ずっと見たかった映画がやっとやってきた。
カンヌで役所広司が主演男優賞を受賞して話題になってから随分と待った気がする。
最初の映像はごちゃごちゃしていて 一瞬 ミドリムシかと思った
それが木漏れ日だとすぐわかったが、
私の好きな木漏れ日とはちょっと感じが違っていた。
陰影のある木漏れ日は彼の人生の象徴なのだろう・・・
私の好きな 美しく透ける緑の葉の隙間からキラキラと光がこぼれる
あの宝石のような葉もれ陽とは違うのだ。
トイレの清掃員として寡黙に働く男
早朝、竹ぼうきの音で目を覚まし、いつも窓にはカーテンがない。
ないと思いこんでいたカーテンはちゃんと束ねてあり、
朝日を感じたいためなのだろうかとも思ったが
遅い日の出の季節も 夜も昼も 終始カーテンはひかれたことはなかった。
毎日車の中で聴くカセットテープは妙に懐かしい曲ばかり
どれも彼の境遇や心情を歌っているようだった。
小さなフィルムカメラでのぞかずにシャッターを切る
思うように映っていない写真は破り捨て
それ以外は大切に保存した缶がごっそりしまってある。
毎日の木漏れ日のわずかな違いは
彼のかわり映えのしない暮らしの中で唯一無二なのだろうか
出かける前に 自動販売機で買う朝食代わりのコーヒー
そして、ベンチで食べるお昼はいつもサンドイッチだ。
自転車で行く風呂屋帰りによる駅なかの飲み屋
いつもおかえりなさいの声と共に
お決まりの一杯とつまみが置かれる。
休みの度に通う古本屋、部屋いっぱいの本棚に並ぶ本たち
突然現れた女の子は「おじさん」と彼を呼んでいた。
ママと別れた住む世界が違う父親を
どうしてそんな風に呼ぶのだろうかと思っていたが
電話をもらって迎えにきた裕福そうな母親は
彼をお兄さんと呼んでいて
久しぶりの再会と別れを惜しむようにハグする場面は
わかるようでいてやはり違和感があった。
認知症でもう何もわからなくなった父親にも
二度と会いたくないようだ・・・
彼にいったい何があったのか
どうしてこんな暮らしをしているのか
平山という男のこれまでの人生をあれこれ逡巡しながら観終えた。
早朝のいろいろな物音、鳥のさえずり
優しい風景と懐かしい音楽が彼を包む
カーテンもドアの鍵も開けっ放しで暮らす毎日
彼の周りにはもう悪人はいないようだ。
木立の葉擦れの音さえ聞こえてきそうなのに
朝っぱらから
The House of the Rising Sunの擦れたような物悲しさが漂う
アニマルズが歌い、
浅川マキが「朝日樓」と歌い
常連客のあがた森魚のギターで
石川さゆりのママが唄う
聴いたことはあるけれど ぼんやりと 記憶の奥深くに
澱のように沈んでいた曲ばかりのような気がして
ひとつひとつ掬い上げてもう一度聴いてみたいと思った。
トイレがきれいすぎて あまりにも現実味がないのだが
東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを
世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」
それに賛同したベンダース監督がこの作品の舞台にしたようだ。
キリスト教関連の団体からも
人間の内面を豊かに描いた作品だとしてエキュメニカル審査員賞も受賞したそうだ。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は好きな作品だった。
カンヌで役所広司が主演男優賞を受賞して話題になってから随分と待った気がする。
最初の映像はごちゃごちゃしていて 一瞬 ミドリムシかと思った
それが木漏れ日だとすぐわかったが、
私の好きな木漏れ日とはちょっと感じが違っていた。
陰影のある木漏れ日は彼の人生の象徴なのだろう・・・
私の好きな 美しく透ける緑の葉の隙間からキラキラと光がこぼれる
あの宝石のような葉もれ陽とは違うのだ。
トイレの清掃員として寡黙に働く男
早朝、竹ぼうきの音で目を覚まし、いつも窓にはカーテンがない。
ないと思いこんでいたカーテンはちゃんと束ねてあり、
朝日を感じたいためなのだろうかとも思ったが
遅い日の出の季節も 夜も昼も 終始カーテンはひかれたことはなかった。
毎日車の中で聴くカセットテープは妙に懐かしい曲ばかり
どれも彼の境遇や心情を歌っているようだった。
小さなフィルムカメラでのぞかずにシャッターを切る
思うように映っていない写真は破り捨て
それ以外は大切に保存した缶がごっそりしまってある。
毎日の木漏れ日のわずかな違いは
彼のかわり映えのしない暮らしの中で唯一無二なのだろうか
出かける前に 自動販売機で買う朝食代わりのコーヒー
そして、ベンチで食べるお昼はいつもサンドイッチだ。
自転車で行く風呂屋帰りによる駅なかの飲み屋
いつもおかえりなさいの声と共に
お決まりの一杯とつまみが置かれる。
休みの度に通う古本屋、部屋いっぱいの本棚に並ぶ本たち
突然現れた女の子は「おじさん」と彼を呼んでいた。
ママと別れた住む世界が違う父親を
どうしてそんな風に呼ぶのだろうかと思っていたが
電話をもらって迎えにきた裕福そうな母親は
彼をお兄さんと呼んでいて
久しぶりの再会と別れを惜しむようにハグする場面は
わかるようでいてやはり違和感があった。
認知症でもう何もわからなくなった父親にも
二度と会いたくないようだ・・・
彼にいったい何があったのか
どうしてこんな暮らしをしているのか
平山という男のこれまでの人生をあれこれ逡巡しながら観終えた。
早朝のいろいろな物音、鳥のさえずり
優しい風景と懐かしい音楽が彼を包む
カーテンもドアの鍵も開けっ放しで暮らす毎日
彼の周りにはもう悪人はいないようだ。
木立の葉擦れの音さえ聞こえてきそうなのに
朝っぱらから
The House of the Rising Sunの擦れたような物悲しさが漂う
アニマルズが歌い、
浅川マキが「朝日樓」と歌い
常連客のあがた森魚のギターで
石川さゆりのママが唄う
聴いたことはあるけれど ぼんやりと 記憶の奥深くに
澱のように沈んでいた曲ばかりのような気がして
ひとつひとつ掬い上げてもう一度聴いてみたいと思った。
トイレがきれいすぎて あまりにも現実味がないのだが
東京・渋谷区内17カ所の公共トイレを
世界的な建築家やクリエイターが改修する「THE TOKYO TOILET プロジェクト」
それに賛同したベンダース監督がこの作品の舞台にしたようだ。
キリスト教関連の団体からも
人間の内面を豊かに描いた作品だとしてエキュメニカル審査員賞も受賞したそうだ。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は好きな作品だった。
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