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もんく [とある南端港街の住人になった人]

スペインかポルトガルの港町に住みたい
日本→インドネシア→台湾→マレーシア→日本
since Oct. 2004

人と政治家の間には

2011-04-05 13:30:36 | いろいろ雑記帖
放射性物質の拡散予測データは気象庁が予測しているにも関わらず公表されていない。


この予測はされている事実とそれを公表しない事実と言うのを現職の政治家は知っている。「そんな事を公開したらパニックになる」と言う暗黙の了解が作用しているためかそれはこれまで表には出てこなかった。


理由はどうあれ、それを知っている政治家と言う人達と、それ以外の人々とは「知る」/「知らせない」の壁で隔てられている。この2つのグループの間には何わかの質的な違いがあるのだろう。



予測データを作っている人たちがいて、それを知っている人とそして公表しないと決定した誰かがいる。それを決めた誰かと知らされない誰かの質の違いは何なのか。知らせないと決めた人の特権とは何で誰がそれを与えたのか。選挙で人が人を選ぶ。選ばれた人はその特権を持てと依頼されているのか。


公表したらパニックになる?、君たちは知っていてもパニックは起こさずに我々は起こすと言うのか? いったい君たちは誰なのだ。


いったい君たちは何時どこで向こう岸に渡ってしまったのだ?
人と政治家の間には深くて暗い川がある......


情報開示がもたらすのはパニックなのか? -シロクマ日報(←クリック)

Androidタブレットなんて中国に作らせておきましょうよ

2011-04-04 22:50:11 | いろいろ雑記帖
日本でもAndroidタブレットが発売されています。

ほとんどが中国製と台湾製です。(マレーシアも作っています。)その値段はびっくりするほど安く200ドル以下がほとんどのようです。それは当たり前で、Dellのネットブックが999リンギット(2万8千円、340ドル程度)でWindowsが入って(多分無料版のMSオフィスも付く)いるわけですから、少なくともWindowsと320GBの大きなハードディスクと2GBのメモリとキーボードとそれが収まっているケース分は安く作れるはずです。そう考えれば200ドルは相当な値段だと思います。あれに3万円以上払うのはやっぱりおかしいと思うわけです。

日本メーカーが中国と台湾メーカーのようにAndroidタブレットを出せないのは"安くしか作れない"="儲かるものが作れない"のでしょう。パソコンより限られたハードウェア・リソースの中にオマケのソフトを入れてパソコンでも儲からなかったのにパソコンのような商売は不可能なのです。


と言うことで、いくら期待しても日本のメーカーにはこの端末商売はできないと思うのです。


それより日本メーカーさんには、端末に情報を提供する機器の方をお願いしたい。

例えば、車。故障しそうになったりタイヤの空気圧が低下してきたりバッテリーが弱ってきて次回エンジンかかけられなくなりそうだった場合に中国製や台湾製の端末に表示していただきたい。ついでにそれを解決できる一番近いサービスセンターやガソリンスタンドも同時に教えていただきたい。冷蔵庫に物が入りすぎていて冷却するために電気がたくさん必要になりそうだったら教えてほしい。現在までの電気料金やガス料金もリアルタイムで教えてほしい。駐車場で駐車時間が長くなりすぎて料金が高くなりそうな時教えてほしい。宅配便屋さんが家の近くに来たのを教えてほしい。

そう言うサービスが付いている家電製品や車などならちょっとだけ高いお金を払っても良いと思う。

物を作って売るなんてもう中国でもできます。もう車も作れるのだから。PCや情報端末だって今は簡単に作れます。でも、そこに表示する価値のある情報をちゃんと取り込む部分や使えるように表示させるのは大変です。日本はもうずいぶん前から生意気にも冷蔵庫や電子レンジやFAXや自動車や自動販売機やATMが人間の言葉を喋っているのですから、中国製の端末にそれを表示させる位できてあたりまえじゃありませんか。

やり易い軽い部分ではダメで、ちゃんと従来から技術を蓄えてきた重い部分との連携を考えていただきたい。単なるハードウェアから、"ソーシャル・ハードウェア Sosial Hardware"にして欲しいのです。


