大倉草紙

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【京都】 二尊院

2008年08月05日 17時18分01秒 | 旅 - 京都府
6月21日(土)
当日の行程:(阪急電鉄・嵐山駅)…(自転車) → 【清涼寺】【大覚寺】【直指庵】【仏野念仏寺】【祗王寺】【滝口寺】【二尊院】【落柿舎】【常寂光寺】【野宮神社】【天龍寺】


   
                  二尊院

二尊院の総門は、角倉了以が、伏見城の「薬医門」を移築したもの。


          
               西行法師庵の跡

総門をくぐると、左手に、西行法師庵の跡がある。
立札には、次の歌があった。
「我かものと 秋の梢を 思うかな 小倉の里に 家居せしよ里」


   
      紅葉の馬場               高浜虚子の句碑

総門から続く長い参道は、「紅葉の馬場」と呼ばれる。
秋になると、道の両側のもみじが美しいらしい。

紅葉の馬場には、高浜虚子の句碑が立っている。
「散紅葉こゝも掃 きゐる二尊院」


   
                  萩の花

紅葉の馬場には、6月だというのに、萩の花が咲いていた。
この季節、ほかのお寺でも萩の花を見かけるけれど、こんなに早く咲くのは何故だろう?


   
                 勅使門(唐門)

勅使門(唐門)は、応仁の乱で全焼した後、1521年に再建されたもの。


   
                   本堂

   
    後柏原天皇の勅額               お駕籠

本堂は、応仁の乱で全焼した後、勅使門(唐門)と同じ1521年に再建された。
本堂「二尊院」の勅額(後奈良天皇筆)と勅使門(唐門)「小倉山」の勅額(後柏原天皇)は、この再建時に下賜されたもの。
現在、「二尊院」の勅額は本堂にかかっているが、「小倉山」の勅額は、本堂内に置かれている。

本堂は京都御所の紫宸殿を模して造られたらしい。
本尊として、向かって左側に阿弥陀如来立像(重要文化財)を、向かって右側に釈迦如来立像(重要文化財)を祀っている。
このお寺の正式名称は「小倉山二尊院華台寺(けだいじ)」だが、二尊を祀ることから「二尊院」と呼ばれるようになったという。

本堂には、「法然上人足曳きの御影」(重要文化財)もあった。
この絵には、はじめ、袈裟の裾から覗く法然上人の足も描かれていたが、それを恥ずかしく思った法然上人がお経を唱えると、絵の中の足が袈裟の中に隠れたという逸話が残っているそうだ。

本堂の向かって右側の軒に、お駕籠が吊るされていた。
江戸末期ごろ、二尊院住職が京都御所へ読経に行く際に用いたもので、菊の御紋が付いているので、御所へは無償件で入ることができたらしい。

本堂の周りにあるものをいくつか。

   
       軒端の松                  扇塚

軒端の松の傍らの立札には、藤原定家の歌が書かれている。
「志のばれむ ものともなしに 小倉山 軒端の松ぞ なれて久しき」

扇塚は、山内流始祖並二代、吉村流開祖二代並三代の家元を供養するために、吉村流第四世家元の故・吉村雄輝らが建てたもの。
人間国宝でもある吉村雄輝は、池端慎之介(ピーター)の父。


   
       弁財天堂                   鐘楼

本堂前の庭には、かつて、龍女が住んでいたという。
弁財天堂には、正信上人によって成仏させられたこの龍女が祀られている。

梵鐘は、「しあわせの鐘」と呼ばれる。
1604年に鋳造の梵鐘を、1992年に再鋳したもの。
第一に自分が生かされている幸せを祈願し、
第二に生きとし生けるものに感謝し、
第三に世界人類の幸せのために、三度撞くようになっている。


   
     伊藤東涯の墓               伊藤仁斎の墓

   
                角倉了以の墓

弁財天堂と鐘楼の間には、法然上人御廟に至る石段がある。
石段の途中で右に折れると、伊藤東涯、伊藤仁斎のお墓、角倉了以のお墓がある。


   
     法然上人御廟                時雨亭跡

石段を登りきったところに、法然上人御廟がある。
御廟から左に折れ、山の中へ入っていくとあるのが時雨亭跡。
藤原定家は、この場所で小倉百人一首の選定をしたと伝わっている。


   
    小倉餡発祥之地の碑           板東妻三郎の墓

帰りは、境内の北側の坂道を下りる。
途中、小倉餡小倉餡発祥之地の碑を見つけた。
820年頃、この地で、日本で初めて餡が炊かれたそうだ。
亀の甲煎餅を作っている和三郎という人が、空海が中国から持ち帰った小豆の種子を栽培し、それに御所から下賜された砂糖を加えて煮詰めて作ったらしい。

坂を下りきったところには、板東妻三郎のお墓もあった。
二尊院の参拝受付でいただくパンフレットの地図にも、このお墓が載っている。


          
               二尊院の御朱印

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