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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

選挙のために

2010-03-23 23:07:07 | 日本脱出
亀井ちゃんどうしたの!

ご飯を食べて帰ってくると、パソコンを眺めていた愛妻さんが叫ぶ。
彼女はYahooニュースをチェックするのが日課だ。
もちろん目的は芸能ニュースであるが、Yahooニュースを開くとどうしても芸能より上の欄に社会、政治やら経済のニュースが書かれているのでどうしても目をやらないわけには行かないらしい。

当の亀井ちゃんは雇用対策に11兆1千億円を注ぎ込む事を要求する。特別会計の剰余金や国債(つまり借金する)でいくらか賄うと言う事だ。(その政策に関する云々は多くの方々がブログなどで書かれていると思うのでそちらにお任せする。)


まあ、そんな事があるので外国にいるのだけれどもそのうちある選挙で投票してみようと考えた。在外選挙と言うやつである。予めKLの大使館でそのパンフレットだけもらってきてあったのでそれを読む。

手続き
1.在外選挙人として登録する。
総務省/在外投票関係書類様式(クリック)から「在外選挙人名簿登録申請書」をダウンロードする。
2.大使館で申請。
同じサイトにある「申出書」に記入すると家族でも申請できる。大使館は月曜日から金曜日までしか開いていないので仕事をしている人は申請しにくい。

3.投票。
これは郵送か大使館に行ってするそうだ。(多分、実際に投票するときに書きます。)

とりあえず、在外選挙人登録だけしてみようと思う。
また、行った時に書くでしょう。


鳩ちゃんどうしちゃったの!
..........今に今始まった事でもないだろうに。

日本の古い~

2010-03-21 08:53:56 | 日本脱出
次の選択肢の記事にせんたろ~さんからコメントをいただいたのでちょっと考える。


亀井静香氏などが夫婦別姓に反対の立場であるらしい。その理由としてあげているのが「日本の伝統を守る」「家族の絆」等であるとニュースでは伝えている。

日本の氏姓制度の成立(実際に合法的に誰でも苗字を名乗ることができるようになった)のは何と19世紀末であって、仮に、一般に日本の国の成立とされる神武天皇即位が7世紀であるのと比べても、これはつい最近の事と言える。つまり近代に入ってからやっとできた方法論がそれ以前のずっと長い歴史の中の時間より強調されて「伝統」を主張するのは果たして正当性ある意見なのだろうか。苗字成立以前に家族の絆が無かったとは思えないのだけれども。


日本から飛んでインドネシアの話。以前もどこかに書いたけれども、ガイドブックにバリ島伝統舞踊鑑賞が勧められているが、実際にこれが本当の伝統の中の舞踊であり音楽であるかと言うととんでもない。作られてからまだ20年も経っていない踊りなり音楽である場合が多い。村おこしのために別の村から持ってきたものも多いしヨーロッパで映画を作るために企画された踊りがそのまま伝統舞踊として成立しているように見えるものさへある。

伝統と言う言い方はけっこういい加減かも知れない。


振り返って、日本の古い会社組織のシステムと言うのはどうなのだろう。これは我々が生まれた時から存在しているから自然に受け入れてしまっているが、そもそもこの方式が成立したのは第二次世界大戦の後のはずだ。(何をもって成立と言うかと言う問題はあるにしても。) 我々の親の時代にもその会社の組織なりシステムなりはどんどん変化してきた。もともと家族が農業などをして総出で田植えなどをして生活していた(これは記憶にある範囲)がそれよりも大事なものができて生活のスタイルを変え、住む場所も換え今の状態になっている。


どうも我々は物心ついた時にあったものをそのまま受け入れる習性がある。我々の子供のころにはテレビが当たり前にあったがそれ以前はそうではなかった。今はコンピュータも携帯電話も当たり前であるしそれを当然と誰もが思う時代だけれども、そんなのほんの最近の事だ。


日本の古い会社組織のシステムが変化する中にあるものの一部であると捉えたとしたら、それは間違いであるだろうか。歴史の中でそれは変化して今の形になっていると見るとどうだろう。

