釜石の日々

メディアも三権分立もなくした日本

昨日の国会前デモはかっての1960年安保闘争以来の大規模デモになったようだ。当初主催者は12万人と発表したが、現場にいたオランダ人記者Kjeld Duits氏によると、12万人を上回ったと言う。主催者も後にのべ35万人に達したと訂正している。全国各地のデモを合わせると相当数の全国的な規模となるだろう。7月4日、早稲田大学で行われた「ジャーナリズムは権力を撃てるのか?」と言うシンポジウムで、野中章弘早稲田大学教授は「首相動静を見ると、日本のメディアの経営幹部と編集幹部が頻繁に安倍首相と会食をしている。・・・・それについて、メディアの中でおかしいという声がまったく出てきていない。・・・・日本では、政治家の懐に入って情報をとって半日早いスクープをとるのが優秀な記者だと思われていて、政治家と一体化してしまう取材のやり方が広く行われている。」と述べ、それに対して、ニューヨークタイムズのマーティン・ファクラー東京支局長は「大きい新聞やテレビの記者は、東大、早稲田、慶応という一流大学の人がほとんどだが、財務省や外務省、トヨタも同じ出身で、非常にエリートの階層。日本を支配しているのは官僚体制で、メディアはその一部になっている。」、「あまり国民の側に立たなくなる。(権力との距離という点で)非常に近いところに立つことになる。同じエリートとしての意識が強くて、それが当たり前と考えている」と述べている。昨日のデモについてもメディアは政府の顔色を伺った萎縮的な記事しか報じていない。戦中の大本営発表を垂れ流したメディアの体質が今も変わらない。日本には健全なメディアが存在しないだけではなく、何よりも民主主義の根幹をなす三権分立が確立されていない未成熟な民主主義国家だ。そう普段から考えていたが、芥川賞受賞作家の池澤夏樹氏もずっと以前からそう考えていたようだ。池澤氏はやはり作家で学習院大学教授でもあったフランス文学研究者の福永武彦の長男でもある。1997年4月に駐留軍用地特措法が改正され、国は地主の意思を無視して民有地を米軍用地として永久に借りていられるとなった。この時池澤氏はこれは「憲法95条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。」に違反すると考えられた。沖縄だけが民有地であった。さらに、1972年の沖縄返還の際にも、「沖縄における公用地等の暫定使用に関する法律」が制定されており、これもやはり違反している。「憲法とは本来このように国民を国の圧政から守るためのものである。一地方を犠牲にして他が利を得てはいけない。個人の権利を守ると同じように地方の権利も守る。それが機能しないのは日本国の司法府が憲法判断を逃げているからだ。」と述べている。最高裁判所が1959年の砂川判決で、日米安保のような高度に政治的な問題は「その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」と言う、いわゆる統治行為論による判例を作ってしまった。「日本では国の根幹に関わる問題で司法府が憲法判断を放棄してしまった。一九九七年の段階で九十五条は死んだ。今は九条が死にそう。」と述べている。さらには、「最近になって立法府も死にかけてきた。民意を反映しない選挙制度が一強多弱の体制を生み出し、それにうんざりした国民の無関心が投票率を下げ、全国民の二十四パーセントの票を集めたにすぎない自民党と公明党が絶対多数になった。しかも議員の多くは党の方針に逆らえない若手の陣笠くんたち。かくして国会はヤジと手続きの機関に堕した。 今の日本は行政府の独裁という状態である。」としている。「既に司法なく、今また立法なし。日本は三権分立で運営される民主主義国家から行政独裁へと、途上ならぬ途下の道を粛々と歩んでいる。三脚のはずが一脚では立てない、主権在民という地面に穴を穿(うが)たないかぎり。」民主主義制度がこれほどまでに危機に瀕していて、メディアも首相の食事仲間に成り果ててしまった日本は国民の力で今立て直さなければ、間違いなく、いつか来た道を歩くことになる。
天候不順が続き育ちが悪くなったスイカ
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