方針を変えてくれた。ここの醤油は一度使うと手放せなくなるほど非常に美味い。撤退の話が入って来た時はひどく残念だったが、今は職員たちが忙しく片付けをして敷地もきれいになって来た。この工場の敷地にかかった山の傾斜に薮椿が咲き誇っており、コブシの白い蕾も大きくなって来ている。レンギョウやユキヤナギも黄色と白の彩りを添えてくれている。現在、職場は仮設装備でとりあえずの機能は保てているが本格的な稼働にはまだまだ時間を要する。それでも一時に比べればはるかに快適な環境を取り戻せている。今回の震災の2日前に1週間の予定で偶然大阪から来ていた娘は職場が一番大変だった時にはともに職場に泊まり込み、各部署の人手の足りないところを見つけてはささやかではあるがサポートに励んでくれた。ここへ来て職場の方が何とか安定して来ると目をまだまだ支援の行き届かない職場以外の地域へ向けるようになり、大阪で心理カウンセリングの方法を学んでいたことから、その組織と連絡を取り、自分の出来るサポートを模索し始めた。職場には金沢の大学に籍を置きながら釜石市の役職を兼務されている方がおられ、その方が被災地域には精神的なサポートも要するとして、大学からそうした人員を派遣させるように働きかけておられることを娘が知った。そこでその方と連携して大阪のカウンセリング組織とともに被災地域に支援の手を伸ばそうとしている。大阪のカウンセリング組織は既に1995年の阪神・淡路大震災や2001年の米国のいわゆる911事件でもサポート活動の実績を有しており、今回の震災でも山田町などにも自前で車両を準備して支援物資を届けてもいる。今週木曜日にはその組織のリーダーの方と職場の同僚の方、娘が職場で顔を合わせて具体的な支援内容を打ち合わせる運びとなって来た。職場に来ると、毎日何らかの形で被災者のつらい生活状況が耳に入って来る。すぐにも助けを必要とする人たちがまだまだたくさん残されている。
花富貴(椿) 明治時代初期に千葉県の成田で自生していたものから作出された大輪の八重咲き
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