マレーシアでもカツマー本

2010-02-28 10:35:20 | 日本脱出
前回同様、日本の本ネタ。

カツマー本がマレーシアでもけっこう売れているのか、数冊平積みになっていた。ちょっと前に見た雑誌でもカツマー対リカみたいな記事があったけれど、その時期から今でもカツマー勢いは衰えてはいないのだろうか。

カツマー本の中身はきっとそう悪くないだろうと思う。それはまあ彼女が実際にそうしているわけでフィクションとして書いているわけではないだろうから。そのあたりはアマゾンのレビューでも誰かのブログでも見ることはできるだろうからそっちに任せる。


そうした本と言うのは過去から現在までいろいろあって、名著と言われるようなのもあるわけだけれども、だいたいが忘れ去られる運命にある。それはトレンドであったり世の中に合うとか合わないとかそう言ったことも大いにある。


しかしながら、思うのはやはりそう言う本は多くの人にとって"役に立たなかった"と言うのがほとんどじゃないのだろうか。「本の内容は悪くないはずだ」と書いておいて「役に立たない」と言ってしまうのはどうしてかと思うだろう。その通りで、中身が良くても役に立たないものは立たないのだ。

そう思うのは何故かと言うと、勝間氏は勝間氏として自分の名前で生きているのに対して、カツマー本を買って読む大半の人たちはどこどこ会社に所属して生きていくとか、そうでないにしても誰かの考えたやり方を真似してやって行こうとする一般の人たち(それが悪いって事ではなくて)なわけで、そのベーシックな部分の違いを放っておいたまま勝間氏の良いところだけ楽して(本代を払っただけで)貰おうなんてできるわけが無いと思うわけだ。


何とかの勉強法なんてのもその類の本で、勉強する習慣が無い人間がそんなものを読んだとしても成果が得られるわけがないのと同じだろう。


外交官か何かだった野口健氏のお父様が健氏に、おまえは自分のように地位でなくて野口健として生きて行けと言ったそうだ。世の中の大半の人はそんなことはしないわけで、どこかの会社とかグループとか肩書が無ければ只の人って言う生き方を選ぶ。(何度も言うけれど、それがダメってわけじゃない。)

そう言う普通の選択をしていながらカツマー本も何も無いのではないかと感じるのである。だから、カツマー本が必要な人にはそれがほぼ絶対に実現できないだろうし、カツマー本が必要ない人はもうずっと先に行ってしまっているわけで、ではカツマー本の存在意義はどこにあるのだろうとまた変に思ってしまう。

勝間氏には悪いけれど、それはあなたを裕福にする効果があるだけかも知れませんね。どうでしょう?

ビジネス・セレモニー第54版

2010-02-28 09:34:31 | 日本脱出
紀伊国屋の日本書籍コーナーに「朝礼の話のタネ300例」なる本が置かれていた。マレーシアに来てまでこんな本を読む必要があるのか疑問だけれども、置いてあると言うことはきっと紀伊国屋としても何らかの考えに基づいて置いているのだろうなあ。それにしても売れるのだろうか。

結婚式でのスピーチネタ本と言うのはよくある。それに似た本のようだ。新郎新婦がどこの誰であろうと新郎は学業優秀で卒業した後に将来を有望視されていて新婦はどんな女性も優しくて家庭向きの人になっているあれだ。ほとんど"まさか"の世界だけれど。


それと同じようなもので朝礼のネタを本から持って来る必要があるってのも朝礼をする習慣を維持するためだけに朝礼をすると言うわけで、何となく何か話しがされて朝礼が終わればそれで別に何と言うこともない。経験上そう言う朝礼をしている会社ってのは多いと思う。


そう言う習慣を維持するためのセレモニーと言うのは考えてみると多くあるなあと思う。朝にはラジオ体操をするだろうし、会議やミーティング、メーデー、書式の決まった書類提出、何かするときに誰かに話を通しておくとか、メールを書くときの決まり文句とか書式など、それに就職活動と面接、服装などもそうかも知れない。数えれば切が無いほどそう言うものでビジネスは構成されているんじゃないだろうか。日本では残業などもそうししたセレモニーのようなもので、していると仕事をしているように見えるし周りもそう認識していたりする。もちろん実態は別として。


