釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

物資ではなく現金の必要が

2011-06-21 18:51:31 | 文化
通勤路の甲子川沿いの道に柏葉紫陽花や浜茄子の花が咲いている。震災時にはこのすぐそばまで津波が来ていた。幸い甲子川の堤防そばのこの花壇は助かった。近くには毎年家の前の道路沿いに見事な菊を展示されるお宅もある。毎日通勤で通るこの道でこれらの花のことを思い浮かべるたびによくも助かってくれたものだと思わずにはいられない。自分もこの道を後から津波が追いかけていたことなど気付かずに車で通り過ぎた。明暗がどこで付けられるのか人には知ることが出来ない。職場では80代半ばになるご高齢の方に手助けをして頂いている。この方の人柄と経験が貴重だからだ。ご自身は東京生まれで、関西育ちなのだが、結婚とともにご主人の郷里にある釜石の老舗を手伝うために釜石へ来られた。以来60年の歳月を過ごされて来られた。今回の津波で住居もかねた老舗の建物がすべて流されてしまった。一時期は近所の方たちと釜石の無事だった料亭の一つに避難されておられた。その後近くの親戚の方のところへ身を寄せられた。最近仮設住宅が決りそちらへ引っ越された。現在の仮設住宅はすべて日本赤十字社が寄付した冷蔵庫やテレビ、洗濯機、空調設備などが完備されており、お聞きしたところでは布団や茶碗、箸、その他の台所用品まで付いているそうだ。ずいぶんと感激されておられた。かえって寄付で回って来た衣類の方が余り過ぎて困っていると言う。物資に偏りがあるようで現地で今何が足りないのかという情報が的確に伝わっていないのだろう。この方のおられた地域は昔からのお店が多く、中には借り入れを抱えている店も多く、今はその返済をどうやって行けばいいか不安な方が思った以上におられると言う。しばらくはいいとしてもいずれは返済を迫られる。それを返す手だてがない。仮設住宅に移ればそうした人たちは現金収入がないためかえって困窮すると言う。その人たちに今必要なのは現金なのだ。被災申請により補助金が出ることになっているが未だに支給はされていない。仮設住宅の光熱費や毎日の食費も自前で維持しなければならない。どうしても現金が必要となる。市当局もある程度そう言った状況を把握しているだろうが、市自身も財政が逼迫して来ている。震災後多額の復旧費を費やして来た。市長自ら東京へ何度も陳情に足を運んでいる。しかし国からは今のところ反応がないようだ。福島第一原発というまさに人災が思いも寄らない国の出費を来してしまった。そうであっても被災地では仮設住宅に移った人たちの精神状態が今後一番注意されなければならないだろう。
白花のノビネチドリ 白花は珍しいが遠野近辺の某所では途方もない値が付けられていた

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