大倉草紙

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【和歌山】 九度山・高野山

2008年03月08日 23時31分43秒 | 旅 - 和歌山県
本日の行程:(南海電鉄・九度山駅) → 【真田庵(善名称院)】 → 【慈尊院】 → (南海電鉄・九度山駅~極楽寺駅)…(南海高野山ケーブル・極楽寺駅~高野山駅)…(タクシー) → 【金剛峯寺】


九度山駅から坂道を下り、やや大きな通りを10分くらい歩いただろうか。
真田庵は静かな場所にあった。
真田庵は、正式には、善名称院という。
関ヶ原の戦いで西軍についた真田昌幸・幸村父子は、蟄居を命じられ、ここに隠棲していた。
この地で死去した死去した昌幸の墓もある。


   

真田庵の門の扉には、六文銭が彫られていた。

敷地内の「真田宝物資料館」の料金箱に200円を入れて入館する。
武具、真田紐、書状などの資料とともに、真田昌幸・幸村父子をテーマとした小学生の自由研究も置いてあり、ほほえましかった。
 
近くに「真田の抜け穴」があるというので、探してみた。
近所の人にも尋ねてみたのだけれど、結局、場所が分からなかった。
どこにあるのだろう?


慈尊院(世界遺産)へ向かう。
慈尊院は、弘法大師が高野山を開く際に、この地を表玄関として伽藍を草創し、政所を置き、高野山への宿所ならびに冬期避寒修行の場所としたのがはじまり。
女人禁制のため高野山への入山できず、この政所に滞在していた弘法大師の母は、ここで亡くなったという。
 
弥勒堂(重要文化財)の前には、布で作った乳房型が奉納されていた。
不謹慎だが、いろいろな形、大小さまざまな乳房が並んでいて、思わず見入ってしまった。
不思議な光景だ。

有吉佐和子の『紀ノ川』を思い出す。
 
 
再び南海高野線に乗って、高野山(世界遺産)を目指す。
ケーブルカーに乗り換えて、高野山駅へ。
バスの待ち時間が長かったので、タクシーで大門(重要文化財)へ向かう。

高野山では、大門 → 壇上伽藍 → 金剛峯寺 → 徳川家霊台 → 奥の院参道 → 奥の院の順に回る。
 

   
        奥州仙台伊達家墓所

なかでも、とりわけ印象に残っているのは、奥の院への参道と燈籠堂。

一の橋から約2km、杉や檜の大木の間に20万基の墓石が並んでいる。
見れば、大名や武将の名が。
霊園のように区画が整理されているのではなく、参道に沿って、さまざまな形の墓石が雑然と建っているのが、よかった。
まだ雪が道の端に残っていて、花の季節には少し間があるせいか、人もまばらで、静かにこの参道を歩けたのも、またよかった。

燈籠堂には、2万個もの燈篭が灯っている。
孝女お照が髪を売って両親の菩提のために献した「貧女の一燈」と、白河天皇が献燈された「白河燈」の灯は、1000年以上燃え続けているという。
ぼんやりと赤く照らされた空間は、じつに神秘的だ。

弘法大師御廟の前は、熱心に祈りを捧げる人であふれていた。
入定した弘法大師の御廟には、今でも、維那(いな)と呼ばれる仕侍僧による日々のお給仕を絶やすことがないという。