そんな意味でネタ本を使う朝礼なんて言うのは、お坊さんがポクポクお経を上げている後ろで、ああ~何言ってるんだろうなあ、早く終わらないかなあ、足しびれちゃったよ、なんて暑いのに黒い着物やスーツとネクタイを付けて心の中でぼやいている姿に似ている。その場が設けられている意味なんかもうずっと昔にすっ飛んじゃっていてただセレモニーを維持しているだけになっている。



武道、書道などの・・道を始めるときにはどう言うわけか形から入る。これは型から入って
核心に届くことを目的とするからだと思う。型がたんなる形であるうちはやっていても何だかわからないし楽しくも何ともない。核心を知っている人の真似から入るのだろう。その段階が苦しくてもつまらなくても続けられればそのうちに何かがわかる。今までやってきた事の意味がやっとわかる。多分わかる。そうやってそれが出来るようになった人がたくさんいるのだから。

でも、そうして出来るようになった達人と言う人がほんの少しいると言うことは、逆に、型の段階でたくさんの人があきらめてしまっているって事かも知れない。子供の時に習字を習ったり少しはした経験があるのでそう思う。今こんなに字が汚いのはそのせいなわけだし。


仕事だってだいたいそんなもので、徐々に先輩の真似をして覚えていって、そのうちに一人前になると言うような教育をされる。だから最初は何とかが出来ますって言える人間よりは従順なバカが重宝されるわけで、例え先輩が変なやり方で仕事をしていたとしてもその変さまで学ぶのが良いってことになっている。企業の文化と言うかっこいい名前で呼ばれるものはだいたいそんなものじゃないかと思う。

形とか型とか印とか、意味を必要としないセレモニーを疑問無く受け入れることで一人前と言われるようになるってのが日本式ビジネスマン養成の実態なんじゃないかなあ。


それにしても日本式ビジネスってのは面倒臭い。セレモニー多用の日本式ビジネスのやり方まで外国に輸出しないで欲しいなあ、と切に願います。




ちなみにKL紀伊国屋で売られていた「朝礼の話のタネ300例」は未改定のまま版を重ねて第54版目のものだった。(笑える。)

いつまでも上だと思うなよ

2010-01-17 23:53:14 | 日本脱出
大前研一のコラムに「アジアでも後れを取る日本は、台湾に学ぶべき」と言う面白いタイトルが出ていたので久しぶりに読んでみた。

デロイト・トウシュ・トーマツがまとめたアジア太平洋地域の“技術系”高成長企業500社ランキングによれば、上位500社のうち日本企業は46社(去年より3社減)がランクイン。
しかし順位で見ると1位:台湾(99社)、2位:中国(97社)、3位:インド(71社)、以下、韓国、オーストラリア、そしてニュージーランドの後塵を拝し参加9カ国中で7位に落ちた。

大前氏が注目するのは、人口2300万人しかいない台湾が10億人の中国をも抑えてトップであると言う事。

台湾に何年か居た身としては確かにそれはすごいと思いつつも、"やっぱりな"とも思える。生産機械についてはネジ1本でも日本から輸入しなければならない事もあるにしても、台湾人はそれを物ともしないほど勉強をしているのを知っているからだ。

30台までのエンジニアならそのほとんどが仕事が終わってからさらに夜間や休日開講の大学に通っている。試験前になると目を腫らして仕事にやってくる。良い意味でも悪い意味でも台湾は日本を上回る学歴社会であって、卒業証明書が物を言うからだ。

彼らはその卒業証書と仕事での実績を持って3年後に転職する。そうしなければ給料は永遠にそのまま上がることはない。同じ仕事をしているならば給料は同じままと言うのが普通だ。卒業証書にどの程度実際の効果があるかと言うと、給料が2倍以上になることもあるからこれはそれをして転職しない手は無い。

こう言う状態を日本人から見ると、仕事が詰まっているのに残業しないとか仕事を覚えるとすぐに転職してその甲斐が無いと言うように見える。だから日本人から見ると台湾人はダメな人でしかない。実際に「そんな事やってて何になるんだ」とか「こいつらは.....」とバカにするように言っていた日本人エンジニアの事を思い出す。それは1人や2人のことではない。


けれども、その結果はどうだったか?

