大倉草紙

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【滋賀】 安土城跡・見寺

2008年09月04日 08時36分51秒 | 旅 - 滋賀県
6月22日(日)
当日の行程:(JR長浜駅) → 【長浜城(長浜市長浜城歴史博物館)】 → (JR長浜駅~彦根駅) …(車) → 【彦根城】【安土城跡と見寺】【園城寺(三井寺)】【近江大津宮錦織遺跡】【露国皇太子遭難之地】


   
             安土城の入口にある石碑

県道大津能登川長浜線に面して、安土城跡の石碑がある。


          
                大手道の石段

受付を過ぎると、石段が続く。
杖をお借りして登る。


   
石段を登りはじめてすぐ右手には、伝前田利家邸跡がある。


   
伝前田利家邸跡の向い側(石段の左側)には、伝羽柴秀吉邸跡がある。
上下二段に分かれた構造で、こちらは下段の楼門が建っていたとされる場所。


   
              伝羽柴秀吉邸主殿跡


   
      石段の途中              大手道跡の石仏

大手道の石段の途中で振り返ったところ。
先は、まだまだ長い。
訪れる人はあまりいないのではないかと思っていたが、思いのほか多くの人とすれ違ったので驚いた。
「上の景色は素晴らしいよー」と励まされ、石段を登るが、結構きつい。

城普請に使う石材は、おもに近郊の山から採取されたものだったようだが、中には、石仏や墓石も含まれていたという。
築城の際に大手道の石段に使われていた石仏が、そのままの状態で見ることができるようになっている。


   
          伝織田信澄邸跡と伝森蘭丸邸跡


   
                  黒金門跡

黒金門は、安土城中枢部への主要な入口のひとつ。
大きな石が用いられている。


   
                  仏足石

この仏足石は、大手道の石仏同様、築城時に石材として集められたもの。
昭和初期に、登山道を整備する際に発見された。


   
                  天主跡

東西、南北それぞれ約28メートル、礎石の間隔は1.2メートル。
これは天主の地階の部分にあたり、その上に五層七階、約33メートルの天主が聳えていたという。
その天主は、完成してからわずか3年後の天正10年(1582)に焼失してしまう。
その後に発掘調査が行われたのは、昭和15年(1940)になってから。


   
               天主跡からの風景 

天主跡からの風景はすばらしい。
登ってきた達成感もあって、とても気分が良い。


   
                織田信長公本廟

天主跡から少し下ったところ、伝二の丸跡に織田信長公本廟がある。
天正11年(1583)、羽柴秀吉が信長の遺品を埋葬して本廟としたらしい。


   
              織田信雄公四代供養塔


   
                見寺本堂跡

見寺は、織田信長が安土城内に建てた本格的な寺院。
安土城の天守付近が炎上した際には類焼を免れたが、江戸時代の末期に焼失。
その後、伝徳川家康邸跡に仮本堂が建っている。


          
              三重塔(重要文化財)

享徳3年(1454年)建立。
甲賀郡のお寺から移築されたもの。


   
              二王門(重要文化財)

門の棟木に元亀2年(1571年)に建立したという墨書銘があるが、天正4年(1576)年に信長が築城に着手し、それに併せて見寺を建てるにあたり、甲賀郡のお寺から移築されたものだといわれる。
門の両脇に祀られている金剛力士立像(重要文化財)は、応仁元年(1467)の作。


          
               見寺の御朱印

見寺の御朱印は、大手道の受付でいただく。

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