なので、Andoroidタブレットなど中国にお任せしておいて、ぜひそっちをお願いします。

多額寄付

2011-04-04 06:49:09 | いろいろ雑記帖
ソフトバンクの孫社長が個人で100億円の義援金を出したのとニュースがありました。

すごい額です。そう言えば前にビル・ゲーツが全財産をたしか癌撲滅のために寄付したとの報道もありました。それもすごい事です。何でもある程度以上お金が貯まってしまうとそうでもしないと減らすことができないのだとか。


それはそうと、今回の孫氏のニュースにはちょっと複雑な思いがあります。

以前、ソフトバンクグループに買われたある会社で仕事をしました。それはとても短い間の事でした。入った時はソフトバンクとは無関係だったのですが、その会社の始めたアイデアに目を付けたソフトバンクがその会社を買ったのです。簡単に何もかもが変わりました。本当にびっくりする位に。

それまでそこで働いていた人たちはその仕事がとても好きでした。詳しくは書きませんが人に可能性を与える仕事だと思っていたからです。それが経営が換わったとたんに会社から持たされる目標が"お金"に変わりました。現場は混乱しました。そして何もかもが変ってしまい、彼らの思いも理想も何もかもが消えていくのが見えるようでした。結局、仕事を続けていくことはほとんどの人にとってできなくなりました。仕事をすればするほど個人にとっても赤字になってしまったからです。携帯電話を使わなければならないのに電話代も個人もちでしたし。もともと基本給が少なかったと言うこともあります。

私ももちろんやっていけなくて辞めました。その後少ししてネットで検索してもその会社は出てこなくなりましたから、会社自体が無くなってしまったのだと思います。

多額寄付は悪いことではないです。が、複雑な思いがあります。あの後、あの人達はどうしているのだろう?



昨日、キャサリンさんが江頭2時50分が"オレは金が無いから体で払ってきたんだ"と言うニュースが出ていたのを読んで泣きそうになっていた。杉良太郎が売名かと言われて"そうだよ、何十億かけて売名してるんだよ"との発言もあって、カッコいいなあと思ったいたところだった。仮面ライダーの藤岡弘、も米を大量に送ったりしてくれている。泣けてくるね。孫さんもすごいことだよね。

地面が動くってことは

2011-04-03 21:43:14 | いろいろ雑記帖
小学校のころ、日本の地図を見せられて日本の国土はほとんどが山で平らな土地が海岸に沿って少ししかないと先生が言っていた。

関東平野のようなところを除けば日本中どこへ行ってもだいたい高い山が目近に見えるのだから確かにそうだ。日本にはどこに行っても山のような物が普通にある。それに対してあまり不思議に思う事もない位に。我が活断層の母も若い頃からその山に親しんでいたようで、今はもう70代半ばを過ぎているけれども歳をとってからまた山歩きに毎月のように出かけている。よくそんなに山があるものだと感心しないでもない。

それほど日本には山があるが、ところで、山と言うものはいったいどう言う物かと言うと、これは近くに寄って見てみるとわかるが、土や石や岩やそんなものが積み重なってできているように思う。

まあ、今時だれもそんな事に驚きも不思議がりも何も感じないようだけれども、よく考えてみて欲しい。そんな事がそんなに頻繁にどこでもある物だろうか。普通に歩いている道や公園には土や石はあったりするけれどもそれが自然と勝手に積み重なって山のようになる事はない。少なくとも毎日こうして通勤しながら同じところを見ている限りでは皆無だと思う。

なのに、日本にはこんなにたくさんのそれがある。

例えば片手に持てる石を1個拾ってみる。直系は10センチメートル位。軽いとは言えないが相当重いわけではない。ただ、それをどこか小高い近所の山に持って上がるとしたらこれはけっこう大変な思いをする。

どこかに出かけるときに雨が降るといけないと小型の3段折の傘を持たされる。中身は少ないにしても財布も持つ。ハンカチ、ティッシュ、たまに何か撮影しようとカメラを持つがこれは多分300gほど。多分それで1kgにはならないかと思うけれども、これを軽いナイロンバッグに入れて肩からかけて歩くだけでけっこう大変なのだ。

これがその片手で持てるほどの大きさの石ころだったとして、それをあの山の高さまで持っていくと思うと考えただけで気が遠くなる。活断層の母は弁当まで持っていくけれども、彼女とその山歩き仲間が弁当の代わりにその分の石ころを毎日運んだとしても一生かかっても新しい山歩きの名所は作れないだろう。