デロイト・トウシュ・トーマツのレポートがその1つの結果であると思う。
大前氏の言葉を借りるまでもなく、これから日本人はどうやって生きていくかを考え直すべき時に来ているのだと思う。それも早急に。



このままだと15年か20年後に子供たちにきっと言われる事だろう、「お父さんたちはあの時何をしていたの?」「あの世代が安穏として何もしなかったせいだ」と。

寄付の構造

2010-01-15 22:41:28 | 日本脱出
ニュースを見ていたらGoogleが全米600の学校にパソコンを寄付すると書いてあった。

アメリカに関してはこう言うニュースが時々あって、それはアメリカだから毎度の事で驚かないわけだけれども、よく考えてみると日本にも世界で活躍していて世界で名の知れた企業がいくつもあるけれどもこんな大規模な寄付をしたなどと言う事は聞いたことがない。

そこでネットで検索してみると、アメリカでは企業の寄付が税制面では経費と同じような位置づけになっていて全く税金がかからないそうだ。もう一つは非営利団体がきちんと法制化されていて寄付の受け入れ先になっているらしい。非営利団体は多くの書類を揃えて認可を受ける必要があるにしても個人であっても作れるとのこと。

だいたい調べるとそんなことで、それに対して日本は寄付に対する税制がアメリカに比べて不利だし寄付先の選定も同じく税制面でいろいろあると書いてある。

そんなところで、どれも税金に焦点を当てた書き方になっているのだけれど、それだけでアメリカ企業があんなに大盤振る舞いに見えるほどの莫大な寄付をすると言うのは、とても理解し難い。税金の話ならばその算定基準を並べて足し算引き算すれば良いわけだから有利不利の比較は簡単にできる。

まず、寄付と税金とどっちがお金儲けに関して有利かと言うと、経費(寄付)は全額支払ってしまうけれど、税金ならその何割かしか持っていかれないわけだから税金を支払った方が儲けは大きくなるはず。(日本の累進課税のことはちょっと置いておくとして。)もし寄付をすると税率まで軽くしてくれるなら別だけれどもそう言う制度は無さそうだ。だからこの事から考えると金銭面の有利不利で説明している専門家の意見は少し変かもしれない。

もう1つは、企業がそんなに多額の寄付をすると言うことは、その寄付が宣伝効果を上げて利益に寄与することがあるにしても、直接収益には繋がらないわけだから経費が嵩んだのと同じになってしまって儲からない企業と同じになってしまう。その状態で利益を上げると言うのなら、アメリカ国民は(もちろん日本人も他の国の人もアメリカ製品を買っているからそこから全て外れることはないにしても)は寄付分上乗せされて高い物を買わされていると考えなければ辻褄が合わないように思われる。しかしアメリカが日本と比べてそんなに物価が高いかと言うとそれはそうではなさそうだ。

そう考えるとどうしても金銭面の損得で寄付を説明するのは無理がありそうだ。
何かもっとメンタリティの面やら文化やらそうした金銭面以外の説明が欲しいものだけれども、誰かちゃんと説明してくれる人はいないだろうか。

バカ探しの旅

2009-11-12 00:15:28 | 日本脱出
どう言うわけかこの世にはバカを見つけるのが上手い人と言うものが存在するらしい。そして一度バカを見つけた人はその後も頻繁にバカに出会う。そしていつしかバカ探しの達人と呼んでも差し支えないほどにバカ探しが上手くなる。バカに対する嗅覚がとても鋭いのだ。その種の人間は一生涯バカを探して歩き回る旅人のようなものだ。

そう言う人にとってバカはどんな場所にもいる。鈍感な人にはわからなくても何らかのきっかけでバカは彼らによって必ず探し出される。逃れることは不可能だ。


さて、バカ探し人はどうしてバカを探さねばならないのだろうか。見逃して行過ぎてしまっても何ら損は無いと思われるのに、バカを探すと言う行為に何の意味があると言うのか。

