釜石の日々

岩手県釜石市に移り住んで16年8ヶ月が過ぎ、三陸沿岸部の自然の豊かさに感動する毎日。

「北方領土」

2019-02-13 19:11:12 | 社会
平和裡に国土が広がることを喜ばない国民はいないだろう。北海道に住んでいた頃、何度か根室市へも行った。国後島や歯舞群島、色丹島などを臨みながらトドワラの野付半島や風蓮湖を通り、エトピリカのいるユルリ島を見て、納沙布岬まで。根室市の至る所で、「北方領土返還」の文字が目に入ったことを覚えている。太平洋戦争では日本は軍隊を大陸へ送り、「国土」を拡げた。子供の頃、祖母から太平洋戦争中に発刊された地図を見せてもらったことがある。朝鮮半島や中国、東南アジア、南方諸島は日本列島と同じく、赤く塗られていた。子供心に小さな島が何と大きく広がったのだろう、と思った。1945年7月26日、当時の米英、中華民国は13ヶ条からなるポツダム宣言を発した。広島に続いて長崎へも原爆を投下された日本は、8月14日ポツダム宣言を受諾し、9月2日、東京湾内の米国戦艦ミズーリ号の甲板で調印した。日本が受け入れたポツダム宣言の第8条には「カイロ宣言の条項は履行されるべきであり、又日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国ならびに我々の決定する諸小島に限られなければならない。」とある。カイロ宣言は1943年11月22日からエジプトのカイロで、米英・中華民国の間で行われたもので、日本の降伏と、満州・台湾・澎湖諸島の中華民国への返還、朝鮮の自由と独立などに言及している。その後、1951年9月8日に米国とサンフランシスコ講和条約を結び、日本は独立した。この条約には「日本国は千島列島に対するすべての権利を放棄する」とあり、全権代表吉田茂は「国後・択捉は南千島」と述べている。国際条約ではすでに日本は北方4島は放棄していた。「北方4島は日本の固有の領土である」と言うのは、気持ちは理解出来るが、条約上は主張出来ないことである。今月7日、NHKは「“2島引き渡し 平和条約交渉急ぐ” 旧ソビエト機密文書」と題して、スクープ記事を伝えた。すでに米ソ冷戦が行われていた1956年10月19日、当時のソ連のモスクワで、日ソ共同宣言が行われた。この時、ソ連は4ヶ月前に「日本に対する影響力を強め、アメリカの政治的、経済的立場を弱める措置をとる必要があり、その際に日本の経済的、政治的独立性の願望を利用する」ため、「「両国関係が良好な方向に発展していく場合、歯舞群島と色丹島の引き渡しの交渉を始めることは可能だ」としていて、「外国軍の基地を置かない」ことを条件に、早い段階から2島の引き渡しを最大の譲歩案として交渉に臨む方針を固めていた」と言うものである。外務省官僚であった天木直人によると、共同宣言に2島返還が盛り込まれなかったのは、ソ連側の意図に気付いた米国が「日本が北方領土返還を受け入れるなら沖縄は返さない」と主張したためだと言う。日本はサンフランシスコ講和条約と同じく1951年9月8日、米国との間に、すでに安全保障条約を結んでいた。いわゆる日米同盟である。当時と現在では世界情勢が大きく変わった。ソ連は崩壊し、米国の国力も弱まって来ている。無論、米国の軍事力は今なお健在ではあるが。北方2島の返還を交渉で導き出すのは手腕次第であろう。米国も当時のソ連ほどにはロシアへの警戒感は持っていないのではないか。ロシアはかえって日本の軍事力に脅威を持っているようだ。2月3日の日刊ゲンダイは、元ロシア軍高官の書いた「クリール諸島(北方領土と千島列島)への攻撃――考えられるシナリオ」を紹介している。日本はロシアより空軍力、海軍力で圧倒しており、日本が軍事的な手段を取り得るとしていると述べているようだ。ロシアは毎年Global Firepowerが発表する軍事力ランキングでは、米国に次ぐ世界第2の軍事大国であり、日本は第10位である。しかし、ロシアは大陸の国家であるため、陸軍が強化されている。何れにせよ、軍事力の行使は互いに犠牲を生む上、解決策にはならない。
庭の雪