今回、大きな地震があって地面が数メートル移動したそうだ。

"動かぬ事山のごとし"と言った昔の武将がいたけれども、それは間違いなのだとわかった。山は動くのだ。山が動かないと思うのは単にラッキーだったに違いない。地面は容易に動いて山も造れば移動もする。動かないを前提に考えていてはいけなかったのかなあと思う。今は東京などは土地があればどこにでも車は走る、電車は走る、マンションは建つけれども江戸時代はほとんどが沼のようなところで幕府がいろいろ手を加えて住んだり農業ができるようにしてくれたと言う。昭和の時代だって大雨で多摩川のすぐ横にあった家が流されていたのをテレビで見たしドラマにもなった。以外に簡単に動くのだ。

周囲にある普遍なものっていったい何があるのだろう?

立体地図(レリーフマップ)の富士製作所(←クリック)

復興国債とエコタウン

2011-04-03 10:51:01 | いろいろ雑記帖
復興のための国債約30兆円を日銀に直接引き受けさせようとしている人が政治家の中にいるとのこと。

日本全体のGDPが500兆円、そのうち政府関係(第三セクタ等を含む)がその半分の250兆円です。日本全体に均等に政府、行政がお金を出しているとしたならば、東北はそのうちの8%なので20兆円となります。復興と言うのはこれまである物や事を再度作り直す必要があるので通常よりお金がかかりますから通常20兆円のところ、それに加えて30兆円ですから単純に計算すると合計50兆円が東北地方に税金と国債 (これは最後には税金で返すことになるお金) から投資されます。


この金額で被災地が元に戻ったとします。

が、元々全国のGDPに占める割合が8%の地域が元の状態に戻ったとして、加算した30兆円を税金で取り戻せるものなのでしょうか? 普通に考えれば20兆円だって返せずに借金を増やしているのですから無理です。結果、復興国債はそのまま残る可能性が大。だからと言って復興しないわけにはいきません。そう言うわけで、普通に復興すると言うのでは日本の失われた経済をさらに落ち込ませるだけになるのではないでしょうか。


30兆円の日銀引受に関して、多くの方がいろいろ言っています。意見はほぼ2分されていて、"心配ない"と言う人、"日銀しか引き受け手が無いと捉えられて大変なことになる"と言う人に分かれます。どちらにしても今現在のお金の流れとそのリスクを論じているのですが、その後の借金を返すことはあまり論じられていないようです。


そんな中で管首相が「エコタウン構想」をあげたりしているようですが、これについては"また勝手にバカなことを言っている"と言うような扱いから出ていません。エコタウンが日本経済と復興の経済を救うものになるかどうかはわかりませんが、こうした案を出して実行していく事は本当は一番重要です。地震がある無しに関わらず、日本社会は政府が溜めた借金を返すために税金を多く支払う必要がありますから、これを期に今まで以上に生産性ある社会と経済の構造が必要なのです。つまり儲かる復興が重要なのです。元に戻るだけではマイナスのままなのですから。

国債発行などの件が大本営発表される毎にそれについてあれこれ言い合うところで思考停止してしまうのはそろそろ止めて、エコタウンを越えるもっと効率よく儲かる日本経済についてのシナリオを論じることが必要ではないのでしょうか。

次の段階に入った?

2011-04-02 06:49:46 | いろいろ雑記帖
遠くから日本をニュースで見ていると、地震も次の段階に入ったように見える。


これは実際に被災された方々についての事ではなく、それより被災していない人たちの事である。

それは1つにはマスコミさんたちが現地でそこにいる人たちにインタビューするなりして現実の姿を全くと言ってよいほど報道しないからだ。太平洋戦争の時の大本営発表のような発表ニュースばかりで実情が全く伝わってこない。その代わりに地震を取り巻く政治や東電やそれをネットで見ている人たち、そのあたりに渦巻く雰囲気はよくわかる。そちらの方が次の段階に入ったようなのだ。