しかしそんな疑問を上げたとしてもそこに何らの合理的な解答があるとは思えない。そもそもバカと言うのはどう言うものを指すのか。そもそもバカとは何なのか。バカを探せない者にとって存在すると思えないバカがなぜ存在すると言えるのか。そもそもバカは客観的に確実に存在するものなののだろうか。そんな事はないだろう。もしその存在が確実であるのなら大虐殺を試みる血の独裁者を肯定せねばらなくなるかも知れぬ。

結論から言えば、バカは客観ではなくて主観のなかの存在だろう。バカは存在するのではなく人の中に創造(または想像)されるものだろう。誰かの事がバカだと思えた瞬間にバカは生まれる。バカが生まれることでバカ探しの側に自尊的価値が創られる。その事のためにバカは利用されるのだろう。そうした価値を温存するためにはバカは次々と発見されねばならぬ。つまりは次々と想像されねばならぬ。そこから人生はバカ探しへと旅立つことになるだろう。


その旅は何と苦しいものだろう。何と険しいものだろう。何と疲れを呼ぶものだろう。何と不毛なものだろう。そうして死んでいくのだろう。





ある掲示板を見ていると、そこには特定の共通点を持った人たちが集まる場所なのだけれども、自分たちの持つ知識の優劣に対する争いであったり、他人の言動や行動に対する批判のようなものが書き込まれていることが多い。そう言う状態を見ているとそれはネットの匿名性から来るものとは言い切れず、実社会の中にもある、ある意味普遍的と言えそうな状態だろうと感じることがある。うんざりしてしまう。もう少し自分の身の回りを快適にすることに集中したらどうなのかと思ってみたりもする。これが人間と言う生物の性質なのか、この社会の特性なのかはわからないけれども、もし人間が何かを変化させることのできる生き物であるのなら快適な方向へ変化するのを期待したい。

マレーシアから招待状が来た

2009-10-27 21:49:13 | 日本脱出
映画を見ていたら、ビザが下りたから早く来て働け!と、メールで招待状が来ていた。身体検査をしてマレーシア政府に申請してから丁度2ヶ月だ。さて、明日チケットを手配して荷物をスーツケースに詰めて出かけるとしよう。早ければ今週中に出るだろう。(しかし、こんな稚拙な英語のままで仕事できるんだろうか?と言う不安はまだまだある。)

出国前にすること。
(1)国民年金の手続き(継続)
(2)転出届け
(3)NTT光解約
(4)プロバイダの契約を安いプランに変更
(5)Willcomの休止など


マレーシアですること
(0)入国時はKLのホテルに宿泊

(1)在留届:日本大使館領事部 (本人+配偶者)
パスポート
(住所は会社の住所使用として)

(2)戸籍の翻訳証明 (本人+配偶者で1通)
(配偶者VISA用の書類として)

(3)自動車免許証の翻訳証明取得:日本大使館領事部 (本人)
在留届け
パスポート
日本の免許証
(住所は会社の住所使用として)

(4)マレーシア自動車免許の取得:JPJ (本人)
日本の免許証の翻訳証明
日本の免許証
パスポート+コピー
写真x2枚 (33x25サイズ) 背景色は?
(住所は会社の住所使用として)


(5)ワークパミットの最終申請にパスポート提出 (本人)
出来上がりまでに1週間程度必要 ?
IDカードの申請は同時にできるのでしょうか ?


(6)住居の賃貸契約 (自分で行う)
パスポート(上記でパスポートが無いので本契約は待っていただく。)

(7)車両の購入 (自分で行う)
マレーシアの自動車免許

(8)配偶者のVISA申請 (配偶者)
本人のワークパミット取得後
パスポート+コピー
写真x4枚 (5x3.5 パスポートサイズ)

(9)IDカードの取得申請 (本人+配偶者) :PWTCにて
本人ワークパミット+配偶者VISA取得後
住居の賃貸契約書+コピー
写真x2枚 (IDカードサイズ??、背景白) ※パスポートサイズでない。

It's Wrong !

