政権の批判を、有権者のひとりとして義務と考える寅です。戦争できる国づくりする勢力には断固として反対です。

気の向くままに時々ほえます。
       
          ~寅~

ナガサキ原爆の日 核廃絶の祈り

2008-08-10 00:19:00 | インポート
 63年前の8月9日、午前11:02長崎が被爆しました。

 一瞬にして奪われた人命は、74000人、63年後の2008年8月9日、原爆死没者は145984人になりました。

 この日、長崎市主催の平和祈念式典が行われ、田上富久市長が平和宣言を読み上げました。

 寅は、午前11:02に核廃絶の願いをこめ1分間の黙祷しました。

 アメリカの原爆投下計画では、目標となる地点は広島、小倉、長崎、新潟と言われ、9日は小倉が投下目標にされていました。曇りで下界が見えない、という理由で次の目標の長崎に投下しました。

 原爆投下した者は、アメリカ爆撃機・B29のスウィーニー機長。「後悔も罪悪感もなかった」と述べたそうです。

 「人一人を殺せば殺人罪になる。戦争で多くの人を殺せば英雄になる」と言ったのはチャップリンでしたか?

 殺しつくせ! 破壊しつくせ! 焼きつくせ! が戦争です。
 戦争は人間を狂人にします。悪魔に変えてしまいます。
 国を守るため! 資源を手に入れるため! 国益を守るため! と叫ぶ戦争勢力を警戒し、世論の力で包囲し押さえつけなければならない、と強く思いました。

平和への誓い

2008-08-07 22:49:00 | インポート
 8月6日、広島・平和記念式典で、こども代表が、平和への誓いを高らかに読み上げました。その全文を紹介します。

《2008年(平成20年)8月6日(水)毎日新聞夕刊より》

  こども代表 平和への誓い(全文)

 昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。

 突然のするどい閃光(せんこう)と爆風で、数え切れない多くの尊い命が失われました。
 あの日、建物疎開や工場で働くために出かけていった子どもたちは、63年たった今も帰りません。「いってきます」と出かけ、「ただいま」と帰ってくる。原爆は、こんな当たり前の毎日を一瞬で奪いました。
 
 原爆は、やっと生き残った人たちも苦しめます。
 放射線の影響で突然病に倒れる人。
 あの日のことを「思い出したくない」と心を閉ざす人。
 大切な家族や友人を亡くし、「わしは、生きとってもええんじゃろうか?」と苦しむ人。
 
 でも、生き抜いてくれた人たちがいてくれたからこそ、私たちまで命が続いています。平和な街を築きあげてくれたからこそ、私たちの命があるのです。
 今、私たちは、生き抜いてくれた人たちに「ありがとう」と心の底から言いたいです。
 
 忘れてはならない原爆の記憶や核兵器に対する怒りは、年々人々の心から薄れていると思います。しかし、人の命を奪う戦争や暴力は、遠い過去のことではありません。
 
 この瞬間にも、領土の取り合い、宗教の違いなどによる争いによって、小さい子どもや大人、私たちと年齢の変わらない子どもたちの命が奪われています。
 
 失われた命の重さを思う時、何も知らなくて平和は語れません。
 
 事実を知る人がいなくなれば、また同じ過ちがくり返され、戦争で傷つき、命を失った人たちの願いは、かき消されてしまいます。だから、私たちは、大きくなった時、平和な世界にできるよう、ヒロシマで起きた事実に学び、知り、考え、そして、そのことをたくさんの人に伝えていくことから始めます。

 また、私たちは、世界の人々に、平和記念式典が行われ、深い祈りの中にある広島に来てほしいと思っています。ヒロシマのこと、戦争のことを知り、平和の大切さを肌で感じてほしいのです。
 
 そして今こそ、平和を願う子どもたちの声に耳をかたむけてほしいのです。
 
 みなさん、見ていて下さい。
 
 私たちは、原爆や戦争の事実に学びます。
 
 私たちは、次の世代の人たちに、ヒロシマの心を伝えます。
 
 そして、世界の人々に、平和のメッセージを伝えることを誓います。
 
 平成20年(2008年)8月6日

 こども代表
 広島市立幟町小学校6年  今井穂花
 広島市立吉島東小学校6年 本堂壮太

ラッキー『7』が五つの喜び

2008-08-04 21:54:00 | インポート
 足跡ページに77777hitが記録されました。
 Cafeの仲間たちのお蔭です。ありがとうございます。
 寅にとっては、ラッキー『7』が五つの喜びになります。きっと、いいことが舞い込んでくるぞ、と一人ワクワクしています。

 さて、記録を調べますと、77777人目のご来訪者は、山形のzii383159さんです。時刻とコメントは次のとおりです。
 2008年8月3日21:00「おしょうしな。33℃の暑い一日でした」になっています。ありがとうございました。

 Cafeのみなさま! これからも、よろしくお願い致します。