政治家が作業服からスーツに戻った。自粛の声とそれを抑制する声が同時に上がってる。(テレビ東京のアニメ放送に数百件の抗議!)このあたりが象徴的だ。

けれど、どれも本質的にはどうでも良いことばかり。

こうしたことで全てを包み込んでしまう単一民族的方法論と言うか雰囲気と言うものなのだろう。太平洋戦争の記録映画を見ているみたいに感じてしまう。

最悪のシナリオ

2011-03-30 22:58:49 | いろいろ雑記帖
Oさんからメールをいただきました。

「最悪のシナリオ覚悟しておくべき?」と言うことで、要は原発問題です。

あるサイトでは公開された映像などを見て、原発にとっての最悪のシナリオがもう始まってしまっていると言うような書き込みがたくさんあるのだそうです。それを読むとたしかに不安にさせるものがあります。不気味なのです。


しかしながら、原発についての最悪のシナリオは、私は本当の最悪のシナリオだとは思えません。

原子爆弾が広島と長崎に落ちました。首都ではなかったのですがそれでも人は意外に早く住めるようになったようです。福島原発がいくら最悪の事態を迎えてもそれはどうにかなるでしょう。長期化し未来永劫発電所の墓場をビクビクしながら管理し続けなければならないにしても。


私の思う最悪は原発の事よりもこのまま日本が"失われた"ままになることの方です。

それは意外に簡単じゃないかと思うのです。10年もすれば経済活動の主役もどんどん世代交代して変わっていきますから忘れられるのは簡単です。それに現在の途上国が"できる"状態になるのは日本がやってきたよりも何倍も速いはずです。逆に日本国内の事に関しては言うまでもなく、あまり発展的な観測はできません。

そのようなわけで、原発よりずっと最悪のシナリオがあるかと思うのです。


だったらどうすれば良い?

地震でわかった日米のビジネスの違い

2011-03-27 19:12:17 | いろいろ雑記帖
震災でわかった日米の競争力格差-ニューズウィーク日本版(←クリック) と言う記事の中で、地震で日本が止まるとこんなに世界が困ることがわかった。ボルボ、シボレー、GM、アップル、HPやボーイング、名立たるアメリカ企業が操業停止の危機に瀕しているとの事。

記事の原題は"Japan Rules Global Supply Chain"となっていて、日本が商品流通のルールになっていると言うような意味だ。確かにそうだろうと思う。日本は今商品の表にブランド名が書かれる物よりも見えない部分の方がずっと強い。

この記事で日本は喜んで良いのかな?、と思うのが正直なところでもある。なぜなら、結局コンダクターはアメリカである事には違いないのだから。日本がいくら良い技術を作り出してもそれを喜んで利用しようとするアメリカの戦略が無ければそれは無意味。今のスマートフォン・ブームではアメリカ発のFacebookやTwitterと言う利用価値、それにAndroidやiPhoneと言うアイデアが先行してそれに多くの国と企業を巻き込むことができたから実現したものだ。

NintendoやPlaystationはどうかと言うと、ソフト開発者を囲い込んだに過ぎないわけで、世界にユーザーを増やしたけれども、それでそのゲームが消費されているだけに終わっているように見える。そこから先が無い。ドコモが契約者と電話機メーカーを囲い込んでいるのと違わないのではないか。電話機など数年して今より良いのが出れば買い換えて終わり。自動車だってそうで、どんどん新しいのが出て買い換えて終わり。途中で韓国メーカーが割って入って来たらそれでも自動車の消費サイクルは成立してしまう。日本は今でもそう言うビジネスしかできない。

もう、アメリカはそう言うビジネスに飽きてしまって次の段階へ行ってしまっている。数年経って無駄になりそうな設備投資や人を自分で確保しておくなんてきっと考えていない。それより世界のオーケストラの前でコンダクタとして立っていた方が絶対に有利だとわかっているのだから。演奏が素晴らしかったら賞賛を浴びるのはピアノ弾きでもバイオリン弾きでもなくて指揮者なのだ。


そう言うわけで、日本が重要な部品を多く作っていてそれが世界の商品の鍵になっている、としても、それは単に今の日本の立場がそうであるに過ぎないって事だろう。そして10年も経てば同じ事ができるようになる後発の国がいくらも出てくる可能性がある。また、日本は良い生産技術開発が出来て良い物が作れるけれども、ビジネス感覚には乏しいと言うアンバランスを露呈しているに過ぎない。