2009-10-27 09:28:50 | 日本脱出
昨夜、久しぶりにブログのタイトル横の文字と概要文を変更しました。

60文字の制限と言うのはなかなかキツいもので、何度も短縮しなければ入りませんでした。その結果「xxxなTBとコメントは削除します」が入れられなくなってしまった。

"間違い"は一つの喜びですね。
"正しさ"はみんな書いているし、その中に可能性は無いかもしれないです。
日本だと国会答弁のようにオブジェクトと人格が同一視されてしまうから間違いを起こすことが怖いわけだけど.....まあ、良いか。たいした事じゃありません。

ね、間違ってるでしょう!
Don't trust me !

もう止められないだろうなあ

2009-10-24 11:36:18 | 日本脱出
転がりだしたら止まらない(<-クリック)

「緊急雇用対策」と言うのが発表されたのですが、内容的にはどうみても冬になって派遣村ができるのを防ぐだけのもので、この内容で「10万人の雇用確保」と言うのは眉唾物だなあと思う。良くてセイフティーネット、もしかすると単にその窓口に看板を掲げただけにも見えます。

政治家も国民も心の底には「この不景気が過ぎ去ってしまえば....」のような思いがあるわけで、リーマンショックに始まったんだからどこかの誰かがどうにかしてくれればと言うような事ではないでしょうか。つまり台風なんかと同じです。過ぎ去ってくれるのを待つばかり。日本には他の国より優れた技術があるし、日本人は勤勉だし、などと言う自信もそんな考えを支えていると思われます。

それは、本当に硬直化してどうにかしなければならない部分には絶対手を付けないと言う姿勢から見て取れます。同一労働・同一賃金化に触れもしないのは、今セイフティーネットでどうにか救っておけばそのうち景気が回復したら終身雇用の中に吸収されれるだろうと楽観視しているからでしょう。今終身雇用の中にいる人たちを流動化させないのは日本での技術や勤勉さを過信している現れではないでしょうか。

でもそう言う考え方はもう世界の誰もが許してくれないように見えます。(日本人全員を公務員にするって決めるのなら別ですけれど。)韓国の人も中国の人も東南アジアの人も今では日本人が足元にも及ばない位に勤勉です。それに日本人ができる事は他の国の人たちでもほとんどできるわけですから、日本で浮かばれない境遇の人たちが景気回復だけで救える時代が来るなどどう見てもお気楽なアイデアでしかありません。終身雇用に救われている人たちについても今ある仕事や技術が、新たな勉強もせずに今後もずっと使えるとも思えません。

そうしているうちに被終身雇用者がジワジワと非正規へ滲み出していくわけですから、今のやり方でこの流れを止められるわけはないでしょう。今からしなければならないのは弱者救済、セイフティネットではなくて硬直化した部分の切り崩しの方のはず。

でも多分政治家はそんな怖いこと言い出せないと思うので、自主的に流動化しておく方がずっと楽じゃないでしょうか。例えば、今本当に仕事したいなら外国の方が探しやすいでしょ?

郵政民営化見直し....危険じゃん!

2009-10-20 10:43:11 | 日本脱出
郵政民営化見直しの基本方針、20日に閣議了解(朝日新聞) - goo ニュース

郵政については全国均一にサービスが行われなくなると言うようなもっともらしい理由は付けやすいものだし、小泉改革のときも反対派はその事を言いました。でも、本質的にはそこにある莫大な貯金残高が目当てなわけですからこれを元に戻すのはかなり危険です。しかも国債発行高が民主党政権になったにもかかわらず史上最高なのですから国債の引き受け相手を再度確保しようとしているように見えなくもありません。かなり危険だと思います。

オリンピック開催地は「推薦」で

2009-10-03 10:39:43 | 日本脱出
精神的な意味は別として、もう日本でオリンピックなんてやらなくても良いと思っていたのでリオデジャネイロでのオリンピック開催が決まって良かったと思う。

経済の事を言うとき判然としないのは、オリンピックの運営費は黒字になると言いながら実際にはオリンピックのためだけの費用じゃないよとと言う費用が加算されていなかったり、その結果知らないうちに地方債がたくさん発行されていたりもしている。

それ(借金)が全部悪いとは言わない。でも、もし本気で「オリンピック開催が経済効果に繋がる」と言うのなら東京やシカゴのように既に開発された地域が「立候補」するのではなくて、経済的に困っている地域に対する「援助付き推薦」で投票すべきじゃないのだろうか。経済が下降ぎみになっていてもこれだけ裕福な地域がまだお金が欲しいと言って経済効果を歌うのはガメツイのでは?

