大倉草紙

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【和歌山】 新宮 (熊野速玉大社・神倉神社)

2008年03月02日 23時04分02秒 | 旅 - 和歌山県
本日の行程:(JR新宮駅) → 【徐福公園】 → 【神倉神社】 → 【熊野速玉大社】 → 【佐藤春夫記念館】


新宮駅から東へ2~3分、中華街を彷彿させる門がある。
徐福公園である。
約2200年前、徐福は、秦の始皇帝の命を受け、不老不死の霊薬を求めて船出した。
ここ熊野で薬木「天台烏薬」を発見した徐福は、母国に帰ることなく、新宮で一生を送ったという。
天台烏薬の木が植えられている公園内には、徐福や重臣たちのお墓、徐福像、不老の池などがあった。
徐福のお墓の前では、熱心に拝む人の姿もある。
不老の池には、七重臣が有していた七つの徳「和」「仁」「慈」「勇」「財」「調」「壮」が刻まれた石柱が建っていたので、順番に触れてきた。


     
          神倉神社の石段

神倉神社は、熊野速玉大社の飛地境内摂社。
538段の石段は、1193年に源頼朝が寄進したものといわれる。
これには参った。
2006年に九重の吊橋(大分県)ができるまでは、世界一の高さを誇っていた綾の吊橋(宮崎県)を平気で渡り、一度だけ乗ったグライダーの楽しさが忘れられず、いつかはハングライダーにも挑戦したいと思っているくらい高い場所には抵抗がないつもりでいたのだが、この石段は、恐くて登れない。
夫に笑われながらも、四つん這いになって、よじ登る。

この神社の例祭で、「お灯まつり」というのがある。
白装束に身を包んだ男たちが、この石段を駆け下りる勇壮な火祭りだ。
この祭りの様子を見たのは、ポスターだったか、テレビだったか。
松明の灯が、波のように鳥居に押し寄せる光景が印象に残っている。
灯を持って、この石段を駆け下りるなんて、あぁ恐ろしい。

地元の人たちは、上り下りに慣れているのだろうか。
70は過ぎているであろうおじいさんが、ひょいひょいと身軽に石段を登っていく。
「コワイ、コワイ」と言っている自分が情けない。

神社のご神体は、「ことびき岩」と呼ばれる巨岩。
「ことびき」とは、この地方の方言で、ヒキガエルのことだという。


神倉神社の次に向かったのは、熊野速玉大社

道中、香梅堂で「鈴焼」を買う。
ベビーカステラのようなこのお菓子と似たものは多いけれど、ふんわりとした感じといい、香りといい、他のものとは違う。
絶品だ。
和三盆を使っているのだという。
やわらかな甘さもいい。

石段や階段を登っての参拝が続いていたせいか、熊野速玉神社が平地に建っていて、不思議な感じがした。
もともとは、神倉山に祀られていたらしく、それを移したのが現在の熊野速玉大社の始まり。
それで、神倉山を元宮、ここを新宮を呼ぶようになったようだ。
朱塗りの新しい社殿は、昭和になって建てられたものらしい。


熊野速玉神社の隣には、佐藤春夫記念館がある。
東京都文京区関口にあった邸宅を移築したものだという。
館内には、詩の朗読が流れている。
建物は、洒落た造りで、風通しがよく、実に気持ちがいい。
とくに、2階の「八角塔の書斎」には憧れる。
通路の踊り場のような感じで、狭いのだけれど、明るい書斎だ。

 
新宮市立図書館にある中上健次資料収集室にも寄ってみたかったが、事前に予約が必要な上に、日曜日は担当者がお休みのようだったので諦める。

そしてまた特急電車に乗り込む。
和歌山は広いなあ。