そう言う意味で、この記事は日本語に翻訳されてはいるが、アメリカ発のアメリカに対しての警告だと捉えるべきじゃないだろうか。決して日本賛美ではないだろう。




ちょっと前に「新幹線の図面など無料でくれてやるべきだ」と書いたけれども、新幹線の図面が無料なら高速鉄道を企画している国では競争入札などしなくて済むだろう。入札が無ければ日本は中国やドイツやフランスに負ける事はない。自動的にどの国も新幹線方式を採用することになるからだ。

そうしたらこれも自動的にボルボ、シボレー、GM、アップル、HPやボーイングの製品と同じように日本の生産設備が必要になり、日本の部品が必要になり、そして日本の都市計画に関わるソフトも必要になる。もしかしたら日本人の技術者も多く必要になる。日本に今できる事はアップルがやっているような事ではなくて、つまり新幹線と名の付く製品を完成品の状態で売ることではなくて、中身の本当に重要な部分を売ることだけだろう。

それじゃ、どうしていけないのだろうか。トヨタやパナソニックやSONYのように名前を付けて商品を売ったところでそれほど日本のためにはならないし、みんながそんな事をする必要など元から無いのではないだろうか。

マスコミが"わからない"で立ち止まるのは変

2011-03-27 08:38:26 | いろいろ雑記帖
東北地震では政府と東電からの発表、発言の"あいまい表現"が批判されています。

"批判されている"と言うのは、素人のブログなどを見てと言うのもありますが、何と!、マスコミの出すニュースでも批判しています。

なぜ"何と!、"と書いたかと言うと、マスコミの人たちは彼らの表現を"あいまい"と感じるのであれば、会見でその真意を問うこともできるわけですし、その他多彩なソースから詳細を導き出す事が可能な立場にあるからです。


つまりは、そうした仕事をしないでおいて管氏の表現があいまいで指導力が無い、枝野氏が言った事が理解できないとか危険の度合いが表現されていないとか、東電の計画停電が実際にある地域で行われるのかどうかわからないとか自分の地域がどのグループかわからないなどと報道し続けている。

なぜ、この期に及んでマスコミの人たちは一般市民と同じところに立ってしまっているのだろう? マスコミは烏合の衆の1羽になってしまっているのだろう? "わからない、わからない"発言は一般市民に任せておいてどうしてもっと取材しに歩かないのだろう? 政治家の無能など今に始まった事ではないし、隠蔽体質など太平洋戦争当時から同じだったのではないのか? 今はあの時のように取材して逮捕される事はないはずなのにどうして素人のように"わからない"で立ち止まっているのか。

そこで立ち止まっているのならマスコミなんか不要でそれこそFacebookやTwitterに任せて引退すれば良いのではないの?

責任論は日本人のクセ

2011-03-26 10:08:17 | いろいろ雑記帖
原子力発電所の問題で政府からは東電の免責許さず、などと言う意見が出ているようだ。世論は東電不支持が蔓延。もちろん政府の無能ぶり告発も蔓延。(自民党は政権失っていて良かったと思っているだろうか?)

この災害時に食料の奪い合いも強奪もなく、世界から絶賛された日本ではあるけれども、後でこうして責任論・罪のなすりあい・集団吊るし上げ・トカゲの尻尾切と言ういつもの事になるのは世界の評価に対して申し訳ないと言いたくなる部分ではある。


こう言うのを見ると「日本人とは仕事したくないなあ」と、いつも思う。

「誰が」と言うのは今直面しているオブジェクトとは何の関係もない。「この問題をどう解決するか」とは何の関係もない。この現状をどうやって乗り切ろうか、そして今後はどうして行こうかと言うことについての議論は軽んじられるかまたは行われない。「原発への対応はまずかったね、だから代表者の首を切って次の人に替えよう」でだいたい話は終わる(はず)。

今後の原発の運用をどうすべきなのか、技術的な問題、行政の問題、監視の問題など具体的な事は表面に出ずに終わるだろう。



これは特に社会全体と政府が絡んでいる大きな問題だから特別にこうなっているわけではない。

ある仕事が上手く行かない、特にお客様に迷惑をかけてしまうような事態が発生しているとまず出てくるのが「責任者は誰だ」と言う言葉。その後にはちょっとした組織変更や連絡網の再構成のような事は日本企業では必ず起こる。だからと言ってそれで問題が解決するわけでも良い方向へ向かうわけでもない。現場は新しい上司や連絡先に対してゼロから事態を説明しなければならなくなるとか、圧力をかけてくる人間が増えることを認識するだけの事で具体的な方法論がどこから示されるわけでもなく混乱をきたすだけになる。