だから、これからはオリンピックの開催地は立候補方式を止めてODA付き推薦方式にした方が良いと思う。GetよりGiveで行きましょう。

就職活動にて、”アレ”の話

2009-04-17 22:51:42 | 日本脱出
就職活動を略して就活なんて言うようになったのでは何でだろう?

大学をどうやら卒業したので仕事を探してみた。
卒業と言っても2つめの大学だし40代半ばなのだからいわゆる新卒採用に応募するわけじゃない。どっちかと言うと転職なわけだ。

まあ、この歳になるとね、お決まりの”アレ”を仕事斡旋会社の担当者から言われるわけで、言いたい気持ちもわかるんだけどね、こっちももう聞き飽きているからそろそろ別の言い方とか、考え方は無いの?って言いたくもなる。

”アレ”の中身。
「○○さんにお仕事をご紹介させていただく上で気になる点はご経歴です。これまでに転職も少なくございませんし、転職されるごとに業界が全く異なることです。30代前半位までの方でしたらば業界や職種におけるご経験を求められることは少ないのですが、○○さん程度のお歳の場合にはこれまでのご経験をフルに生かしてご活躍いただかなくてはなりません。」

つまり年功=スペシャリストのような前提で見てるわけで、確かにそう言うこともあるでしょう。それは否定できない。ただ、そう言う生き方を誰もがする”べき”と言うのもその前提に書き加えられてるのじゃないかと思う。

人の人生って方面から考えた場合、そんな方式で生きていくことが本当に自然なことなのかなあ?その方式に乗っかって生きていけば安全なのかと普通には思うけれど、自分の興味の範囲が広いとか、その枠が世間の捉え方と違っているだけでもそのやり方に当てはまらないことになる。

そんなわけで、”アレ”を毎回聞かされたからと言って自分が会社等の組織の”機能”のために丁度良い人間としていつでも用意して待ってるのはマッピラごめんなわけです。


”アレ”への回答例としてこんなのはいかがでしょうか。

「私のキャリアが一貫していない事については確かにその通りです。これは仕方がありません。自動車でを選ぶ場合でもカタログスペックを重視しますのでそれはよく分かります。ただ、予算の関係で仕方なく選んだ自動車であっても実際に手で触れてみると以外に良くて気に入ったりする場合もあるものです。

これまで私を選んでくれた方々や企業様、またそのお客さま方からは、概ね良い評価をいただいていると感じております。だからと言って私が高級車であるとは思われませんが、少なくともその価格以上の価値のある物であるようには心掛けております。」

これから

2009-04-07 14:22:20 | 日本脱出
大学を出たので就活 (1つ目の大学を出た時代にはこんな言葉は無かったよ) をしています。

候補
1.海外での仕事を探す。
先日、転職支援の会社に行って履歴書を提出してきました。
インドネシア、タイ、ベトナムあたりが候補地。
インドネシアなら建築史演習のレポートの続きで家屋調査などが休日にできる可能性があるので期待しています。

2.マレーシアに英語の勉強に行く。
英語がわかるようになった方が自分の足で歩ける領域が広がります。
KLのBritish Councilが第一候補。
フルタイムの1コースが11週間。
英語がわかると世界がどう見えるのかを知りたい。

3.インドネシアのカリマンタンでオランウータン調査のボランティア。
自分のためには何にもならないけれど、興味あり。
http://moribitodokoro.blog87.fc2.com/