そう考えると、マスコミやその他一般の人のこうした責任論は物事を良い方向へは持っていかないだろう。いくら東電社長に謝罪させても経営陣が交代してもきっと何も変えることはできない。きっと安全でないかもしれない原発をこのまま未来永劫運転しながら電気を安定供給させ続けることになるだろう。


東電に責任があると思うなら、その前にもっと身近な"そもそも"を考えてみたらどうか。電気は安定供給されるものだと普通に思っているからジャンジャン使う自分はどうか。ジャンジャン使いたいからそれを実現するためにインフラ整備に税金を投じることを約束する政治家に投票するが、その時にその元が原発なのかその他の方法なのかは考えない自分はどうか。エネルギー政策で脱石油が必要と、東電に原発を造らせる政治家に投票する自分はどうか。CO2排出抑制、かつ豊富な電気の供給を両立させるのを喜ぶ自分はどうか。また、こうした事を放っておいて(投票を棄権するなど)社会から受け取るものだけ受け取っているだけの自分はどうか。

そしてもし自分に責任があるとわかったなら、自分は謝罪とともにこれまでの自分と言う生き方を辞めるのかと言うことだ。


「責任」と言う言葉を個人の人格に結びつけて考えるのはどうやら日本人のクセらしい。もうそれも止めたらどうか。それより肝心なオブジェクトについての議論をしてはどうか。

義援金223億円

2011-03-22 06:53:12 | いろいろ雑記帖
日本赤十字に20日までに集まった義援金が223億円。

(関西のときは2週間で164億円だったとニュースに書いてある。)

太平洋側3県(東北)の人口が571万人なので北関東と併せて被災人口を600万人とすると、これから集まる義援金と他の組織に集まる義援金を250億円としてこの人口で割ると、1人あたりにして、4170円。(計算合ってますか?) もし援助が必要な人が100万人だけだとするとこの6倍で2万5千円。(ここで中国のサラリーマン給与を上回る。) そして10万人だけだったら4万1千700円。(マレーシアの工場勤務者の残業代含めた給料程度。)

と言うことで、日本だと義援金だけでは食料とか衣服や薬を買うだけで全部使い切ってしまうので決して多いわけではないようです。やっぱりみんなで税金と国民健康保険料だけはちゃんと入れないと.....。

善意とともに必要なこと

2011-03-19 21:25:58 | いろいろ雑記帖
厚生労働省が食品への放射線検査をするとの記事が出ていた。それに対して専門家と言う人が"そんなことをしたら風評被害を国が作り出すようなものだ"と同じ記事に書いてあった。他にも検査に反対のような人の意見らしきものがちょっとだけ書かれていた。

(1)検査をしてもしなくても、どちらにしてももう日本からの食品を輸入する国は検査を実施しているか、することに決めている。既に風評は広まっているので今さら"そんな事有り得ないよ"と言って検査をしないなんて事の方が有り得ないだろう。

(2)東京電力が本当の事を言わないなどと世間では言われている。本当の事を言えと。過去に日本政府は事実や危険を知っていても混乱が起こると言うだけの理由でそれを公表しない事が多々あった。その時も本当の事を言え、と我々はそしてマスコミも言ってきた。

ところが、実際にこうした検査をすると言う段階において、しかもリアルタイムに放射線を含む水蒸気が出ているのがテレビで見られるその段階において、混乱が起こるからそんな事をするなどと公表するな、と言う人が出てくる。

こうした事や人こそ実は過去に政府を秘密主義者にした張本人なのではないか?

(3)今時、情報と言うのはちょっと前と違ってその量はものすごく多い。その質については千差万別玉石混交ではあるけれど、発表の仕方さへちゃんとしていればある情報は別の間違った情報を否定できると言う面もある。昔のように○○新聞とNHKニュースと井戸端会議しか無いと言うわけじゃない。

今だっていろいろ混乱している事はあるけれども、それを否定して正常化させようと言う努力もちゃんと見られる。専門家のコラムやブログにだって"それは違うだろう"と、コメントをする人が必ずいる。これは以前には無かったことだ。

(ただ、懸念されるのは活断層上に住む母はこの議論に参加できないからちょっとの噂できっと何かを買い占めるだろうって事だ。実はそっちの方が近い将来の大きな問題だろう。)



他人のブログなどのいくつかには、今必要な事は善意だけじゃなくてちゃんと仕事をする事だと言う冷静で的を射た意見が出ている。

全くその通りで、どう考えても復興には税金が必要だ。その税金は予定していた出費ではなくて想定外のものだ。だからこれまでばら撒き予算でずっと来て謝金を溜めに溜めて傾いた日本にとっては重過ぎる負担になる。だからと言って助かる人を助けないわけにはいかないし、必要な事業をやらないわけにもいかない。

結局日本国民が税金を大目に支払うしか残された道は無いわけで、それには結局今までよりもうちょっと働くしか無い。できれば外貨を稼ぐのが良い。そしてもう一つは国民健康保険や国民年金をちゃんと払うってのはどうだろう。こう言うのは善意の募金と同じかそれより利くはず。


それはそれ、これはこれ、じゃあもう済まされないのではないだろうか。

今、円が高くなってしまっているけれども、それ以上に怖いのは日本、政府と日本国民に回復力が無いとみなされて世界から見限られる事だ。それはこの先いつでも有り得る。

志願

2011-03-16 06:55:34 | いろいろ雑記帖
Yahooニュースの記事一覧に以下のような記事あり。

「使命感持って行く」=電力会社社員、福島へ―定年前に自ら志願(時事通信 3月16日(水)4時56分配信)

最悪の事態を避けるため危険を顧みず作業に当たる同社や協力会社の社員がいる。また地方の電力会社(東電じゃない!)に勤務する島根県の男性(59)が定年を半年後に控えながら志願して応援のため福島へ向かったと言う記事。

ぜひ記事を探してみてください。

規制、好きですよね

2011-03-06 00:30:17 | いろいろ雑記帖
蓮舫さん、いつもいろいろ言われているようですがいつも元気そうですね。

さっき現代ビジネスを見ていたら、今度、「規制仕分け」ってのをやるのだとか。良いですね、どんどんやってください。そう言うのはもっと早くやらなきゃいけなかったのだと思います。(茶化しているのじゃなくて肯定的です。)

ただ、きっとまたそれで叩かれるでしょうね。

(1)規制を緩和したり撤廃してしまうと保護されない部分が出てきてそれがその分野の競争力を失わせると言う人もいるでしょう。これまで日本は輸出して儲けてきたところですが今は守るものも大きくなって逆の力が働くことになるかもしれません。当たり前だけれど。
(2)テーマに上がっている規制仕分けの項目はどうやってその部分に絞り込まれたのでしょうか。そのあたりも突っ込み所になるでしょう。webサイトも用意されていますが広く意見を募った中から決めたようでもなし、社会や産業への影響力から決められたようでもなく、ちょっと分かりにくいです。

とりあえず、やってみたらどうかと思います。

そして(3)、
(3)規制緩和と言う言葉が以前に流行りました。聞こえはとても良いです。
ただ、総論賛成各論反対などと言う気はありませんが、根本的に日本人は規制が大好きなので......言ってることをやることが往々にして違うわけです。見直したところにまた別の規制を作るだけで、まあそれが経済の足しになれば良いと言う発想かもしれませんが、自由には届きませんね。

自動車免許を取得する場合、赤丸の中に30と言う標識を見たら時速30キロ以内で走りなさいと言うことです。それを守ることが安全を守る事だと教えられます。免許を取得した以上それは誰でも従うことになっています。それは朝でも昼でも夜でも平日でも日曜でもいつでもです。交差点の多い地域から田んぼの真ん中を通る道に入ってもその標識の有効範囲であれば速度を変えることは許されません。

田んぼの真ん中を30キロで移動することが決められた場所で後ろから車が来て追い越して行きました。彼はきっと50キロ出していたでしょう。30キロを守った私は激しく怒ります。アイツは規則を守っていない。私は正しいのです。

残念ながら日本人は自分で判断したり決めたりするより規制のが好きです。


蓮舫さん、がんばってくださいね。