自由とか

2008-12-21 09:27:07 | 日本脱出
最近、「自由」について考えることが多い。
大きな理由は建築を勉強しているからなのだが、それに加えてそう言う話題を振る人が別に何人かいると言う偶然が重なっているためだ。


もう10年以上前の8月、デンパサールでインドネシア独立記念日のパレードが大通りを闊歩するのを見ていたことがある。パレードと言っても見た目はカーニバル、またはデモ行列に近いもので赤白の国旗を掲げた人たちが普段着や思い思いの服装で歩いていたり自動車の窓から乗り出すように叫んでいたり仮装していたりと案外ラフなものだった。

それを見たとき、「独立」と言う言葉に2つの意味があるのだと言う事が、何故かすぐにわかった。

彼らは独立後50年経っていたにも関わらず、占領からの独立を祝っているとわかったからだ。ボロボロの自動車の窓から半身を乗り出して、おそらく玩具だろうけれども長い銃らしきものと国旗を振るその姿。カーキ色の軍服に似たようなシャツ、過激なパフォーマンス。我々にとってどれもが映画でしか見ることができない戦争の匂いのする光景だった。

他者の支配からの独立、彼らが祝っていたのはそれだ。
自らの足で立てる、自分の事は自分で決められると言うようなものではなくて、支配からの開放、その瞬間を記念して祝うものだったのだ。

当時のインドネシアは未だスハルト政権下にあった。であるから人々の心の底には権力による「支配」の問題は大きな問題として存在していた。祭り以外で一定以上の人数を集めた集会と認められる行為は禁止されていたほどだったし、政府を批判すると思われかねない話は家族友人でもできなかった。

ただ、外見上はとても平和な場所であって観光客から見ればゆったりとした時間の流れの中にある神秘の国には違いなかった。そんなポーズをとりながら生きている、そうした条件下においては間違いなく良い所だったと思う。


条件付きの平和、独立、自由。
それは平和、独立、自由と言えるものなのか。

それは仮釈放ではないのか。



あの独立記念日を見てから数年後、インドネシアの映画監督が確か日本のテレビ局の支援を受けたか何かでジャワのストリートチルドレンのドキュメンタリー風の映画を作った。日本ではテレビの深夜枠で公開されていた。

当時のインドネシアでは国民の貧困などを扱った映画などは禁止されていた。それは政府への批判に繋がるからだ。もちろんその映画の趣旨も体制批判に違いないものだった。後にその映画の評判は、インドネシア以外の国では良かったと聞いた。


だが、その映画の視点には疑問が残る。

ストリートチルドレンがあんなに増えた理由、スラム街が増え続けている理由、そこには独裁政府の支配とそれに対する自由と言う問題があるのは確かで、外国メディアはそれに対する批判映画として受け止めたようであったが、それは違うと感じたからだ。

結論から言えば、それは人間の「自由」などと言った問題を扱ったものではなくて、「分配」の問題を扱ったに過ぎない。独占する者がいて、貰えない者がいると言う社会構造についてだ。

もし当時のインドネシアの社会構造がもう少し分配についてしっかりしたシステムを持っていたならば、つまりお金がもう少し末端まで流れる仕組みであれば彼はこの映画を作ることはなかっただろう。

持てる者 - 持たない者、その構造の間に批判者がいて、全てがお金と言う直線で繋がっている。批判しているようであっても同じ視点で見ていて、自らがその直線の上のどこに属すか、そして単に他者が自分より下の位置にいることを気遣ったに過ぎないのだ。

つまりお金と言う条件さへ満足すれば、彼らには自由が手に入ると考えていた。

それを一番うまくやったのがスハルトで、一番しくじったのがストリートチルドレンと言う構図だ。



これらは全てインドネシアでの事であったけれども、今の日本の社会を見ていてあの時のあの状況とそれほど違わないのではないかと感じる。条件を上手くクリアして甘い汁を吸う者とそれに失敗する者と言う構図。

そんな1本の直線上をぞろぞろ列をなして歩くのはどんなものか。直線のこちら側は自由であちら側は拘束。ちょっとでも出口に近い方向へと満員電車の中を進むに似ているような気がしないでもない。

自分の足で歩けば良いのに。